yasuokaの日記: 四十になったら自分の顔に責任を持て 2
人名用漢字の新字旧字のネタを拾うべく、1990年前後の新聞記事をあさっていたら、別のネタを拾いあげてしまった。外山滋比古の『名言の内側』シリーズの一つで、日本経済新聞1988年11月27日(第37041号)p.32に載っていたネタだ。
四十になったら自分の顔に責任を持て
一般にはアメリカのリンカーン大統領のことばとされているが、どこにもたしかな証拠がない。どうやら伝説のようだ。
その代わりというのもおかしいが、「人間五十になったら自分の顔に責任がある」(A man of fifty is responsible for his face)と言った人がいる。
エドウィン・M・スタントンというアメリカ人で、ちょっとした政治家、法律家だった。それだけではない。リンカーン大統領から陸軍大臣に任命された人物だから、この場合、偶然にしては話ができすぎている。スタントン五十一歳のときのことばであるから、一般論というよりも、自戒あるいは自負の気持ちをあらわしたとする方が自然であろう。
しかし、スタントンは、いまとなってはいわば無名の人といってよい。リンカーンの名声が巻きおこす伝説化のうずに吸い込まれて、リンカーンの言とされたものと想像される。五十歳であったのが四十歳に引き下げられたのも愛嬌で、四十にして責任ありとする方が迫力があるのはたしかだ。
私(安岡孝一)が唐沢俊一のガセネタを指摘する20年も前に、既にこのガセネタは日本経済新聞紙上で指摘されていたわけだ。20年前だと、『Recollections of President Lincoln and His Administration』(Harper, 1891年)をチェックするのも、そうたやすくはなかっただろうに、外山滋比古すごいなぁ。
ちなみに、唐沢俊一の「トリビア名誉教授 唐沢俊一のビジネス課外授業。」は、リンカーンのガセネタを最後に『pronto pronto?』での連載を終了している。その後、ガセネタを訂正したという話は聞かない。ガセネタを毎号バラマキまくって(1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15)、訂正もせずにほったらかすくらいなら、最初から唐沢俊一になど連載させなきゃいいのに。
日本での例 (スコア:1)
慶應の塾長で天皇の師傅でもあった小泉信三が,「国土の姿」という題の読売新聞昭和28年1月3日への寄稿でこの格言をリンカーンに帰して紹介しています。
リンカーンの言葉として紹介する古い例についてご自身で言及なさっているもの [srad.jp]と年が近く,また私がそもそもこの格言を,講談社学術文庫852「平生の心がけ」所収のこの寄稿から知ったということもあり,一応紹介しておきます。
「国土の姿」と「Face and Fortune」 (スコア:1)
情報ありがとうございます。さっそく、小泉信三の「国土の姿」(読売新聞、第27325号 (1953年1月3日), 朝刊p.1)をチェックしてきました。
うーむ、Frances Parkinson Keyesの「Face and Fortune」(William Ichabod Nichols (ed.)『Words to Live by』 Simon and Schuster, 1948年, pp.32-33)のほぼ直訳ですね。比較のために「Face and Fortune」も載せときます。
さて、これがいちばん古い例なのかしら?