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836 story

超科学的高校、来年から 58

ストーリー by Oliver
カタカナ好きによるネーミング 部門より

MisakiTRA. 曰く,"読売新聞の記事より、文部科学省は、2002年度から「スーパーサイエンス・ハイスクール」制度を導入する方針を固めた。指定された高校・中高一貫校では、理数系のハイレベルな内容を学ぶことができるという。授業だけでなく、科学技術系のクラブ活動の指導に一流の研究者を派遣する、といったことも盛り込まれるなど、至れり尽くせり。理数系出身者としてはうらやましく思う一方で、思惑通り理数離れに歯止めがかかるのか、逆に受験競争が過熱しないか、などと心配も多い。"

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • 学校が子供や若者を拘束する時間が長すぎると思う。

    義務教育か、小学校の6年間が終わったら、社会に出るか
    半日はアルバイトをしてもいいようにするとかして、
    とりあえず社会の中の自分の立場を考えるようにしたら
    いいと思う。

    そのとき少しでも方向性が見えていれば、その後の勉強に
    向ける意欲が段違いになるはずだし、そうすれば
    こういう学校に通おうと、(親ではなく)自分が心から
    思えるんじゃないのかな。
    --

    - Ryuzi Kambe -
  • by halhal (2180) on 2001年08月20日 13時10分 (#15097) 日記
    元記事からすると、「理系エリート養成高校」なのですね。それはそれで必要と思いますが、「エリートじゃないけどがんばる技術者」の養成や、熊さん八っつぁんレベルの(草の根の)科学大好き国民性の醸成もやってほしい。
    数学的能力については持ってるレベルに違いがあるのは仕方ない、でも自分でできなくとも誰かによって導かれた新しい知見に対する関心をみんなが持ちつづけることが、実際に研究開発やものづくりを進める人たちを後押しすると思いますので。

    一方で、「理系エリート」の方々には文芸的関心を高めてもらいたいです。
    戦前生まれの科学者が一般向けに書いた本などを読むと、たまにその文章の格調の高さ、バックボーンとなっている教養の高さにびっくりしたりします。
    真のエリート養成ならそこまでやってほしいな。
  • by ed-beta (4425) on 2001年08月19日 13時30分 (#14765)
    >最先端の研究ができる人を増やせば、理数離れがもっと進行しても社会に与える影響を少なくできる

    もし、そういう発想なら、あまり賛成できないなあ。
    最先端の研究もも、それは社会が支えないと成り立たないんじゃないかな。直接的には予算を使う場合もあるだろうし、そうであれば大勢の賛成無しに研究は成り立たない。そうでなくても、何のために、それを行うの理解が得られなければ「役立たず」のレッテルを貼られる研究が少なくないでしょう。底辺を拡大すれば、自ずと理解が進んで頂点が高くなるという考え方もあります。

    ところで、

    欧米がどうのこうのとか、海外では、他所の国も云々と言う論調は大嫌いだ、と宣言しておいて……

    ペンローズの「皇帝の新しい心」とかゲーデル・エッシャー・バッハとかって海外では売れたと聞きます。本の内容と日本の現状からすると信じられない。
    古くはニュートンの「光学」も大勢の一般の人(というより当時は貴族階級が主でしょうが)の支持を受けたと聞きます。
    そんな話を聞くと、うらやましいなあ、というか、やっぱり違うのかなあ、という気がします。宗教の違いかな。
  • by r69 (4753) on 2001年08月19日 14時52分 (#14781)

    自分が小学生なら行きたがっただろうなあ。なにしろ「一線の研究者らによる体験授業を受けたり」できるんだよ。コンピュータ自由に触れるだろうし、ロボコン参加支援までやってくれる。女の子が目に入らない中高生生活を送っちゃいそうだ。

    ま、そうやって日本を引っぱるエリートを伸ばしてもらうのはすばらしいんだけど、一般の授業はどうなのか。

    子供ってたいてい科学が好きなのに、だんだん嫌いになっちゃう。で、確率みたいな科学的思考を身につけずに大人になる。だから、偶然の一致にありもしない意味を見つけてしまったりする。科学革命が始まってもう400年くらいたってるのに、なかなか科学的思考って受け入れられてないよなあ。

    「新しい歴史教科書」は些細なことで、真の問題は「新しい理科教科書」じゃないか?

  •  縁あって理数関係(?)の仕事をしているし、そのような学校に行ってはいましたが、数学はあまり得意というわけではありませんし、物理なんてもってのほかでした(ニュートンが嫌い:力学が理解できない)。どちらかといえばモノ書きのはずなのですが、でもコンピュータはさわれますし、世間の方が見ている基準からすればそれよりは使えている(と思う)です。

     それにしても、これは別段理数系に限った話ではないですけれど、どうしてこう、進学校と呼ばれるところほどお堅い授業をするかと思うですね。やはり先生の教え方などによるのでしょうか?

     ボクは興味のある学生・生徒を集めるのも良いと思うですが、それと同時に、魅力のある先生(教諭)を揃えるのも大きなところではないかと思うです。もしくは、そのような先生を複数から選べるとか。
     それだと大学になっちゃうか(^^;
    --
    -------- SORAMINE Yukino
  • by Hebikuzure (489) on 2001年08月20日 19時03分 (#15223) ホームページ 日記
    「管理できる人間はいるのか」という部分でちょっと別の事を考えてしまいました。
    こういう学校を作ると、おそらくそれなりに自分から物を考えて自分から勉強する生徒が集まってくる筈です。というか、そういう自主性と向上心のある生徒により進んだ教育をするというのが本来の目的ですよね。
    となると、教える側(はまだ良いとしても)、管理する側は、よほどキチンとした対応をしないと、瞬間に生徒にナメられてしまいます。いやナメられるだけならともかく下手な事をしよう物なら精神的袋だたきでしょう。少なくとも理由も無しの頭ごなしの規制など論外ですね。
    そういう緊張感のある現場が勤まる教師って、どれだけ居るのでしょうねえ。そこがうまく行かないと、「学校」として成立しなくなるような....。
  • by torly (3670) on 2001年08月19日 13時23分 (#14761) ホームページ 日記
    というより、「管理する人間はいるのか」ですが…

     個人的経験からすると、今までの高校でも設備が無いわけではないけど人がいないんですよね。クラスの一人1台に行き渡るマシンがあるけど、旧来のOA系情報処理以上の事を教えられる人間がいない、そうでなくてもイントラや学校のサーバを構築し、管理できる人間がいない。
     私がhtmlの基礎の基礎を覚えたのは高校の時で、授業でホームページを作ってブラウズしましたが、ネットに繋いだ訳ではなく完全ローカルでした。イントラも不徹底で、教員用のマシンから生徒のマシン状態がモニターできるようになってるけど、それだけ(生徒同士のマシンには何の繋がりもない)みたいでした。
     今じゃ図書館などにネットに繋げるマシンが置いてある学校が多いようですが、それもユーザーもアカウントも全く共用かつ各マシンは全く独立で、ただ普通に常時接続回線引いて普通にプロバイダと契約して普通のパソコンに普通に設定して置いてあるだけという。一部の生徒に私物化されてたり、個人情報が残ったり、アダルトサイトを壁紙にしたり、余所の掲示板に変な書き込みをするのに使われたりといったイタズラもされたい放題…らしい、です。私はもう高校生じゃないので実際はどうか知りませんが、でも何処もお寒い状況のようで。

     これはネットだけでなく、化学や物理、生物関係でも言える事でしょう。入れ物を用意しても、それを管理できる人間や使える教師が果たしてどれだけ用意できるんでしょうか。
     うちの高校はただの県立でしたが、私立や国立、大学付属なんかなら可能かも知れません。でも、それっていらん教育の格差を広げませんかねえ? 色々試してはいるようだけど、まだまだ普通の公立が大学と共同して高校側の設備や人員の限界を拡張するようなシステムは上手く機能していないみたいですし。
  • by Asagi (333) on 2001年08月19日 14時54分 (#14783) 日記
    別の話題のところでも書きましたけど、ゲーデル・エッシャー・バッハって中高生向けに書かれた書籍なんですよね(著者が明言してました)。

    #あの本を読みこなす中高生ってのも想像し難いですが。

    以前に米国の小学生の数学(あ、算数か)の教科書を読む機会があったのですが、数字や数式がほとんど載っておらず、非常に興味深いものでした。ひたすら実世界の具体的な例を挙げながら、さまざまな数学的な理論を解説しているのですな。

    こーゆーのを見ると、基礎教育が重要なのでは、と思って しまいます。
  • by r69 (4753) on 2001年08月19日 15時25分 (#14793)

    値段が実はけっこう効いてます。

    「皇帝の新しい心」はさほどでもなく、amazon.comで14.36ドル、amazon.co.jpで2200円。1ドル150円相当。

    Scientific Americanなんてメチャ安っす。Amazon.com zShopでは年間購読が24.97ドル。日経サイエンス2カ月分だ!

    日本の科学雑誌は売り方変えるべきだと、科学雑誌購読を親にやんわりと止められたぼくは思うけど。その構造改革には痛みが伴いそうだけどな。

  • Re:底辺も重要かも (スコア:2, すばらしい洞察)

    by torly (3670) on 2001年08月19日 16時02分 (#14797) ホームページ 日記
     むぅ、確かに…
    #そういや某本は「マセた中学生に読んで欲しい」みたいなことを言ってたらしいし、作者が。
     個人的にはそれに加えて、今の日本の書店における学術書の扱いも疑問ですね。お高いハードカバーやマイナーな学術文庫ばかり、しかも 一冊売り切れたら当分補充なし。大規模店舗でないと扱ってすらいないという…

    >その背景にある国民性の違いとか、宗教的信念の違いが大きいのかもしれませんが…。
     それもありますが、今の日本は理系と非・理系の指向の棲み分けがきっちりし過ぎかもしれません。
     私が今通ってる学部は情報系ですが、家庭向け医学事典を見てたり、テレビの生物ドキュメンタリー系教養番組を見たがったりすると、よく弟に 「この理系がァァ」って言われます(笑)。そういや我が家は私以外(妹はまだ中学生ですが、数学も理科も超苦手らしい) 典型的な文系の学歴を持つ人間ばっかりです。でも、父はよく古いバイクをレストアしてみたり、昔はプログラミングに挑戦してたり( 当時はまだモノがしょぼかったので、交番勤務の片手間では実用的なモノが出来ずに投げたみたいですが) してました。文系に進学した人間だから理系っぽい事が出来ないなんてのは、頭を使わない言い訳に過ぎないと思います。私だって文系の範疇の事柄に興味持ってるんだけど。 変な苦手意識を持ってる暇があったら、是非もう一度挑んでみて欲しいんですがねえ。中学程度までなら大学に進学できる人間なら、大抵なんとかなりそうだと思うし。

     そういうと、したいことより出来ることだけで勉強する事を決めねばならない今の日本の教育にも疑問が湧いてきます。より高いレベルに上がろうとする人間を支えるという意味では、エリート教育と同じぐらい、出来ない人間や専門外の人、社会人なんかに機会を与える事も大事だと思いますね。
     大学院レベルならともかく、そもそも解らないから勉強するんでしょ! って感じ。
    #まずはそういう人々の為にコミュニティーカレッジみたいな制度を作ればいいかも。
    #今少子化であっぷあっぷしている私立大を救うことにもなって一石二鳥かも。
    #まあ、文化的基礎がなきゃすぐ潰れちゃうか…
  • by torly (3670) on 2001年08月19日 17時03分 (#14808) ホームページ 日記
    #またもやオフトピック気味…

     文庫本というシステムは日本独特のもので、海外の本好きにはかなり評価されてるそうです。なんでも「日本語さえ読めれば世界中の本が読める」そうで。原語では既に手に入らない本をゲットするため、はるばる日本までやって来る人も多いそうな。

  • どうかん。もっと若いうちからみんな社会に参加できるようにして、それぞれの才能を伸ばした方がいいと思う。

    年寄りの暴走を防ぐことにもなるし。

  • by Squal (2398) on 2001年08月19日 23時54分 (#14936) 日記
    > 極端に他人と接するのが苦手

    科学系のことが好きな学生が、他の学生から離れていく原因って、まわりにそういった内容を好きになる人が少ないからというのがそのの一つに挙げられると思います。共通の話題があるからこそ他人と接する機会が増えると思うので、あまりこの部分は心配しなくてもいいと思います。
  • by k3c (4386) on 2001年08月20日 10時34分 (#15044) ホームページ 日記
    ということを狙いにしているのならいいことだと思いますが、そうではないみたいですね…。
    こういうやり方だと、文系科目が嫌いで理数系だけ勉強したいという生徒はその学校へ流れると思いますが、理数系が嫌いな生徒はよけい嫌いになるだけではないでしょうか?ワタシにはそんな気がしてなりません。

    理数系が嫌いな子は他の得意な科目(文芸とか体育とか)を伸ばせばよいのではないでしょうか。だから、次は「スーパー・リテラリー・アーツ・ハイスクール」を作ってみたらいかが。芸術と文学だけを学ぶ学校。どうでしょう。それと「スーパー・スポーツ・ハイスクール」。日本体育大学みたいな。

    # ワタシ?ワタシはもちろんサイエンスです :-)

    理数系は理数系の得意な人に任せるべき。
  • 日本でもですね、「ホーキング宇宙を語る」なんかはベストセラーでめちゃめちゃ売れましたよ。
    扱っている内容はめちゃめちゃ難解なので、あれがなぜあんなにも売れたかと言うとやはりファッションであったんだろうな。

    アメリカの場合、スタートレックが未だに人気のある番組だと言うのはうらやましい限り。
    日本の SF の位置ってすごい低い気がするので。
    と言うよりもアニメに食われているのかもしれないですが。

    科学本が売れると言っても、いわゆる「ト」本が売れる(だけならまだしもまじめに内容を読まれる)のは困ったもんだと思います。
  • Re:専門特化 (スコア:2, すばらしい洞察)

    by taanii (2285) on 2001年08月20日 11時18分 (#15061) ホームページ
    >理数系が嫌いな生徒はよけい嫌いになるだけではないでしょうか?

    ここが問題ですな。
    理数系が嫌われるのと一緒に論理的思考も嫌われてしまうのではないかと心配です。
    「国語科」の現状だと論理よりも文学的な方面が重点が置かれているような気がするので。
  • by ed-beta (4425) on 2001年08月20日 12時00分 (#15071)
    # コメントをつける価値も無いと思ったけれどスコアがついちゃったので…

    個別事例(長岡半太郎)をいちいち取り出して一般化(エリート教育は無意味)するのは無意味ですよ。幼い頃から頭角をあらわし英才教育を受けて名を残した科学者はたくさんいます。
    とくに数学者が多いですね。ガウス、ハミルトン……枚挙に暇がありません。もちろん、ワイエルシュトラウスのように中年といっていいくらいの年齢で頭角をあらわした数学者もいますが。

    # ワイエルシュトラウスは中年男性の星ですね!

    要は、そんな人も拾い上げられる許容度の大きな社会を作ればいいだけこと。エリート教育はエリート教育で、どんどんやるべきでしょ。

    ちょっとアレな意見かもしれないけど、個別事例を取り出して、もっともらしく見せかけるのは「超科学」(別名似非科学)に良くある手口ですね。似非科学が流行ったり、こういう意見が横行するのもまた、科学離れが進んでいる証拠なのかなあ。
  • 嫌いな野菜をてんこ盛にした料理を食いたがる子は少ないと思うな。
    もし、やるんだったら、もっと小さい頃から仕込まないと。
    ちと気の長い話になるけど、幼稚園くらいからソッチ系に
    興味を持たせる機会を与えておいたら、あとはほっといても
    ソッチ系に(進む子は)進むんじゃないかな。

    今回は、指定された学校がボロボロにならないことを願うばかり。
    って、ちょっと悲観的すぎ?
  • 別に小さいうちから仕込まないでも理数系に興味を持つ人間は結構いると思う。

    理数離れが深刻化しているけれども、それは一応置いといて、興味がある学生に学べる場を与えるということだと思う。つまり、底辺を拡大するのではなく、頂点を高くするということ。理数系の研究がいろんな技術を支えているから、最先端の研究ができる人を増やせば、理数離れがもっと進行しても社会に与える影響を少なくできる、というような発想だと思う。

    確かに閑古鳥が無くほど理数離れが進むとヤバイけれど、そこまで深刻化することは無いような気がするなあ。
    --
    ---Y^2
  • #オフトピックになっちゃうけど

    >ペンローズの「皇帝の新しい心」とかゲーデル・エッシャー・バッハとかって海外では売れたと聞きます。本の内容と日本の現状からすると信じられない。
    >古くはニュートンの「光学」も大勢の一般の人(というより当時は貴族階級が主でしょうが)の支持を受けたと聞きます。

     「ベストセラーor通な人々の間で話題だからとりあえず買ってみたけど、全然読んでない」とか、「一通りめくり読みして解った気になってたけど、実はサッパリだった」とか、"海外でも"いつの時代でもあるかも。
    #それにまあ、本を読むだけで教育が足りれば教師は要りませんがな
  • by ed-beta (4425) on 2001年08月19日 14時58分 (#14784)
    トップのニュースからするとアレかもしれませんが、科学教育一般ということならオフトピックで無いと判断して続けますが……

    >ベストセラーor通な人々の間で話題だからとりあえず買ってみたけど、全然読んでない」

    んー、そうじゃなくって、これらの本は一般向きの教養本として企画されています(あまり教育的な本ではありませんよね)。
    しかし読み通したり理解するのには、その方面への興味や思考法が対象読者(一般の人)にあるという前提があると思うんです。それで売れちゃうってことは、大多数が本そのものの内容を理解できたかどうかはともかく、少なくとも、こういった事柄に興味を持つ普通の人がいるってことですよね。

    翻って日本で、仮にこういう本が企画されたとしても、せいぜい日経サイエンスの書評欄に取り上げられるのが関の山。興味を持ってくれる人の数そのものが少ない、言い換えると科学の底辺が小さいのかな、と思うわけです。

    その背景にある国民性の違いとか、宗教的信念の違いが大きいのかもしれませんが…。
  • by ed-beta (4425) on 2001年08月19日 15時49分 (#14795)
    # オフトピック気味

    科学雑誌が高すぎるってのには賛成。日経サイエンスなんか高いよねえ。

    # ところで、皇帝の新しい心の日本語訳本は6800円です。

    でも値段はある程度、仕方ないところはあると思います。
    ペンローズみたいなビッグネームならともかく普通、まじめな学術本の場合、たいてい初版数千部、多少メジャーで売れると言う目処があったとしても1万部台で作ります。
    書籍は初版で元を取るのが基本ですから、製作コストを初版部数で割った原価から計算すると、だいたい、こんな感じになっちゃうんですね。

    売れれば安く出来るけれど、そもそも、対象人口が小さな日本語の本というのは分が悪い。英語だと販売対象が何億人かいますからね……。

  • by r69 (4753) on 2001年08月19日 16時24分 (#14800)

    1億数千万人が読み書きできる言語って、言語ユーザー数ランキングの5指に入りそうな気がするんだけど、それでもダメ? 実質、英語以外はダメだったりして。

    スーパーサイエンス学校では、一般以上に英語教育を充実させなくちゃ。

  • by r69 (4753) on 2001年08月19日 17時55分 (#14816)

    いや、ニホンゴ捨てないよ!

    英語教育のせいで日本語能力が下がるってなら別だけど、そんなことないので両方しっかりやってもらう。

    国語教育は文学偏重を改めるべきだと思ったんだけど、スーパーサイエンス学校がまさに適役じゃん。正しい科学者として文章を書けるように訓練してやってくれ。

  • 極端に他人と接するのが苦手、自分の好きな事だと饒舌なのに無関心な事にはさっぱり、な日本型オタクの培養液になっちゃわないか心配だなあ。
    あ、./的にはオタクが増えるのは歓迎か(笑)

    でもマジな話相当しっかりした先生が居ないと学問に専念=現実からの逃避、みたいに倒錯したバランス感覚の弱い人間になっちゃう気がする。俺個人はあまり賛成できないな。

    俺が中学生だったら多分行きたかっただろうな、とは思うけど同時に俺の頃には無くて良かったとも感じた。
  • by ed-beta (4425) on 2001年08月19日 20時43分 (#14857)
    >文系に進学した人間だから理系っぽい事が出来ないなんてのは、頭を使わない言い訳に過ぎないと思います。

    # ちょっとオフトピですが、まあ笑い話ということで。

    私は文系の出身です。文系学部には、それはまあ絶句するほど理系っぽいのがダメダメな人がいたりしますよ(男でも)。ハナから、そういうモノや考え方を受け付けないというか。

    それでも英語とかが出来てしまうから学校に入っちゃったりするわけだけど……私がいた社会科学系は統計学が必修になるんで、数学がダメな人はけっこう、苦労したみたいです。
  • >私がいた社会科学系は統計学が必修になるんで、数学がダメな人はけっこう、苦労したみたいです。

     そそ。経済なんかでも一部かなーりアレな(理系進学希望の高校3年以上の知識が必要だと思う)公式を使う必要があったりして。
     「小学校高学年程度の算数だけで後は要らんのんじゃボゲェ!!!」みたいな愚痴を言っておられる高校生さんにバス内なんかで遭遇する度に、「あーあー、コイツ将来苦労するだろうなー」とほくそ笑んでおりますです。

     ちなみに、さらに脱線した話をすると、うちの学科はソフトウェア系だからかまだ2年だからか知らないけど、妙に数学理論寄りな授業ばっかりです。御陰でピークを過ぎた脳にはついていけないです(笑)。とりわけ線形・解析といった辺りは…ご愁傷様です(謎)。
     まあそれはいいとしても(良くないが)、プログラミング関係の話がみょーに少ないような…1年の時、構造化プログラミングの授業の課題の為に組んだCのプログラムがどうしても上手く動かなくてその授業の先生に質問したら、「プログラミングは全然分からないから」と言われました。せ、先生!! 理論中心でもプログラミングステちゃダメ(笑)!!!
  • しかし、「スーパーサイエンス(超科学)」というと、なんか別の物を想像してしまいますねえ。

    トンデモな語感・・・
  • by Anonymous Coward on 2001年08月20日 0時02分 (#14937)

    文部化学省くらいのアタマの役人が考えるのは、こういう「エリート教育」ばっかだね。

    でも、落ちこぼれ(本当は「できちゃった」んじゃなくてわざわざ「作っている」から「落ちこぼし」なんだが)も含め、今の教育全体がどうゆがんでいるか、という視点がないとまずいと思うよ。ヒントは「できるやつ」の中だけじゃなくて「できないやつ」の中にもあるもの。

    反対に、できるやつの中にはとんでもなく危ういものだって、たくさんみつかるものさ。

    長岡半太郎だって「劣等生」だった。親が廃嫡にしようとした、というくらい「ばか」で、学校の成績が悪かった。反対に「なんであの人が?」と思うような「優等生」だって、ポロッと自殺したりするでしょ。

    この「人間というものの不可思議さ」とか「ダイナミックな人の世界」というものをほとんど肌で知らずに大きくなった「日本の学校の優等生」程度の小役人が考えることはこんなもんでしょ。

    まぁ、がんばってくださいな。

    でも、もっと他にお金を使わなきゃならないことが、本当にたくさんあると思うよ。でも、こんなことにあまり予算回してくれんわな。財務省はもっとわかってないから。

  •  個人的経験からすると、今までの高校でも設備が無いわけではないけど人がいないんですよね。クラスの一人1台に行き渡るマシンがあるけど、旧来のOA系情報処理以上の事を教えられる人間がいない、そうでなくてもイントラや学校のサーバを構築し、管理できる人間がいない。
    ちゃんと給料はらってくれるなら,理系の大学生でコンピュータに詳しい奴とかが,喜んで管理なり教育なりを手伝ってくれると思うけど,どうなんだろ.
    --
    // kraymor
  • by yakk (4638) on 2001年08月20日 6時29分 (#15008)
    off topicですが

    > 変な苦手意識を持ってる暇があったら、是非もう一度挑んでみて欲しいんですがねえ。

    私は学生時代文学部で、かつ歴史専攻でした。ご多分に漏れず、数学・物理は苦手です。
    現在の私は自称SE(えせい~)、実体は単あるフリーのプログラマですが、ちょっとまじめにアルゴリズムの勉強をしようと思うと、数学的な説明に差し掛かったところで撃沈します。

    やりたいことがわかっていれば、中身を理解していなくても手段として利用できるのは確かですが、やっぱり中身も理解したいし、せっかく計算量について言及されていても、今の私には半ば宝の持ち腐れ。とういことで、今年に入ってから高校の数学の参考書を購入してなるほど、とかやってますが、

    > コミュニティーカレッジみたいな制度

    が気軽に利用できるようになると、本当に嬉しいです。

    # 終始赤点に終わった物理も、今なら多少理解が進むと思うんだがなあ…。
  • by Anonymous Coward on 2001年08月20日 9時05分 (#15021)
    こんなことやってます.
    http://www.infinity-project.org/
    どうせなら日本でもこれを見習って欲しい.
    高校で科学技術教育を推進するのに,それを教える
    高校の先生のトレーニングから始めるところはすごい.
    一流の大学教授が高校生のためにテキストを執筆
    しているのもさすが.

  • by Medusa (3830) on 2001年08月20日 12時06分 (#15073) 日記
    自分の出た大学は飛び級入学を取り入れてたんですが、
    自分の知ってる人は音楽を愛する好青年でした。
    もともとそういうバランスのとれた人を選抜したんでしょうけどね。
  • by Medusa (3830) on 2001年08月20日 12時31分 (#15082) 日記
    自分は高校生のとき「理数科」に在籍していましたが、
    単に大学受験で理系を受験する人が入るところでした。

    この記事を読んで、
    大学受験を意識することなく本当に理数系のハイレベルな内容を学べるというのは
    いいことだ、と思いました。
  • by shimpei (1499) on 2001年08月20日 12時55分 (#15091)
    日本の検定教科書の内容の貧しさに比べれば、アメリカの教科書は確かに見習うべきなのかもしれないが、あの国の算数教育の惨々たる実情を考えると、やっぱり教科書より先生なのかな、と思ってしまう。(アメリカでは公立校の教師の質低下はかなり深刻な問題になっている。)特に算数のような、暗記が少なく理解が全ての科目ではね。

    そういう意味では、この手の高校は「よい学習環境を作れるよい教師を提供する」という意味で大賛成です。「エリート教育」とかいうのがキライな連中に、それだけの理由で反対される筋合いはない。自分の子供を行かさなきゃいいだけなんだから。

    「ハズレが出る教育は駄目だ」という論調もおかしい。そりゃハズレも出るでしょうさ。中学三年生を選抜するんだから、出ないほうがおかしい。でも、こういう特殊環境で伸びる子供というのはいるわけで、そういう子の芽を摘んでしまう「ハズレ」の方がもっと勿体無いと思いませんか?

  • by ed-beta (4425) on 2001年08月20日 13時23分 (#15101)
    あまりに格好いい人生を送って華々しい最期を遂げたモテモテのアイドル数学者ガロアでしょうか。

    その後、フランスでは入学試験でガロアを拾い上げられなかったことを反省して、いろいろと工夫が検討されたそうです。いろいろと難しかったようですが…。
    どうやってハズレを出さないか試行錯誤することもまた、重要ってことですね。
  • アメリカとかで、とくに知能の高い幼児を gifted child とか the Gifted とか言うらしいんですが、そういう子だけ集めた幼稚園とか小学校があるんですよね。
    僕どういうわけか知能指数だけは高くて、もっと適した教育を受ければ、もうちょっとマトモな大人になれたかなぁ。などと考えてます。

    だめなもんは、だめかな。
    --
    [udon]
  • by ed-beta (4425) on 2001年08月20日 16時58分 (#15182)
    >そんな人も拾い上げられる許容度の大きな社会を作ればいい

    っていう願望を書いているじゃん、全否定してないよ。

    # 文章が読めない奴がおるのぉ…。
  • 根拠を示してくれれば、ちゃんと応えますよ。根拠とされたものが個別事例だったから指摘したまでのこと。それを貶めるとか何とか解釈するのは深読みのしすぎだし感情的過ぎというものです。

    まず、エリートを否定する、その理由を教えて欲しい。いろいろと自称エリートが問題を起しているのは知っていますし、問題無しとは言いません。しかし、全部ダメというわけでもないでしょう。
    どんなシステムを作っても、落ちこぼれてしまう人は出るでしょう。逆に、そのシステムで拾い上げることができる人もいるかもしれません。

    どんなシステムがいいか、何故、何が問題なのかを提案するのなら建設的ですが、現行のシステムにケチをつけて、関係ないから勝手にやってくれ、というのはどうでしょうね。
  • >でも、もっと他にお金を使わなきゃならないことが、
    >本当にたくさんあると思うよ。
    >でも、こんなことにあまり予算回してくれんわな。
    >財務省はもっとわかってないから

    具体的に提示いただければもめることもないような気がします。
    具体的にはやっぱり米百俵政策だったりしませんか?

    エリートという語感には確かに気に障るものがあるし
    実際言われて気持ちのいい言葉でもない
    と私は思っておりますが(私は本物のエリートではないですけど)
    種々の研究成果がWWWで見られるようになった時代の
    教育って言って最初に思いつくのは
    「目的意識を養うこと」でしょうね。
    いや前からそうなんですけど・・という指摘は受け付けます。
    「俺がやってやるんだ。」、「悪ければ俺が変えてやる。」っていう意識をもった専門家はいて欲しいと思います。
    ちなみに高校までは一般教育で大学で専門っていう流れ
    はいいと思うので私は行かなかったかも。
    でも当代随一の講師陣って言葉には惹かれます。
    オープンスクールを開講してくれという感じ。
  • by Anonymous Coward on 2001年08月20日 19時29分 (#15233)
    大学の研究室でも、「実験の器具を作らせるとすごいうまいやつ」とかいるわけですが、こいつが学問的にすごい、ということはなかったりして、でも、その彼がいないと実験は成功もおぼつかなかったりして、ということがままあります。こういう人は論文の中にちゃんと名前が載っているおともあれば、そうでないこともあります。

    人にはいろんな「違い」があるのであって、それが相互に良い影響を与えあう場としてその高校があって、たまたまテーマが「科学」ということであれば、それはそれでとても意味のある学校ができると思います。

    でも、そうではない「におい」がこのプロジェクトには漂っているように見えるのですね。

    日本の教育のベースを変えずに、最終目的である「日本の再建」まで辿り着くのはもう無理と思います。教育に対する考え方そのものを、根本的に変えていく必要があるのですね。そのために、このような高校があると良いと思いますが。

  • 共通の話題があるからこそ、ってのは同意なのですが話題を共有する事を目的としたグループの中で純粋培養しちゃうと話題を共有できない人とは全く接っする事ができない、しいては自分の理解出来ない事を拒絶、嫌う、なんて事にならないかと危惧しているのです。

    最近の若者対ホームレスの記事なんか見てると初めから解り合える人間としか付き合わない世代の歪んだ一面なのではないかなんて飛び過ぎた発想かな?何か共通する物があると思うのだが
  • 元、理系学部の出身としては
    女の子がどれくらい入ってくれるか心配
    私の学科(化学)で、男女比率は10:1でした/(TWT)\

    ・・・ただ、男女比率が極端に大きいと
    どんな女の子でも可愛く見えてくるという
    山の男現象が発生するというメリット?があります

    来れ女の子!!!
    きっともってモテだよん♪
  • オフトピック気気味ですが、いえてますねえ。
    うちは一応進学校で理数系は物理選択と生物選択で
    クラス分けがあったのですが、
    物理選択は男性優位、生物選択は男女同数でした。
    全学年では女性:男性が6:4だったので
    さほど気になりませんでしたが
    他校は結構激しい比になっているらしかったです。
    いいなあと羨ましがられておりました。
    かっこいいところを見せようとするがんばりを
    なめてはいけませんね。
    そういえば、わが母校では
    女性の方が努力家が多いと
    先生がずっと言っておられたような記憶があります。
    とはいえ理系はほとんど男性の独壇場だったような・・。

    /* キリンの首が長いのも、雉のオスの羽がきれいなのも */
  • たとえば虚数を表すガウス平面が数直線の拡張であること
    線形微分方程式は一次方程式の概念の拡張であること
    なぜ数直線の(整数の)目盛りはあんなにすかすかなのか

    これだけのことだけでもきちんと教えられるような
    数学教師がいればいいんだけれどねぇ。
    在来の理系学部受験コースとしての理数科の豪華版に
    終わって欲しくないものだ…

    余談だけれど、未来科学館の「ルネサンスの発明家たち展」
    で展示されていた木製の機械がアナログの積分器に
    見える私は逝っちゃったひとになるのかなぁ(汗)
  • 虚数じゃなくて複素数だった。
    やっぱり普段数学使ってないとボケるんだね…
    思い立って線形代数から復習してるんだけど
    まだ先は長いか

    こういうときに数学をやり直せる学校があっても
    いいと思ってみたり。
  • なるほど、そうすると
    空間と時間の4次元の概念も導入できるかも。

    でもそのくらいのことなら
    数学・理科好きの学生はブルーバックスとかで
    読んでいる知っている可能性が高い気もします。

    個人的にはサイエンスからみの図書の充実した
    図書館が欲しいです。
    国会図書館なみとはいいませんが
    その超科学的高校に必要なものに
    すばらしい図書館が加わりますね。

    ちなみにスレッドをまとめると
    ・すばらしい講師陣
     できれば大学でちゃんと研究をしていた人が望ましい。
     また一流の学者の講義も聞ける。
    ・すばらしい図書館
    ・目的意識をもたせる教育要領
    ・適度な男女比
    ・すばらしい住環境
    ・できれば付属幼小中ぽいものも?
    ・英語・日本語はむろん重視。
    ・アカデミック割引でいろんな本を買える
    ・あんまり理系文系言わない。
    ・暇な大学生とか適宜使い、予算を節約する。
     発想は、TAぽいかなあ。
    ・社会に積極的に参加させるようにする。
    ・偏差値一辺倒でなく許容度の高い高校に
    ・テキストは大学教授からもコミットを得る。

    うーん、全て書くとなんか夢想というか中で学ぶ人のことを
    考えずに書いているかもしれません。

    ちなみに何かまだあったり抜けていたらすみません。

  • by gana (3109) on 2001年08月22日 2時03分 (#15769)
    中学校卒業の段階で理系エリートを目指すようなツワモノはむしろ国立高専のほうが向いてると思うのですがね…。まぁ自分が高専出身なので思い入れたっぷりですが。
    • 5年間の一貫した理系教育
    • 教官は(玉石混合ですが)すべてその道の研究者
    • そして憧れの卒業研究
    • 国立大学理系学部への進学もバッチリ(半数は国立大学へ進学)
    条件はそろってると思うのですが…。まぁ本来が中堅技術者の養成ってことなので、どちらかというとマイナーイメージですが…。
  • by Anonymous Coward on 2001年08月19日 15時02分 (#14785)
    一年目は、非常に優秀な生徒集めて競争率も非常に高いかもしれないけど、二年目以降が心配だな。あと、卒業生。 二年目以降は、入ってくる生徒のレベルが極端に落ちたり、卒業生にもそれなりの進路が容易されなくなったり。 志望校が偏差値の輪切りで決まられてしまうような地域だとしたら失敗しるとおもう。総合選抜でも、人集まるかどうか。
  • by Anonymous Coward on 2001年08月19日 15時05分 (#14786)
    もし、成功しても数年後には大学受験に利用されるだけのただの偏差値の高い高校ってことになってしまうかもしれないな。
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