焚書の標的になるハリー・ポッター 185
ストーリー by Oliver
心の狭い大人達 部門より
心の狭い大人達 部門より
argon曰く、" Hotwired によると 公立の学校で『ハリー・ポッター』本を禁止する旨の連絡書が発信されたのをきっかけにして、 検閲の意味と表現の自由について問うサイト Kidspeakが 開設されたそうです。 「児童のためにという大義名分で行なわれている検閲キャンペーンのニュースを掲載し、子どもたちに合衆国憲法修正第1条が保証する権利をどのように護るかを教えている」とのこと。 彼の国では魔法や魔術を題材にした本は否定的な反応を受ける伝統のようですが、それらに抗する活動もあるのですね。「子どもたちが自分でURLを見つけ出し、口コミで広めていった」という記述に頼もしく思いました。"
ヨーロッパじゃ子供が自主的に本を読むようになった、と高い評価を受けている。ちなみに、自分も映画を前に昨日から一巻を読んでたりする。
人は最初に本を焼き、そして人を焼く。 (スコア:4, 興味深い)
Googleで調べたら、詩人ハイネの言葉だそうです。
「人は最初に本を焼き、そして人を焼く。」という、詩的な表現も発見(^^;
表現の自由云々以前に、焚書っていう野蛮な行為を行う事自体、正常な反応とは言えないですね…。
笑い事で済めばいいんですけど、あの国は政教分離を果たしているとは言い難いからなぁ。
「善でなければ悪」とかいう思考が、アメリカを泥沼に引きずり込んでることに早く気づいてくれることを祈ります。
Re:人は最初に本を焼き、そして人を焼く。 (スコア:1)
これを見て、『焚書坑儒』という言葉を思い出しました。
書物の弾圧の後には作者や思想家の弾圧が続くことは、歴史が証明しています。
自由の国で自由に物を語ることができなくなってしまうのでしょうか?
私の考えが杞憂に終わる事を願いたいです。
---アレゲの道は一日にしてならずぢゃ---
Re:ワタクシが親なら(Re:人は最初に本を焼き、そして? (スコア:2)
-- wanna be the biggest dreamer
焚書じゃないでしょう (スコア:4, 興味深い)
図書館に置かない、というだけのことじゃないの? 焚書ではないし、検閲でさえない。読みたけりゃ本屋に行って買えばいいし、学校の図書館になければ町の図書館に行けばいい。(それとも、「18禁」扱いとかにするのかな)
言論の自由を論点にするのはずれているような気がします。(1) 子どもに読ませない本というものの存在、(2) その本のリストに「ハリーポッター」が含まれること、が教育上の配慮として正しいかどうか、というのが論点ではないでしょうか。
Re:焚書じゃないでしょう (スコア:2)
Re:焚書じゃないでしょう (スコア:1)
こういうことなんですよね。
問題の連絡書 [mugglesfor...potter.com]は「ハリー・ポッターは学校図書館に置いてもいいが、貸出には親の許可をもらう」「カリキュラムに取り入れたり、教室での朗読に使わない。書評をする本に選ぶ生徒は親の許可を取る」「続巻は学校図書館では購入しない」ことを求めているようです。だから、やっぱりこれは言論の自由とか知る権利とかの問題なのでは?
Re:焚書じゃないでしょう (スコア:2)
擁護する立場の人が主張をぶつけあっているので、どちらの立場から見るのかで論点は異なるのではありませんか?
論点が異なれば、明らかな結論も異なるでしょう。
「嫌い」「憎い」と「おもしろい」「読みたい」の争いなので、決着がつくとは思えませんが、
子供達が自分で考えるきっかけになったのならば、いい経験なのではないでしょうか?
アメリカ以外に (スコア:4, 興味深い)
台湾の教会がハリー・ポッターを「邪悪な本」と焼却 [cnn.co.jp]
これを読むと、英国にも禁書扱いにしている学校があるのですね。
かの国の「子ども」をダシにした検閲の歴史 (スコア:4, 参考になる)
アメリカでの子どもをダシにした検閲の歴史は 今年出た 'Not in Front of the Children: "Indecency," Censorship, and the Innocence of Youth' [powells.com] という本に詳しいです。 著者の Marjorie Heins は反検閲活動で知られる弁護士で、 CDAを執行停止に追い込んだ弁護団のひとりでもあったり。 Harry Potterのこともちょっと出てきます (実は、読むのが遅れて当分読み終わらないので翻訳が出てくれるとうれしい...)。
で、こういうのをみてると、あらためて感じるのは、 "harmful to minor"ということが、 いかに無根拠に、あるいは妄想的にでてきているのか、ということだ。 「こどもに害がある」なんてことを言っていても、そんなの証明できてもないし、 あるいは、単に宗教的・政治的野心のために 子どもを利用しているだけだったり。
で、日本でも「有害情報排除」とか 言ってる連中の立ててる理屈はこういう本を みれば全部論破済だったりするのだが、 この国でそういうことを言ってる連中は 科学的正統性を基礎として論理的整合性を 検討してものごとを運ぶような合理主義からは ほど遠く、どちらかといえば 「地位をみてコミュニケーションをする」ような 行動規範の持ち主が多いわけで、 そしてもちろんそういう人々が「力」を持ってるわけで、 なかなか虚しくなります。
価値観表現 (スコア:2, 参考になる)
結局キリスト教ってのはものごとの価値観がバイナリ表現なんだよね。あらゆるものを{0|1}の型にはめて自分のスタンス以外のものは基本的に認めない。
それはバイナリ以外の表現手法をもつ価値観の否定でもあるね。価値観だって多様性が必要だ。
それは組織をまとめるときに使う方便 (スコア:4, すばらしい洞察)
宗教でもなんでも、人間の集団をある一方向にまとめよう、というときに、「敵」を作って自陣をまとめていく、というのは、よく使われる手法です。むしろ、宗教というのは、この目的で敵を作るために作られた「方便」「道具」という性格がある場合さえあります。
ですからこの「善」「悪」の考え方は、要するに「敵」「見方」を分けて、自陣をまとめるために考えられた「管理者のチエ」というところだと思います。
毛沢東でもおなじこと言ってますからね。
そうですねぇ (スコア:2, 興味深い)
あえて違うと言えば、欧米でははっきりYESとNOを使う。日本では見えないところでつぶしたり、圧力をかける。別に、非欧米地域に多様な価値観が存在するわけではないんだな、これが。
うーん (スコア:1, すばらしい洞察)
空想の世界と現実の区別がつかなくなる (スコア:2, おもしろおかしい)
とかいう意見も聞いたことがあります. ちなみに,あの,青い猫型ロボットについてもこれと同様の意見を聞いたことがあります.
Re:空想の世界と現実の区別がつかなくなる (スコア:1)
Re:空想の世界と現実の区別がつかなくなる (スコア:1)
子供からムササビと言う存在自体を取り上げるのは大人達の役目だと言うのであれば、ある意味正しい気もしますが。
Mc.N
Re:空想の世界と現実の区別がつかなくなる (スコア:1)
仮面ライダーごっこで子供の怪我が続出したため、
番組中で本郷剛が「ライダーキックは仮面ライダーだからできるんだ。危ないから真似をしちゃ駄目だ。」と言う風に喋るようになるという(笑)
#アライグマ・ラスカルを見て
#ペットとして飼ってみると実は凶暴で
#堪りかねて外に逃がして野生化とかは如何にも有りそう
#物事は多面から見て考えるのが健全と言う訳で…
Re:空想の世界と現実の区別がつかなくなる (スコア:1)
#アライグマ・ラスカルを見て
#ペットとして飼ってみると実は凶暴で
#堪りかねて外に逃がして野生化とかは如何にも有りそう
ラスカルってわりとそういう話じゃなかったかな。
主人公がアライグマを飼うんだけど結局逃がすことにして、逃がすことに成功した時点で終わる話。
もちろん主人公の動機も周りの環境も違うから、直接比較しても仕方ないんですが。
Re:空想の世界と現実の区別がつかなくなる (スコア:2)
神の奇跡を信じるのならば、ある意味平等なことなのであろう。
char *A;
モータースポーツ部 [slashdot.jp]
20万人 (スコア:2)
アメリカでさえ聖書の内容が絶対だ、と信じる「キリスト教原理主義者」が20万人もいる、なんて、/.のどこかに誰かが書いていましたね。
そういう人たちも「許している、生きていける」国である、という面がもっと強調されていれば、あの国ももっと幸せになるんだろうに。
部分的引用 (スコア:2)
聖書でもなんでも、全体を無視した文脈抜きの部分的引用をすることによって、自分の意見を正当化する道具として、これらの言葉の権威に間借りする、というやり方は一般的です。
その言葉は「どんな文脈の上で」「どんな意図で」書かれたか?ということをちゃんと説明しなければ、どんなに立派なことばも、我田引水をしたい人たちに、利用のされ放題でしょう。
「神の口から吐かれる一言」も、「神の本来の意図」をちゃんと理解した人たちのあいだでしか有効ではない。だから、聖書というバックグラウンドのない人たちを目の前に「聖書のひとこと」を引用しても、なんの意味もない。「あ、そう?」で終わり。
仏教だろうがイスラムだろうがゾロアスターだろうが、ここいらへんはおんなじでしょ。
要するに、「信じてない人には見えない」んですよ。ということは信じてる人には見えないものを、信じてない人は見えるんです。
だから、聖書のことばの引用なんて、信者のあいだだけにしときなさいね。いい子だから。
Re:部分的引用 (スコア:2)
全体を理解していない人を騙すために使われるのもそのとおり。
でも聖書を理解するかどうかと、信者であるかどうかは別の話でしょう。
聖書だって論語だって般若心経だって、それなりに知恵のある人の至言に満ち溢れているわけで、それを信者でないから切り捨てるのはいかがなものかと。
聖書のことばを前にして、宗教書というだけで読む必要なしとして、「あ、そう?」で終わっちゃう人はちょっともったいないですな。
-- wanna be the biggest dreamer
Re:部分的引用 (スコア:2)
意味あるかと問われれば、どんな知識も意味は無いとしか答えられないな。
知恵に至るために有用かと問われれば、有用、むしろ必須と答えます。
宗教でも神話でも、そこに書かれていることを鵜飲みにするのはよくないです。多くの人々はそれをそのまま信じていて、それは心の安定など良い面もあり、焚書など悪い面もある。そろそろ蒙を啓くべきだという主張だと思います。
でもそれは、宗教書のうち不合理な出来事を否定することにはなるけれど、それを持ち出して伝えようとしたことまで否定することにはなりません。むしろ蒙が啓けたならそういう表面的なことに固執しないはずで。
神やら悪魔やらは何らかの比喩、色々の困難や矛盾にどう対抗したかということを読んで学ぶことは何も無いんでしょうか。
例えばつい数日前、「夜になるまえに」というある作家の伝記的な映画を見ましたが、「まず聖書を読め、信じなくても構わん、文学として読め。」と大家に言われてました。そして同時にカフカを手渡す。これが合理的な態度と思います。
# ちょっと前に流行った『小説「聖書」』と一緒にしないでね^^;
宗教書を宗教というだけで無視するのもひとつのありかたですが、その態度は信仰の麻薬とそれほど違っているようには見えません。
-- wanna be the biggest dreamer
焚書になったことより (スコア:2, すばらしい洞察)
いかに権力に寄りかからずに自分の権利を守るのか、がテーマなんじゃない?
焚書を行おうとする勢力はどこにだっているんだから。
# 自由は常に維持するための努力が必要なのがつらいよね。
オーストラリアの場合 (スコア:2)
禁じられれば見たくなる (スコア:1)
決まり事を破りたい年頃ってのもありますしね。
禁じたって見るんだし、無菌室で育った人間は
次代の何かを生み出すことができない気がする。
AMIGA4000T(60/50)使い
Re:禁じられれば見たくなる (スコア:1, おもしろおかしい)
電波陰謀論全開 (スコア:1)
(´д`;)
まぁ、そんなもんでしょ (スコア:1)
# 魔*の宅急便とか、魔*使いサリーとかやっぱ駄目っすか。(^_^;
# 人生のキャリーオーバー継続中
Re:まぁ、そんなもんでしょ (スコア:1)
たしかに、そんなに売れてるんだったら他の出版社から類似本をバンバン出させて『ハリー・ポッター』のインパクトを薄める、というほうが少なくとも焚書なんていう(それこそ中世の魔女狩りみたいな)パフォーマンスよりは自由(経済)国アメリカに似つかわしいような気がしますねー。
たとえば今なら『北部同盟・賢者の石』とか :p
イギリスでは興行収入スターウォーズの1.7倍だって (スコア:1)
ハリーの「魔法」不況を救う? 松竹の株価も高値に
http://www.asahi.com/business/update/1119/015.html [asahi.com]
初日だけで1600万ポンド(約29億円)だって。
すげえな。
(´д`;)
いけにえ (スコア:1)
子供が殺される国だからねえ。
IN EARTH AND SKIE AND SEA STRANGE THYNGES THER BE.
やってることはタリバンと同じ (スコア:1, 興味深い)
要するに、やってることはキリスト教だろうがイスラム教だろうが(あるいは仏教だろうが)おんなじ、ということだね。「排他」というのはある意味で宗教の本質だから、この性質が無いと宗教とは言わないんだけどね。
自分の宗教と合わない奴、自分に反対する奴をなんとか黙らせたい。と、そういうことだね。
宗教がなくなったくらいで世界の紛争のタネがなくなるとは思わないけど、半分くらいはなくなると思う今日このごろ。
いいかげん、ここいらへんのバカさかげんに気が付いてほしいものだと思うよ。「宗教者」という方々。
フィクションへの抵抗力をつける方が大切では (スコア:1)
特にUSでは、悪魔崇拝と称した(本当は単なる猟奇殺人/性犯罪なのかもしれないですが)事件もあります。
焚書はとんでも無い間違いだと思いますが、こういう事件に対する恐怖が焚書に走らせる根底にあるんでしょうね。
そういえば、中東のどこかの国で、子供が真似して怪我をするのでポケモンが禁止になった国がありましたっけ。
本を禁止するより、そういうインチキくさいもの、フィクションなものを見分ける能力を養わせる方が大切だと思うのですが。
魔術がすべて悪なら (スコア:1)
---アレゲの道は一日にしてならずぢゃ---
Re:魔術がすべて悪なら (スコア:2)
あーでも日本でも似たようなハナシがありましたよねぇ。
なんだっけ?
あぁアレだ、
「バーチャルリアリティーは悪である」 [kantei.go.jp]ってやつ。
なんとコメントしてよいやら... (スコア:1)
★田舎に生息する時代遅れのFortran&COBOLガイなオタク★
Re:なんとコメントしてよいやら... (スコア:2)
「天動説で正しい」とはどういう意味ですか?
Re:宗教が有る以上避けられないのでは? (スコア:2, すばらしい洞察)
だいたい善悪の問題じゃなくて、悪魔とか魔法とかをマジにうけとるだけでその程度の連中なわけです。決して多数派ではないですよ。日本と同じで声が大きい一部の気違いが政治的影響力を持ってしまう場合があるということです。
Re:宗教が有る以上避けられないのでは? (スコア:2, 興味深い)
既に日本人の中には、物事の判断を決めるのに宗教観が入り込む余地はないのであれば、他に何が思想を支えているのでしょうね。そのひずみが、今の日本の様々な奇妙な現象の理由ではないでしょうか。
Re:宗教が有る以上避けられないのでは? (スコア:4, すばらしい洞察)
Re:宗教が有る以上避けられないのでは? (スコア:2)
>適当では? 自由も世間様、民主主義も、相対主義も
>同じく世間様の一形態です。
なるほど。神様とは世間様の擬人化だったのですね。
とすると聖書に基づく宗教画というのは、物語に依って立つジオラマの原形にあたるのでしょうか。
宗教と“かの国”の行動 (スコア:1)
そうかもしれませんね。
私は“信教の自由”のある(らしい)国の住人ですので、どこの国でどんな宗教に基づいた行動が“正しい”とされても、とりあえず、その価値観自体を否定しようとは思いません。(もちろん、犯罪行為は別です)
理解できないことは多いですし、己の利害と絡むとキレイゴトも言ってられませんが・・・。
とりあえず私が望むのは、“魔法使い”や“魔法少女”の物語が全盛の国を、魔法=悪魔支援国家として、征伐しないで欲しいということのみです。(ジョークになってるのか?)
--- Melloques Les Covdrasey ---
それでもさ (スコア:2)
それでも、こういうことをサカナにして、あれやこれやと、勝手なことを言える場所があることはいいことだと思いますよ。「頭悪い」とか「バカ」とかって、ここではそのまま受け取っちゃいけないものだし、内容はそれなりに毒もクスリもあるし、楽しいし。
「頭悪く見えるから、言いたい放題言うのは止めよう」
なんていうのは、こういう「楽しい議論」に水を差されるようで、なんかつまらないです。なんか、言いたい放題言われちゃ困る人たちからの弾圧みたいにも見えなくはないので、それこそつまらないですし。
Re:なんつーかさ、みんな (スコア:2, すばらしい洞察)
>言い聞かせるようにしてます.
それはいい心がけと思います。わたしも見習いたいです。
それぞれの宗教を持つ人たちにも、ぜひ、他者が無宗教である場合に、
その立場を尊重して欲しいものです。
---- redbrick
Re:なんつーかさ、みんな (スコア:2)
「無宗教だと思っている」人が多いって註釈されますね。
共産圏でも宗教は耐えなかったし、本当に無宗教国家っと言えるのはアルバニアくらいじゃないか?
-- wanna be the biggest dreamer
日本人は一人あたり平均2個の宗教を信じている (スコア:2, 興味深い)
神道系 1億900万人
仏教系 9626万人
キリスト教系 146万人
そのほか 1051万人
だそうです。
全国に存在する宗教団体の数は 23万、 寺や神社の数は 15万の 大宗教王国です。
これで日本人が無宗教だなんていったら 罰があたりますゼ。 ← どの神様の?
p.s.
元データは、 文化庁の宗教年鑑(平成三年版)。
コンタミは発見の母
Re:無宗教? (スコア:2)
行事やってるからって信仰しているってことにはならんでしょ。
思想のように論理で演繹するものでもないし、漠然と信じる宇宙観とかそういうものです。
信仰しているという自己認識が信仰の判断基準になるという考え方自体独特。
ある未開の土地に土着の宗教、アレゲ教があったとしましょう。
我々はそこで尋ねます。
「君はアレゲ教徒ですか?」
傍から見ると、とても滑稽な質問。なぜってアレゲ教なんてのはアレゲ教外との関係で成り立つことばだから。
この答えで何が判断できるかというと、アレゲ教徒というアイデンティティーを抱いているかどうか。いいえと答えたからといってアレゲ教徒でないかわからないし、はいと答えてもアレゲ教徒でないかもしれない。
何から何まで信仰対象にしちゃうのってとりあえず神道っぽい。そもそも神様の名前を全部書こうとすらしてないので、そのうちいくつ知ってるかなんて重要じゃないでしょう。
#もちろん国家神道とは別よ。
-- wanna be the biggest dreamer
どちらかというと (スコア:2)
ナルニア国物語 (スコア:2)
キリスト教的すぎるところ、オリエンタリズム的なところが気に入らないので、それが本当ならがらっと見方が変わってしまふ。
-- wanna be the biggest dreamer