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2740 story

アラン・ケイがNHKに出演 83

ストーリー by Oliver
教師選択が大事 部門より

norihiro曰く、"NHK教育で午後8:00から放送される 「未来への教室」 の4月6日の先生は アラン・ケイ。短い予告を見た限りでは子どもたちに (Squeakか?)実際にプログラミングを体験させたりもしているようです。
番組が始まる前に アラン・ケイ先生からの課題を二つ考えてみましょう。紙とエンピツを使ってできることと、コンピューターでできることを比べてみましょう。コンピューターにしかできないことは何だと思いますか?コンピューターは人間を幸せにしていると思いますか?その理由は何だと思いますか? "

もう放送されたが、どうだった?

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • 最近、高齢になった親戚にパソコンを教えている のだけれど、しょっちゅうトラブルを起こして くれるおかげで、「これをやっている間はぼけ ないよ」との弁。
    --
    .___ ._.. ..___ _ _... _...
    • コンピュータ=パソコンじゃぁないんですけどね。

      それはそれとして紙と鉛筆でできないのは...
      絶対にできないことは
      ・人の手を借りないで演算すること
      実質的には
      ・高速なor大量の検索
      ・高速なor大量の通信
      ・高速なor大量の演算
      ・これらを指示通りに正確に行う。
      ...
      と、理論的にはともかくその速度に意義がありそう。
      速度に関しては紙と鉛筆では4ビットのワンチップマイコンにも劣りますからねぇ
      # そういう意味ではコンピュータは正しく使われてるのカモ。
      親コメント
    • "大量の時間を浪費しても使う目的がある人間" 以外は
      幸せにしていないでしょうね。

      私の場合、"プログラミング" というのができなければ、
      パソコンを使う意味はほとんどないです。

      Windows 3.1 時代にパソコンを購入し、まだ Linux の
      存在も知らなかったころ、私はほとんど無駄な投資を
      してしまったと感じました。当時メールと Web ブラウザが
      日常的に使えたとしても、プログラミングできなかったら
      "費用対効果" という意味では "損した" と思ったはずです。
      (つまり、アレは私を幸せにしていなかったと思っています。)

      パソコンは道具に過ぎないと言う人はたくさんいますが、
      本当に道具にすぎず、その道具自体を使っている瞬間の
      "楽しさ" がなければ私にとっては意味がないですね。

      "使えるようになりたい" という気持ちだけで
      "パソコンが使いたい、使っていて楽しい" という気持ちが
      少ない人には、私は教えてくれと言われても気がすすみません。

      # 嗚呼 無料プログラミング環境に感謝。
      親コメント
      • >Windows 3.1 時代にパソコンを購入し、まだ Linux の
        >存在も知らなかったころ、私はほとんど無駄な投資を
        >してしまったと感じました。

        糞オフトピですが、delphi1とかVB2とかいう単語を思いだしました(^^;。
        当時からプログラミングできましたぜ、ばりばり。

        まぁdelphi1はw3.1時代終焉ぎりぎりに出るという遅刻ぶりだったんで、
        この場合あんまり意味がないですが。
        俺ぁd1はどっかの叩き売りで1万円くらいで買ったような記憶が。
        親コメント
  • (答案用)紙と鉛筆は入試で使えるが、コンピュータは持ち込めない。

    # 車内広告にあった、硬貨の枚数を求める問題は紙とペンで約12分。10分で解ければなぁ...

    • 紙ヒコーキを作って飛ばすこと。 .... これは、紙が非常に安価になったことと関係がありそうですね。紙が高価であれば、紙ヒコーキなんて遊びはできないだろうし。ただし、折ったり曲げたりできるコンピュータは、いまみんな研究してるところだし、近いうちに実現することでしょう。

      1000年後に知識を残すこと。 .... これは、最近の酸性紙だとだめですが。一方で、1000年後にも残るコンピュータやコンピュータ用記録媒体なんてのは、ちょっと考えにくい。まあ、これは、実現不可能というよりは、誰も研究しない、ということかな。

      辞書を、覚えたページから食べていくこと。 .... そのうちオール有機コンピュータができるだろうから、食べれるようになるかも。(もちろん、有機物だからって食べられるわけではないですが)。

      エネルギー源を必要としないこと。 .... そのうち、体温発電コンピュータとかができるかな。でも、100年間机の中にしまっておいても電源が切れない、というのは難しいかもね。

      親コメント
      • by G7 (3009) on 2002年04月07日 14時39分 (#79206)
        >紙が非常に安価になったことと関係がありそうですね。

        というかそれ以前に、
        紙は情報読み書きデバイス(^^;「以外の」機能も色々もつ
        多機能(器用貧乏?)デバイスであり、脳オンリーの計算機とは異質
        であることが、関係してるわけで。
        いわば(腕ではなく)脳に10kgの重りを持ちあげろと要求するのが無意味なのと同じ。

        なんぼ安くなっても、計算機そのものが紙のような多能性を発揮する方向に
        進化するってのは、なんか単なる無駄遣いにしか思えません。

        いや勿論、その安く小さくなった計算機を、他の(多能な)モノに
        「うめこんで」使うってのは、色々有りえそうですが。
        #つまりis-aとhas-aの違いの問題です。
        そういう意味では、今の計算機の「筐体」に将来も拘る意味は、無いですね。

        番組をまだ見てない(再放送待ちかあ)し、そもそもあの番組のノリからして
        こんな回答(?)はオフトピだろうとは思いますが、
        逆にいえばせっかく年長な俺ら(^^;は、俺ららしいやりかたで、
        そういう問題を解きたいなあと思う次第です。
        子供の発想を理解できない奴は最低ですが、子供の発想しか理解できない(自分もそうしかできない)奴もまた最低ですんで…。

        余談:
        そういやCLAMPの漫画「ちょびっツ」のTVアニメも始まりましたね。
        あれの世界でいう「パソコン」ってものは、もとよりそれを狙ったんだろうけど、
        我々から見ればものすごく「皮肉」な存在です…。

        >100年間机の中にしまっておいても電源が切れない

        自称oopオタクに言わせれば、なにも電源が入り続ける必要は無いっす。
        状態マシン(object)を永続化したものを、電源不要媒体に「保存」しとけば
        後でなんぼでも解凍できますきに。
        なにも100年もホットスタンバイしとく必要は無さそう。復活の手段さえ判って(かつ存在して)いれば済むこと。

        #ふと「大きなノッポの古時計」と歌いたくなる…
        親コメント
        • 電源不要媒体がつまり「紙」なのでは?
          紙に書いたものを読むのは人かコンピュータの仕事なんでしょうけど。
          親コメント
          • うーん。
            紙を紙飛行機にできる一方で、
            CDやフロッピーはフリスビーにできる、という感じですかね?(違

            冗談はともかく、言われてみればたしかに、計算機と記録媒体とを比較するってのは、
            直観に反して(笑)、おかしな行為ですね。

            ところで。
            紙の強みも弱みも、どっちもなまじ「最適化」されてないという点にあるんだろうな。
            今の素早さをサポートすることが困難である代わりに、
            1000年後に解読される能力を得ている。

            というか言いかえれば紙は、「記録の耐久性」について最適化されてる(図ってではないが)とも言えそう。

            #最近のインクジェットプリンタ技術は凄いそうですから、
            #和紙に墨で情報を印字して長期保管するってのはどうだろ?とか、思っちゃう。
            親コメント
    • つまらないツッコミですが、電卓(マイクロコンピュータ)の持ち込みならアリの入試も一部にあるのではないでしょうか?

      # 件の50円玉と10円玉の枚数を求める問題、
      # 暗算で出来ませんかね?
      # 最初に全種類の硬貨が一枚ずつあることに
      # 気づいてしまえば楽に計算できると思いますが。

      親コメント
  • by MITsu_at_mit-net (4220) on 2002年04月07日 9時45分 (#79138)
    # しまった、見たかったなぁ

    紙と鉛筆じゃできないこと: 安くて下々も恩恵受けるとなると、アクションゲームにつきるかな。ほかでぱっと思いつくのは、撃ったら自動追尾するミサイルや爆弾とか。
    計算や帳票出力なんぞ、紙と鉛筆でがんばれ(^^; あ、速度が要求されるものはコンピュータ必須ですね。明日の天気予報だすのに3日使ってちゃ意味ないし。

    人間を幸せにって話になると、コンピュータだけでなく、文明そのものに言えることだよなぁ。電気とか車とか。
    • by brake-handle (5065) on 2002年04月07日 10時00分 (#79143)

      ゲームで思い出したのだが、「電車でGO!」に感化され、JREに入社したやつがいたとか。しかし、とある現業の運転士氏に言わせると...

      距離の計算ぐらいなら紙と鉛筆でも、電卓でもできる。問題は、現場でこれを五感を駆使して読みとることだ。

      数年に渡る各種車輌のかぶりつきの末、209系のシミュレータを120km/h(営業最高速度超えてるぞ)から一段制動一発で止めた時まさにこれを実感。プロはこれを常にやらなければならないとは...

      親コメント
      • by Anonymous Coward on 2002年04月07日 10時28分 (#79144)
        そそ、所詮コンピュータは「道具」であって、あくまで人の行動をアシストすることが役割でしょう。コンピュータを動かすのも人なら動かせるようにするのも人。人工知能とかあっても、やっぱりコンピュータは人と人の間でしか生きられない。

        (自戒を込めて)コの業界、最近はこの基本を忘れているような気がするのは私だけ?「仕様だから」なんつって人がコンピュータに合わせるなんて本末転倒ですよね。
        親コメント
        • >「仕様だから」なんつって人がコンピュータに合わせるなんて本末転倒

          そういう面「だけ」ではないからこそ、コンピューターは
          人間を幸せにする(かも知れない)わけすよね。

          計算機は愚直にリクツに合った動作しかしませんから、その副作用として(^^;、
          「理屈にあわない仕様(にもとづく処理)」を人間が計算機にさせようとすると、これを「検出」してくれる。動かないという結果によって。
          人間だと無理にでも実現しちゃう(そしてそのシワヨセが後でどこかに…)んだけど、計算機はそれが無い。

          この性質が、毒ガス検出のためのカナリアと同等の効果を
          人類にたいしてもたらしているのではないか?と俺は思っています。
          つまり、理不尽な行為を早めに警鐘してくれる道具として。

          なまじチョットだけインテリジェントな道具なので、そういう作用が期待できるという、人類にとっては初の(今のところ唯一?の)道具、
          なんじゃないかなーと。

          つまり、理に叶わない「仕様」は、なんぼ要求されても、「お客さん、それは勘弁してくださいよ」と、ね。

          #もちろん、こっちの面「だけ」でもないですけどね(^^;
          #理に叶うという制約の範囲ででも、まだまだ計算機は「使いやすく」なるはず。
          親コメント
          • プロセッサーはほぼ理屈にあった動作をしてくれますが、
            ソフト(ハードも)ベンダーは人間なので理屈にあわない"仕様"を盛り込んでくれてます(顧客が望んでいる場合とそうでない場合がありますが)。

            上位バージョンを高く売るため(将来のバージョンアップのため)に下位バージョンに不必要な制限を加えてたり、
            問題を解決するコストを惜しんで、その分他社のシェアを奪う費用に当てているうちは、
            たいして「使いやすく」はなってくれないと思います(泣)。

            #上位バージョンの高いやつを買ってくれる人がいるから、安いやつを買える人がいることはわかっていますが、
            #それにしてもやりすぎなんじゃないかなぁ、と思ってしまいます。
            親コメント
            • >プロセッサーはほぼ理屈にあった動作をしてくれますが

              プロセッサとて、オーダーメイドでもすれば、
              変な仕様のものがこの世に出現する可能性は、ありますよね。

              技術バランス(や市場バランス)のせい(おかげ)で、
              今の多くのプロセッサは、個々の無体な客の言葉なんざいちいち聞かずに、
              高度に抽象化された機能だけの提供に専念しているわけで、
              そのおかげでオカシなプロセッサは事実上お目にかからずにすむ、と。

              そうそう。変といえば、卑近なところで言えば往年の8086系とかですかね。
              きっと8bitでマルチタスク(ただしメモリ保護なし)なOSを動かすには重宝した石だったのでしょうけど、なにを間違えたか…
              親コメント
        • 「手続き型」の言語に合わさせられるのは嫌です(笑)。

          まぁそれは冗談ですが、アシストすることが役割というのは同感。

          ちなみに、僕にとっては、Jijo2 [etl.go.jp]がいちばん理想に近い物です。
          親コメント
      • オフトピですが、実車とシミュレーションではダランベール力の有無が大きいと思いますよ。 これはつまり、実車の方が使える情報量が多いってことです。

        まぁそれでも、実車の方が背負うものが遥かに大きいわけで、プロが凄いことには変わりないですがね。

        親コメント
  • 再放送は (スコア:1, 参考になる)

    by Anonymous Coward on 2002年04月07日 9時52分 (#79140)
    4月13日 11:00~11:45ということで。
  • って、SmallTalkを作った人ですよね?
    違ったかな。
    --


    .::.:... .::....: .::...:: .::.:.:: .::..:.: .:::..:.
    I 1 2 B H4[keR. :-)
  • 途中から見ました。
    Squeak を使って、小学生がサクサクと
    プログラミングしてゲームなどを作成していました。

    うーむ、私がはじめてコンピュータに触れたとき
    と比べると、ずいぶんと環境がかわったなぁー
    と思っちゃいました。

    私なぞは 中学生のころ BASIC で挫折して、その後
    きちんとプログラムが書けるようになったのは
    大学生になってからです。あのころ Squeak とか
    Lego とか知ってたらもうすこしハマってたかも。

    --
    お仕着せのアプリケーションを使うのではなく、
    自分でいろいろなプログラムを作成して
    自分の思い通りにカスタマイズできるコンピュータ
    が理想なんだと伝えようとしてたみたいです。
    • by BoneHead Hiro (5552) on 2002年04月07日 17時26分 (#79235) ホームページ 日記
      >お仕着せのアプリケーションを使うのではなく
       確か、番組のナレーションで
      「アプリケーションの出現は、(アラン・ケイにとって)思わぬ方向に進んでいる..」云々とありました。
      --
      -- BoneHead Hiro --
      親コメント
      • by G7 (3009) on 2002年04月08日 2時48分 (#79338)
        やっぱりそうだよねえ。

        現状のアプリ主義(笑)の時代を打破する道としては、
        今見込みありそなメジャーな手法は、大別して2つ有るような気がします。

        1つは、我ら(?)がオープンソース。アプリ「を」非御仕着せで
        ユーザーの手で中身まで弄れるようにしちゃえばいいじゃんという考えかた。

        もう1つは、Smalltalkや、多分(当事者が意図してるかどうかはともかく)幾多のコンポーネント指向の類による、
        アプリよりももっと細かい単位を供給単位にしてしまえば
        いい(=ユーザーはそれを「組みあわせて」欲しい処理をさせられるじゃん)
        という考えかた。

        どっちも有意義なアプローチだし、もちろん両方併用も可能な手法なので、
        どっちも頑張って健全に発展してほしいと思います。

        #オープンソースなコンポーネント、という分野もぜひヨロシクね(^^;>>諸兄

        余談:
        ただ、俺の感覚では、ケイ氏あたりが言いそうな「アプリケーションの出現」ってのの
        重要な片棒を担いだのは、他ならぬ皆が大好きなUnixだと思うんだよな。
        パイプによる部品化が「不十分(=viすら作れない!)」だったからこそ、
        オールインワンなアプリの出現成長を邪魔(^^;する力を十分持っていなかった、のじゃないかと。

        やっぱり、十分な部品化をするには、「相互参照」とか「イベント駆動(つまり受動)」とかの
        (oopに備わっているがunix pipeには無い)性質が、必要だったのではないかと。
        親コメント
    • by Anonymous Coward on 2002年04月07日 15時36分 (#79215)
      が本来あるべき姿だ、
      そんな理念を語ってましたね。
      あの子供らがうらやましかったっす。
      親コメント
      • 中途半端に番組を観てたんですけど、これを語っていた場面は観てました。
        よく言われるようなコンピュータが「道具」であるべきというような
        乾いた見方ではなくて、「キャンパス」のようなもの、ってのが
        素晴しい見識だなと思いました。
        使うんじゃなくて、創り上げるものなんですね。

        今のIT教育にもこういう創造的な部分を取り入れられたらいいのに。
        使う視点ばかりのコンピュータはつまんないと思うし。
        親コメント
  • みんな外国の方ばかりですね。日本人がいないって寂しいなぁ…。
    呼んで欲しい先生をリクエストできるようですが、あなたなら誰を?
    --
    うすっぺらいコメントがあらわれた! ▼
    • by G7 (3009) on 2002年04月07日 15時43分 (#79216)
      日本人の先生は、「ようこそ先輩」っていう番組のほうに回っているのでは?(^^;
      小学校を卒業生の凄い人が先生として訪れるっていう、あの番組。

      ま、なんで国内外を区別するかな?という意味では、微妙に不満は感じますけどね。
      先輩モノを国内外で分けるなら、プロジェクトXの海外版とか
      夢伝説の国内版とか、も作ったらどうか?とも思うし、
      逆にいえば別にせずそれぞれ一本化してほしいとも思えるし。

      国威発揚のために国内向けを別に用意する(笑)のは、
      ちょっと勘弁ねがいたいかも。

      特にプロジェクトXあたりは、海外に目を向けないのはズルいと思えるジャンル(?)の番組なんで、
      ぜひともNHKのその御自慢の取材力と番組製作力とハイビジョンカメラ(笑)で、
      世界中の達者な人々を取材してほしいと思う。
      #それとも、メンタリティが違う他国の人をお涙頂戴に持ちこめない「のが怖い」んだろうか?(笑)
      親コメント
      • 日本人で見てみたい先生というと私の場合竹内郁夫さんが真っ先にあがりますね。別に講義しなくてもいい。何をしようとしてるのかつぶやいてもらって、S式を弄くるところを延々と映して欲しいです。

        ま、なんで国内外を区別するかな?という意味では、微妙に不満は感じますけどね。 先輩モノを国内外で分けるなら、プロジェクトXの海外版とか 夢伝説の国内版とか、も作ったらどうか?とも思うし、 逆にいえば別にせずそれぞれ一本化してほしいとも思えるし。

        まったくそう思います。国内のみに限定する意義がわからない。水曜日の同じ時間帯の「その時歴史が動いた」は日本限定を外しましたし、プロジェクトXもやって欲しいです。

        あとプロジェクトXに不満があるのはお涙頂戴ものだということ。というか、お涙頂戴でもかまわんから、もっと技術を緻密に追って欲しい。「…をやってみた。……………………動いた」ってのはかなりしらけます。あれはああいう番組なんだから、とはわかっていてもフラストレーションがたまります。

        もうひとつ挙げるとすると失敗したプロジェクトも取り上げて欲しいなあ、と。Σとかね。これはさすがに無理かも知らんけどやって欲しいなあ。

        親コメント
        • by G7 (3009) on 2002年04月08日 2時38分 (#79334)
          >「…をやってみた。……………………動いた」ってのはかなりしらけます。あれはああいう番組なんだから、とはわかっていてもフラストレーションがたまります。

          ふと、例の呪われた「理科離れ」という言葉を思いだしました。
          まんま理科離れを促進してるんじゃねーか、あの番組は?

          乱暴にいえばどんな分野だろうが人は何かを学ぶときにはまず、厨房だか半可通だかの段階を
          経由しないわけにはいかないんだから、その入口自体を見せないという手法とか構造とかは、
          ちょっと寒い。少なくとも(公共)放送にやってほしいことではない。
          あれじゃ視聴者に対する「過保護」なんじゃないか?と被害妄想に囚われます(笑)。

          あ。ProjextX-TECHとかいう名の兄弟番組を作ってくれたら、うれしいかもなのだが(^^;。
          #いまはなき某雑誌の名みたいだな
          ちなむと放映時刻は土曜23:45分きぼん。サイエンスアイの後番組。
          親コメント
      • #日本人の先生は、「ようこそ先輩」っていう番組のほうに回っているのでは?(^^;
        #小学校を卒業生の凄い人が先生として訪れるっていう、あの番組。

        番組表を埋めるために、似た内容でもあえて2つにしているとか。

        $今後、科学技術に影響を与えた人って、あまり知られなくなるような気がします。何かの賞をとるか、訴訟でも起こさない限り、企業の一部になっていくような。それが、良いか悪いかは別にして。
        --
        うすっぺらいコメントがあらわれた! ▼
        親コメント
  • たしか、コンピュータはメタメディア、とかなんとか言ってたような。
    --
    ---------- yuzo ----------
    • ぼくも最後のほうだけしか見てないのですが、 コンピュータはメディアでしかないと思ってるのか、 というふうに思いました。 GUI を考案した人らしい考え方だと思います。 最後のほうだけしか見てないので、予断は禁物ですが。
      親コメント
      • >コンピュータはメディアでしかないと思ってるのか、というふうに思いました。

        #これの主語は「ケイ氏は」ですよね?

        ん?「メタメディア(yuzoさん発言より)」と「メディア」とは、別モノなのでは?

        俺ぁ番組まだ見てないですが、他の人によると「キャンバス」なのだそうで、
        単なるメディアというのとはちょっと違う話だったのではないか、と推察します。

        #ところで、再放送されたら、このスレは復活するんだろうか?(笑)
        #それともまたしてもわざわざ誰かが別スレ立てるんだろか?
        #少なくとも情報の共有化という意味では、酷いメディアだよな現状のスラドは。

        >GUI を考案した人らしい考え方だと思います。

        なんだかなあ…
        #煽りモード:それってケイ氏とGUIの両方に対する不敬だYOなー

        とりあえず(Squeakで)Windowの回りにハロ(だっけ)を置くような人が、
        今世間で流行してるようなクズと同じような意味でしかGUIを捉えていない、とは
        ちと思い難いのですけど、どうでしょうか?

        GUIの良い意味での可能性をわざわざ封じる愚を(今に至るまで)犯しているのは、
        えてしてケイ氏とかのほうではなく、もっと他の"どっかの会社"とかだと思いますよ。
        #そしてそれに無批判に追随してる各種X Desktop陣営も、人のこと言えない状態だしさ。
        親コメント
        • だから「メタメディア」が「メディア」とどういうふうに違うのか、というのを番組をぜんぶ見てないからわかりません、というわけです。ただ、従来のメディアと比べていかに優れていようとも、それが「メディア」と呼ばれる範疇にとどまるのなら、コンピュータの可能性を十分に捉えているとは言えないと思うのです。

          「メディア」の本質は「表現」だと思うのですが、つまり、何かを表現したものはそれを「メディア」と呼んでも構わない。ただ、それなら人間の使う道具はどんなものでもその使い道を表現したメディアだ、と言えないこともないのですが (そして、「メディア」をそのように定義するのなら「コンピュータ」の持つ可能性を制限したことにはならないと思うのですが)、すべてがメディアなのなら「メディア」という言葉を使う意味がなくなってしまう。

          ケイさんが「コンピュータはメタメディアだ」と言ったことに意義があるのは、コンピュータがメディアとして使えるとさえまだだれも考えつかなかった時代にそれを言ったからだと思います。そして、その考えを表現するために、あえてコンピュータをメディアに制限してしまうような言い方をするのも意味があったでしょう。ただ、いま同じことを言って、どれだけの意味があるか、疑問だと思います。

          「良い意味での」という言葉は、何も言ってないのと同じですよ。G7 さんはどういうものを「良い意味」と考えるのか、そこを言わないことには。

          プログラミングを子どもたちにやらせる、という考えはすばらしいものだと思います。そして、「プログラミングは自分のアイディアを表現するメディアだ」と言うのなら、それはそれでいいと思います。ただ、「メタメディア」という言葉を聞いた側が、「メディア」には「プログラミング」も含まれるのだと解釈してくれるかどうか、です。

          しかし、もし「メディア」という言葉が、GUI と同様、目に見える・耳に聞こえる・手に触れる・ものだけを意味し、目に見えない抽象概念を捨て去ることを意味するのなら、そんなものはコンピュータの可能性を著しく制限するものだと思います。「メディア」という言葉についてはその定義について議論の余地があるものの、GUI はそういう限界があるものだというのは、ぼくの意見です。

          親コメント
          • 既存のメディアの概念に抑えきれないものが「メタ」メディアなのではないかと思いますが……。字面だけの議論で失礼。
            --
            勝つて言はず、敗れて語らず、
            謙譲を崇ぶ者は君子也、怨怒を起す者は小人也。
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          • >「メタメディア」が「メディア」とどういうふうに違うのか
            >それが「メディア」と呼ばれる範疇にとどまるのなら

            他の人に先越されちゃいましたが、メタという接頭語をケイ氏が「間違わずに」使っているとすれば、
            メタメディアという意見が「メディアの外挿(ってのか)」を意図していたとは、思い難いです。

            逆にいえばこれは氏がメタを「間違って」使っていたかどうか?に依存する問題なわけで、
            間違ったかどうかはそれこそ番組自体を見ないと判らないという意味では、
            あなたの懸念も一応間違いではない(可能性がゼロではないから)ものの、
            やっぱり飛躍しすぎだとは思います。

            #つーか、どなたか番組見た人、ネタバレって怒ったりしない(^^;から、突っ込み下さると幸いっす。

            メタというと、俺も正確に理解してるかどうか怪しいですが、
            なんつーか抽象度とか次元とかが一段違う世界の話っていう意味ですよね。
            あとたしか場合によっては「~のための」とかも訳されますね。
            "メタ議論"といったら"議論のための議論"を意味することが有る模様。
            入れ子っぽいというか。
            対象物(今回は「メディア」)を直接指す語では、なくなりますよね、「メタ」をつけると。

            #ま、議論のための議論という言い回しから判るように、メタHOGEHOGEの「実装」手段としてHOGEHOGE自体が
            #入れ子的にしばしば流用される、ってのは言えてますね。メタクラスもクラスと同じ機構で出来ている計算機言語とか多いし。
            #ただ、それはあくまで実装手段の話であって。

            というわけで、現段階では憶測ですが、

            >すべてがメディアなのなら「メディア」という言葉を使う意味がなくなってしまう。

            計算機は、まぁ(実装形態としては)メディアでもあるんだろうけど、それと同時(無矛盾同居)に、
            メタメディアでもあるぞ、ということなんじゃないかな。

            俺のゴミのような想像力ででっちあげた一例として、たとえば、「メディアを作る何か」とか
            「メディアを作るメディア」とかを、意図したのかも知れない…

            >ケイさんが「コンピュータはメタメディアだ」と言ったことに意義があるのは、コンピュータがメディアとして使えるとさえまだだれ
            >も考えつかなかった時代にそれを言ったからだと思います。

            メタという語の誤用は看過するとしてですが、たしかにそういう面も有ったとは思います。
            つまり、「コンピューターはメディアだ」と言ってしまったのだとしても、
            かつては価値が有ったかな、という程度の意味。

            で、過去はともかく今回、「メタ」と言ったのだとしたら、それはそれで良いんじゃないでしょうか?

            #あ。「メタ」すら今や珍しく無いぞ、という突っ込みならばWelcomeなのでしょうけども。

            >「良い意味での」という言葉は、何も言ってないのと同じですよ。

            では。俺のゴミ脳レベルの理解で恐縮ですが、一例としては、GUIで表示されたモノ(プログラム用語でのObject)を
            「つかむ」感覚(の有無)、かなあ。

            WinやMacの世界では、せっかく作ったWindowやTextBoxやButtonを「つかむ」っていう感覚が、
            なかなか持ちにくいんですよね。これが辛い、というかツマンナイ。
            #逆にいえば、VBやDelphiのような開発環境で、GUI部品つまんで並べる感覚が、すごく楽しいのですよ(^^;

            そこへいくと、なんかSqueakの世界だと、ハロとかいうものがGUI要素の周りに沸いて出て、
            そいつを「つかむ」ことで、対象GUI要素をつかむことの代用を果たしてるそうじゃないですか。

            #代用品が必要なのは、マウスという「つかむ」ための入力デバイスの表現力の貧困を補うため、でしょうね。

            >しかし、もし「メディア」という言葉が、GUI と同様、目に見える・耳に聞こえる・手に触れる・ものだけを意味し、目に見えない抽
            >象概念を捨て去ることを意味するのなら、そんなものはコンピュータの可能性を著しく制限するものだと思います。

            メタという語の誤用は看過するとしても、「GUIが見えないものを捨てる」って解釈は、違和感おぼえます。

            じゃあ、「CUIは文字として見えないものを捨てているぞ」などといいますかね?(^^;

            てゆーか、問題はマッピングでしょ?
            たとえばGUIなら、見えるもの「に」、見えないものをも含めたいろいろな事象を、マッピングするわけです。
            CUIでも同じで、文字じゃない「読めない」事象を文字という「読める」ものににマップしたものでしょ、あれは。
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            • 「メタ」については、そうですね。ケイさんの思想をしらずに憶測でしゃべるのは、やめます。ただ、「・・・を超えるもの」という意味で「メタ」だとしたら、「メタなんとか」という言葉で「すべて」を指し示すことができてしまいます。それだと、「コンピュータはメタxxxだ」の「xxx」に何を持ってきても (たとえば「食器」とか)、正しくなってしまうので、言う価値がない言葉となってしまいます。(自明なことは言う価値がない)。ですので、「メタメディア」という言葉は、「メディアを超えたなんでもすべて」ではなく、「現在実現しているメディアを超えるモノだが、やはりメディアとしての本質を失わないでいるようなモノ」という意味で解釈しました。

              そして、GUI ですが、言葉は抽象概念を伝えることができますので、言葉を表記した文字は抽象概念を伝えることができます。GUI で抽象概念を表現するのは、あたかもパントマイムでものごとを伝えようとするかのごとく、困難なことです。

              ただし、GUI のほうがよりよく伝えられることもあります。ただ、それは GUI のほうがよりよい「マッピング」を提供できるからではなくて、GUI が表現しているのは伝えたい対象そのものずばりだから、という場合が多いと思います。たとえばゴッホの「ひまわり」を文字で伝えることは困難ですが、GUI だとそのものを見せれば一発です。

              ぼくが現在の GUI に不満な点は、操作する対象 and/or 操作する行為を画面に表示させるという手順を必要とするという点です。ショートカットキー? あれは GUI ではありませんし、「対象」「行為」のうち「行為」しか指定できないことがほとんどです。ぼくの考えではこれは GUI の宿命なのですが、もしかしたらこれは、ぼくの想像力の限界を示しているだけかもしれません。この点を改善する、なにかいい考えはありますか?

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      • アランケイが、コンピュータはメディアだ。と言ったのに対して、
        坂村健は「コンピュータは生活だ」と言っていますね。
        パーソナルコンピュータとして、キャンバスのように接するものだけ
        ではなくて、身の回りのあらゆる物に入っていくことを述べているわけですが。
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  • 4月第2週のプロジェクトXは国産コンピュータ(F社)の話の様です... こんだけ,コンピュータネタが続くとは, もしや, 最新・電子立国シリーズがスタートするんではあるまいな...
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    ★田舎に生息する時代遅れのFortran&COBOLガイなオタク★
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ナニゲにアレゲなのは、ナニゲなアレゲ -- アレゲ研究家

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