GPL FAQ日本語版完成 85
ストーリー by yourCat
地道な啓蒙活動 部門より
地道な啓蒙活動 部門より
mhatta曰く、 "やたら長くて往生しましたが、GNU GPLに関して良く聞かれる質問の訳が終わりました。私のところに送られてくるような質問の大半に答える内容になっていると思います。訳に関するご意見ご感想など歓迎。"
GPLにはいろいろ誤解もあるようで、日本語のリソースがあるのは助かる。お疲れさま。
mhatta曰く、 "やたら長くて往生しましたが、GNU GPLに関して良く聞かれる質問の訳が終わりました。私のところに送られてくるような質問の大半に答える内容になっていると思います。訳に関するご意見ご感想など歓迎。"
GPLにはいろいろ誤解もあるようで、日本語のリソースがあるのは助かる。お疲れさま。
吾輩はリファレンスである。名前はまだ無い -- perlの中の人
誤訳? (スコア:4, 参考になる)
(強調は引用者) これだと、ソースをダウンロードするための手数料は、 バイナリよりも高くてもよい、という意味になってしまいますが、 原文は、
ですので、逆ではないでしょうか。Re:誤訳? (スコア:1)
mhatta was here
mustとmay (スコア:1, すばらしい洞察)
昔読んだ標準化の文書だと,
ひょっとしたらこういった英語での契約文書では常識なのかもしれませんが.
Re:mustとmay (スコア:3, 参考になる)
一般の英語でどうなってるか存じ上げませんが、RFCで使われてる用例だと、こんな感じではありませんか?
RFC-2119 (Re:mustとmay) (スコア:2, 参考になる)
Mc.N
Re:RFC-2119 (Re:mustとmay) (スコア:1)
日本語訳 [asahi-net.or.jp]です。
が、いま問題の「may not」は載ってないみたいですね。もちろん、中学校 (?) で習ったとおり、「しなくてもよい」ではなく「してはならない」 という意味ですよね。
Re:RFC-2119 (Re:mustとmay) (スコア:2, 参考になる)
規格用語としての may は通常「してもよい」と訳されますが, 実のところ「するかしないかの選択を許す」という意味です。 これの否定形 (「しなくてもよい」という意味) を言おうとすると, may not では意味が変わってしまいます。 そのため,某規格では 規格用語としての may の否定形として need not (日本語では「する必要がない」) という用語を使っています。その説明に曰く:
もひとつ誤訳? (スコア:1)
Re:もひとつ誤訳? (スコア:1)
mhatta was here
Re:もひとつ誤訳? (スコア:1)
どうぞ泣かないでください :-)。あれだけ大きな翻訳をやったのですから。ほんとうに、おつかれさまです。
(いま Debian JP では Woody リリース関連文書を、きっと Woody リリースには間に合わない [Woody distribution には含まれない] と思いつつ、翻訳してるところです。いや、もっと早くスタートを切るべきでした。まるで、8月31日に、絶対に間に合わないと分かりつつ泣きながら宿題をやってる小学生みたいな気分です)
誤解減るといいですね (スコア:3, すばらしい洞察)
誤解してる人って、英語であれ日本語であれ
結局はちゃんと文章読んでない人が多い気がします。
#そしてなぜかその手の人に限って声がでかい
僕も全然理解してないのでこれを機会に
FAQくらいちゃんと読もうと思います。
翻訳にたずさわった方々に感謝します。
Kiyotan
誤解してました (スコア:2, 興味深い)
配布の手数料として実費しか請求できないかと思ってたら、いくらでも請求できるんですね。たとえば、100億円です、と言うこともできる。だけど、仮にそれで誰かが 100億円払って配布をうけたら、その人はそれをタダで再配布しちゃってもいいので、何の問題もないんですね。
GPL の書面も一緒に配布しなければならないなんて知りませんでした。そういえば GPL なソフトには必ず付属してました。
ところで、GPL に従っていると明示されているソフトで、そのソフト自体またはそのソフトの配布形態が GPL に反していた場合、そのソフトの権利保護状態は一体どうなるのでしょうか。また、ソフト自体またはそのソフトの配布形態が GPL に反していると知らずに GPL に従って利用した人はどうなるのでしょうか。FAQ にありましたっけ?
Free Software = 自由なソフトウェア != 無料のソフト (スコア:2, 参考になる)
すずきひろのぶ
GPL採用しません (スコア:1, 興味深い)
個人的にはGPLは理解しているつもりですが、仕事で利用しようとするとほとんどの場合無理だったりします。
なぜかというとほとんどの人がGPLを理解していないからです。
またGPLをすこしでも知っている人の理解は、GPLの利用はリスクを伴うという認識です。
GPLを利用するとGPLコミュニティ(?)から監視させる事になるためです。
また、ほんの少しでもまちがうと永久的にたたかれつづけるためです。
何年たってもそれを修正しても、たとえ以後二度と間違いを犯さなくても。
あすこは以前ああいう事したと引き合いにだされる。
非常なまでにリスクの高いものだという認識です。
GPLのリスクにくらべれば高いコストを出して危険なあまりテストされていないものを利用したほうがましだという選択になるようです。
すでにGPLコミュニティ(?)はひとつの企業をぶっ潰せるほどの力があるひとつの機関であるかのように認識されています。
いやーーー誤解なんでしょうけど。
でも、どうも声が大きい人はそういう認識の人が多く感じたりした今日このごろ。。。。
#プロジェクトでGPL物利用しようとして完全禁止
#BSDはOKと会議で決定しました。。。
ゲームでは (スコア:2, 興味深い)
ゲーム機という特殊なターゲットのため GPL のコードをそのまま使うことができずに改変した場合の話です。
ユーザは不特定多数となるので事実上誰にでもソースコードを提供可能でなければいけません。
万が一クライアントからソースの公開については同意が得られたとしても、ソースを提供可能な状態にするためには Internet 上で公開するにしろ希望者のみにCD-ROMを有償で配布するにしろ何らかの準備が必要で、そういう負担まで考慮するとクラインとの説得は不可能に近いでしょう。
また PlayStation などでは規定上プログラムの実行に必要のないファイルをメディアに入れることは禁止されているので、ライセンス文書はマニュアルに記載する必要があり、ここでもコストアップとなります。
もちろんフリーソフトの開発のための GPL を市販のゲームソフトに組み込もうとすることがそもそもの間違いなのですが、時間的な制約から自前で一から作るのは困難で、有償の使えそうなライブラリなどを見つけてくるのも難しかったりします。
以前、そういう事情もあって GPL ではないフリーのライブラリからコードを流用したことがあったもので、これが GPL だったらあきらめざるを得なかっただろうと思いました。
#PlayStation 開発環境の標準コンパイラは gcc なんですがねえ。
ソースを非公開にしたい場合以外にも、別の事情で GPL を採用できない事は他にもあるんじゃないかと思います。
うじゃうじゃ
Re:GPL採用しません (スコア:1)
Re:GPL採用しません (スコア:1)
GPLの場合、一部を変更しても公開しなきゃいけないから、
その一部が重要な機密だとしたらGPLなんか採用できないので、
途中まで作っていても一から作り直し、ということもありうるわけで。
他の問題も考えたらきりがなさそう。
結局、「そんなことをいちいち検討するくらいなら、
最初からGPLソフトを採用しないほうがまし」という判断になると思う。
#なんでこのことを誰も指摘してないのか不思議。
ちょっと補足 (スコア:2, 参考になる)
FAQのここ [gnu.org]にあるように,個人,組織内に限定して
活用することを認めてますね.
重要な機密に関するツールだったら,
ツール自体も注意して扱う
→就業規則,契約等でユーザーを縛る
ことも考慮する必要がありますね.
まあ,(ユーザーに片鱗も情報をもらしてはいけないような)
非常に厳しい機密ランクのツールなら,フリーソフトウェアで
安くあげようとしないで徹底して金かけるべきですが……
このへんはリスクマネジメントした上で結論するべきですね.
Re:GPL採用しません (スコア:1)
Re:GPL採用しません (スコア:1)
GPLっておもしろい (スコア:2, 興味深い)
これが、GPLに対する誤解かどうかは判断できないけど。
「自由」って難しいね。
Re:GPLっておもしろい (スコア:2, 興味深い)
GPL を束縛だと感じるのは、GPL なコードを流用して別の作品を作成しようとする人ですよね。流用対象となる GPL なコードの作成者ではありません。
ライセンスは著作者 (この場合、流用対象となる GPL なコードの作成者) の意思で自由に決めるものですから、GPL が適用されているということは、そのもろもろの「束縛」も著作者の意思と解釈されるべきです (それがいやなら、自分の作品に GPL を適用しなければいいだけの話だから)。というわけで、その「著作者の意思」を守らせることができている (つまり、束縛がはたらいている) ということは、「作成者の自由」 (つまり、自分の著作物の扱いを自分で自由に決めるということ) を守っていることになると思うのですが。
(ちなみに、GPL なコードを流用してプログラムを作るだけなら、制限はありません。束縛がはたらくのは、それを配布しようとしたときです。FAQ のここ [gnu.org]参照)というか、上記コメントに続くスレッドは、もともと「作成者」が「だれか別の人が作った GPL なコードを流用してプログラムを作る作成者」の意味なのに、いつのまにか「作成者 vs 利用者」という枠組みにおきかえられてしまって、それで話が変になっているように思うのですが。
Re:GPLっておもしろい (スコア:1)
その場合、普通、作成者も利用者なわけだから。
GPLコードの利用者である作成者(個人なり、法人なり)は、自分が作成したコードはクローズにしたいけど、GPLなものを含んでると...
だから、そうするには、いろいろ面倒だし、じゃあGPLなものは利用しないようにしよう。ってことになる。
結局、GPLな自由は享受したいけど、自分が手をいれたコードは自由にされたく無い場合、束縛感を感じるんじゃあないのかな。
個人的には、GPLでは、作成者の権利と利用者の利用の自由を、主張していると思っているのですが
その場合、利用の「自由」がどの程度、あるいはどうしたら「自由」なのかが結構、難しいんです。
その辺が、会社とかでは使いづらいと判断されるところだと思うんですが。
Re:GPLっておもしろい (スコア:1, 興味深い)
束縛感はなにか、という点についてはまったく同意見です。
で、ですね。
作成者が束縛されたと感じるその権利、つまり「自分のコードの利用者の自由を制限する権利」はそもそも利用者にはなく、作成者にのみあるものですよね。
だから、利用者の自由はなにも失われていません。
一方で、作成者の自由は一つ失われる。
でも、これでいいんです。GNUが守っているのはあくまで「利用者の自由」なので。もしGNUがもともと「作成者の自由」も守りたいのであれば、ぜんぜん駄目ですけど。
ということで、GNUが守りたかった自由が「利用者のもの」に限定されていると理解すれば、難しい問題にはならないと思います。
Re:GPLっておもしろい (スコア:2, 参考になる)
このあたりの行間を読むことになるのだろうか。
FAQとしては致命的な欠損にも思えるが、英語では誤解されにくいことなのだろうか?
char *A;
モータースポーツ部 [slashdot.jp]
Re:GPLっておもしろい (スコア:2, 参考になる)
すでに公開してしまった GPL ソフトウェアを利用している人に対しては、著作者といえども一方的にライセンスを変更することはできません。これは、ライセンスは契約なので、一方的な契約の変更にあたります。それは認められません。その利用者には、GPL に基づいて当該ソフトウェアのソースを要求したり、配布したりする権利が発生していますので (そして、配布を受けた人にも GPL に基づいて同じ権利が発生しますので)、開発者がそのソフトウェアのバイナリおよびソースを公開された世界から抹殺することは事実上不可能です。
が、そのソフトウェアを新たに配布する際に、著作者は別のライセンスを設定することは可能です。それは、GPL なコード (自分で書いたものに限る) を含んでいたとしても、です。これは、著作者は自分の著作物のライセンスを自由に決める権利を持っているからでして、言い換えれば、著作者自身はライセンスよりも上位の立場に立っているからで、GPL の性質ではありません。
というわけで、同じソフトウェアをきのうダウンロードした人は GPL に基づいて自由に利用・配布・変更できるけど、きょうダウンロードした人はだめ、ということが、理論的には可能です。もちろんそんな場合、きょうダウンロードした人は、きのうダウンロードした人からコピーしてもらえば、自由な利用ができるようになりますので、ライセンス変更はほとんど無意味ですが。(著作者が非難と冷笑を浴びるだけでしょう)
同様に、著作者は、自分が書いた GPL なコードを、フリーではないソフトウェアと組み合わせて、全体としてフリーではないソフトウェアとして配布すること (他人がやれば GPL 違反) が可能です。
というのは正しいでしょうか > mhatta さん
GPLの日本語訳が見えないんですけど (スコア:1)
Re:GPLの日本語訳が見えないんですけど (スコア:1)
# HTML 版はどこにいっちゃったんだろう。
訳語統一 (スコア:4, 参考になる)
LGPL を「劣等 GPL」と訳すのは、すでに定着してしまった訳語だし、 その訳語自身が良い訳語だと思うので、 いまさら変えないほうがいいと思うのですが、それに関して、 GPL FAQ ページにひとつ注文があります。
まず、FAQ は GPL のことをよく知らない人も読むということ。 ですので、「劣等 GPL」が LGPL (Lesser GPL) の訳であるということを、 どこかではっきりとさせておいたほうがいいと思います。 それから、「劣等 GPL」を使っているところと、 「LGPL」を使っているところがありますが、 統一しないと、「劣等 GPL」と「LGPL」という別々の ものがあるのではないか、という誤解を招きます。 もしかしたら、「LGPL とはライブラリ GPL のことだ」 と思う人がいたりして。
というわけで、最初に「劣等 GPL (LGPL)」という表記を用い、 そのあとは「劣等 GPL」を使うのがいいのではないかと思います。 (そのあとも「劣等 GPL (LGPL)」とするのでもいいですが。)
というか、原文自体が、「LGPL」と「Lesser GPL」を ばらばらに使っていて、和訳はそれを忠実に訳しただけっぽいですが。 (じつは意識的に使い分けがされていて、ぼくがそれに 気づいてないだけなのかなあ...)
LGPLの訳案 (スコア:2, 参考になる)
Re:なんか違和感 (スコア:2, おもしろおかしい)
妖精哲学の三信
「だらしねぇ」という戒めの心、「歪みねぇ」という賛美の心、「仕方ない」という許容の心
Re:なんか違和感 (スコア:1)
いや、いちばん気に入った。
Re:なんか違和感 (スコア:2, 参考になる)
「劣等」という訳はイヤゲな感じを漂わせていてなかなかうまいと思ったり。
Re:なんか違和感 (スコア:1, 参考になる)
しかたない (スコア:1)
個人的にはライブラリ利用者(=ユーザー)に優しいライセンス
だと思うんですけどね……
プログラムをフリーソフトウェアのための武器と考えているFSFは
そんなこと気にもしないし……まあ、いいけどね。
Re:なんか違和感 (スコア:1)
佐藤亮一 in Frankfurt Germany
Re:なんか違和感 (スコア:1)
「縮小版GPL」とか・・・・
Re:なんか違和感 (スコア:1)
それはむしろBSD(デーモン君)に対してやることのような。
うじゃうじゃ
Re:なんか違和感 (スコア:1)
少なくともFAQを読んだ限りではそうとしか思えない。
FAQがあってもやっぱり誤解は生じる? (スコア:1)
Re:FAQがあってもやっぱり誤解は生じる? (スコア:1)
GNUはLGPL利用者を嫌悪しているか? (スコア:1)
もし、LGPL を選択するような人間を嫌悪しているようにしか読めない部分があれば、具体的にその部分を指摘してもらえませんか?
Re:GNUはLGPL利用者を嫌悪しているか? (スコア:1)
Re:GNUはLGPL利用者を嫌悪しているか? (スコア:2, 参考になる)
なるほど、それでやっとわかりました。 たしかにその GPL の FAQ には、GNU の理想は何であるか、 ということは説明されてないですからね。 逆に言えば、「自己嫌悪」ということはその誤解に基づいた 「GNU の理想」とやらを前提にして初めて成立するので、 その FAQ を読んだだけではそのような「自己嫌悪」は 読み取れるはずがないですね。
さて、GNU の理想はフリーソフトウェアにあるのであって、 GPL にはありません。と、ぼくは解釈しています。 GPL は、フリーソフトウェア推進のための道具です。 なぜそれが道具たりえるかというと、GPL なソフトウェアに 基づいてフリーではないソフトウェアを作ることを禁止しているからです。
むしろ、GPL も LGPL も両方とも、世の中にはフリーではないソフトウェアや、 フリーではないソフトウェアを作ろうとする人がいるという、理想的な 状態ではない現実に対処するために必要なものとして生まれてきたものなので、 LGPL を使うことが自己嫌悪なのなら、GPL を使うことも自己嫌悪ですよ。
というわけで、「フリーだけれども GPL ではないソフトウェア」 の存在を、GNU は認知しています。たとえば このページ [gnu.org] を見ると、X11 や Perl や Apache のライセンスを持つソフトウェアは、 フリーソフトウェアだとみなされていることが分かります。
というか、GPL が GNU の理想かどうかにかかわらず、 理想から外れたことをするのは自己嫌悪だ、なんていうのは、 おかしな考え方だと思いますが。世界のすべてが自分の理想どおりに いかないと気がすまないのでしょうかね。
Re:GNUはLGPL利用者を嫌悪しているか? (スコア:1)
ついでにいうと議論に皮肉や嫌味を混ぜる人と意見を交わすのは苦痛なんですけど、そういうのは妥協することにしています。自分だって聖人君子じゃないんだから他人に多くは求められませんからね。 :)
Re:GNUはLGPL利用者を嫌悪しているか? (スコア:1)
matz.
まつもと ゆきひろ /;|)
Re:GNUはLGPL利用者を嫌悪しているか? (スコア:1)
というかFSFのライセンスの一覧、訳が追いついていないね...申し訳ない。
mhatta was here
Re:GNUはLGPL利用者を嫌悪しているか? (スコア:3, 参考になる)
ぼく自身は、GPL を使うことも LGPL を使うことも、どちらも自己嫌悪などとは無縁だと思っています。ですから、ac さんと意見が異なるというわけではないと思います。
GPL とは何か、という解釈ですが、「GNUの理想」はあくまでもフリーソフトウェアだと思っています。ですので、理想だけを言うなら、フリーと認められる、GPL 以外のライセンス (たとえば X ライセンスとか) でも、GNU としては構わないはずです。
で、GPL も LGPL も、現実 (世の中すべてがフリーソフトウェアというわけじゃないし、フリーソフトウェアでないソフトウェアを作りたがっている人もいっぱいいる) との妥協という面は共通してもっています。だって、世の中にフリーでないソフトウェアを作る人がいなければ、「フリーでないソフトウェアを派生させることは禁止」なんてことをライセンスで宣言する必要さえないわけだし。(GNU の立場からすれば、現実との妥協というよりは現実への対処とか現実との戦いのための武器、と言うほうが適切かも。)
一方で、LGPL は GPL と同様、完全に、「フリーソフトウェア」のライセンスです。これは断言できます。「LGPL使ったからって、即、フリーソフトウェアでなくなるわけでもないでしょう」というような、あいまいさを残した言い方をする必要もありません。ですので、自己嫌悪に陥る必要などこれっぽっちもありません。
ただし、GNU が LGPL はめったなことでは使うな、と言っているのも確かですが、それは「現実との戦い」の戦略上のことです。GPL と LGPL を適材適所で使い分けることができれば、べつに自己嫌悪に陥る必要などありません。(もちろん、GNU と異なる見解を持つ人が、GNU の考え方に反して LGPL を使ったりするのは、それはその人の自由ですので、やはり自己嫌悪に陥る必要がありません)
Re:なんか違和感 (スコア:1)
ちなみに、non-freeなソフトウェアを公開するということについては道徳的に堕落しているだのなんだのとひどいことを 言っていたと思いますが、LGPLを適用する人すなわちダメ人間だなどという風には書いていなかったんじゃなかったかな。
mhatta was here
とりあえず (スコア:1)
FreeBSD Copyright Information [freebsd.org]
# Webアプリ向けGPL [srad.jp]の時はGNUとBSDしか出てこなかった……