FreeBSDにもGUIのインストーラーを 116
ストーリー by Oliver
まっしろけ 部門より
まっしろけ 部門より
tyamagch曰く、"Daemonnewsの記事から Linuxでは当たり前?となりつつあるGUIベースのインストールをFreeBSDでも実現しようという試みがあるようです。 スクリーンショットも掲載されているので見たら、中国語? isoイメージのダウンロードも可能なようなので、挑戦しようという猛者の出現を待つ!"
tyamagch曰く、"Daemonnewsの記事から Linuxでは当たり前?となりつつあるGUIベースのインストールをFreeBSDでも実現しようという試みがあるようです。 スクリーンショットも掲載されているので見たら、中国語? isoイメージのダウンロードも可能なようなので、挑戦しようという猛者の出現を待つ!"
吾輩はリファレンスである。名前はまだ無い -- perlの中の人
最初は誰でも初心者だけど、、、 (スコア:4, すばらしい洞察)
慣れてしまっているから、あれで十分だと僕自身は思うの
です。インストール後も起動できるし、操作に伴いどこの
何ファイルのどの部分が修正されるか分かってしまってい
るし、安心して使えます。(LINUXの場合、インストール後
にインストーラーは起動できないんですよね。出来るなら
教えてください。)
昔、コンソールタイプライターから十六進数でブートを打
ち込んで磁気テープから読ませた4.2BSDに比べたら、ずっ
と楽です。と言っても、十六進数も二、三十回打ち込んだ
ら覚えてしまって、インストールは楽になりました。慣れ
ですね。
結局、問題はどれだけの自由度を認めるかだと思います。
自由度の多いインストーラは、利用者に考えることを要求
します。選択するために知識を要求します。すると、イン
ストールが難しくなるのだと思います。
ずぶの初心者に本当に必要なのは、CDを入れたら、完全に
自動的に(適当に)インストールしてくれるツールであり、
それがGUIだろうとCUIだろうと関係ないのではないでしょ
うか?(そのようにインストールされたマシンがネットに
接続されたら恐ろしい気がしますが。)
慣れてしまったものは、初心者の敷居の高さを忘れるのか
もしれませんが、僕には今のsysinstallはそのまま残して
おいて欲しいと思います。別の簡便なインストーラは別扱
いにして欲しいですね。
何に自由度を求めるのか (スコア:4, 興味深い)
自由度を求めるといっても、何の自由度なのかを考えないと意味がないような...
細かい組合せまでできるといってDebianのなんでもpackageを有りがたがる人がいる一方で、例えばnetboot向けに新しいroot filesystemを仕立て上げる時などはあの方法は背筋が凍りつきます(実際にはpackage-orientedなものならDebianに限らないけど)。というのは
つまり、仕立て上げの際に既存のsystemを破壊しないよう注意を払わなければならないのが欠点です。その点、NetBSD/sparc64では単に.tar.gzをばらすだけで即netboot可能な状態に持ち込めます。bootの手段についていえばこちらの方が自由度が高いといえますし、それで便利になる場面もあるわけです。
rpmをバラす (スコア:2, 参考になる)
rpmのバラし方が知らない人がいるのではと思うのですが、
気のせいでしょうか!?
tar.gz:
gunzip hogehoge.tar.gz | tar xvf -
rpm:
rpm2cpio hogehoge.rpm | cpio -dvi
実は手間は変わらないので、、、
-cは (スコア:1)
"console"の"c"じゃないですかぁ?
Re:最初は誰でも初心者だけど、、、 (スコア:1, 参考になる)
探してみたら
ここ [heart.ne.jp]の "Linux to FreeBSD" の Thread。
もう丸 4 年も経つのね。
Re:最初は誰でも初心者だけど、、、 (スコア:1)
もしれませんが、
つい忘れがち。
今月のBSD Magazineでも取り上げていたが、
そういう意味ではMac OS Xはインストーラーを含め、
恐ろしいくらい敷居が低い。
もちろん、その分余計なものまで詰め込んでくれますが、、
Re:最初は誰でも初心者だけど、、、 (スコア:1)
って結構古い話だけど...。
Re:最初は誰でも初心者だけど、、、 (スコア:1)
それって欲しいなあ。10台くらいまとめてインストールする時ってあるからね。うまく造れば管理者も嬉しいと思う。今のsysinstallでも自動化は出来るらしいけどちょっと敷居が高い。
正直、今のsysinstallはインストール後のツールとしてすごく便利だけど、初心者が初めて使うには癖があってきついと思う。自分が初めて使ったときは訳が分からない内にインストールが終わってて、果たして正しく入ったかどうか分からなかった。操作法を標準的なGUIに合わせることは良いことだと思う。
使ってみました (スコア:3, 参考になる)
順番に聞いて来る通りにスライス作って、パーティション作って、ホスト名やら IP アドレスやら入力して終り。
この単純さには好感が持てます。
自分の場合、minimum インストールしてから cvsup ってパターンなので、こういう最低限のことを簡単にやってくれるものはありがたいです。
思うに、これから FreeBSD を体験してみようという人が面食らうのは、sysinstall の設定可能項目の多さではないでしょうか。
一本道でかつ入力項目の少ないこのインストーラは、需要があると思います。
もう少し作り込んで、dhcp にも対応したら、私はこれでインストールすると思います。
さて、RELENG_4 に cvsup だ。
追記 (スコア:1)
欲しいと思う人が作るしかない (スコア:3, すばらしい洞察)
メーリングリストや 2ch やら読んでいて思うんですが、いつもこの手の「Linux 的な何か(Windows 的 Mac 的etc)」とか「初心者向けの何か」とか「GUI やらデスクトップやら」などなどって、「こういうのありませんか?」「こういうの欲しいです」という話が持ち上がっては「いえ、既にある hoge では駄目ですか?」とか「FreeBSD という OS はそういう OS じゃない」とかみたいな反応しかでてこないんですよね。(こういうのって FreeBSD に限らずですね。Linux 方面とかでも似たようなの度々見かけるし)
まぁこれは作るスキルのある人は大抵現状にある物で満足していたりするか、自分の作りたい別の物があるか、サポートが面倒だからやる気がないとか、色々な事情があるわけですが。
結局のところ、そういうソフトは
というわけで、/.-J にせよ、2ch にせよ ML にせよ、「何かが欲しいので誰か作ってくれませんか?」とか言うのはあまり効果を期待せず、欲しいと思ったら作ってみるってのがいいかもしれません。勿論、既に自分の望む物が存在しているかどうかの確認は必要ですけどね。もしそれに不満があってもソースコードやドキュメントや挙動は参考になるはずですから。
自分にはどう頑張っても作るスキルなんて身につかないとか、今後頑張りたいけど今ほしい!って思っている人は、口をぽかーんと空けて待つか、諦めるか、自分の出来る事で何らかのプロジェクトに参加してみるかしかないでしょう。
幸運にも自分の欲する物を作ろうとしている人がいるなら、そのプロジェクトに最大限の協力をするべきでしょう。文章を書く、テスターをする、利用者のサポートをするなど色々出来ることはあるはずです。作業をしている人(プログラムを作る以外も含めて) が効率よく気持ちよく作業を出来る方法を常に考えるべきです。そのプロジェクトについて最大限理解することも勿論重要です。出来る限りソースを読んでみる、挙動について自力で調べてみる、google で関係することを検索して勉強するとか。少なくとも邪魔になる事、やる気を失わせること、作業している人に不必要な負担となる事は避けるべきでしょう。
個別のプロジェクトに限らず、支援という事自体をよく考えるのも有効でしょう。
あなたの出来る事をしてみませんか?
Re:欲しいと思う人が作るしかない (スコア:1, 興味深い)
Re:欲しいと思う人が作るしかない (スコア:1)
まあ、「協力すべき」 (つまり、協力したほうがよいという 倫理的な要請が成立する) とは思わないけど、 協力する側もされる側も、協力によって互いに利益を得るので、 協力するのが合理的だ、という言いかたはできると思う。
倫理的な要請はないとはいえ、開発者に対する感謝の気持ちくらいは 持ってほしいな。そんなことでさえ受け入れられないのでしたら、 お金を払ってソフトウェアを買って ください。
Re:欲しいと思う人が作るしかない (スコア:1)
>そんなことでさえ受け入れられないのでしたら、 お金を払ってソフトウェアを買ってください。
と、そうやって一気に突き放すような言い方がちょっと…と感じちゃいますね。
飛躍しすぎなんじゃ無いでしょうか。
というか、大体オープンソースプロダクトって
http://www.opensource.org/docs/osd-japanese.php
ここの5項目目によると、使う人を立場によって差別してはならないのではありませんでしたっけ?
>そんなことでさえ受け入れられないのでしたら、 お金を払ってソフトウェアを買ってください。
というのは、個人的意見だから良いじゃないか、ものの例えだよ。なんていう気持ちも有るかもしれないけど、
その考えはオープンソース精神には則って無いと言えるんじゃないかなぁと思います。
オープンソースに関わる人なら、あまり口に出さないほうがいいと思います。
Re:欲しいと思う人が作るしかない (スコア:1)
「自分は感謝されてしかるべきだ」というんじゃないです。 ぼく的には、「おまえはプログラムを作ることでおれに奉仕するのが 当然なんだ」みたいな態度で接してくる人には 関わりたくない、くらいは思います。 べつに使うくらいはいいでしょうが。
で、オープンソースの定義ですが、その通りです。 あるソフトウェアがオープンソースの定義に合致するには、 たとえば「このソフトウェアをテロ目的に使用することは禁止します」 とライセンスに書いてはならない。 でも、聞かれれば、「できればそんな目的には使ってほしくない」 と答えることだと思います。
Re:欲しいと思う人が作るしかない (スコア:2, 興味深い)
>>みたいな態度で接してくる人には関わりたくない
>
>これは私もそう思いますね。こゆ人がMLとかに出てくると脱力します。
>作る側も、協力する人も、使う人も義務でやってる訳じゃ無いのになぁ。
オープンソースに限らず開発コミュニティというものはもともと「欲しいと思う人が作る」人たちの集まりでしたから、忙しかったりリソースが不十分だったり他のことに集中したいから「自分のかわりに」他の人に作ってもらう、人が作ったものを利用するという意識があって、だからこそオリジナルの作者に敬意を払って感謝したり報告したり議論に参加するといった行為も自然発生的に生まれたものなのでルールだのマナーだのといった言葉を持ち出す必要もなかったものだったのだと思われます。
それが次第にユーザーが増えていくとともにこの「自分のかわりに」という部分を意識しない人たちが増えてきました。感情や価値観の面では「作ってもらう」ことに対する意識というよりはこの「自分のかわりに」を意識できるかどうかによる違いが大きいんじゃないかと考えます。
「ただ使うだけ」のユーザーが増えることは別に悪いことではないし自然な流れだと思いますが、このあたりの感覚の違いが「常識的なことができていない」と「マナーにうるさい、感謝を強要する」といった対立を生んでいるように思います。
後者にとっては「ならお前が作れ」というのは「政治に文句があるならお前が立候補しろ」に近い極論、暴論にしか受け取れないでしょう。
もちろん「使うだけ」の側にも作っている側の価値観を理解できる人はいますけどね。
さて、どうしたものやら。(←逃げてる)
うじゃうじゃ
Re:欲しいと思う人が作るしかない (スコア:1)
昔、巻き込まれた(火に油を注いだ)騒動の場合、ソースコードとデータ形式がどちらもクローズなものでした。
そのときに思ったのは、もう少しオープンな体制(ライセンスもあるし、姿勢みたいなものも)なら自分でやるのになあ…でした。
できるかどうかってのは別として、文句のあるものが勝手にどうにかできる道を用意しておくのは、この手の騒動を収めるのには効果的じゃないですかね。オープンソース万歳。
…もっともそのソフトの場合、スキルのある人は自前でデータ形式を解析したり、データ形式が明確なモジュール以外を自前で作ったりしてしまったようですが。
Re:欲しいと思う人が作るしかない (スコア:1, すばらしい洞察)
まぁ、あなたの仰しゃりたいこともわからなくはないですけどね。強要とか強制とか、暗黙の圧力とか義務とか、そういう窮屈なのはウンザリとかいう事でしょうか。というか実際に他のプロジェクトをみてやり方的に「なんだかなぁ~」みたいなのを感じる時もありますから(^^;;。
でも、プロジェクトやってる人(プログラム作成者以外含めて)は一切望んじゃいけないでしょうか?プロジェクトの成果を使っている人が感謝してくれると嬉しいだろうし、それ以上に参加してくれると嬉しいものです。勿論強制とかするのはなんか違うわけだし、言い方・やり方とかそういうのはあるかもしれませんが。
#感謝なんぞいらん。単に作っただけ。余計なトラブル
#抱えたくも無いから、黙って使えって人もいます(^^;ので、
#心の中で感謝するにとどめておいた方がいい場合もあるようですが、
#パッチ位は提供した方がいい事もあるのでケースバイケースイにて(^^;。
そりゃオープンソース・フリーソフトウェアの世界は、義務なんてもので動かされる事はほとんどないでしょう。でもだからと言って、誰も何もしなかったら決して何も産まれませんし、それぞれの人に出来る仕事量なんて限界があるわけです。
それに義務で動かされる世界じゃないからこそ、人の心、コミュニケーションそういった要素が重要だと思います。作り手は作り手なりの理由があって作ってるのかもしれないけど、おそらくは感情を持った人なんですから。
Re:欲しいと思う人が作るしかない (スコア:1)
軽さはどうなのかな (スコア:2, 興味深い)
これはどうなんだろ。
古いマシンを再利用しようとしたらインストーラが起動できない、ってのは
うれしくないよなぁ。
# とか言ったら、来月リースアップするPCにPentiumII載ってるな・・
個人的には今の/stand/sysinstallで十分なんだけど、初心者のとっつきやすさを
考えるとやっぱりGUIって必要なんだろね。
Re:軽さはどうなのかな (スコア:1, 参考になる)
立ち上げてくれたり、非力なSS5には辛うございました(;;)
正直、ああはなって欲しくない...
Re:軽さはどうなのかな (スコア:1)
対話式インストールならHot Javaは立ち上がりませんし、
シリアル経由でインストールすれば当然Xも立ち上がりません。
Windowsのインストーラを見たことありますか? (スコア:2, 興味深い)
と考えて思ったのは、
だからsysinstallを改良するとか、別途グラフィカルなインストーラを作るとか、必要だと思うけど、やっぱり一番必要なのは*BSDのプレインストールされたPCを大々的に売り出すことだったりしないかなあ、なんて。つまり、「インストーラなんか使わなくてすむのが一番。」:-)
やはり・・・ (スコア:1)
バグ(…というか、ユーザの思わぬ挙動)
の少ないインストーラが欲しいですよね。
ま、いろいろな面で進化していくのは好ましい事です。
しかし、日本語インストーラを使ってハマる初心者に対して、
「そんなの使っちゃダメ」って言うのは辛い。
まぁ、苦言を言い出したらキリが無いのですが(笑。
”とりあえず入れてみる”
”とりあえず使う”
(しかも、なぜかexpress とか使おうとしない…笑)
って人向けに、不自由でも簡単なインストーラがあって欲しいですよね。
# え?私自身は今のままで十分ですよ。
GUIよりも (スコア:1)
最近のLinuxディストリビューションだと、XF86Config とか自動生成してくれますが
せっかくオープンソースなのだから、その手のツールは、(いい意味で)パクってくればいいのに。
PC UNIX 初心者が「Xが上がりません」と質問するのに答えるのは飽きました。
# 昔、FreeBSD-2.xを使っていたときはviでセコセコ書いたものでしたが、RedHatで初めてXconfigurator を実行したときは感動ものでした
----
gen+nob+ash
Re:GUIよりも (おふとぴっく:-1) (スコア:2, おもしろおかしい)
って、それじゃ洗脳か。
Re:GUIよりも (おふとぴっく:-1) (スコア:1)
¥100,000- くらいで売ってませんかね?
#ifdef おふとぴ
# ...&参照;を使って投稿できなくなってるなあ...
# あんまり全角¥とか使いたくないんだけど...
#endif /* おふとぴ */
Re:GUIよりも (おふとぴっく:-1) (スコア:1)
今の形態(とか、インストーラーがないこと、とか)が管理者魂を持つ者しか先へ進めないという関門になってるんじゃないの?
ノートPC と一緒では先にすすめない、とかあるけど(それは話がきっと違う)
Re:GUIよりも (スコア:1)
XFree86の問題は、XFree86側へfeedbackをしてくれないdistribution側にも問題があるような気がしますが...
OSが頑張らないといけない問題としては、-currentに限っていえばacpiだけでdeviceを調べ上げることができています。ただ、この場合acpiの情報を信じきってしまうため、acpi tableがromに焼いてあるとSMPの計算機でAPを忘れてしまったりしますが(acpiを信じきる側も信じきる側だが、tableに書くべきdeviceが全く変わらないと思い込んでるhardware屋もhardware屋か...)。
GUI、CUI というより、 (スコア:1)
判りやすい解説。があれば特に文句無いです。 もちろんインストールする人の母国語で。 こんな風に別途配布 [freebsd.org] じゃなくて、 標準搭載でいってほしいな。と。
Re:GUI、CUI というより、 (スコア:1)
フロッピのイメージを落として来て、というのであれば、最初に FreeBSD ミラーサイトの代わりに日本語インストーラのページへ行くだけですね。
別に標準配布物に含まれていないことは難点にはならないのではないでしょうか。
ちなみに、日本語インストーラを使うと、/stand/sysinstall も日本語対応版になります。
Re:GUI、CUI というより、 (スコア:1)
いや、何処で FreeBSD を落して来ても、その他の手段で入手しても、 インストーラが母国語に対応していて欲しいなって話しなのです。 んで、解りやすい解説と、適度な捕捉もあれば良いなと。
う~ん。こおいう場合、標準搭載というより、標準実装と書いた方が良かったのかな…。
標準実装→(容易に)選択可能 (スコア:1)
(容易に)選択可能、ということにしといて欲しいです
・後で日本語環境を綿密に設定するわけだからして
・後で綿密にX設定をするわけだからして
標準で日本語メニュー、標準でXでのGUI・・・
つうのは勘弁して欲しいです
-- どう思いますか?
Re:標準実装→(容易に)選択可能 (スコア:1)
何でも入ってて欲しい。って意味で書いたわけでは
無いのですが。(アセ
自分がインストールした物は何なのか、とか、
どんな設定をした等が、容易に把握出来る様(為)にも、
インストーラは標準で母国語化されてて欲しいな。
って意味で言っていたつもりだったのですが…。
インストーラだけGUIになっても・・ (スコア:1)
インストールが便利になっても、インストール後の設定が
・インストーラと全然違うインターフェイスの設定ツール
・etc以下直接編集
しかないと、結局ある設定をする方法を複数覚える必要が出てくる。
で、「なんか設定わかんなくなったから再インストール」なんて初心者も出てくるし、「etc以下の編集方法さえ知ってれば、覚えることが一つだけでむしろ楽」って考えも出てくる。
顕著なのがパッケージのインストールで、RedHatベースのディストリのインストーラは、全てのパッケージの依存情報、簡易説明の和訳を抱えてるので、インストール時はパッケージの選択および依存パッケージの一括インストールが楽だけど、後で変更しようとするといきなり敷居が高くなる。
その点、sysinstallは、(インストール後に使うとインストール用のメニューが冗長でウザイけど)同じインターフェイスでできるので便利。
ビットマップグラフィックで見た目を派手にするのはかまわないけど、そーゆーところは残してほしい。
Re:GUI or CUI? (スコア:1)
そうですか? 今のインストーラはどの状態にあるのか、ちゃんと表示していると思いますけど?
展開中のファイルもAlt + F2で見えますし。
Re:GUI or CUI? (スコア:1)
> Vine
あてにならない残り時間表示、とか、意味不明瞭な宣伝文句、をインストール中に読みたい、って話なんじゃないの?
(って、最近のは知らないけど、Windows98 のインストーラーのことね)
Re:GUI or CUI? (スコア:2, 参考になる)
メータ、って例えばファイル展開中にパーセント表示するプログレスバーですよね? それならあります。ちなみにNetBSD/i386のインストーラにはありません。
あと、GUIなインストーラは視覚障害な方々にとっては邪魔者以外の何物でも無い、ってことは言っておきたいです。CUIならシリアルコンソール&読み上げソフトを使ってインストールできますしね。
参考:視覚障害者のUNIX環境 [watakatsu.com]
Re:GUI or CUI? (スコア:1, 参考になる)
> いう状態遷移の中で、どの状態にあるのかの情報をディスプレイから
> 得ることができません。
あと、A -> B -> C と画面遷移するところで Q を押したとき、
A に戻るのかと思ったら C に進んじゃったりとか。戻る方法がない。
それから、「前画面に戻る」がメニューの一番上にあったりとか。
正直、sysinstall はわかりにくい。
expert (スコア:1)
Re:GUI or CUI? (スコア:1)
sysinstallはGUIじゃないんでしょうか?
Re:GUI or CUI? (スコア:3, すばらしい洞察)
もしかしたら、「ビデオモードとしてテキストモードを使うかグラフィックモードを使うか」という軸もあったりして。あと、GUI vs CUI という文脈で実はウィンドウシステムであるか否かを議論している、というのもよくみかける。
これで軸は 5 つになったから、32 とおりの UI の可能性があるわけだ。(ほんとか?)
ぼくは、GUI vs CUI というのは、世の中にすでに存在する典型的な (というか、MS-DOS みたいな) CUI と典型的な (というか、Macintosh や Windows みたいな) GUI だけが存在しうる UI のすべてだと考え、curses 的な UI さえ知らない人が展開する議論だと思ってます。
Re:GUI or CUI? (スコア:1)
私はCUIといったら、2次元的な画面の有無は関係なく単に計算機にやらせたいことをコマンド1行でばしばし入れていくものだと思っています。
で、(「文字以外の図形」が登場するかどうかも関係なく)2次元的な画面がないと動かないUIはみんなGUIに入れてもいいような気がしているのです。
というわけで、sysinstallは私にとっては立派なGUIインストーラなのでした。
Re:イヤン (スコア:1)
そりゃあそうでしょう。そんなことは一言も言ってない。
白黒だってGUIなものはGUIだ。
ところで、ひょっとしてsysinstallはCUIってことになってるんですか?
とすると、Cって何の略でしょう…?
(cursesだったら新解釈だなあ)
Re:当たり前・・・ (スコア:1)
同感。
盲目的な追従では、あまり意味ありませんし。
#「大勢がそう」だからといって、それに従わなければならない
#理由にはならない。
>選択肢が多いことは善し悪しによらず進展と見るべきでしょうね。
選択肢の多さは、ある意味では強みですね。
ただ、それを維持するのに手間を取られる状況になると、逆に
枷になるので、そのあたりはよく考えないといけないでしょうけど。
#GUIインストーラの作成・カスタマイズ・内容確認
#(内部で危険なことをしていないか確認する)方法の説明書きを
#一緒に作ってばら撒く、とかした方がいいのかな?
---- redbrick
Re:当たり前・・・ (スコア:1)
良いとも悪いとも、歓迎とも拒否とも書いてない気がしますが。
---- redbrick
Re:当たり前・・・ (スコア:1)
・・・まいりました。
#わたしの誤解釈、ということですね。
---- redbrick
テキストモードは? (スコア:1)
#それとも(#115492)はテキストモードが面倒くさいという意味なのだろうか?
anacondaはインターフェースがかなり優れているし完成度も高いと思うので、グラフィカルモードだろうがテキストモードだろうが関係ないと思う。それが困るくらいなら、諦めるか努力しろと言いたい(まだそう言っても許される時代だと思ってるのは私の錯覚?)。
個人的には元記事のインストーラはいただけないが、anacondaがFreeBSDに移植(というか模倣)されることには賛成。
#が、sysinstallに慣れきっている私はたぶん使わない(ごめんよ)。
そりゃどう考えてもバグ (スコア:1)
……絶対しなきゃいけんというわけじゃないけど。
Re:次バージョンでGUIインストーラが搭載されると聞い (スコア:1)
使って、てのが BSDMaill の CEO の人へのインタビュウで
あったですね。