山梨県立科学館のラット解剖教室が抗議殺到で中止に 428
ストーリー by Oliver
存在意義を失ったラットは... 部門より
存在意義を失ったラットは... 部門より
bsh 曰く、 "asahi.comによると、山梨県立科学館が予定していたラットの解剖教室に抗議電話が殺到し中止に追い込まれたとのこと。
理科の時間が削減され、実験の時間もそれに比例して減少している。科学館が提供する実験教室は、現代の子どもたちにとって、良質な科学実験の場である。特に生物解剖は学校において行われることは少なくなり、それこそこういう場でなければ体験する機会は無い。
深刻な「理科離れ」が進む中で、科学に向けた興味と関心から申し込んだにもかかわらず、動物愛護団体のヒステリックとも言える講義を受けて、折角の科学教室を中止に追い込まれた子どもたちの心情はいかばかりだろうか──"
いたいた、大学の生物学科の解剖実習でもラットが解剖以外にも餌用に学部で飼育されているのを知って、「かわいそー」とか大騒ぎしたやつが。こんなクレームで生物学者の卵の芽を刈ってしまっている、という自覚はないんだろうな
元生物学専攻の意見 (スコア:4, 参考になる)
ネズミを捕獲しに出かけ、捕まえたものは研究室で飼い、解剖しました。私の手で数十匹は殺したでしょうか。
自分に懐き始めていたネズミに麻酔をかけて頚椎を骨折させるため、自分の手で殺す瞬間を感じいつもやりきれなくなったものです。
それだけに実際に死を感じなければいくら理屈を並べても身に染みないことはよく知っていますので、自分に子供がいたら実際に体験させたいと思う内容なだけに残念です。
解剖しちゃダメなのか (スコア:3, すばらしい洞察)
最近始まった「総合的な学習の時間」にしても、最近の子供たちはリアルな経験が少ないという反省から出ているはずなのに。
生きものを殺すことがそんなに非難されることならば、殺虫剤や殺鼠剤を作っている会社や販売店を非難してくれ。
こんなくだらない批判をしてくれる人たちは、「いやね、蚊が入ってきたわ」とかいって殺虫剤を撒いたり、ゴキブリをスリッパでたたきつぶしたりしないんだろうな。
山梨県立科学館さん、かまわないのでやってくれ。
Re:解剖しちゃダメなのか (スコア:2, おもしろおかしい)
Re:解剖しちゃダメなのか (スコア:2, すばらしい洞察)
今年で出版からちょうど40周年ですが、「沈黙の春」という本もありましたね。
一部、人間中心主義を匂わせる所もありますが、今でも生きる名作ですね。
>解剖を取り止めさせて、自分達はラットの命を救ったとでも思っているのでしょうか。
きっと、他のところにいって実験されてしまうのでしょうね。
自分は、実験した大腸菌を滅菌するのも、思わず、ごめんねと思ってしまいます。
もちろん、それ以上に知らないうちにいろいろ殺してるんでしょうけど。
人の役に立ってるからいいじゃないか、というのも確かに人の傲慢だと思いますが、
しかし、それこそが現代を支えている根本でしょう。
「かわいそう。」その通りです。
だからこそ、子供に生き物に対する感謝の心を学ばせる絶好の機会なのに、何考えてんでしょうね。
ほんと、お花畑です。
税金ベースだと (スコア:3, 参考になる)
こういった市民団体からのクレームがつくようなことに関しては細心の注意を払わないと立ち行かないのです。例えばそれが馬鹿馬鹿しいクレームであっても。うちの大学では、実験動物を扱う研究者を集めて、毎年医学部で実験動物を扱う際のガイドラインに関する講習会が開かれます。この講習会を受講していない人は動物実験をしてはいけないことになっています。これはうちの大学に限らず多くの国公立大学において行われているはずです。
話が激しくズレますが馬鹿馬鹿しいクレームといいますと、住民基礎台帳ネットに対するクレームで、現在はそのセキュリティの脆弱さに焦点となっていますが、以前は「牛は10ケタ、人間は11ケタ」というコピーで、国民に番号をつける事への不快感を全面に押し出したクレームがありましたね。僕は馬鹿馬鹿しいと思いますが、かつてそういう時代を生きた人にとっては、馬鹿馬鹿しいと括れないものがあるんだろうなあとか思ってみたり。
Hiroki (REO) Kashiwazaki
Re:税金ベースだと (スコア:3, 参考になる)
うちの文学部心理学研究室でも、地下で隠れるようにこっそりとサルやハトを飼っていたりします。曰く「最近は動物愛護団体とかがうるさいからねぇ」
別に脳に電極を挿したりするわけでもなく、「さぁどっちに餌が入ってるか分かるかな~」的な実験のためなのですが。ちなみに、心理学専攻の人以外は地下にそんな施設があることすら知らないようです。
勝つて言はず、敗れて語らず、
謙譲を崇ぶ者は君子也、怨怒を起す者は小人也。
Re:税金ベースだと (スコア:2, 参考になる)
……気をつけてくださいね、最近は 飼ってるだけでNG! [cnn.co.jp] とゆーすごい団体もあるみたいですから。
Re:税金ベースだと (スコア:1)
有益なことをしているところに強さがなく、無益なことをしているところに妙に権力が集まってるようで。
力に関しては結局利権の問題なんでしょうが。
妖精哲学の三信
「だらしねぇ」という戒めの心、「歪みねぇ」という賛美の心、「仕方ない」という許容の心
Re:率直に言って (スコア:2, 参考になる)
あらぬ虐待の噂を捏造する輩もいる.
件の講習会で見せられるビデオに収録されていたんですが,とある動物病院で患畜が虐待を受けているという情報を受けた動物愛護団体の実行部隊が,その動物病院内に侵入して該当する患畜を保護し,持ち帰り (拉致?),マスコミに告発するというお話がありました。3年ほど前のお話。多分,y_tambe [srad.jp]氏のお話 [srad.jp]にある上記引用部分は,それのことを指しているのではなかろうかと邪推。
マスコミの取材に応じた病院側の代表は,いかにもスケープゴートといった感じの若い獣医さんで「わかりません」「なんともいえません」と政治的撤退に終始。そんな中でも熱い議論な部分な一幕もあって,
愛護団体「我々が保護しなければ,この動物は死んでいたのですよ」
動物病院「あなた方は不法侵入をしたわけですが‥」
愛護団体「そんなこと関係ありません。我々が保護しなければ,この動物は死んでいたのですから。」
市民は論理的議論が出来るとは限らない。そしてさらに厄介なことに,市民は論理的議論を否定し,感情的議論を賛美する傾向にある。似たような話が人工生命研究にもあってですな‥ (オフトピなので以下自粛)
Hiroki (REO) Kashiwazaki
情操教育? (スコア:3, すばらしい洞察)
-+- 想像力を超え「創造力」をも凌駕する、それが『妄想力』!! -+-
畜殺場を見学させれば? (スコア:3, すばらしい洞察)
ほら原発の見学ってあるでしょ。子供達が原子炉を見学に行き、自分たちが普段使っている電気がどこからくるか、またその利点とリスクなどを学ぶという。
これと同じように情操教育のために畜殺場の見学ってあれば良いと思うが。自分たちが普段食べている肉はどこからくるか、周囲に満ちあふれている牛丼やハンバーガーやフライドチキンなどがどれほどの血の上に成り立っているかを知るのは、発電所の見学よりずっと重要だ。是非ともこの団体の人にも参加してもらいたいし、やっぱりすべての人が一度は見ておくと良いと思う。
しかしこの大量消費社会の中で子供達に命の大切さを教えるってのは難しいだろうね。現実では単に余れば捨てられて、大切になんてされてないんだから。
Re:畜殺場を見学させれば? (スコア:3, 興味深い)
昔、小学生ぐらいに住んでいた家の近くに食肉用の豚を殺す場所がありました。
不思議なもので、トラックいっぱいに積まれてくる生きた豚たちの瞳は、
自分たちのこれからを知っているかのように悲しい瞳をしいたのを今でも強烈に記憶しています。
そして、絶命したときに発したであろう異常な奇声を初めて聞いた日の夜はなかなか寝付けなかったです。
あれを自分の目で耳で、見て聞いた人は誰しも少なからず命というものを考えさせられることでしょう。
少なくとも、自分は命・・・生や死について考えさせられました。
そして、自分はこれでもほんの一握りの幸せな生き物なんだろうなと感じました。
悲しいかな動物は他の生命を奪ってしか生きられないものです。
そして、それは人間も例外ではありません。(培養や合成したとしても、それらの元はきっと何らかの生命でしょう)
動物が生き物を殺さずに、すべての生き物と共生することは不可能です。
それは、地球生命が誕生してからの過去の歴史が証明していると思います。
命が尊いとか、地球よりも重いだとかは、余裕があるからいえるだけです。
そうは思っても人災による生命の死を少しでも少なくしたいという、愛護の気持ちも分からなくはないです。
だからこそ医療などの目的で解剖をする必要があるんじゃいですか?
将来どうしても必要な技術をもった人材を育てるために解剖するんじゃないですか?
解剖を通して医療に興味を持つ子だっているはずなんです。
その機会を、可能性を奪わないで。
今回のは小学生向けの科学ということで余計に批判を買っているんだと思いますが・・・仮にです、
このまま暴走した愛護がエスカレートして、生体解剖すべてに批判したりしたらどうなるでしょう?
私の友人は獣医の卵ですが、昔飼っていた猫が苦しんでいるのに何もしてやれなかったことを悔やんで獣医を目指したといいます。
彼は、私の知る限り命を軽んじて解剖に望んだことなどは一度もありません。
もしも友人が解剖のために医学の道を断念して、将来自分のペットを見て再び後悔するようなことはないんですか?
もしも十分な解剖の機会がなくて知識と経験を得れずに獣医になってしまった彼が、その未熟さに悔やむことはないんですか?
批判するだけなら誰でもできます。
批判して思い通りになって、ある日問題が起きて批判した人たちは責任が取れるんですか?
勝手な思い上がりばかりで、安易に批判することなかれ。
友人のように解剖は医療関係ばかりではないでしょうけれど、必要だからやっているんです。
不必要な死など研究者だって望みません。
もしも、死を楽しむようなサイコ野朗がいるんなら、それは解剖が悪いわけではありません。
人間性がそもそも手遅れな人だというだけです。
解剖を見せられて全員がサイコ野朗になりますか?
確かにサイコになる一因になるかもしれないけれど、それを健常な心に育て上げるのが教育なんじゃありませんか?
私には動物愛護を盾に育児怠慢を進めているようにしか思えません。
--労使曰く、ひとごとを尽くして神頼み--
サルの言い分を聞くのが間違い (スコア:3, 興味深い)
とりあえず、サルに左右される社会ではいけません。 これが至急解決すべき課題です。 いっそのこと、こう提案しましょう。
Re:情操教育と死 (スコア:2)
ココでAC氏が言わんとしている [srad.jp]のは、
「子供に対して親を(家族)を殺害させることが情操教育になる訳がないだろうが」
ということではないかと。
この点については私も賛成です。こんなコトをしたって、膨大な量のトラウマ持ちの子供と、ごく少数の境界を跳び越えてしまった「化け物」を生み出すだけですよ。
対して、AD氏の発言 [srad.jp]はコメントの繋げ方によって「情操教育としての親殺し」を積極擁護し、「親殺しによる情操教育というモノの是非を問う」AC氏のコメントに反論しているように見受けられます。
そのような流れが見えることから別口のAC氏のコメント [srad.jp]では「流れを読め」と。「家族でやる」コトの意味を、分かり易く書くなら「家族を殺る(やる)」コトにより得られる情操教育としての意義を、説明して見せよ、と。
#無理矢理深読みすれば
#「小学校に戻って、実際に親を殺して、それから反論してみせろよ」
#と仰有ってるのでしょう。
これに対して
>家族でやる教育だけが情操教育だとも思えません。
とのことですが、コレを見てやっと勘違いに気付きました。
AD氏は
「家族で(家庭内で)の教育だけが情操教育なのか?」
と仰有りたいのでしょうか。
AC氏はそんなことを言っているのではなく、一貫した主張として
「家族を殺害することが、子供情操教育だという考えは間違ってるだろうが」
と、こう言ってるのです。
「ヤル」という言葉を「殺る(殺害)」と読めるか「やる(実施・実行)」としか読めないかの違いってコトですね。
まさに、コミュニケーション手段の相違と言うことで。
最後にAD氏に一つ質問。
子供が自らの親を殺害することを、情操教育の一環として採用しますか?
情操教育と言うことで、あなたは自分の親を生きたまま解剖できますか?
#このコメント、やりすぎだと思うが、まあ、マイナスされるのも覚悟の上だしな。
#…でも念のため下駄をカマしておこう(爆)
-+- 想像力を超え「創造力」をも凌駕する、それが『妄想力』!! -+-
カエルはOK? (スコア:3, すばらしい洞察)
自称動物愛護団体さんたち、まさか哺乳類だから激しく抗議したのではないでしょうね。
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Re:カエルはOK? (スコア:2, 参考になる)
これに使っているカエルってアフリカツメガエルあたりですよね? もしもトノサマガエルないしはその亜種(新潟あたりの分布は良く知らないので)だったら, ラットを使うよりも抗議した方がいいかも. 何と言っても今最も絶滅の危機に瀕しているのは, 野生のカエル類ですから. 特にダルマガエルなんかはReddata bookに載っているぐらいですから.
Re:カエルはOK? (スコア:2, おもしろおかしい)
> 野生化したマングースや猫が捕殺されるのは認められないが、ヤンバルクイナなどの希少種が絶滅するのはかまわない
最初、読み間違えたかと思いました(笑)
かの団体のページ(それにしてもアレゲな名前だった)も拝見しましたが、ずいぶんと幅広く活動しているようで
という呼びかけもしているのが興味深いです。
浅香光代は保護動物ってことなんでしょうか?(笑)
どうせ抗議するなら (スコア:2, おもしろおかしい)
どうせなら (スコア:2, すばらしい洞察)
キモを取り払い、三枚に下ろされたのには慣れ親しんでるけど、いざ自分で各部位を見つめてみると、それはそれで価値があると思うし。
終わった後はみんなで焼き魚大会もできるしね。
# と、中学校の解剖の授業を思い出しながら書いてみる
…つまりは:
確かに、
・魚屋さんが店頭で鯵をさばく
・肉屋さんが店頭で牛をさばく
って、違うよね。結局「残虐」って感じるから「虐待」ってなるんだろうし、残虐の感じ方に決まった定義なんてないだろうしね。
そういった主観・曖昧さをはらんだ議論になる事だけは、了解してから口を開くべきでしょう。(自戒も込めて)
Re:どうせなら (スコア:2, 参考になる)
人間に対しては感情的に共感することができないが、家畜に対しては強い共感を覚えるそうで、 屠殺場を家畜ができるだけ苦痛や恐怖を感じないように設計しているというのを非常に興味深く読んだものです。
この人自身が書いた、『我、自閉症に生まれて』 [amazon.co.jp]という本もありますが、こちらはまだ読んだことがありません。
# ATOK15で「屠殺(とさつ)」という単語が出ないのはどういう事?
# 単なるミス? それとも「言葉狩り」でもやっているのだろうか?
事の過程が発見されました (スコア:2, 参考になる)
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Re:事の過程が発見されました (スコア:2, 興味深い)
『先生(県議)に叱られたようで……』というセンテンスにきな臭さを感じるのはわしだけかな?
それでは題材を変えて (スコア:2, すばらしい洞察)
#もちろん幾多の生命に感謝しながら、生姜とネギを添えます。
みんつ
Re:イカの養殖技術(オフトピック) (スコア:2, 参考になる)
何の動物か忘れましたが、「可愛い金魚を餌にするなんて残酷だ」と言われるのでわざわざ高いドジョウか何かを与えているということでした。
ドジョウは可愛くないので死んでも構わないらしい。
# 我が子の進学の妨げになるようなデキのいい同級生は
# さぞかし可愛くないだろうな?
# 結婚相手の連れ子をいびり殺す親もいるしな?
教材の選定 (スコア:2, すばらしい洞察)
可愛いペットの為には (スコア:2, 興味深い)
大体、効用もあやふやななのに...。
自分達の好きな物が死ぬのは嫌で、関係無いと思えば平気。
こういう無自覚なダブルスタンダードには困ったものです。 [biglobe.ne.jp]
抗議した動物保護団体NPO (スコア:1, 参考になる)
http://www2u.biglobe.ne.jp/~ma-guro/tensi/index.html
http://www.tenshi.npo-jp.net/
Re:抗議した動物保護団体NPO (スコア:2, 興味深い)
http://www2u.biglobe.ne.jp/~ma-guro/
を見ると、ペットショップなんですね。
しかも、犬猫の餌に、人工物を排し、
鳥や魚といった自然原料から作った餌を積極的に売っている…。
まさか、鳥や魚が自然死したのを集めてくるわけじゃあ無いでしょう。
なんだか、ものすごい身勝手さを感じます。
生命の尊さを本当に真剣に考えている人達なんでしょうか。
もしもそうなら、どうして死んだ動物や魚達を、
商売ネタにできるのか、
そのギャップが、到底理解できません。
Re:抗議した動物保護団体NPO (スコア:2, おもしろおかしい)
ペットの蛇でさえ、生きた動物を食べてるわけでもないですからね。
飼い慣らしの猛禽類だって、スーパーの肉を食べます(もちろんナマだけど)。
ペットフードを与えれば食べるし、それで死ぬわけではないのに
わざわざ殺生することもないですよね。
ペットが外で自分で獲ってきたものならいざ知らず、
ペットフードはペットのために作られているんだし。
ちなみにうちは猫を飼っていますが、
ペットフード以外は食べません。
人間が食事をしていても興味を示すことはありません。
すまん、取り乱して専門用語つかってしまった (スコア:4, 参考になる)
人生に確固たる目的も持たず、反社会的な行動をとったり、自堕落な生活を送る者の蔑称。この言葉を最初に使ったのは「マミー石田」氏とされる。石田氏は氏のウェブサイト上で、学歴の低い者が「目撃ドキュン(テレビ朝日)」の出演者のような荒んだ人生をおくるのは必然であるという趣旨の発言をしている。このように、もともと「ドキュン」は低学歴者に対する言葉だったが、現在では、社会常識に欠けている者、または知性に乏しい者全般を指す。
使用例:「ドキュン逝ってよし」
類義語:ドキュソ、DQN
参照サイト:「マミー石田オフィシャルホームページ」
http://www2.plala.or.jp/Nieztche/mammy/index.html
天使の所業 (スコア:2, おもしろおかしい)
そういう心を守るといわれてもなぁ。
偽善という展では同じか。
Re:抗議した動物保護団体NPO (スコア:2, 興味深い)
ペットの里親募集や地域猫の活動をしている人間が
皆このような考えだと思われると甚だ迷惑なのですよ。
Re:抗議した動物保護団体NPO (スコア:2, すばらしい洞察)
天使って悪魔がどんなに知恵を絞っても考え付かないような 残酷なことを善意と笑顔にあふれながら実行できるんですよね.
Koichi
でも、 (スコア:3, 参考になる)
抗議は気をつけてね・・・
NPOを適正評価する方法 (スコア:2, 参考になる)
- 必要以上の利益をあげていないか、
- 債務超過に陥っていないか、
- 収支が正しく報告されているか、
- 設立目的に合った活動を行っているか
などを評価する以上のことはできません。今回の場合は、どれにも該当しないのでは?
もし、設立目的自体に反対だというのなら、そのNPOの提供するサービスを利用しないとか、寄付しないとか以上の行動は採れないでしょう。でも今回の場合、すでにそうしてませんか?
Re:抗議した動物保護団体NPO (スコア:2)
[udon]
動物愛護 (スコア:1)
現役のこどもの人はこういう自らの知識の習得の妨げとなる、妨害工作にはきちんと抗議するべきだと思うけど、どうかなw
ふと思ったんだが (スコア:1)
ゴキブリなら絶滅の心配はしなくとも、「己の不摂生でゴキブリの餌ばら撒いているのに殺すとは何事だ!!!」とか怒る奴はいないんだろうか。
Re:ふと思ったんだが (スコア:1)
ゴキブリはかわいくないので却下というわけで。
ご都合主義ですな。
こういう人たちって (スコア:1)
血と肉と骨でできた体までも抽象化してしまったら、痛いとか苦しいとかの「負の感覚」って、子供たちにどうやって理解させるつもりなんでしょうか?
なら (スコア:1)
バンバンジーでお腹壊すよ (スコア:2, おもしろおかしい)
モノを大事にするのは良いことだが・・・
かわいそうだと思う気持ちは (スコア:1, すばらしい洞察)
彼らの犠牲によって医療等の科学が進化しているのは「事実」
なので、マウスがかわいそうだと思うのであれば、彼らの犠牲を
無駄にしない命の使い方をするべきで、犠牲ダメ! 中止!という
「考え」で事実を曲げようとするのはオカシイと思います。
食事をしなければ生命を維持できない=他の命を奪う事で
生きている のが生命であれば、それは生命が根本に持つ
「原罪」だと思います。
「原罪」を否定する事はできない(食事しないと死んじゃう)
ので、「原罪」を認識し、ならばどうその犠牲を生かすかを
考える事ができるのが「知恵の木の実を食べた人間」では
ないかと。
犠牲ダメー、かわいそー、という「考え」を他人に押しつけ、
短絡的に中止を強制するのはモンキーちっくですね。
こういった問題は宗教論争と似ているのですが、自分の「考え」
を他人にも強制しようとする事が間違っているわけで、鯨の捕獲に
しろ、そこには様々な人の考えがあり、各個人個人の理がある
はずなのに、自分の「考え」こそが「事実」、という”錯誤”で
行動してしまうから色々な問題が起こるのだと思います。
日本人は悪い神様や良い神様、悪戯好きの神様など色々な神様が
いる八百万の神をベースにした思想を根本に持っているので、
こういった単一方向からしか物事を判断できない脆弱性には強い
はずなのですが。。
逆にアメリカ人はこの辺りが脆いと思います。最近の動向を
見ていると、自分の「考え」が唯一正当の「事実」であることを
証明する為に、戦争をせざるを得ない状況に追い込まれてしまっ
ていますね。
Re:かわいそうだと思う気持ちは (スコア:3, 参考になる)
>実際やらせてもらえるかどうかは知りませんが…
できますよ。狂牛病問題の時にさかんに行われたこともあって
受け入れ態勢は強化されているはずです。
「屠殺場」ではなく「食肉センター」でさがしてみてください
誤りを以て誤りを正す、ですか。 (スコア:2, すばらしい洞察)
ラットといえども命があるのだということ、それでも解剖するのは何故か、その辺も含めて教える価値があると思うのですが。
> ※ 小さな子供が平気で「殺す」「死んだ」という言葉を使う時代。
で、ラットの解剖を止めたからといって何の解決にもならないと思いますが。
誤りを以て誤りは正せず、子供の倫理観に危機感を覚えるなら環境とか親の教育や価値観の弱体化、おバカな過保護に目を向けた方が生産的だと思いますが。
Re:誤りを以て誤りを正す、ですか。 (スコア:2, 参考になる)
カエルは生徒が各自で調達してくることになっていたのですが、
当日、カエルを調達すること自体を忘れていた生徒がいました。
生徒は、みんな「忘れた奴は他の生徒に見せてもらえばいい」
くらいにしか考えていませんでした。
ところが、その時の先生の言葉は
「このカエルはあなたたちのために命を落とすのです。
そんないい加減な気持で解剖なんてしてはいけません。
今日の予定は中止します。」
というものでした。
その言葉は今でも私の胸に突き刺さっています。
そう、忘れた生徒とは私のことでした。
私はその後生化学を専攻し、実験動物を扱う立場になりましたが、
殺処分するときに感謝の意だけは忘れませんでした。
実験動物は、抗体を作るのに使っただけでも、生態系を乱さないために
殺処分しなければなりません。これら犠牲の下に今の科学があることを
身体で感じることができたいい経験でした。
Re:解剖といってもやることは殺戮 (スコア:1)
私はカエルの解剖をやったことがあるが(小学生か中学生かどっちか忘れたが)、それはもちろん生きたやつだ。
動いている心臓と肺を見たときは、純粋に「すごい」って思ったもんだが。
よく「読めない」といわれるLiberdade
Re:おいネズミにも一言言わせろや! (スコア:3, すばらしい洞察)
てめーら自然界で評判悪いぞ。
自己中の度が過ぎるってよ。
うるせえ黙れ!悔しかったら科学技術文明を発達させて地上を支配してみやがれ!
おれたちゃ色々苦労して直立歩行とか石器の製造とか火の利用とかそーいうめんどくさいことをしてきたんだYO!
それをおまえらはなんだ?せいぜい前歯延ばしてみただけだろうが!
それだけの苦労をしてからモノを言えやボケがぁ!
・・・まあ、俺たちも自然破壊はいいことだとは思ってないさ。だって
俺たちの子孫が使える資源が減っちまうからな!
自然のためじゃない。地球のためでもない。将来の俺たちの為に自然を守ろうとしてるんだよ。
まあ、せいぜい解剖されることくらいしか人間の役に立たないチュー吉くんたちは解剖されて俺たちの技術発展のとおといギセイになるかそれでなければペットとしてココロを和ませてくれや。よろしくな!
Re:ごめんなさい (スコア:3, すばらしい洞察)
と。
低い人は本質的に知っている。
高い人は教育で理解する。
では、中くらいの人は?
見てみない振りをするんですね。
そして、自分だけはそんな残酷なことをしない or していないはずだと。
僕は抗議団体の考え方に反口土が出てまいます。
Re:現代自然科学「だけ」が偉いわけじゃない (スコア:4, すばらしい洞察)
これは我々「万物の霊長」を気取る人類がその繁栄に物を言わせて勝ち取った特権なのです。我々はその特権をぶんぶん振り回して生きているのです。これは否定しようのない事実。
動物の実験にしても、「命の尊さを」なんてお題目はそもそも必要なくて、生物の内部構造を学習するために分解したいのでその弊害として殺しちゃうんです。でいいはず。
「食べるため」「薬を作るため」「医者の訓練のため」「命の尊さを云々」
なんていかにも説得力に満ち満ちたお題目がなくても、「中高生に生物のしくみに興味を持って欲しい」「生物の中身を知りたい」という、一見生産性のない理由でも殺してしまう実験はしていいのです。
模型や資料にはない本物だけの膨大な情報量がそこにある筈です。
そうした些細なメリットが積み重なっていずれは人類社会に寄与する結果に繋がるのです。少なくとも、投資としてのメリットがあるはずです。
ただ、生き物が死んじゃうのは不可逆反応なのでコストがかかるし、
破滅的な不可逆反応ってのは基本的に気分のいいものではないし、
ちいさくてふさふさしてるものはかわいいので気が引けるし。
ってんでデメリットもそれなりにあるわけです。
そしてデメリットを強固に主張する団体もある。
忘れてはいけないのは、これはそうしたメリットとデメリットのバランスの問題なのであって、
「尊厳」だとか「いのちのたいせつさ」などという一見崇高なお題目は単なる要素の一つにすぎないってことです。
だって、仮にこの解剖が「いきものはしんじゃうんだよ?」ということだけを教えたいなら別に解剖までしなくても殺すだけでいいよね?
別に殺すついでに解剖するわけじゃない。解剖するから死んじゃうんであって、死なない解剖法があるならべつにそれでもいいんです。
「生き物が死ぬ」という点に気をとられすぎるあまり、解剖実験の目的が「生命のだいじさ云々」というそれ「だけ」だという論理になってしまうのは間違ってる。
我々は「命は大切だ」ということと同じぐらい、「命はこの程度大切だ」ということにも注意しなくてはならないのです。