Leonard Zubkoff、事故死 67
ストーリー by kazekiri
黙祷 部門より
黙祷 部門より
ramsy曰く、"Linux kernel 開発者の一人である、Leonard Zubkoff氏が
ヘリコプター事故で死去されたそうです。
BusLogic、DAC960のドライバ等のメンテナーである氏ですが、
抜けた穴はイタイかもしれません。"
本家にも掲載されたようだが、 この件については、 LWN.netにVA Software corporation 前CEOのLarry Augustin自身が kernel-ml に投稿したメールが掲載されている。 Leonard Zubkoffは、 VA Linux Systems Inc.のCTOとしても一時代を築いた。 彼がいなくなったことは私にとっても非常に悲しいことだ。 冥福を祈る。
BusLogic、DAC960 (スコア:1, 興味深い)
Mylexに吸収されたBuslogicと、そのMylex製品であるDAC960……つまりどちらもMylex。
IBMの一部門になっていたMylexはLSI Logicに売却されましたが、そのLSI Logicは既にSymbios、さらにAMIからMegaRAIDを買い取っています。LSI Logicは、SCSIコントローラは旧Symbios、RAIDはMegaRAIDを続けるようで、Mylex製品の命脈は絶たれたも同然でしょう。
そんな矢先のこの出来事。まことに不謹慎ながら、氏の心境はいったいどのようなものであっただろうかと思わずにはいられません。
黙祷 (スコア:1)
慣習の違いがわかりませんので、とりあえず一分間、黙祷を捧げさせていただきます。
逝去の記事がつづくのは…。 (スコア:1)
Linuxを使っているという意味でLeonardさんにも間接的に
お世話になったわけだし、内山安二さんについても
「できる・できないのひみつ」持ってました。懐かしいですね。
どうか安らかにお眠りください。
linuxに限らず (スコア:0)
いろいろな場所で目にして自然に覚える名前ですから、会ったこと
ない人でもなんとなく親しみを感じますね。
逆に亡くなったときの喪失感は大きいですね。
Re:linuxに限らず (スコア:0)
オープンソース等だから個人名がでるのではないでしょうか?
もしも (スコア:0)
求心力を失ったコミュニティは、急速に分裂と瓦解を繰り返すようになるのではないでしょうか。
企業なんかでは、進捗管理やドキュメント化の徹底などで「組織」として開発を行うので、リーダーを失っても(痛いけど)開発中止という事態は防げますが、リーダーについていくぜ!っていう性格の強いオープンソース的開発手法は、イザってときに弱いのではないかと思ったり。
Re:もしも (スコア:1)
> 開発手法は、イザってときに弱いのではないかと思ったり。
「それでもソースは残る。」ってのがオープンソースの良さでは。
開発者が死なないまでも、ほったらかしにされた386BSDなどは
ソースがあったからFreeBSDとして復活したのでは
なかったでしょうか?
私も、死ぬ前にlinuxとかのカーネルアーカイブに名を
残せるなら、それを誇りに思いますよ、きっと。
# 実際にはプラットフォームごと消えて亡くなるソフトウェアや
# 人知れず放置されたり、陳腐化して消えるものも多いけどね。
Re:もしも (スコア:1)
基本的にダウトです。(「例えばLinus氏が~」「企業なんかでは~」)
Linuxの開発者が死亡した際に開発が継続するかですが、
コメント先で #160684 さんが挙げられました「開発中止を防げる」
「イザという時に強い」 「死んでも遺せる」という点は、その体制を
実現できたその企業の努力の結果でもありますが、オープンソース
活動にとってはごく基本的な特徴であると認識しております。
企業の方が強いかどうかですが、オープンソース活動は企業ほど
経済活動に縛られず、ユーザーの「続ける意思」さえあれば継続でき
ますので、先に挙げられた利点以上に:
「企業が開発を中止した時にも開発中止を防げる」
「企業がイザという時を迎えても開発を継続できる点で強い」
「企業が潰れても残る」
というより広範囲な利点をユーザーにもたらす事ができますので、
上記コメントはとても疑わしく思います。
いずれにせよ、未来は誰にも解らない事ではありますが:)
[osdn.co.jp] 総勢80名のカーネル開発者が一同に会するのでAC [osdn.co.jp]
Re:もしも (スコア:0)
Re:もしもし (スコア:1)
仰られている事の主題は、どの様な組織にもありうる事ですよね。
「経済的結びつきが無いぶん」「急速に」という文言はそれと無関
係と思われるのですが、いかがでしょうか。
あるいは、こうも言えると思います。 「既出です」
ドサクサで一気に (略) ディストリビューションは乱立しています
し、長期的に見れば (略) 他所のOSから見ればさぞLinuxは混乱して
いると見られていることでしょう。でもLinuxの開発者が死んだ時に
いきなりそうなるわけでは無いと思うと、上のコメントはあまり特別
な事を言われているようには感じないのです。
折角の文章がFUDに見えてしまいませんか?( ; ´∀`)
ところで私はオープンソースの流れに乗るためには、いくつ
かの準備がいると思っています。
・オープンソースライセンスを適用する旨を宣言すること
・オープンソースライセンスを適用する旨を記述すること
・オープンな環境を用意し、維持すること
こういった手順をきちんと踏んでおかないと、今まで人間の
労力でなんとか回避してきたアクシデントを自動化することが
できないと思うのです。
誰でも努力をすれば似たようなことができるのは理解している
つもりです。オープンソースという手法は、個人がより少ない労
力でそれを達成にする事を可能にしている様に思っています。
#私自身はあまりOSにこだわならないのでAG (*1)
---------------
*1 Are-Ge
Re:もしもし (スコア:0)
Re:もしもし (スコア:1)
> 折角の文章がFUDに見えてしまいませんか?( ; ´∀`)
と言う下りを中心に、私の意図と違う取られ方をされているの
でしょうね。
今後とも精進いたします。
Re:もしも (スコア:0)
再出発が図れそうなプロジェクトは基本的に大丈夫でしょう。
Linuxに関しては、現状ではAlan Coxがいるので、
特に心配する必要は無いと思います。
ですが、そういう状況の時に誰がまとめていくかというのは、
ある程度考えておいた方が良いかもしれません。
Re:もしも (スコア:1)
Re:もしも (スコア:1)
どこかに作っているいるから、暗黒の一千年ってほどには長い
混乱は起こらないのではないでしょうか?
# 数学は科学の女王にして奴隷
そうですかぁ? (スコア:1)
Y2K問題華やかなりしときは、
…てな悲鳴があちこちで聞こえたような気がしたのは、空耳だったんでしょうか(wRe:もしも (スコア:0)
Re:もしも (スコア:1)
当時そのままのソースコードの直系の子孫が、今も現役で稼動してますか?
もしそうでないなら、名目はともかく実質は、それは別のプロジェクトっすね。
#とりあえず偶像もお墓もやめないとならんはずだが…
こういう場合(?)は、分派は構わんがその際は名称は変更してくださいね、
というライセンス(rubyがそれだっけ?)が、やっぱり無難かつ有益じゃないかな。
Re:もしも (スコア:1)
Re:もしも (スコア:0)
Re:もしも (スコア:0)
でしょうけど、ローマ国教になり、ヨーロッパ全土へ
定着した後は、かなり営利企業的な部分もあったと
思うのですが...
#企業・OSCの対比という意味でこのグループをあげたのだと
#したら、ちょっとふさわしくないかな、と思います。
Re:(オフトピですが) 冥福って・・ (スコア:2, すばらしい洞察)
/.-Jにかぎらず、用語に突っ込みが入るのは「厳密な定義に違反したから」ではなく、「コンテキスト(文脈)に反しているから」の場合だと思います。
オフトピと断ってはいらっしゃいますが、一番目のレスとしては外しているように思いますがどうでしょう。
Re:(オフトピですが) 冥福って・・ (スコア:0)
故人の信教を尊重しつつ、哀悼の意を表するというのが正しいので
Re:(オフトピですが) 冥福って・・ (スコア:0)
「そういう場合もある」ということは、その発言を正当化 することにはなりません。ご注意あれ。
死んだ方のことを語ろうという場において(少なくとも 垂れ込み人、および、編集者はそういった意図でしょう)、 故人に近しい人でもない人が、単に言葉の使い方についての 指摘を持ち出す発言を行い、さらには、その死んだご当人の ことについては特に何も言及していないというのは、著しく 状況
Re:(オフトピですが) 冥福って・・ (スコア:0)
発言をするのに『垂れ込み人、および、編集者』の顔色を伺うべきですか?『故人に近しい人』か否かで発言権が認められたり認められなかったりすべきですか?
ここはニュースと雑談サイトであってヴァーチャル葬儀場ではありません。Leonard Zubkoff氏の
Re:(オフトピですが) 冥福って・・ (スコア:0)
「べき」?。もちろんNOです。発言はどうぞご自由に。 で、発言の内容と場所をわきまえないと感性うたがわれますよ、 という意見の発言にも発言権を認めていただけますよね?
垂れ込み人達の顔色というか意図はくみとってあげたほうが 建設的でしょう。そして、人の死には厳粛でありたいものです。 関係者でない人が無関係な話題でもりあがるなら、それは やっぱり
Re:(オフトピですが) 冥福って・・ (スコア:0)
という風に読めたので、
「それは違うだろう」と思いコメントしました。
例えば、今回の「冥福」という言葉が、故人(またはその家族)の信教を侮辱するような言葉であったら(例えば、ですよ)、書き手の意図が「哀悼の意を表する」というもので文脈的には反してないとしても、指摘されるべきでは
Re:(オフトピですが) 冥福って・・ (スコア:3, 参考になる)
信教の自由には相手の宗教を尊重する義務が付随するものだと思います。
# 言葉狩りになってはいけませんが、
# 言葉の誤用が判明した場合に改めることをためらうことはないと思います。
# (指摘する側もされる側も)
Re:(オフトピですが) 冥福って・・ (スコア:2, すばらしい洞察)
Re:(オフトピですが) 冥福って・・ (スコア:0, 参考になる)
レスありがとうございます。
もともとのご指摘は十分に参考になるものでした。しかしお互いの主張が平行線のようですのでこれ以上の論戦はご容赦願います。
Re:(オフトピですが) 冥福って・・ (スコア:2, すばらしい洞察)
平行だと主張するからにはどっちも自分が間違った主張をしていない
と思ってるからなのは当たり前でしょ。自分は間違っているとは思わ
ないし、TTも多分ひっこまないだろうと思ったから休戦を申し出てる
んじゃないですか、ueno-t氏は。せっかく終息するところだったのに
わざわざフレームの元をつっこむな。
#そもそもueno-t氏は対立する間違った主張をしているのではなく、
#別の観点からTT氏のコメントについて意見しているんでしょう。
#最初のコメントに最後の余計な一行書かなきゃフレームの元には
#なんなかったろうに。
Re:(オフトピですが) 冥福って・・ (スコア:0)
>> 別の観点からTT氏のコメントについて意見しているんでしょう。
もしもそういう立場なら、どういう風に別の観点なのかを説明し
TPOをわきまえよう (スコア:0)
Re:(オフトピですが) 冥福って・・ (スコア:0)
Re:(オフトピですが) 冥福って・・ (スコア:0)
「言葉の定義に反する」という事よりも
「文脈」に左右されるのではないか。
また、言葉の問題も重要だが、(一番目のコメントとして適切かどうかはさておき)個人への哀悼の意を表するのが先だよね。
という事を言ってるのではないかと。
それに対して、再び言葉の問題を(「レス」に対するものも追加して)持ち出してきたので、
「ああ、こりゃダメだ。平行線だ」
って思ったんじゃないですか?
本当に一番目のコメントとして外してるのか?(これは個人によると思う)
Re:(オフトピですが) 冥福って・・ (スコア:0)
>>> (わざわざACにしなくていいのに→TT)
は、図星と取られていると思われます。
一言お願いしますよ。
ただでさえどこか(どのニュースかは失念)で AC に「けっ」とか言い放ってるんですから。
#マジで ID 持ってないので AC。
Re:(オフトピですが) 冥福って・・ (スコア:0)
>は、図星と取られていると思われます。
というキミもTT叩き粘着の仲間入り
Re:(オフトピですが) 冥福って・・ (スコア:0)
Re:(オフトピですが) 冥福って・・ (スコア:0)
(中略)
>ご家族には失礼にあたると(不勉強でしたがつい先ほど)知りましたので。
確かに参考になるご意見です。
正しいご意見を参考に頂くのはとてもありがたい事です。
ただ、それを失礼と見なすかどうかは当人のみぞ知る、と言うことですよね。
>「重箱の隅をつつくな」という意見もあろうかと思いますが、せめて
(中略)
>「そんなどう
Re:(オフトピですが) 冥福って・・ (スコア:0)
「謹んで哀悼の意を表します」
なら問題なし?
Re:(オフトピですが) 冥福って・・ (スコア:0)
訳しちゃえば同じだし。
>■[冥福]のEXCEED和英辞典からの検索結果
>めいふく[冥福]
> ~を祈る pray for the repose of a person's soul.
日本語で『冥福を祈る』は『故人の魂の安らかならん事
Re:(オフトピですが) 冥福って・・ (スコア:0)
冥土での幸福を意味する「冥福」という言葉がふさわしくないのでしょう。冥土と浄土じゃまったく違いますものね。
さらに言えば浄土真宗では霊魂の存
Re:(オフトピですが) 冥福って・・ (スコア:2, 参考になる)
浄土真宗でも、冥福を使わないだの線香はたてないなんてことは ありません。位牌もふつうにあるしね。 あれが適用されるのは 本願寺など教祖的立場のお寺や、がちがちの真面目信者くらいでしょう。
ましてや、冥福をお祈りしますといわれて、怒る遺族は いないとおもうがなぁ。
現実の葬儀や通夜だと、 遺族じゃない近親・近縁者で、この手のいちゃもん つけまくって、死者を悼む場の平穏を乱すおっちゃん が居たりするが。失礼なのはこういう人たちの方。
Re:(オフトピですが) 冥福って・・ (スコア:1, すばらしい洞察)
…… (スコア:0)
Re:(オフトピですが) 冥福って・・ (スコア:0)
殉死でもすれば通じるかもよ。
この辺のフレーム参加者は (スコア:0)
原理主義者ということでよろしいか?
故人の死を悼むという想いは何も違わないのに、ただ形式的な表現にこだわって互いに否定しあい、下らぬ争いに終始する。 彼らフレーマーは「言葉は正しくとも、行動
Re:この辺のフレーム参加者は (スコア:1)
いわく、欧米キリスト文化圏は「反形式主義」に偏りすぎてるのではないか?とのことだった。
つまり形式にとらわれることを必要(っていうのかな)以上に蔑んでいるのではないか?と。
で、いわく、一日五回のお祈りを今でも欠かさない(^^;イスラム圏は、
適度に形式主義も有る世界、なのだそうだ…
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それにしても、反形式主義に拘りたがる「という形式」に則るのは、どうなんだろうか?とは思います。
#反形式主義者ならば、「いや、これは形式ではない」と反論したがるところだろうが…それはさておいて。
なんにせよ、自分の祈りが(形式の非互換のせいで)届かなかったとしたら、それは
とりあえず祈った本人にとっては「残念」でしょうね。
で、届いたかどうかが結局判らないことが多いのが、死者への祈り。
なかなか難しいものです。
つまり、言葉なんかどれでもいい、などとは*簡単に*いわないで欲しいと俺は思うんです。
>故人の死を悼むという想いは何も違わないのに
真に受け手のことを考えれば、「祈る側」の人の意思(思い)ばかりが尊重されても、しょーがない
ということには気づいてもらえるかと思います。
草葉の陰(おっと…)で、ほんとに嫌がってるかも知れないのにさ。
問題は、慎重であるかどうかではなく、その慎重さが本物であるかどうか、なんだと思います。
評価者は相手。
#「あほらしいこと」から皆逃げてるからこそスラドには今の惨状があると思うので、G7
パリサイ人へ (スコア:0)
ご冥福をお祈りします。
Re:パリサイ人へ (スコア:1)
同感。
死者を悼む気持ちが第一であって、言葉はたいした問題ではだろう。
ご冥福をお祈りします。