暴力ゲームは子供に有益 83
ストーリー by kazekiri
反社会学にも通じる? 部門より
反社会学にも通じる? 部門より
yh 曰く、
"本家
より:MIT、UCLA、ロンドン大学の研究者が、暴力的なゲームを子供に
規制する法律に反対して、米連邦控訴裁判所に申し立てをしている。
Vnunetによると、
「児童・青少年の専門家は、不安を克服させ、怒りを抑制させ、
攻撃のはけ口を提供するという暴力的なゲームの重要性を前々から
認めている」という。
ロイターにも同様の記事。
カウンターオピニオンがあることは大切だが、法廷闘争とは行動的だ。
日本で同じことを言ったら、言い訳ぐらいにしか思われないだろうか。"
暴力的なゲームが子供に悪影響を与えるのか、そうでないのか、 確かに分からないところはあるな。 反社会学を思い出してしまった。
やっぱりまず始めに結論ありきの調査・・・? (スコア:3, すばらしい洞察)
「何っ?! またゲームのやりすぎかっ?!」
「少年の部屋は教科書や参考書で一杯だったそうです!」
「貴様、教科書や参考書のせいで犯罪を起こしたと?
そんな短絡的な考え方で結論付ける気か!?」
まあ、上の落書きはさておき、ゲームがどういう影響を与えるにしろ
その調査はどこかで科学的な姿勢が失われているような気がする。
結局は本人次第 (スコア:2, すばらしい洞察)
っても、
「バーチャルで暴れたからもういいや」
「バーチャルでコレならリアルはもっとイイかも」
のどちらになるかは本人次第。
ちょっとオフトピ気味だけど、馬鹿に倣うか反目教師とするか、の違いって何だろ。
持って生まれた素質?親(周囲)の教育??
Re:結局は本人次第 (スコア:4, 参考になる)
潜在的な(遺伝的な)傾向+学習によって強められる」という
仮説に基づく調査では、明らかに好戦的と目される社会では、
暴力だけでなく闘争的スポーツや闘争類似のあれこれが
流行る傾向が強い、って結果が出たとか。
つまり、潜在的な傾向が、あれこれからの学習によって
強化されるというような話になるというわけです。
この調査は、複数の明らかに平和な社会と上記のような社会との
比較によって行われたものだったと思うんですが、そこいらへん
の基準については詳らかにしません。でも、興味深い話だと
思います。
ちょっと記憶が、例によってあやふやだけど、E.O.ウィルソンの
『人間の本性』 [bk1.co.jp]に紹介されてた話だったと思います。今手元に置いてないんで、
確認できないんですが……。K. ローレンツやフロイトの暴力に
ついての考え方を批判するコンテクストで登場していたはずです。
# 暴力類似のあれこれの詳細がちゃんと紹介されてたかどうか、
# あんまりちゃんと覚えてないんですが、その他詳細、
# ご存知の方、教えてやってください。
で、その「あれこれ」の中に、もしゲーム類が入るとすると
ヤバイかも。学習による強化が行われている可能性が
考えられるからです。
あ、それから少なくとも上記によれば、暴力性を量的なものと
考えるのは誤りで、たとえばゲームで発散されたから、その分
現実的な暴力衝動が減少するという考え方は明らかな誤りである、
とされていたと思います。
しかし一方、出典は忘れてしまったんですが、
アメリカでの心理学かなんかの実験で、
暴力映像とセックス映像が人に与える影響を調べたやつでは、
後者の方が人の性的衝動を高めるのに対して、
前者は気にするほどの影響はない、なんてのがあったはずです。
そもそも
ゲームが、能動的擬似的な現実体験(スポーツ類似)なのか、
受動的擬似現実体験(映像類似)なのか、
あるいはまた、暴力的ゲームなのかエロゲーなのかで、
いろいろ異なった影響を考える必要があるのかもしれませんね。
# ゲームに関しては中立派(のつもり)、でも反『恐怖のゲーム脳』
世界人類が平和ボケでありますように
Re:結局は本人次第 (スコア:3, すばらしい洞察)
「他人を理解しようとする努力」を身に付けさせるのは教育でしょう。
頭では判っていても暴力的な人は昔からいますが、
最近では特に加減を知らない人が増えている気がします。
生徒を平手打ちしたら鼓膜が破れたとか、
ついカッとなって刺したら死んじゃったとか、
子供を殴ったら頭蓋骨が割れて死んじゃったとか。
小中学校の時の喧嘩って必要だよなぁ(ゲームで痛みや加減は判らん)
Re:結局は本人次第 (スコア:1)
割合は増えたけど、教育の効果はきちんとあるみたいです。
Re:結局は本人次第 (スコア:1)
「父ちゃんを侮辱した借金取りに、我慢できず殴って・・・」
というのと、
「ゲームをしていて、物足りなくなったから、なんとなく・・・」
というのでは、同じ殺人とはいえ、
質があまりに違うと思う(どっちもいけないことだけど)。
ってことで、欲求解消のみ可能で、欲求不満にはならないような
暴力的ゲームが理想的である、と。
#例えば「アーバンチャンピオン」^^;
Re:結局は本人次第 (スコア:1)
余談への突っ込みになるが、 (スコア:1)
折れ線グラフにでもして推移を見る事はできますよね?
(こういう時にグラフウィザードとか使うのだ>#173247のACさん)
Re:結局は本人次第 (スコア:1)
せめてゲームパッドに ベロシティセンス [nifty.com]くらい有ればなあ(^^;
痛みはともかくとしても、「加減」がわからないのは、
人々がそういうゲームを作った(しか作らなかった)からなんじゃないかな。
うんていの遊び方も (スコア:0)
Re:うんていの遊び方も (スコア:1)
でもこれ個人的には、あの堅くてデカい「ランドセル」が原因ではないかと思ってます。小学一年生の子供の小さな体には適さないのではないでしょうか。
来年からうちの子供も小学校ですがどうしたものかと思案中。
Re:うんていの遊び方も (スコア:1)
なんとなく、公園で一人で遊んでいたことがかわいそうと思ったり。
Re:うんていの遊び方も (スコア:1)
でも、頭の大きさはそれほど変わらないとはいえ、育ち盛りの
子供にはアレかもしれませんが。
-- 猫が寝込んだ、桶屋でOK
Re:結局は本人次第 (スコア:2, 参考になる)
クチですが、こういう話は擁護派なり反対派なりの口実の材料に
しかならんと思うのです。ピカチュウなりゲームなりで癲癇だ
ニュースで騒がれればくどくどと小一時間は説教し出す始末。(゚Д゚ )ハァ...
多様な人間をこの手の論説で一括りに出来るはずもなく、
それによって何かが解決されたりためしは一度も無いような。
# 変な法律を潰すのには賛成だけど。
Re:親の影響が大きいのでは (スコア:1, 興味深い)
馬鹿に倣う→親ばかの子
反面教師とする→ばか親の子
親ばかの子は痛い目にあわないけど、ばか親の子は痛い目にあうからね。
難を避けるために知恵をつけるさ。
Re:親の影響が大きいのでは (スコア:1)
>難を避けるために知恵をつけるさ。
ソースは示せませんが「親から暴力を振るわれていた人間は、子に対して暴力を振るうケースが多い」という統計もありましたけどね。
うじゃうじゃ
Re:親の影響が大きいのでは (スコア:1)
http://medwave.nikkeibp.co.jp/show/nh/news/196761
子供の頃、兄弟喧嘩で物を投げたりキケンなことをすると、
親からこっぴどくしかられました。
放任して自然に学ぶのを期待するのではなく、それなりの
指導はしないとね。先に生まれていろいろ学んだものとして。
暴力が存在するゲームでも、暴力肯定のメッセージがこめら
れてるかどうか、それで違いは無いのかな?
エロゲーも (スコア:2, 参考になる)
性衝動を抑えられない方にお勧め
感謝の言葉 (スコア:1, おもしろおかしい)
ムスコがいつもお世話になっております。
# 恥ずかしいのでAC(;´Д`)
さあ、ゲームの始まりです (スコア:2, 興味深い)
どうなんだろう。小さい子供を持つ親は、自分の子供が暴力的なゲームをするのを喜ぶだろうか。 近所の少年が暴力的なゲームを好むのを嬉しく思うだろうか。 表現の自由は、子供が健全に成長する権利を上回るだろうか。 18禁ゲームを子供にもさせるべきだろうか。 こう考えると、賛成しろと言われても難しいですね。
ところで日本で過去に少年犯罪が多かった事は、これから起こりうる少年犯罪を減らそうという努力を一切すべきではないという事にならないでしょうし、暴力ゲームが暴力を減らすという証明にもならないと思います。
Re:さあ、ゲームの始まりです (スコア:1)
もっとも、不公正であるという理由だってあるかもしれませんので、できればもう少しきちんと論拠を示していただけるといいのですが。
Re:さあ、ゲームの始まりです (スコア:2, 興味深い)
圧力団体という意味で、です。 ところで、暴力表現や性描写の規制に反対する目的で結成された団体が「やはり暴力表現や性描写は悪かった」という調査結果なり意見をプレス発表する事などあり得るとでもお思いですか? そう考えると、「彼らが言っている事は本当に事実だろうか」と思うのが当然でしょう。
> 公正中立ってのは「何も主張しない」ことではありません。
それは理解しますが、
> ある立場をとっているからといって、その主張が不公正だという理由にはなりません。
特定の立場に基づく偏った意見、ですね。
> 不公正であるという理由だってあるかもしれませんので
前の私の記事で参照した URL [fepproject.org] にある、彼らが以前に行った主張や発表や働きかけをご覧いただければ判るでしょう。「暴力・性描写は悪くない!」を連呼しているだけではないですか。
話は変わりますが、反社会学のページを拝見し、マスコミの言う事を真に受ける事は無いというのには賛成ですが、だからといって今回の議論の様に、圧力団体のキャンペーンを真に受ける必要など、マスコミ以上に無いと思いました。
Re:さあ、ゲームの始まりです (スコア:1)
また、誰が言うことであろうと真偽の判定を自分の判断の下で行うのは当然のことです。この団体だろうが NRA だろうが神と名乗る誰かだろうが、それは同じです。
私が疑問に思ったのは、圧力団体=不公正というお話ではなくて、どういう立場にあろうともその主張が公正か不公正かは主張の内容で判断するべきだということです。団体の趣旨からその主張の結論が最初からわかっていても、だからといってその主張があやしいということにはなりません。人種差別に反対する団体はそれだけで眉唾というわけではないでしょう?今の場合、暴力表現や性描写が悪くないかどうかが問題なわけですが、それ自体は自明のことでもなんでもないので、主張が一体どのような根拠に基づいているのかを知らない限りは、真偽の判定などできはしません。それなのに簡単に結論だけ出して満足するのはそれこそ不公正な態度です。 連呼もなにも、ここはこの団体の mission やら活動履歴やらが書いてあるだけのページじゃないですか。リンク先の中身は読んだのでしょうか。それともタイトルを見て「これは暴力・性描写は悪くない!」と連呼しているだけだと判断されたのでしょうか。だったらほとんど全ての団体はお題目を連呼しているだけだということになりますが。
Re:さあ、ゲームの始まりです (スコア:2, 参考になる)
> 団体の趣旨からその主張の結論が最初からわかっていても、だからといって > その主張があやしいということにはなりません。
え? 「始めに結論ありき。理屈は後で付け足したり」の主張を、怪しいと思うな、とおっしゃるのですか? 反社会学のなぜ社会学はだめなのか [tripod.co.jp]はとても参考になるかと思います。
> リンク先の中身は読んだのでしょうか。
タイトル見れば判りそうな物ですけど・・・まあ、そうおっしゃるので、遅ればせながら リンクの先も見ました。その結果、
Re:さあ、ゲームの始まりです (スコア:3, すばらしい洞察)
「最初に結論ありき、の団体の主張だから怪しいものだ、という理屈は常にどこでもあてはまるわけではないですよ」
といっているんです。部分否定なんです。そして、怪しいというからには、タイトルだけ読むんじゃなくて、ちゃんとその主張の論拠になっているところを示すか、論拠がないことを示して、その上で怪しいとか怪しくないとか結論を出さないといけないよ、という話なんです。
あなたは「これはインチキ団体だ」という「結論ありき」で見ているようですが、その結論に至るまでの過程が
Re:さあ、ゲームの始まりです (スコア:2, すばらしい洞察)
> 論拠がないことを示して、その上で怪しいとか怪しくないとか
何よりも、 彼らの元の主張 [fepproject.org]に、暴力ゲームは子供に害は無く有益であるという信頼の置けるデータが皆無なんです。 もちろん、子供を2つのグループに分けて、片方に暴力的なゲームをさせて、 その後で子供達の言動を比較し、「やっぱり悪影響がある」と結論付けている報告とか、 アンケートに基づいて影響ありと結論した報告なら、それこそ「検索すれば出て来る」といった感じでしょう。 (イマイチに思いますが、見付けた調査例 [cao.go.jp]) いずれにせよ、これらは「データに基づいて結論を出した」わけです。 よって、 影響が無いと結論付ける事はできない。影響があるかもしれない [ocha.ac.jp]という考えならば、私も「妥当かもね」と思えますが、この FEPP という団体は、 「どこその大学のナントカ教授は影響が無いといった意見を述べた」というのが、 延々と書き連ねてあって、だから影響は無いという論法なんです。 同様に、害が無いどころか有益だとする「論拠」なんですが、
Jenkins describes at least four functions of violent entertainment: offering youngsters "fantasies of empowerment," "fantasies of transgression," "intensification of emotional experience," and "an acknowledgment that the world is not all sweetness and light.
何でも Jenkins というどこぞの人間が "Lessons From Littleton" の本の何ページだかでこう述べている、だから暴力ゲームは子供に有益であると言っているんですね。 アホかと思います。 で、似たような事を言っている映画歴史家とか、メディア学者とかの意見が、 これでもか、これでもかと出て来て、だから暴力ゲームは子供に有益だという論拠に終始し、 「実験データが皆無」なんです。彼らの考える「調査」とは、単なるどこぞの人間も「文献調査」なんです。 だったら、 悪影響があるという人間を何人か探せば180度アベコベの結論になります。 これでは「反社会学」のページにあった、悪い例そのものです。
いずれにせよ、彼らの主張には「自分の都合」しか見えて来ません。 内容を見た限りでは、 本当に子供の福祉に気遣っている様な配慮が全く見られません。 一時が万事、 「害が有るという科学的に信頼の置ける証拠は無い」で片付けていますが、 確かに、子供は一日や二日で大人に成長する物ではないから害もすぐには現れないため、 影響を否定しようと思えばできるでしょう。 でも「暴力ゲームは子供に有益」かどうかは、 本当に子供の立場で物事を考える、 親とか教師の意見とか、アンケート結果とか、 実験データの方がずっと信憑性があります。 この FEPP という団体は、 表現の自由だけを主張するが、子供のことなどは考えていないので、 「暴力ゲームは子供に有益」という主張は、 暴力ゲームを規制しようとする社会一般の流れに一矢報いたいがために無理矢理こしらえた宣伝みたいで、こういった情報操作みたいな主張を表現の自由の名の元で行われるのは嫌ですね。
最後に、これではゲームに悪影響ありという意見を否定しにくいだろうという事件を紹介します。 愛知県警の取調室で、少年はあっけらかんと答えた。『何でやったかって? 格闘ゲームで見た技がどれくらい効くか、試してみたかっただけですよ』 [ocha.ac.jp]
やっぱり、子供に「暴力を楽しむ心を育む」というのは、賛成できないですね。
嫌悪感と法規制は分けて考えるべき (スコア:1)
学者たちの言うのは「問題とするような害は無い」あるいは「暴力的ゲームの愛好者は暴力的では無い」,引用したところなら「こうしたもので慰められたり,力づけられることもある」というくらい。日本では精神科医の香山リカが『テレビゲームと癒し』という書籍で,自分の臨床体験からテレビゲームの効用について述べています。もちろん,彼女はテレビゲームが好きだ,という立場で擁護しているわけですが,子供に対する理解や配慮は十分にあると思います。
話しをもどして。「暴力的ビデオゲームへの子供のアクセスを制限する法律」というのが,具体的にどんなものかまでは解からなかったんだけど,ことの発端は,あの高校生二人組による教師と生徒ら10数人を殺害した事件で,問題になってるゲームはDoomということらしい。
この様な事件があれば,被害者などの感情に配慮して,表現の一部を自粛するのはエンターテイメント作品として当然のことだとおもう。けれども,法律で規制するというのはどうか。たとえばの話し,ジェット旅客機のフライトシミュレーションゲームってのも,今は自粛中のようだけれど,こういうのをかたっぱしから*法律で*規制してったら,それこそ表現の自由の侵害でしょう。
たとえば,例の神戸の事件の犯行声明からの引用で感情を害させる人がいたとして,あなたはそれを法律で規制すべきとのお考えですか?
参考サイト:
「ジョイスティックが暴力の引き金に?」*1 [hotwired.co.jp]
「ゲームの中の暴力」*2 [cnet.com]
「テレビゲームが人間に与える影響」とは?*3 [fusosha.co.jp]
斜点是不是先進的先端的鉄道部長的…有信心
Re:嫌悪感と法規制は分けて考えるべき (スコア:1)
そうかなぁ。奴らのARGUMENT [fepproject.org] の所では論点が3つあって、
> だいいち,子供にハードコア・ポルノを見せたら立派な犯罪です。そんなことは誰もやらんでしょう。
いやぁ、ハードコア・ポルノは悪くない [fepproject.org]と言っているのは奴らですし、 別の所では青少年に対する 性教育の必要性を説いて [fepproject.org]います。 それで、若者は正しい情報を与えられていない事で、知る権利が奪われているそうです。(一般論として、性教育が不十分なケースが見受けられるという事を取り上げて、それを言論弾圧だと論点を摩り替えて非難しているようですが)
もちろん私も性教育の必要性は理解しますが、 奴らの言う性教育とは、表現の自由の名でハードコア・ポルノだって悪く無い、 むしろ性教育になって有益だと言っているわけで、奴らの言う事が両方ともに正しければ、 子供にハードコア・ポルノを見せて「性教育だ」となりますね。 そこまで来ると皆が同意、とはならないでしょう。
それにしても FEPP の連中には付いていけないですね。奴らが書いている事を読んだ限りでは、 いつか子供達が奴らの呼びかけに応えて立ち上がり、「ボクらに暴力ゲームをよこせ!」「ワタシにポルノビデオを見せて!」と FEPP の連中と手を取り合ってデモ行進し、表現の自由を高らかに謳いあげて一緒に闘う日が来るとでも思っているみたいで、 これなら「アポロ11号の月着陸は捏造だった」と主張する連中の方がまだマトモな様に思えます。
> たとえば,例の神戸の事件の犯行声明からの引用で感情を害させる
> 人がいたとして,あなたはそれを法律で規制すべきとのお考えですか?
さあ、私はその必要は無いかと思いますが、そう思う人がいるかもしれませんね。でももしどこかの誰かが、ゲームのプレーヤーが「酒鬼薔薇」になって、何人小学生を虐殺できるかを競うゲームを作ったら、そんな忌まわしい物は規制して欲しいですけどね。
Re:嫌悪感と法規制は分けて考えるべき (スコア:1)
元から論点ずれてるし。でもまあ,もう少しだけ。
#といいつつ,長いぞこちらも。
はじめに,ハードコアについてですが,米国は日本のような犯罪性を帯びたポルノってのはご法度で,ハードコアといっても単純に描写が露骨って意味だったと思います。たしかシバリもNGだし。監禁,強姦はもってのほか。だから,彼らがハードコアといったときに,日本のエロゲーを連想すると,誤解が広がるっつうか。そこでの話しは,そうしたものの弁護ではないはず。もしかして,そうなの? あ。いやいや。
ハードコアポルノ作品を使って,子供に性的な虐待を加えることはもちろん可能でしょう。でも,そういう話しじゃないじゃん。彼らの言うのは。単にオシベとメシベじゃなくて実物を見せればって話しでしょ。
なだいなだのエッセイにあったんですが,彼の友人のフランス人夫婦は,子供の隣りのベッドでセックスしてたんだそうです。それもしっかり物心がつくころになってもやってたそうな。なだいなだも,さすがにびっくりしたらしいんですが,だからといって子供に悪影響があったかというと,そうとも思えなかったらしいです。
ようするに,性規範については民族や文化の違いってのが大きいので,特に米国の場合は法律で規制する対象としては向かないのではないかと。
で,暴力ゲームに話しを戻して。
私は,「ファンタシーとしての暴力」については,「現実の暴力」は別物だと思っていて。もし,その「ファンタシー」で負の感情を満たしているのだとしても,それは認めるべきです。理由は単純で「ファンタシーとしての暴力」には(現実の)被害者が存在しないからです。いたら大問題ですが。
被害も無しに,特定のファンタシーについて規制をかける,負の感情を持つことそのものを罰することは,思想信条の自由に反するはずです。それでも罪を問うには被害者の存在と,加害行為との因果関係の立証が必要で,仮に立証可能であれば,規制などといわず,高校銃撃事件の共謀罪で告発すればいい話しになる。
法律で規制する場合に問題になるのは,子供がDoomのような過激なバイオレンスゲームをやったときに,子供に何らかの害があるか,ようするに虐待に相当するかってことなんですが,これについては断言できるようなものでは無いと思うわけです。
たとえば,お父さんが Doom を子供と一緒にやったとして,それが,子供を虐待したことになるのかどうか。もちろん,お母さんは嫌悪感を覚えるでしょうが。それが法律となると,たとえば親権を移すに相当するような虐待行為なのか,という問題も生まれます。
「何人小学生を虐殺できるかを競うゲーム」というので,『バトルロワイヤル』という小説を思い出しました。「さあ,ゲームの始まりです!」というのも,その映画のキャッチコピーだったかも。その辺りがネタだったのかな。
どちらも観て/読んでないんでアレなんですが,どちらも評価されてるところをみると,少なくとも小説/映画のジャンルでは,暴力表現が評価されてることになる。ゲームだけはダメというなら,それなりの理由がなければ。ゲーム脳とか。
斜点是不是先進的先端的鉄道部長的…有信心
Re:さあ、ゲームの始まりです (スコア:1)
> とある新書があったとして、(以下、省略)
面白い。別のたとえ話で簡単に論破されるようなチャチですね。
「ビニ本なんか子供が買うなだって? 中を見て確認するまではエロ本だなんて判る物か!」と本屋の店頭で言い返すのと同程度の理屈ですね。
多分、あなたが、リンクのページも見てないか、見ても読めないかのどちらかだろうよ。
ところであなたはリンク先を読んだ上で何か意見でもあるのかい? 結構、長いぜ。まあ、あなたは「読んでから意見を言え」って趣旨なんだから、自分にも当てはめれば?
防衛本能の問題 (スコア:2, すばらしい洞察)
現在身を守らねばならない状態と感じるかどうかについては各個人の認識の問題ではある。しかしこの認識はTVやラジオや新聞からも作られる筈で、たとえばある国の悪い点を延々と放送して「攻めて来るかも知れないからやられる前にやらなければならない」というようなことが宣伝されていた場合、それを見聞きして信用してしまった人はある国に対してはとても暴力的になるのではないか? つまり、防衛本能を刺激するような内容が伝えられてその内容を信用した場合にスイッチが入るかも知れないということ。内容が暴力的かどうかは関係ないのではないか?
(´д`;)
Re:防衛本能の問題 (スコア:3, すばらしい洞察)
身ではなく「誇り」とやらが防衛の対象となった瞬間に、話は混迷するようです(ぉ
なにせ、何を誇りと思うかは人それぞれですから。
なんかトンデモないものに誇りを適用する人が出現した瞬間に、アレです。
Re:防衛本能の問題 (スコア:1)
なんで?
なんか不都合でも?(藁
暴力と接続するか否かという点に(今回は)閾値を置く、という価値観(=誇り(ぷ))で考えると、
たのしーねー
ということですわ。はい。
#すまん。あのネタまだ覚えていたわ。>> でもお名前は忘れた。誰だっけこないだのかた? いや別に教えて頂かなくてもいいけどさ。
Re:防衛本能の問題 (スコア:1)
>それこそ人それぞれではないのか。
では「任意の誰か」が誇りの対象としたものを貴方は常に肯定するわけ?
それは余りにつらい人生だと思うよー。
そういう考え方を肯定する宗教に自分が属する自由は有るが、属さない自由も人それぞれに有るしね。
それにそもそも、貴方の2人の友人の誇りの対象が完全に競合したら、貴方はどうする?
どうしようもなく(「行動しない」ことも出来なく)なるじゃん?
トンデモである(それどころか他人に有害かも知れない)ものを誇りの対象にする「人」が
いる可能性は常に結構あるわけです。自由度が高すぎる。
その辺は、健康とか生命とかとは一緒にならないと思うが、どうでしょうね。
それとも健康や生命を可能な限り常に重んじる価値観すら、トンデモに分類することが可能になるんでしょうか?
Re:防衛本能の問題 (スコア:1)
>肯定するわけではないと思うなあ。尊重するんでしょう。
どうやって、肯定せずに尊重するんでしょう?
発言という行為を尊重するのは、そりゃいいでしょう。言論の自由を尊重しているだけだから。
でも、その尊重の対象物については、話は別でしょ。
「あなたの意見には反対だ。でもあなたの発言権は全力で守る」とかいう諺(?)が有りますが、
あれは、発言の対象は肯定(尊重も)していないはずですよね。発言権は尊重(肯定も)していますが。
発言そのものと、その対象と、がごっちゃになっていませんか?
Re:防衛本能の問題 (スコア:1)
ええ、それが民族浄化にまで発展したユーゴの泥沼の戦争の原因だとされています。(選挙に勝つために民族主義を煽り、以前は共和国を形成していた国を悪者にした) まあ、それを言ったら湾岸戦争における「油まみれの鳥」のヤラセ写真疑惑なんかもありますが。
学者って、視野が狭いね (スコア:2, すばらしい洞察)
虫なんかだと、自分がバラバラにした虫が目の前に残るけど、ゲームなら
電源を切ることできれいに行為の結果そのものを消せる。
欲求そのものを満たすことに注目すれば、それでいいかもしれないが、
その後の教育効果はゼロ。
むしろ、欲求がたまったら、バーチャルでも何でもいいから、何かを
たたき潰せば解消される、という中毒患者のような人間を作り出して
しまう恐れの方が大きい。
「自分が殺したり壊してしまったものは元には戻らない」ということを
教え、我慢することも覚えさせるのが最終的に有益だろう。
ところで、子供にもどんどん料理を作らせるといいんじゃないか?
と最近感じている。
鯵の「たたき」なんか作ろうとすると、うろこ(?)を取り、
頭を落し、腹を裂いて内蔵を出すわけだが、ここまでやると
まな板の上は血だらけで、まさしくスプラッター。
その後の3枚におろしてたたくところを含め、結構欲求不満解消にはなる。
# これで血の味を覚えると逆効果だが
Re:学者って、視野が狭いね (スコア:1)
ただし現状、ビデオゲームでは触覚は得られないし匂いも得られないし、それは(ゲーム制作の)アーティストの介在した特殊な関係であります。だから、特定の角度からしか見れないかもしれないし、現在のPSのデュアルショックでもある制約の中で実現されたリアクションであるので、それはアーティストの特殊な創造性を発揮しているとも言えると思います。
さて、もちろん将来触覚もあらゆる角度からも見られるゲームというのは、ありえると思いますがそれは、ただゲームの中で虫を解体するだけなら、それはすでにゲームとは言えないことに注意しましょう。ビデオゲームとして、存在するにはなんらかの「エンターテイメント」と(アーティスト)の介在が絶対条件だと思うのです。
「自分が殺したり壊してしまったものは元には戻らないということを教え、我慢することも覚えさせるのが」というのは、やはり教育や親を含めた、子供に対する温かい社会環境によってなされるものだと思うのです。それを「エンターテイメント」に求めると、「エンターテイメント」自体の意味がなくなる気がします‥。(勿論、「教育」という趣旨で作られたビデオゲームというのもあれば、面白いと思うけれど。)
#コメントは、もししてくださるなら建設的な意見を宜しく。
#ただ、闇雲な「批判」・「中傷」とかはカンベン‥(苦笑)。
当たり前だけど (スコア:1)
でも、ゲームに溺れすぎて弱い者いじめをする時間すら忘れてしまうという点ではいくらかの擁護は可能でしょう。要するに性格そのものはたいして変わらないが、時間と体力を無害な方面に誘導して無駄に消耗させておけば、昔からあるスポーツとなんら変わらないわけです。
他力本願。
われわれは既に暴力的ゲームに参加している (スコア:1, すばらしい洞察)
教育・・・ねぇ・・・ (スコア:1)
非理性的な暴力しか残らなかった。
と。
-//-
衝動と行為とは別 (スコア:1)
暴力的な衝動と暴力とは別だろう。例えが下品だけど、ちょうど性的な衝動と強姦が別であるように。どうも元記事はそれをごっちゃにしているような気がする。
正直言って、ゲームが暴力的な衝動を増やそうが減らそうがどっちでも良い。暴力的な衝動なんて誰でも覚えるものだし、適切な発散手段もいっぱいあるし、だいたいゲームなんかより大きな原因がそこら中にある。
現実的な問題は、子供が性的な衝動を覚えるかどうかじゃなく、強姦をするようになるかどうかだ。つまり衝動に任せて行動すると結局不利益になると言う分別がつくかどうか。
と考えると暴力的なゲームによって分別がつくとは思えないのだがどうか。暴力が前提になっている世界で、暴力をふるうと得点になるんだから。
なんだかなぁ (スコア:1, 興味深い)
子供の頃にその手の暴力的な何かを一切やらずに、怒られることもなく成長してから暴力的なゲームにはまっちゃった人間とさ
どっちが怖い?って聴かれたら後者です。
子供なんて多かれ少なかれ暴力的なもんだと思いますよ、それで
親にしかられてそれが悪いって思い始めるんだと思う。
そのあたりを度外視して、ゲームは悪影響だとかそうでないとか
そういう議論になっちゃう所に恐怖すら覚えます。
問題はそんな所なのか。
ビデオゲームと「暴力性」 (スコア:1)
もともと、どんなビデオゲームも本質は暴力的な訳で、「リアリティー」により影響する云々っていう言説は、科学的根拠を云々する以前に、「リアリティーが、増せばますほどゲームっていうものは面白くなる」と思っている○ル・ゲイツさんみたいに滑稽な視線のような感じがします。
ニ文法というのは、一方の見方を「特権化」して一方を「隔離・摘発」する働きがあるのでは、ないかと思っています。(ここでは、「暴力的でない(子供向け)ゲーム」に対し「暴力表現の激しいゲーム」とか)
元々、ビデオゲームは暴力的な訳で、「二つ」に分けてで議論するというのは、なんかなーと思いますしねー。別に、暴力って一概に悪いものではないし、そこにある美学とかもあると思いますし。それ自体も、「エンターテイメント」や「芸術」として成り立つような気がします。
ゲーマーとしての感触としては、ゲームの中で得られる「暴力としてのエンターテイメント」と現実で行われる「暴力」って別物な感じがします。ある「エンターテイメント」っていう前提があって、ビデオゲームの「暴力性」は、成り立っている訳ですよね。
ただ、単に現実にヒトを殴っても「スコア」に繋がらないことなんて、判ってて彼らはビデオゲームをしている訳だし、もともとビデオゲームについての現実認識というのは、逆にある程度確立されてないとビデオゲームを楽しむことが難しい気もします。
やっぱり、社会生活でどう振舞うかっていうのは、教育とか多面的な社会背景とか別にしてみることのがよっぽど重要ではないかと思ったりする訳です。
Re:ビデオゲームと「暴力性」 (スコア:1)
うーん。「どこでもいっしょ」は、別に革新的な感じはないけれど新しいゲームの分野なのでしょうかねー、皆さんの鋭い洞察を待ちます(笑)。
音ゲー系もある種のCPUとの対戦ですからそこあたりが、「暴力的」と言えば、そんな気がします。そういったところは、昔のテニスゲームから脈絡と受け継いできたものと言えるカモ。
「どこでも~」は、ある種双方向のリアクションがあるんだけど、それに「映画を観ること」のような側面をプラスしたビデオゲームなのではないかと‥。
そんなゲームは、最近増えているような気がして、それについてはまた別な洞察が必要な気がしますねー。例えば、小説を読むようなサウンドノベルや映画的なゲームですよね。
それの元となるものは、映画や小説を「エンターテイメント」として捉えると、どういうことになるのかという洞察が必要な気がして、またそれについては私はまだ考えが開けていないので、またいろいろ考えてみたいと思います(^^)。
Re:ビデオゲームと「暴力性」 (スコア:1)
そういう論法だと、しりとりや早口言葉も「暴力的」と言えば、そんな気がします。
将棋や囲碁も擬似戦争という意味で暴力的。
スポーツや鬼ごっこのような競争的な遊びも暴力的。
「遊び」全般に当てはまってしまうので、コンピュータゲームに限定する理由はどこにもないですね。
うじゃうじゃ
逆は? (スコア:0)
難易度が高くてそうなってしまう場合とか、そのはけ口は…
ゲーセンの格闘ゲームコーナーのリアルファイトみたいなことに?
Re:T―1 (スコア:1)
堺正章&ヒロミの乱入も可。
#教授陣より奥様方に与える影響力は大きいに違いない。
Re:T―1 (スコア:1)
Re:こういうもんってさ (スコア:2, 参考になる)
ええ。子供は、生まれて持った性格だけで全てが決まるのではなく、親や周囲の環境により、暴力的に育てる事も出来るし、優しさをもった子供に育てる事もできると思います。