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9733 story

イランでブロガーに14年の懲役刑 137

ストーリー by Oliver
それで情報が封鎖できると思っているのか 部門より

oddmake 曰く、 "国境無き記者団アナウンスによると、記者でブロガーのArash Sigarchiがイランの革命裁判所で14年の懲役刑を受けたそうである。 外国との通諜やスパイ活動の容疑を受けてのこととされているが、実際には言論の自由をブログ等で行使したことが理由であり、イランの目的はブログを含めた言論の自由を抑圧することにあるとして、国境無き記者団は強く反発している。 言論の自由のために、一刻も早くArash Sigarchiが自由の身となることを願ってやみません。"

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • by Artane. (1042) on 2005年02月27日 8時57分 (#700302) ホームページ 日記
    イランは腐敗したパーレビ国王をイスラム原理主義勢力が革命で倒し、その後ホメイニ師が死去してから、

    イスラム原理主義に忠実に物事を進める原理主義派とイスラム法を生かしながら西側の価値観にある程度寛容にしようとする改革派の間で主導権争いがあり、この人はその政争の生贄にされた部分があるのでしょうが、

    イスラエルの核脅威に対抗して核武装を準備している事やイスラム原理主義勢力がいることを邪魔に思うアメリカがイラン攻撃を計画している現状では、彼の逮捕がアメリカのイラン攻撃の口実の一つにされる可能性が高いと思います。

    言論の自由(イラクでの状況を考えるとイスラム世界での彼らの価値観に基づく言論の自由も保証されないといけないと思う)云々以前に、イスラム原理主義勢力はいかにもまずいタイミングでやらかした…と思うのですが。
    • by G7 (3009) on 2005年02月27日 10時31分 (#700332)
      >彼の逮捕がアメリカのイラン攻撃の口実の一つにされる可能性が高いと思います。

      史上初の、Blogが発端となる戦争?
      親コメント
  • by zad (23480) on 2005年02月27日 8時20分 (#700296)
    圧力で言論の自由を奪うのも賛成ではありませんが
    自由という名のもとに何でも言って良いかというと
    そうでもないと思います。
    その線引きってだれでも同じ訳ではないから難しいですね。
    特に国や時代によって大きくちがう事も多いのでさらに難しい。

    /.の書き込み一つでも一部の国やある時代では問題になるかもしれない。

    この発言は問題ないですよね?今の日本では
    • Re:どこまで自由? (スコア:5, すばらしい洞察)

      by clavicle (10109) <masakunNO@SPAMfoneticode.org> on 2005年02月27日 9時35分 (#700313) 日記

      私は、いまの日本という時代性・地域性を越えて、あなたの発言は問題があると思います。
      J.S.ミルは『自由について』(http://page.freett.com) [freett.com]の第2章において、私たちの理性の及ぶ範囲が相対的であることを根拠として、言論の自由は無制限にみとめるべきであり、制限を掛けることはできないと考えています。

      以下私なりの解釈:

      たとえ誤っている言論であっても、それが誤っているという点において議論を正しい方向性に向ける価値があるから、言論の自由は制限されるべきではありません。
      「誤っている」という条件で、ある意見を発表することを規制するとき、その意見が「誤っている」という条件を満たすかどうかの判断には、私たちの判断力には限界があるために恣意性が入り込む可能性があります。
      そして恣意性を含む条件は容易く「clavicleは不逞の輩だから」といった言論そのものとは離れたものに変わり、圧制を支える道具となり得る可能性を持っています。
      まとめると、言論の自由になんらかの制限を設けることは、私たちの判断力の限界によって、結果的に圧制を支える危険性と不可分です。ゆえに言論の自由は無制限に認められる必要があります。
      あなたは「線引きが難しい」といいますが、まさにその線引きの難しさ(判断力の限界)を理由に、無制限の言論の自由はみとめられるべきであると私は考えます。

      『自由について』では、言論の自由を、幸福な市民社会を成立させるための手段として捉えているのだと私は解釈します。こう捉えることで、重苦しい権利/義務の議論から離れて、言論の自由を価値を作り出すプロセスとして擁護することができると考えます。
      まあ、そのプロセスを何も無いところから、それもかつて無い規模の人間たちの間で、つくり上げる方法がなかなか見つからないわけですが…
      要するに「言論の自由が制限されるのはとても危険なことなんだ」といいたいのですが、うまく考えを言葉にまとめられません。ミルの解釈も含めて、ツッコミ希望。

      親コメント
      • by Anonymous Coward on 2005年02月27日 16時40分 (#700458)
        日本国憲法より:
        第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
        2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

        というわけで、言論(表現)の自由は、無制限に認められることになっています。ただ、表現するのは無制限に自由だけど、その後どうなっても知らんよ、という面もあります。

        つまり、検閲は禁じられているわけですので、どんな言論であっても(たとえプライバシーを侵害するような内容であっても、卑猥な内容であっても、おどしであっても)、いちどは日の目を見る機会があります。これが言論の自由であって、一方で、言った後に逮捕されたりしないことは保障されていません。

        「こういう言論はいけない(ので事前に検閲でふたをしてしまおう)」と前もって決めてしまうことができれば、一見、すごく便利なことかもしれません。たとえば、プライバシーにかかわることについては事前の検閲をOKとする、とか。

        しかし、仮に検閲を導入したとして、検閲がその理念(例:プライバシーは最重要だ)の通りに行われているかどうかをチェックすることが原理的にできなくなってしまう、という問題点と、もうひとつ、その理念そのものが正しいかどうかを議論する機会さえ失われてしまうという問題点があります。

        たとえいま、「この理念については、もはや議論の価値がない」というほどに強い合意が、国民全員で得られたとしても、将来誰かが新しい理由付けを考え出して「やっぱり違うんじゃないか」と言い出し、そっちのほうが正しそうだ、ということになる可能性を否定することはできませんし。

        つまり、事前の検閲はどんな場合でもやっちゃいけない、といえます。

        一方で、言った後のことですが、言論の自由を制限する法律がいっぱいあって、言った後に有罪になってしまう場合もあります。たとえば殺人を予告したりとか、公衆の面前で卑猥な表現をしたりとか。こういう場合でさえも、理念としては表現の自由は守られるべきだと思います。もし、現行の法律に照らせば有罪だけど実は有益な言論というものがあったとしたら、たとえ発言者が逮捕されたり有罪になったとしても、その言論はすでに日の目を見て国民の知るところとなっているわけで、法律のほうがおかしいので法律を変えよう、というふうに国民が思うかもしれません。

        うまくまとまらないですが、けっきょく、憲法も法律も自分の意見も、もしかしたら間違っているかもしれないから、その場合に自由な議論を通じて修正されうる可能性を残しておく、というのが言論の自由の意図だと思っています。

        親コメント
      • by G7 (3009) on 2005年02月27日 10時28分 (#700331)
        >たとえ誤っている言論であっても、それが誤っているという点において議論を正しい方向性に向ける価値があるから、言論の自由は
        >制限されるべきではありません。

        ちなみに、この(おそらく正しい)主張に「反する」存在であり、
        しかも「完全に塞いでしまうわけじゃなく、ちょっと見えにくくするだけだから、legalだよね」
        という詭弁をもって逃げているのが、
        スラドのモデレーションね。
        親コメント
      • つまり1足す1が2であるように、 すべての言論は自由であるべきだ、ということですね?
        親コメント
      • by Technical Type (3408) on 2005年02月27日 11時39分 (#700357)
        > 言論の自由は無制限にみとめるべきであり

        他人に危害を与える事を意図した言動でも許されるべきだという事?

        例えば、中学校を名指しして生徒を殺すなどと予告した学生が23日に宮城県警に逮捕されたが、あなたは「言論の自由は無制限にみとめるべきだ」と警察前でデモを行うべきだと考えるわけですか?

        親コメント
      • by baby_face (5007) on 2005年02月27日 13時00分 (#700391)
        親コメント以下では、「言論」の定義がきちんとされてないように
        思います。言論の自由は守られるべきだと思いますが、「言論」と
        呼べるようなものでは無いものを引合にだして、「言論の自由」に
        ついて議論しようとするのはいかがなものでしょうか。
        親コメント
        • Re:どこまで自由? (スコア:1, すばらしい洞察)

          by Anonymous Coward on 2005年02月27日 16時09分 (#700449)
          ある発言が「言論」と呼べるようなものかどうかを、独裁的ではない
          方法で決定するためにも、言論の自由が必要です。
          親コメント
        • by Technical Type (3408) on 2005年02月27日 16時16分 (#700452)
          > 言論」と呼べるようなものでは無いものを引合にだして、 >「言論の自由」について議論しようとするのはいかがなもの

          違うね。親コメントの投稿者が、ミルの「自由論」をきちんと理解もせずに引用し、間違った類推をして意見を述べているから、たった一つの反例を上げられただけで主張が木っ端微塵になる、というだけの事。

          親コメント
    • by Anonymous Coward on 2005年02月27日 8時55分 (#700301)
      自由という名のもとに何でも言って良いかというと
      そうでもないと思います。

      こうやって書き手側に自由に書くことに対する自己抑制を起こさせることが、この手の規制の目的の一つなんですよ。きっと

      親コメント
      • by Anonymous Coward
        書き手は「自由」というものについて自覚的であるべきだとは思います。まあこの場合、否応なしに自覚せざるを得ない環境にありますが。

        それにしても、こういうのを見ると日本の「げんろんのじゆう」とそれを唱える人達ってヌルイなあとつくづく思わされますね。
        • by y.shimada (14935) on 2005年02月27日 22時08分 (#700565)
          ここにくっつけていいか迷うんですが、
          何かしら大きな力が、言論の自由を奪おうとするとき
          ネットワーカーってどこまで自由でいられるのかな。
          本来ネットって、もっと自由であっていいはずなんで
          無茶苦茶や混沌もありだったはずじゃ。
          ニュースグループを初めて購読したとき、吃驚した
          記憶が、そのあとすぐにHDDフォーマットされちゃっ
          たけど(笑)
          で、ここで本来語り合いたいのは、どうすれば当局の
          目を逃れてネットワーク上で自由でいられるかです。

          ##Free-net が本来この機能だったんですよね。
          ##今はファイル交換でしか機能してないように思うけど。
          親コメント
          • by y.shimada (14935) on 2005年02月27日 22時36分 (#700572)
            わぁ もう一個追加

            とにかく 相手の意見を潰すのは非常に快感。こんな気持ちいいこと
            ないですよね。こう執拗にせめて、引いて、相手の裏をかいたり、
            あげ足とったり。時間なんか気にせず、一日中いや。一年中でもやって
            いたい。逆に相手に自分の意見を潰されるのは、もう最悪。
            生まれてきた事を公開する。
            昨日まで仲間だと思ってたやつが急に寝返って相手方についたり
            流れが変わって、自分対あと全員みたいな。これもう最悪。

            そういうあなたと私がいる限り 「言論の自由」という言葉はあって
            も「言論の弾圧」はなくならないなぁ。
            親コメント
    • by GruenerSalon (25255) on 2005年02月27日 17時12分 (#700466)

      自由とは、まず第一に、権力への不服従の自由。
      権力者の気に入らないことを言う自由、気に入らないことをする自由。
      これを認めない社会に自由なし。
      今回の件は、「言論の自由」について論争するほどの微妙なネタじゃないのでは?

      親コメント
    • by uwi (19430) on 2005年02月28日 13時04分 (#700860) 日記
      自由: 私は私の思っていることを表現できる。
      不自由: 私は私の思っていることしか表現できない。
      親コメント
  • by Anonymous Coward on 2005年02月27日 9時46分 (#700317)
    これが通ると日本でもやばいぞ!
    特定の団体による恣意的な運用が既に危惧されている。

    http://hobby.2log.net/zk1/archives/blog772.html
    http://www.nikaidou.com/column01.html
  • 原文参照 (スコア:1, 興味深い)

    by Anonymous Coward on 2005年02月27日 12時51分 (#700388)
    特許の話題でも、原文読んでから話題に加わらないと全くとんでもない方向の書き込みに
    なるというのは過去事例から明らかだが、この話題の原文ってのはどこかいな?(2つの意味で)
    • by Filler (16734) on 2005年03月01日 11時00分 (#701231) 日記
      その通りだと思います。
      >>外国との通諜やスパイ活動
      によって懲役刑とあるけれど、判決文はおろか、被告がBlogで何を書いたのかすら判らない。
      「書いた内容によってそれなりの責任を負わされる」ということと「表現の自由」は両立しますので書いた内容が判らなければイラン政府が言論弾圧をしているのか判定できません。
      タレコミ文を見た印象ではイラン政府は黒ですが、タレコミ文を鵜呑みにするのも危険かと。
      親コメント
  • by Anonymous Coward on 2005年02月27日 17時45分 (#700474)
    こういう話題になるといつもある種の流れが出てきて、読んでいて暗澹とした気持ちになる。

    その暗い気持ちの中で、なんとか自分をどこかにつなぎとめておくために、ない知恵をしぼって考えてみた。
    そうしないと流されて溺れてしまいそうだった、ということもある。

    考えて、そして思ったこと。
    “言論の自由”という看板を嫌う人たちっていうのは、つまるところ、言論の自由をさほど必要としていない人たちなんだな、と思った。
    おそらく、マイノリティ性も弱者性もほとんど持ちあわせていない人たちは、そんなもの必要としなくてもとくに差し障りもなく生きていけるわけで、そういう世界で生きている人たちにとっては、いわゆるサヨ系というのか、こうした雰囲気の物言いは、きっとものすごく胡散臭く見えるのだろうな。
    日本に住む日本人であり、男性であり、ある程度マトモな家庭に育っていて、大卒程度以上の教育を受けていて、いわゆる障害者でなくて、とりたてて不運に見舞われたことはなく、…と、いくつかの緩い条件さえクリアできれば、そうした層に属することになるのだろう。
    社会構成比的に見ても、きっと最大多数層なんだろうな (ていうか、少数派だったらすなわち“マイノリティ”なわけで、上記の論法でいけば当然感性も違ってくる理屈)。

    私は避けることのできないマイノリティ性・弱者性を最初から背負っていて、ずっとそうした世界で生きてきた人間なので、だから彼らの書き込みを見ると暗澹とした気持ちになるのだろうな。

    立場の違いに由来するこの大きな深い溝は、そう簡単には越えられないような気もする。
    でも、相互理解をはなから諦めながら行くというのは、苦しいし、なにかと非建設的なことだ。
    どうしたらいいのだろう。世の中は難しいな、という結論しか結局出せなかった。
    • >“言論の自由”という看板を嫌う人たちっていうのは、つまるところ、言論の自由をさほど必要としていない人たちなんだな、と思った。

      今現在の日本において、“言論の自由”という看板をかかげて活動している連中が嫌いなだけでしょう
      あれは、言論の自由というものを廃止させようとしている人間の、運動なんじゃないかと思えてくる
      親コメント
    • 「人権」なんてのは一部の国だけで話題に上る物であって、旧共産圏もそうだったが、イランを始め、ほとんどの中東諸国には、そもそも人権などという物は無いだろう。少なくとも、エジプトには無かった。また、人命の重さも非常に軽い。反体制のレッテルを貼られれば、即処刑というのもよくある事で、イランでは茶番とは言え、裁判やっただけマシな部類に思える。あそこは公平には程遠いが、一応、選挙もあるしね。

      どこの国に生まれるかというのは選べる物では無い。たとえば、たまたま北朝鮮に生まれたとしよう。金正日書記を公の場で批判しない奴はバカだとか、外国から見ればそう感じるかもしれないが、私は、もし外国のマスコミを見かけたら、その記者に駆け寄って「金正日打倒! これが北朝鮮市民の本音だ」と語る市民が居たら、確かに勇気はあると思うが、自殺行為であるから、結果的には愚かな行為だと思う。

      イランでは保守派が実権を握っていて、Blog などで公に政府を批判する事は実質的に許されない状況のようだから(ソ連にも言論の自由は、憲法上はあった。実際には自由な言論などはできなかったが) 今回の懲役14年というのは、外国からすれば「不当」だが、イランの人間からすれば「予想の範囲」だろう。

      せっかくインターネットを使うなら、暗号通信などして、海外のサーバーで Web 公開とか、もうちょっと「穏当」な方法は無かったのかな、とは思うのだが。まあ、彼が判断した結果だ。

      イランでももう少し政府批判とかが許された方がいいかなとは思うし、海外から民主化の圧力をかけるのも一案だとは思うけれど、権力を握っている層はそんな物は何とも思わないだろうし (そんな事をして効果があると思うのは、「人権」という物がそれなりにある国の人間だけだろう) 自分の立場が危うくなる恐れのある運動は、有無を言わさず抹殺する物だ。

      とはいえ、イランは、日本同様の主権国家であり、形の上では選挙で選ばれた政府になっている。そこの裁判所の判断を外国が頭から批判するのは国家主権の侵害とも考えられる。日本だって、海外からの難民を収容所に留置しては国際的な人権団体から批判を浴びているが、それでも難民認定をなかなかしない事で有名だ。自分の国の人権侵害も改善できないくせに、外国の人権侵害は声高に叫ぶのはどうかと思う、

      またイランと言えば、アメリカから悪の枢軸と名指しされており、当然アメリカは政府転覆を狙っている。すると、イラクのように、民主国家を樹立するためという大義名分で戦争をする事が許されるのかという疑問も生じる。しかし、アグレイブの刑務所で起きた事は、戦争してまでもたらしたその「アメリカの民主主義」とやらが、いかにお粗末な物だったかを露呈しただけだった。

      結局、自分の国の人権侵害も正せないのに他の主権国家だけ悪くいうのはどういう物かなっていう考えと、イラン政権転覆を狙う勢力のプロパガンダには警戒しないといけないいという思い、「人権」なんてものが存在しない国の人間がどうやって国を良くしていけるのかという厳しい現実を無視した夢想的な理想論を唱える連中に同調しても無益だという考えもあって、イラク戦争でも思った事だが、やっぱりイランを良くするにはイランの人間に任せる方が一番だと思った。応援とか、支援はできるかもしれないが、しょせんはパソコンを前にキーボードを叩くのが個人レベルでは関の山だ。今のイランで実権を握っている保守派に向かって「人権」だの「言論の自由」を海外から叫ぶのは無益だと思う。(後でそれが戦争を始める口実に使われたら、結果的に開戦に荷担した事になる。そうすれば多くの無関係の市民の人命が失われるだろう。それは最大の人権侵害だ) もうちょっとうまいアイディアは無いかな。

      親コメント
      • >せっかくインターネットを使うなら、暗号通信などして、海外のサーバーで Web 公開とか、
        >もうちょっと「穏当」な方法は無かったのかな、とは思うのだが。まあ、彼が判断した結果だ。

        なんか全然「穏当」じゃない気がする(却って強烈なような...)んだけど、それはさておき、

        そういや法律で、ある種の(ある一定以上の強度の、だっけか)暗号技術の使用を禁じてる国も
        あるんだったよね。
        #ああ。たしか米なんとかっていう国だっけか(^^;

        イランがどうなのかは知らないけど、
        暗号で飛ばした時点で既に御縄、という恐れも、
        国によっては有るわけだ...

        そういう意味で、「彼」に選択の自由が有ったかどうか...は、俺はよく知りません(^^;
        親コメント
        • > ある種の(ある一定以上の強度の、だっけか)暗号技術の使用を禁じてる国もあるんだったよね。

          CRYPTOGRAPHY AND LIBERTY の AN INTERNATIONAL SURVEY OF ENCRYPTION POLICY によれば、イランは UNKNOWN [gilc.org] との事です。

          2003.6.4 の情報ですが、イランのサイバー革命 [honco.jp]という記事は非常に参考になります。結局、暗号以前というか、サイバーカフェも閉鎖を命じられる有様なようですね。中東では、むしろインターネットが自由に使える国のほうが少ないと思いましたが。イスラムの戒律でポルノとかにも厳しいですから。(パレスチナ自治区ではプロバイダ自体にフィルターが入っていたっけ)

          あんまり体制寄りの事を言いたくはないけど、日本みたいに比較的平和な国だと、暗号化を取り締まられると、IT家電やPCの輸出で支障が出るので暗号化の規制は迷惑なだけと思うけど、不安定な国で、テロや内戦という厳しい現実があって、反体制ゲリラが現実にラップトップPCとアマチュア用のハンディートランシーバーで、暗号メールで攻撃作戦の指示を受けたり、戦果を本部に連絡したり、自分の主義・主張を載せての「情報戦」までやってのける事もあるようだから、「これでは規制もしたくなるだろうな」というのも理解できる。

          言論の自由があるとか、暗号を自由に使えるのって、比較的政情が安定していて、うまくいっている国だけの、いわば「贅沢」なんでしょうかね。治安が悪くて、政権がコロコロ変わっているような国だと、そんな余裕は無いです。もっとも、「先進国」でも余裕が無くなって来ると、例えばアメリカで徴兵制度が復活 [moe-nifty.com]とか、本性を剥き出しにしますけどね。

          ただし、日本でもアメリカでも、「反体制的」と見なされる立場の運動をしている人には、現在でも「自由」なんて物は実際には無いと感じていると思います。公の政党である共産党本部は公安がビデオで盗撮していたし、反原発のデモに参加していたら機動隊員に一方的に殴られたとか、あるようです。ただ、そういう運動に関わっていない人は日本は自由があるように見えます。それは中東諸国でも、旧共産圏でも、政府のやる事に文句を言ったりせず、フツーに暮らしている分には、意味も無く逮捕とかはされないのと同じです。

          結局、「言論の自由」は程度の問題に過ぎず、どこの国も問題がありますね。アメリカもマッカーシー旋風とかありましたが、ここ日本の最近の所でも、 住基ネット侵入実験のプレゼンが総務省に中止させられた [itmedia.co.jp]とか、裏金作りの実態を告発した警官が報復人事を受けた [tokyo-np.co.jp]とか、ありますが、どうしたらもっと自由な国になりますでしょうかね? そして、さらに厳しいイランではどうしたら、という事ですかね。

          親コメント
    • 「ある種の流れ」も言論の自由の内の一つですから仕方なし。
      /.を見て悲観していてもしょうがないでしょ。

      日本には受け入れる体制は整っていないのですが
      経済的に豊かなので亡命してくる人が多くいます。
      そんな人達が講演やセミナーをやっていますので
      そちらへ行ってみたらどうですか?
      言論の自由以前に、家族や隣人の命を守るために銃を取った人や
      彼らを応援している日本人が大勢いますよ。
      --
      if the kid?
      親コメント
  • え~と、この手の話は苦手なので詳しいコメントは出来ませんが。代わりに:
    ----
    Is Democracy Working? [fukuoka2006.com]

    Call for paper: until March 31st 2005, you are invited to submit your proposition of paper [fukuoka2006.com] via the electronic form available on this website.

    ----
    職員室でこんな会議のフライヤーを貰ったので。私の学校からも先生が参加するらしいです。

    自信がある方は、応募してみてはいかがでしょうか。来年は向こうに戻っているので見に行きます。

    #私は書類を整理整頓するくらいなら出来ますが、スキルもアイディアも無いので、応募も出来ません。
    #これは宣伝ではありません。個人的な投稿です。
    #会議主催者とは一切関係の無い個人的な意見です。
    #政治的な意図は一切ありません。
typodupeerror

吾輩はリファレンスである。名前はまだ無い -- perlの中の人

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