塾は禁止? 279
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予備校とかも廃止ですか? 部門より
予備校とかも廃止ですか? 部門より
朝日新聞の記事によると、政府の教育再生会議の野依良治座長(ノーベル化学賞受賞者)が、 8日に開催した同会議の「規範意識・家族・地域教育再生分科会」で、「塾の禁止」を主張していたことが同会議の議事要旨(PDF)で明らかになった。
それによると「できない子が行くのは良いが、普通以上の子供は塾禁止すべき。公教育を再生させる代わりに塾禁止とする」
と再三にわたって強調している模様。 教育再生会議の場で、できる、できないという区別をするのもどうかとは思うのですが、 「昔できたことがなぜ今できないのか。我々は塾に行かずにやってきた。塾の商業政策に乗っているのではないか」とコメントしていることから、自身の体験に重ねて古き良き時代への回帰を強く願っているようにも思われます。
スラドの皆さんにも塾に通っていた人は多いのでは無いかと思いますが、特にお子さんをお持ちの方、どのように思われますか?
都会だと違うだろうけど (スコア:5, 参考になる)
おらが集落の神童がその高校へと進学していき、あわよくば東大それが無理でも旧帝大へ、みたいな教育システムになってます。
で、そんな地方ではろくな塾なんかあるはずも無く、家庭教師だって地元の駅弁大学の学生のバイトだから東大京大だの旧帝大だのへの
受験指導なんかどだい無理な話で、結局その県立高校の授業と教科書と若干の参考書が受験勉強のすべて、ということになるわけで。
そんな教育環境にあっても、その高校は毎年なんとか2桁の学生を東大に送り、その土地から一番近い旧帝大へもウン十人と送り出していた、
となると正直塾なんか無くてもいいだろ、どうせ「勉強した気になるために」とか「友達とのコミュニケーション」とかが目的で通うのだろうから、
と思うことはあります。それがひどくなると「今日は灘高犯したぜ 明日は開成掘ってやる」的なよく分からんコンプレックスになったりならなかったり。
だかしかし。そのシステムは、朝や放課後、長期休暇中の補修、緻密な問題研究や受験指導といったお給金にならない県立高校の教師の努力と、
授業や受験の優れたノウハウをもった名物教師をなるべく他へと転属させない、という教育委員会のある意味柔軟な人事制度の運用、
そして生徒自体のやる気や努力とか保護者の協力等々といった有形無形の労力や犠牲の元に成り立っているのもまた事実で、
そういった受験指導をより専門化し、かつそれらのコストを積み上げて月謝という目に見える形にしたのが塾なのだ、と考えるとなあ。
Re:都会だと違うだろうけど (スコア:5, すばらしい洞察)
やはり、その地方の公立高校が優れているからだと思います。
私は、教育に一番必要なのは、指導者や本人の能力ではなく、周りの学生が皆
勉強する努力をしているという環境だと思います。
周りが勉強してれば、自然と勉強するようになるものです。
皆さんがアレゲな大人になったのは、周りがアレゲだったからじゃないですか?
都会では塾がそういった場であり、地方では公立校の一部がそういう場なのでしょう。
また、「昔できたことがなぜ今できないのか」なんて言ってしまうのは、
勉強しない子供は、そもそも高校まで進学しなかった時代に育ったからではないでしょうか。
Re:都会だと違うだろうけど (スコア:2, すばらしい洞察)
んー,でも,公定教科書って割とよく出来てると思うんですよ.
自分のものしか知らないので10年ぐらい前の理系しかわかりませんが,あの内容を
ちゃんと理解するだけで普通の国公立大学や早慶あたりに入るぐらいなら別に問題
ないわけで.
さすがに現象の詳細等を知ろうと思うと図書館なり何なりでちょっと専門的な
書籍をあたる必要があるとは思いますが.
塾なんて託児所代わり、親の手抜きの隠れ蓑です (スコア:5, すばらしい洞察)
そのあたりから学習塾や習い事にでも行ってくれると助かります。
同じ意味で、テレビを見せておくとか、テレビゲームをやらせておくというのは
子育ての手間がとっても省ける、親にとってありがたーいことです。
あんまり手間を省くと、家庭としても社会としても、とんでもない報いを受けるかも
知れません。現にとんでもない報いを受けているのかも知れません。
勉強という点では、ぜんぜん塾に行かなくても、公立小と公立中に通っても、
親がきちんと勉強の面倒を見るだけで、大概の大学には入ってしまえるものです。
家庭にそういう文化が伝承されているかどうか、です。
禁塾令 (スコア:4, すばらしい洞察)
学生達が文化祭に映画を作成、その内容が、未来に学習塾が禁止されたという、いわば劇中劇。
受験戦争は加熱、禁酒法の下でのヤミ酒場のように密かに運営する塾、コソコソとそこに通う学生、そして摘発する警察、捕まる学生…。そんな内容だったと記憶しています。
まぁ、本当に「禁塾令」が施行されるとは思えないけど、仮に禁止されたとしても、ヤミとまでは言わなくてもうまく法から逃れる教育機関が現れる事でしょうね。今なら通わなくてもネットで受講とか。
しかし、「できない子が行くのは良いが、普通以上の子供は塾禁止すべき。」って、なんだそりゃ。
これだと学校のテストで故意に低い点を取る人が出て来ることでしょう。できない子は学校のテストでできるだけ頑張らないようにするでしょう。それこそ学校教育の崩壊じゃないか。
「教育再生会議」自体が茶番劇 (スコア:4, すばらしい洞察)
だそうな。
どうやら教育再生会議というのは、会議として当たり前のことさえ出来ていないようだ。
単にエライさんたちが集まって言いたい放題言っているだけみたい。
だから「30人31脚」とか「演劇鑑賞」とかいう、ろくでもない主張が「提言」として
出てくるわけだ。
「塾禁止」ってのも恐らく野依氏一人だけの私見で、まともに議論もされていないのだろう。
Re:「教育再生会議」自体が茶番劇 (スコア:2, おもしろおかしい)
まずは eXtreme Meeting [sargasso.jp] を導入していただくことから始めてもらわないと。
むらちより/あい/をこめて。
ここに意見を書いている人たちですら、教員の実情を知らないわけで (スコア:4, 興味深い)
1.塾に通っている生徒と、通っていない生徒の差
通っている生徒は、塾で学校よりも進んだ内容を学んできます。結果として、学校の授業は退屈なものになります。
通っていない生徒は、生徒の平均に合わせた内容に付いていけません。結果として、学校の授業は退屈なものになります。
実際にはここまで単純では有りませんが、学級崩壊の一端を塾が担っていることも覚えておいて下さい。
2.塾の先生たちが言う、学校の先生たちのレベルの低さ
学校の先生たちの差は塾の先生たちよりも幅があることに間違いは無いでしょう。
ただ、塾に通う子供達は、程度の差こそあれ『学ぼう』という気持ちがあることは確実です。
学校に通ってくる生徒の保護者が『学ばなくても生きていける』という考えの生徒達もかなり多いことも覚えておいて下さい。
3.問題が発生した時に対処したとき
塾の先生たちがどれぐらい対処されているのかは、知りませんので書けませんが、学校の先生の場合、生活全般にわたり情報を収集し、家庭内暴力などがあれば然るべき機関に届け出なければならない義務があります。これらの活動は勤務時間外に行なわれることがほとんどですが、報酬などは支払われませんし、問題が解決したところで勤務評定が上がるわけでもありません。むしろ逆に問題が発生したということで問題のある先生だと、人事権を握っている教育委員会定は認識します。
多くの方が『良い先生』と誉めるのは、無償の奉仕活動が多い人のことを指しています。
4.教員は休みが多い
これは正しいこともあり、間違いでもあります。
学校の先生は仕事を拒絶したところで勤務評定が下がるわけではありませんし、退職させられるわけでもありません。最近になって勤務態度の悪い教員を現場から外して再教育、または教員以外の職場への配転を行なうようになりましたが、よっぽど酷い教員以外は未だにのうのうとサボり続けています。
そのような教員がいるかと思えば、早朝から生徒の要望に応えて予習会を行い、授業後は補習会または部活動の指導、生徒が帰った後に翌日の授業の準備やテストの採点、その合間に問題の起きた生徒や保護者からの相談を受け、昼も夕方も10分程度で掻きこんで、帰るのは午前様。という先生も多くいらっしゃいます。
なお、給料は同額です。
夏休みや冬休みがあるじゃないかと言われるでしょうが、すべて休みにしている教員がいることも確かです。しかし、多くの教員は、出来の悪かった生徒の補習や、自己研鑽のために講習会などに参加してお盆の1週間と年末年始の6日ぐらいしか満足に休みが取れない人も多いのです。
教員評価制度を実施すれば良くなると反射的に考える人が居るかもしれませんが、学校の仕事をさぼって自己研鑽(外部への発表も含む)を行なう人だけが評価されそうな内容が試案として提案されています。
生徒が評価するシステムは、保護者や生徒の質が高い地域では有効に働きますが、校長室に全教員が退避しているような中学校の場合、満足に働くはずがありません。
そのような学校では、休んでいる先生=叱らない先生として高い評価を受けるのですから。
とりあえず、思いつくだけ書いてみました。
それでも教員になって学校の現場を変えてやる!という意気込みのある方、残業有り手当てなし、責任の所在は不明確、理不尽な保護者が待ち受ける学校という現場においでくださいませんか?月給は現在のほぼ2/3程度になるかもしれませんが、卒業した生徒達がにこやかな笑顔で訪問してきてくれたときの喜びは何者にも変えがたいものですよ。
Re:ここに意見を書いている人たちですら、教員の実情を知らないわけで (スコア:3, 参考になる)
子どもの教育は、我が家のコア・コンピュタンスであり、アウトソーシングできる性質のものではないからです。ってか、こんな面白い経験を他人に譲ってなるものですか(笑)。
> 1.塾に通っている生徒と、通っていない生徒の差
明らかにあります。でも、通っていない子は勉強の癖がないだけの話なので、それなりの資質があれば、塾へ行くかどうかは大した問題ではないと思います。
> 2.塾の先生たちが言う、学校の先生たちのレベルの低さ
学校の先生の場合、自分よりレベルの低い先生がいます。しかし、塾の先生もまた、レベルの低い先生がいるわけです。親から見れば、ドングリの背比べであります。
> 3.問題が発生した時に対処したとき
学校も塾もアテにはしていません。先生の奉仕の心に頼るつもりもありません。これは親の責任でしょ。
> 4.教員は休みが多い
休みでも仕事をしている学校の先生も知っているので、これも先生によりけりだと思います。自分も先生になりたいと思った時期がありましたが、家庭を抱えながらできる商売ではありませんね。子どもが独立したら、先生になってもいいかな、と思いますが。
子どもたちを見ていると、野依氏の言うように「ある分野では努力しても、できないものはできない」のは確かです。でも、子どもには無限の選択肢があります。職業だって、200種類はくだらないわけで、野依氏の言うように「200人に1人、とてもよくできる子供がいる」ならば、各々、特定分野でトップになる資質があるはずなんです。
だから、視野を広くすれば、きっとエリートとなれる分野があるはずです。なのに、大人は、どうして国語・算数・理科・社会に限定して物事を見るのでしょうか。遠くが見えてないよなー、と思うのです。
平等 (スコア:4, すばらしい洞察)
学校システム、教員にも問題が多いのだが
なんでもかんでも、平等を押しつける世論にも問題があると思う
何が、言いたいかというと
大学受験問題に関して、ちょっとでも教科書に載っていない
もしくは、裏をかいたような問題を作成すると
すぐに、非平等と文句が出る
こちらは、教科書の知識に加えて、応用力や発想力を評価したいのだが
そんな問題出した日には、不平等との文句が出るため
教科書に載っていて、答えがはっきりしている問題しか出しようがない
でも、大学入って、研究するとき
大学出て、社会に出たとき、本当に必要なのは
様々な状況に臨機応変に対応できる力だ
知識や記憶があるほど、様々な応用や
臨機応変な対応が出来るのは認めるが
知識・記憶力「だけ」が能力
または、優秀な人間では「無い」と思う
一方、丸暗記していれば出来る大学受験問題に対しては
塾に通っている人間の方が有利だろう
しかし、上記のような問題を解く力「だけ」が
社会が期待している力ではないし、
このような問題「だけ」を解くことを目的とするのは
学校がするべき教育の姿とは、私にはとても思えない
さらに、限られた設問の可能性から、暗記を駆使して解く問題だけになると
この手の能力に優れた人間「だけ」の、激しい競争となってしまい
特定の、多様性のない、能力だけが評価されるようになってしまう
(これこそ、機会の不平等ではないのか?)
人間、本質的に不平等なんだよ!
機会は平等に与えられるべきと思うが
自分の解けない問題出たからって、文句言うな!
もう関係者じゃないなので、IDでいいや
PS
このような事を書くと、
暗記力も立派な力だ!
とか
受験に耐えて、努力してきたことを評価しないのか?
などの意見出そうだが、これらの努力も十分に立派と思っております
誤解無きよう
本末転倒 (スコア:3, すばらしい洞察)
それを懸念している記事の様にみえます。
Re:本末転倒 (スコア:3, 興味深い)
最近の子を見ると,コンビニの買い食いついでに寄っているだけのような気がするけど.
そもそも,塾に通わせる必要があるのかどうか,何のために塾に通わせるのかが
曖昧になっているのでは?
「お隣さんの子供も通っているからうちの子も」とか「学校だけじゃ足りないから」的な
強迫観念があるように思われる.
この情報だけ出てきているのは変 (スコア:2, すばらしい洞察)
何が大切ということと、離れた発言を一つだけ出したヒトの意図は
まさに今の議論かな?
オフトピといわれると思ったけど書きました
Re:この情報だけ出てきているのは変 (スコア:5, 参考になる)
まさに「漏まいら釣られすぎ」ですね。
Re:本末転倒 (スコア:3, すばらしい洞察)
「みんな平等に」が高じて「みんなができた」事になってる陰でできてない子が量産されてる。
できる子は飛び級でもなんでもさせてどんどん上へ上げればいいし
一方でできない子は基礎を身につけるまで反復させる。
そんな多様性を公教育が持たないことが問題でしょう。
始めに理念だけで現実性のない平等教育、それによって出来た歪みの修正手段としての塾の否定。
最初の過ちを二つめの過ちで正すことは出来ないと思う。
Re:本末転倒 (スコア:2, 興味深い)
知恵遅れでもないのに、中学になっても九九がわからない子と
受験のために高校の範囲まで勉強してる子を同じクラスで
育てるというのがそもそも無理があるし。
塾自体は別にあってもいいと思うけどな。江戸時代の感覚でいけば
学校自体が塾みたいなもんだし。
#ACは価値ある発言してください
Re:本末転倒 (スコア:2, すばらしい洞察)
それはそれで違和感があるんだよなあ。
公教育が「できない子を指導する能力はありません」と言ってしまってはだめだと思います。
また、「できる子を伸ばす」のと「できない子をフォローする」のは別のスキルを求められる仕事です。
そりゃ、習熟度がバラバラな児童生徒をひとまとめにして共通の課題を与える前提では、どっちも中途半端になってしまうのがオチです。
教員にだって得手不得手があるのだから、習熟度別のクラス編制にして人事も適材適所で行えるよう、学校ごとの裁量権を確立するのも一手でしょう。
他のツリーで「結果の平等と機会の平等は別」というコメントがありましたが、みんな育ち方が違うんだから入学時点ですでに不平等なんです。
でも、「在学中にそこそこ追いつけるだろう」という期待はできますし、その努力を公教育が放棄してはいけないと思います。
[わかってもらうことは難しい。わかってあげることは、もっと難しい。]
会議は踊る (スコア:3, すばらしい洞察)
制限されているため、小学生に電流のことを教えるのに難儀しているのだ
とか。
学校で勉強しないんじゃなくて、教育できない事態になっている現実もあ
るんじゃないかな。(ま、それは文科省の政策の結果なんだけどね。)
それを「電子」という言葉を使って、簡単に説明し、児童にも理解し易い
塾の存在のなんとありがたい事か!!
それに、進学塾ってのは不足している学力を補填するためにあるのだから、
「できない子が行く」塾そのものでしょう。(笑)
野依センセの考える「できない子が行く」塾ってのは、ぶっちゃけ学童保育
みたいなものになりそう。
学力の底上げを行って国力を付けるって発想もわからんでもないけど、実際
のところ世帯収入によって教育(塾、教材)に投資できる額が決まる時代に、
なんとのんきな会議なのだろうか?
一億総中流の世界に戻すか、伸ばせる子をどんどん伸ばして、出る杭を打た
ない代わりに格差を作る社会を押し進めるか、「教育」という狭い観点で
論じるレベルじゃないという共通認識みたいなものは感じられるが、時間
は待ってはくれないんだよ。
Re:会議は踊る (スコア:3, 興味深い)
アメリカ人が日本人に向かって、米国史の質問しますか?
そんなものは基礎だけでいい。
外国人が日本人に聞きたいのは日本のことが中心になるのは理の当然。
仮にアメリカ人よりアメリカ史に詳しいところ見せても、そんなの嫌味なだけです。
国際化を考えるなら日本史と、そこに関連する部分の世界史を中心にやるべき。
世界史の事件の年表を暗誦しても会話は成り立たないでしょうね。
----- 傷の治療は傷より痛い -----
内申重視 (スコア:3, すばらしい洞察)
受験で入試点数重視→内申点重視にシフトしてきた頃から、学校って「勉強する場所」から「評価を受ける場所」になってきたんじゃないですかね。
学校でデキるように見せるために、塾で勉強する、と。
年がばれそうだけどID
Re:本末転倒 (スコア:2, すばらしい洞察)
大人に能力差があることは誰しも否定しませんが、
こと子供の能力差となるとなぜか平等主義がはびこってくる。
将来中学を出てそのまま働く人もいれば、大学を出て外国に行ったり研究者になる人もいる
そんな差のある子供たちを同じ土俵で扱っているのが現状の公教育です。
少しでも教育に理解のある親だったら、自分の子供が
9年間も芋洗い状態で育てられることに危機感を感じるでしょう。
20年そこらで成長する子供にとって、9年間を無為に過ごすことは致命的です。
そういった親たちの不安に答えたのが進学塾であり、通信教育でしょう。
根本的な原因は、能力差に応じた教育を行わない公教育のシステムにあると思います。
それをせずしてただ塾だけ禁止してどうするつもりなのでしょうか。
落ちこぼれにあわせて上を摘むのでしょうか、それとも上にあわせておちこぼれを切り捨てるのでしょうか。
能力別教育は意外とコストがかさむ (スコア:2, 興味深い)
長い長い歴史があるけれども、実践はそれほど多くない。
というのも、能力別というのは大抵は科目別に能力別編成しなきゃならないので、
科目ごとの先生をたくさん抱えていないと実現できない。
だから、先生の数を大幅に増やす場合に実現可能な選択肢のひとつ、と考える方が
良いのかも知れない。たとえば40人学級をやめて15人学級にできるほど人件費増を
容認できるとき、能力別授業というのは必ずしも最良の方法ではないと思う。
Re:能力別教育は意外とコストがかさむ (スコア:2, 興味深い)
実際に東京で起きていることは、小学校の越境入学制度や高校選択制、
私立校の割拠によって、学力によって学校を選ぶことにより事実上
能力別に初中等教育が行われていくという動きです。親によっては、
公立学校の水準が住居選択時の大きな要因の一つになりますし、
そのために転居する人もいます。
この際に問題となる点の一つは、上記のように「自ら学校を選ぶ」ためには経済的な
余裕が欠かせないため、世代間で格差を固定する装置の一翼を担ってしまうことです。
ですから、能力別教育を実現するために、公共交通機関も利用して通学30分以内
の公立学校をグループにまとめ、その中でレベルに応じて行く学校を変える方式は
ありえると思います。
しかし、これにはそもそも小学校で電車通学(スクールバスかも)させることの是非や、
そもそもそれを実現するのに十分な学校密度のない地方との格差を言い立てる声も
あるでしょうから、実現する可能性は低いとは思いますが。
Re:本末転倒 (スコア:2, 興味深い)
通称"0時間目"と呼ばれる朝講習が1年目から始まり、3年目になると7,8,9時間目まで。夏冬休みもほとんど毎日補修。2年までに教科書の内容を終えて、残り一年受験対策といった感じで、塾に行っているヒマなんてありませんでした。というか、ど田舎なのでほとんど予備校や塾もなく、地域で唯一の進学校なので、受験のテクニックから何から学校が全部面倒を見ているという感じでした。
教師の国公立志向が強く、東京の下手な私立に行くくらいなら地方国立を薦められました。国公立進学率は約半分。東大合格者は年1,2名出る程度。県内トップクラスを目指そうと、先生方が頑張ってましたね。
まあ、先日の必修逃れ問題では早々と名前が挙がってきていましたがorz
オレの時はちゃんと全部やったんだけどなあ。
逆に、県内トップクラスの進学校(やはり県立)になると、そこまで学校で面倒見てませんでしたね。一応、10万人規模の都市になるので塾なり予備校に行けと。
地元では私立高校は滑り止め。私立中学なんて、見たことも聞いたこともなかったですw
東京出身の会社の同僚とかは、私立高校中学はザラで、小学校から受験したなんてのも珍しくない。こういうのをみると、地方は不利なのかなあ、とも思います。
でも逆に考えると、金を払わなくても公立校でそこそこケアしてくれる地方はお得?
委員の発言にいちいち反応するな (スコア:3, すばらしい洞察)
委員が自身の見識を披瀝したことに対し、
いちいち反応する必要はないと思うんですがね。
朝日は意図的に書いてるんだろうけど。
元記事では他の委員は賛成していないようだし、
事務局は学校がしっかり教えれば、塾は自ずと不要になると、
常識的な答弁をしてますよ。
日本国憲法第23条 (スコア:3, すばらしい洞察)
どこの三流紙だよ (スコア:3, すばらしい洞察)
朝日の記事は「塾禁止」にだけフォーカスした揚げ足取りですな。ホント
野依さんの発言の意図は分かりませんが (スコア:3, 興味深い)
受験には出るなあ。でも教えてる時間もないしなあ。どうせ塾でやるだろうからいいか」という意識が
特に中学校の教員側にあるのは確かで、高校入試に要求されるレベルと授業の格差と言うのはかなりのものがあると
私は感じています。私のいるのは地方都市ですが、人口数千人の集落にも塾があり、高校入試向けの授業をしています。
塾があるおかげでそういう不整合が目だなくなっているのは確かで、じゃあいいじゃんっていうのではなく、
学校自体で完結させるという努力は必要でしょう。本来、どんな学校でも学校で与えられた教材をがんばって勉強すれば
入学できるというのが筋だと思います。
野依さんがこういう意図で発言したと言っているわけではありません。ただ、塾の存在で学校制度のゆがみが
見えにくくなっているのも確かで、そのせいで不利益をこうむっている「塾にいけない生徒」の存在は
見逃すべきではないと私は思います。
かなり中の人だけどID
今、学校で何が起きているのか (スコア:3, 興味深い)
野依氏は灘高校出身 (スコア:3, すばらしい洞察)
加えて,ノーベル化学賞を受賞するだけの世界最高峰の頭脳を持った人です。
世界最高峰の頭脳を持った人が,日本最高品質の学校教育を受ければ,そりゃあ塾なんか通わなくても易々と学問を理解できたでしょうし,たかが大学入試ごときに苦労することもなかったでしょう。
そんな人および環境を基準にして,「我々は塾に行かずにやってきた」なんて言われても,何の説得力もありません。
この人は日本の学校教育および大学入試の実情というものを全く理解されていないようです。
塾行ってません (スコア:2, すばらしい洞察)
なんで、学校終わってからも勉強せなあかんのですか?
#でも、河合塾の模試だけは受けていたのでac
禁止する必要はあるのかな? (スコア:2, すばらしい洞察)
責任転嫁 (スコア:2, すばらしい洞察)
学校が塾と同等程度の習熟と環境を提供するなら塾は不要になる。
ゆとり教育で授業日数減らしておいてしかも教育課程を全て終わらせずに次の年次に送っていると言うのにそれでもまだ学校に、文部省に、PTAに罪がないといいますか。
教師は休みが減り親の文句に更に神経をすり減らし、親は子供を放置し自分の事だけをし、子供は授業内容を理解せぬまま育ち安易に非行に走る。
それでなぜ塾が悪いと言いますか。
Re:責任転嫁 (スコア:4, すばらしい洞察)
なぜそれを禁止しているのでしょうか?
少なくとも、あんな薄っぺらな教科書じゃなくて、
高価な参考書程度の物を提供してほしいものです。
きちんと、好奇心などを向上させる教育を
お願いしたい。
Re:責任転嫁 (スコア:2, 興味深い)
>なぜそれを禁止しているのでしょうか?
今は禁止していないでしょう? 発展的な内容を扱っても良いことになっています。
ただし、それを行うための授業時数は確保されていないんですけれどね。
総合的な学習の時間をやめたらいいと思いますよ。
その分を教科教育に回す。
Re:責任転嫁 (スコア:5, 興味深い)
数年前に変わりましたよ。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/03122608.htm [mext.go.jp]
それ以前は、確かに学習指導要領を越える内容を扱ってはならないということになっていましたが、必ずしもまじめに守られているモノではなかったように思います。その方はまじめな方だったのでしょう。
>分量制限のある教科書には載せられなかったからとしても、
分量制限というよりは、文科省の検定による制限ですね。
この検定制度は問題が多い制度だと思います。検定があること自体は問題ではないと思いますが(学習指導要領に沿った内容が書かれているかなどはチェックが必要ですよね)、学習指導要領を越える内容の記述について、色々と制限があって教科書会社や執筆者は大変のようです。
>現場の裁量で教えることができない制度は問題視してもいいだろう。
とりあえず、今はこの問題はクリアできていると言えます。
現場の裁量で指導要領を越える内容を扱っても良いですし、指導要領を越える内容も教科書に載っています。
>ちなみに大昔の授業は、教師の話が脱線したときこそ「本当の知識」を得られることが多かったな。
それは、今も変わらないのではないかと思いますと。
脱線したときの話ばかりが記憶に残っているものですよね。
Re:責任転嫁 (スコア:2, 興味深い)
「そう!世間じゃ『先生は夏休みがあっていいよなー』とか言われてるが
夏期研修やら会合やら何やらあって
俺みたいな中途採用の新任は年休集めて やっと一週間休めるかどうか
あとは授業が無かろうが 毎日学校に来なきゃなんないのっ!」
以上、某見た目萌え漫画に登場する教師の心の叫びでした。
結構重い展開もあるし、何より教師の大変さが生々しく滲み出てます。
萌え臭がもちっと薄ければ、是非一読して欲しい作品なんだけど。
(半端な萌えじゃないからなぁ。友人からの予備知識がなかったら
自分も途中でほっぽり出してたかも。)
あ、そうそう、竹本泉の漫画でも教師は朝の五時起きで、その日の授業の準備だの
生徒が帰った後に試験の採点だの部活だの…「教師生活は朝早く夜遅い」
と言われてますな。
デパートの店員も、「開店時間の間だけ」働いている訳じゃありません。それと一緒ね。
趣味がばれるのでAC。
Re:責任転嫁 (スコア:2, 興味深い)
実際教員になってもう10年近く、公務員一般職はおろか一般企業の従業員ほどにも休暇を取っているのを見たことがありません。
ワケを訊くと、「子供のいない休業期間中で無いと「仕事」ができない」のだそうです。
どうやら子供に対する教育活動のほかにやることが山ほどあるようですね。
そちらの問題を解決するだけでも教育の質向上には資するのではないかと思います。
Re:責任転嫁 (スコア:2, 参考になる)
たまに、そういう人もいますけれどね。たまにです。
実際には、部活やら研修やらで、授業が無くてもなかなか年休も取れません。
もちろん、学期中は授業があるので年休をとるのはとても難しい(管理職は取ってもいいというが、現実的じゃない)。
普段できない、教材の準備やメンテナンスということも、このときにしなくてはなりません。
5年研や10年研にあたると、お上の研修だらけで自分の学校の仕事が進まなくなり、かなり悲惨です。
逆に、毎日のように勤務時間を過ぎても仕事をしていますし、これに残業代はつきません。
部活で土日に出勤しても、一日1500円程度の手当しか付きません。
授業の準備や成績処理、通知票や受験関係で土日に出勤した場合は、まったく手当が付きません。
教材が学校に十分にそろっていないため、自腹で教材を用意して授業をします。
そんなに「夏休み」がうらやましいなら、是非教員になってみて下さい。
話に聞くほど楽な仕事じゃないですから。
発想は立派だと思いますが・・・ (スコア:2, すばらしい洞察)
家庭教師を雇うことができるごく一部の裕福な家庭の子弟だけが
受験競争などで有利になるという結果になると思います。
仮に指導に対する金銭の授受を禁止できたとしても「裕福」、が「コネを持つ」、
になるだけで大きな非効率と矛盾が生まれることに代わりは無いと思います。
家庭が私塾を利用する必要のない教育制度を構築する、や
経済的豊かさによって受けられる教育に格差がでないようにする、
などは有効な目標だと思いますが、私塾への需要がここまで高くなった
現状をきちんとモデル化し検討する前に、まず私塾を禁止ありきで議論が進められることを危惧します。
以下が教育再生会議の有識者一覧ですが教育経済学の専門家が居ないのが残念に思います。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku/kousei.html [kantei.go.jp]
#僕は成熟した市場の力を積極的に取り込むべきだと思うんだの
ごめんなさい。
Re:発想は立派だと思いますが・・・ (スコア:2, 興味深い)
現状でもある程度以上の収入があって、塾や予備校に通う事が出来ないと、大学もろくな所へいけない状況にあると思います。
今の教育なり試験は、必要な知識を身に付ける為では無く、試験をくぐり抜ける道具と成り下がっています。
私は、私塾の需要が伸びた大きな原因は、親の責任放棄(丸投げ)とそれによる教育現場の負荷オーバー+レベルダウンの負の連鎖があると考えます。
そんな中で私塾を禁止と言うのは、一つの方便として皆の認識を大きく揺さぶる良い方法だと思います。
成熟した市場の力を借りるのも良いですが、彼らは基本的に利潤追求の指向を持ちます。
ですから、経済的豊かさによる教育格差是正については、表面的にはどうであろうと離反する結果になる。
特に義務教育とは利潤では無く、教える側の使命感の上で成り立つべきものです。
教育・医療・警察は、国を足下から支える重要な基盤です。国自らの手で汗まみれ泥まみれになってきちっと整備せずして、日本の明日は無いと考えます。
第一に国立大学や研究機関を特殊法人化した時点で、国としての責任放棄ですから、これ以上市場の力なんて言い出したら、教育に何にも残らないでしょう?
Re:発想は立派だと思いますが・・・ (スコア:2, すばらしい洞察)
つまり、理念が個人の損得に優先するべきだというのは日本が先の戦争(応仁の乱ではありません。念のため)で学ぶできであった悪い幻想です。個人の損得感情を利用して理念を維持するための巧妙な仕組みこそが必要なのです。
例えば、教育は国を足下から支える重要な基盤(本当にそうです)ですから、教育にかけるコストはどんどん増やしていくのも手です。教師の平均年収を1,000万を超える水準に設定すれば、使命感を持った優秀な人材が集まってくるでしょう。市場と戦っては勝てません。塾を禁止するよりも、徹底的に金をかけて、公教育の水準を上げることで塾を不要なものにするほうが現実的だと思います。
それから、こちらに関しては、
>現状でもある程度以上の収入があって、塾や予備校に通う事が出来ないと、大学もろくな所へいけない状況にあると思います。
そんなことはないと思います。私は塾に全然通わずに、公教育だけで旧帝大まで行っていますが、周囲にもそういう人は少なくないです。経済状況によってハンディキャップがあるのは当然のことですが、過去に比べても、さほど親の収入による格差が広がっているとは実感できません。こちらはデータがないとわかりませんが。
「塾禁止」といえば一見聞こえはいいが (スコア:2, すばらしい洞察)
何かを「禁止」すると、悪いものを一掃できるような気がするけれども、実のところ、良いものも悪いものも同様に一掃してしまうので、後になってから弊害に気付くことが多いのよね。(たいてい手遅れとなり、失われた n 年とか言われる話となる)
ルールを決めるというのは費用もあまりかからない(ように見えてしまう)ので、偉い人はドンドコ決めたがるんだけれども、もう少し自分たちは「オオナタ」を持っているという自覚をもって、慎重に考えてもらいたいもんです。
その言い分だと… (スコア:2, おもしろおかしい)
つまり、この塾 [mskj.or.jp]に行く人は指導者としては、できない人って事ですか?
#確かにろくでもない指導者が増えてるような気がする
/* Kachou Utumi
I'm Not Rich... */
ニポン人は心の教育が好きネ (スコア:2, 興味深い)
日本を滅ぼす教育論議 [amazon.co.jp]によると、外国人には日本人が「教育教」の信者にみえるらしい。
「教育教」の信者の特徴。
1 教育が理屈抜きで「好き」
2 教育の目的を「心」や「人格」に置く
3 教育について「平等」を求める
同書に出てくる外国人への日本人の教育への考え方の説明。
「日本では、教育というもの自体がひとつの『宗教』であって、
日本人はイデオロギーの差異に関係なく、全員が『教育教』の信者なのです。」
今年受験生ですが (スコア:2, 興味深い)
いや、地方だからなのかもしれないですけどね。
少なくとも、
・頭が悪い→塾に行く必要性アリ
・頭がいい→塾に行く必要性ナシ もしくは知的好奇心を満たすために学校だけでは足りないので塾へ行く
とか、そういう思考で塾に行っているのではなく、みんな自分に危機感を感じたり、自分ってのを塾に置くことで、勉強する環境に強制的に(って言葉は適切ではないと思うけど)入れさせる、みたいな感覚で行ってる人が大抵です。
一口に塾って言いますけど、個人が開いている塾、地方のそれなりの小規模なネットワーク持ってる塾、全国展開している所謂予備校といわれる塾、それぞれによって顔があります。
これをひとまとめに「塾」と言っていいのでしょうかね。それぞれの特性があるのに、ひっくるめて言ったらそれで終わりなのでは?
というか正直、教育問題の主役となるべきなのは教育を受ける「子ども」であるべきなのに、どうしてその子どもたちに教育のあり方とかを大人は説かないのでしょう。
いや確かにあなた方大人は子どもを経験されているとは思いますが、あなた方お偉いさん方の時代と今とでは相当違いますよ?
GPSで常に監視体制におかれている子どももいれば、それを逆手にとってうまーく親を騙している子どももいる。
そういう中で、大人だけで子どもに対する教育を話し合って、一体何が生まれるというのでしょうか。
いじめ、自殺、そういう負の問題の時にばかりアンケートなりカウンセリングをして、それに対して常に行われている教育に関してはほとんどアンケートやら生徒からの意見を聞くことやらはほとんどなし。
お偉いさん方の素晴らしい時代と推測から生まれてくる教育指導要領にはもうこりごりです。
#いや、うちの高校でも履修問題ありましたから。
#なにせ校長が思いっきり隠してましたから。3度目の正直ってやつでばれました。
#担当の先生に泣かれて謝られましたが、謝ったからってレポート10枚とか補習とかその他諸々なくなるわけじゃないので。
#というわけでやっぱり受験生でこんな時間まで起きちゃってるのでAC
Re:ゲーム禁止したほうが良い (スコア:3, すばらしい洞察)
ゆとり教育とは (スコア:5, すばらしい洞察)
なぜなら、日本という社会が高学歴に見合う賃金を支払うことができなくなったから。
バブルを煽ってみたけど、結局無理だった。
また、低学歴層が担う仕事を安易に外国人労働者にふりあてると、それはそれで将来高い代償を払うことになる。
だから、自国民で所得全域にわたる労働人口の確保を狙った。
でも、高学歴層を絞る過程でどうしても住んでる地域で差が出る。だから地方に住みにくくなる政策を打った。
でも、親の地位と収入とかで差が出る。。。政治家がアレだから、コレはよしとしよう。
官僚の考えることはこの程度。
結果の平等は必要ないが、機会の平等は必要だ。と考える納税者がここにいるんだが。
Re:ゆとり教育とは (スコア:2, 参考になる)
おかげで、便利に使い捨てできるフリーターなんて労働力も確保できたし。
頂点の方にいる人たちには願ったりかなったりですね。
でも、日本はまだまだ低所得者といっても高い所得を維持していますから、今ならまだ間に合うと思うんですよ、機会の平等。
「機会の平等」こそ守るべきもの (スコア:5, すばらしい洞察)
> どちらも同じもの(控えめに言って、似たようなもの)なのに、違うもののように言っても仕方が無い。
それは違う。
「結果の平等」は、努力した奴と遊んでいた奴を全く同じに扱うこと。よって
才能がある奴は「勝手に先に行くな」と抑圧される。
「機会の平等」は、誰でも努力する機会が保証されており、努力しだいで高収入や
高い地位などを得ることができるという事。才能がある奴は楽に上に上がれるけど、
それは社会というものが平等に出来ていないと言う現実を受け入れる事。
ゆとり教育の理念はともかく、実態としては「結果の平等」を目指してしまった
事で、底辺に全員が縛り付けられてしまった。だから自衛の為に子供を塾へ行か
せざるを得なくなった。
昔はなんで塾が必要なかったかと言えば、「公教育で十分教育が成立していた」ため。
私の出身高校も昔は東大に何人も入るような地域の名門県立高校だった。その後大学
へ行くことが当たり前とされるようになり、全大学の定員以上の受験生が入試に押し
寄せたため、大学側としても定員以上は受け入れられないので、やむなく入試を難し
くせざるを得なかったと。難しくなれば公教育だけでは足りなくなってしまうので、
「進学塾」や中高一貫教育のため受験に余裕のある「私立中高」がもてはやされたと。
この競争自体は全体の学力の向上に寄与していたが、厳しくなりすぎて弊害も出てきた。
なぜなら進学塾や私立中高へ通わせるには、結局高い費用が必要で、親の収入が直接
子供の学力に結びついてしまったため、「機会の平等」を壊してしまう。
#当時は「東大生の親の平均収入は一千万円」と言われていたと思う。最近はそうでも
ないらしいが。
そこで対策として打ちさされたのが、「教育内容を削って楽にする」という今から見れば
全体の水準を下げるという愚作=「結果の平等」をとってしまった。最初のうちは大した
影響がなかったため、さらに水準を引き下げられ、ついには公教育が意味を成さなく
なってしまった。
このように公教育が崩壊したため、やむなく「補習塾」に通わせないと、まともに教育
が受けられないのが現状である。
#このように「進学塾」と「補習塾」では全然意味が違うのですよ。
受験戦争と言われていた時代は、ある程度「機会の平等」があったのだが、現在では
「機会の平等」はほとんどなくなり、その結果「結果の平等」も形骸化してしまった
訳。この状態で日本の学力=知的生産力は衰える一方。「国民全体の学力が高い」と
いう日本の唯一の国際競争力が失われるという現象が現実に起こっている。
今やるべき事は「公教育の建て直し」であって、「塾が悪い」というのは現実を見て
いない愚かな老人の妄言。公教育が立て直され十分機能するようになれば、自然と
「補習塾」は淘汰される。「進学塾」は残るだろうが、進学塾も教育の一環として
認め、学力があるのに親の経済状態が悪くて通えない生徒には奨学金を与えるなど、
「機会の平等」を保障すれば問題ない。
政治や行政が行うべき事は、個人の機会の平等を守り、国民全体の学力を向上させる事。
これと正反対の事をやっている文教族の族議員や文部科学省の役人は、日本を崩壊
させている張本人。破壊活動防止法でも適用して摘発すべきである。
--- de FTNS.