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14713 story

ミドルベリー大学史学部でWikipediaの引用を禁止 109

ストーリー by mhatta
日本版だともっと大変なことになりそうな 部門より

maia 曰く

朝日新聞の記事によれば、バーモントのミドルベリー大学史学部は、Wikipediaを学生がソースとして引用することを禁じた(New York Timesの記事“A History Department Bans Citing Wikipedia as a Research Source”)。数人の学生が試験で島原の乱について、“Jesuits supported the Shimabara Rebellion”と書いていたので、不審に思った教授が調べ、原因がWikipediaの記述(Shimabara Rebellion)にあることを突き止めた。元は“the rebels themselves were backed by the foreign power of the Jesuits and the Roman Catholic Church.”と書いてあったようだ(削除済み)。確かに“back”は曖昧で、内容としても不適切な記述である。これを学生が試験の際に、イエズス会を主語に、“back”を“support”に書き換えてしまったようだ。“support”だと物理的な支援を意味してしまい、この場合は間違いになる。教授曰く「調べごとの導入に使うことに全く異存はないが…」。その通りだと思う(実際、引用は禁じたが、「利用」までは禁じていない)。ただ、史料が誤読されて伝言ゲームで「歴史」が変わっていく現象は、歴史学としては興味深いテーマのような気もする。

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • by Anonymous Coward on 2007年02月23日 10時33分 (#1115417)
    サブジェクトのとおり。

    トリビアとか、余談とか、未来の予想とか、知ってもどうしようもないことだらけで、
    果てには主義主張などを持ち出してバトルする人もいる。

    ソースを示せ、といわれてもソースを示さないというパターンもあるし、
    方針に従って編集せよと要求された人は、その方針が間違っているなどとけちを付け出す。

    10万項目ワーイワーイ、20万項目おめでとー、30万項目やったねー、と
    数だけを見て喜ぶ輩もいるが、そんなのはどうでもいい。それのみで百科事典の質を決定できるのであれば、
    今頃BritannicaやNipponica、Encartaなども項目数を水増しして質を主張しているころだろう。
    ではサイズの大きい記事が質が高いかというと、そうでもなく、大量にものがリストされた、一覧記事となっているものが多く、肝心の解説などが少ないので、お話にならない。テレビ番組のスタッフロールとか記載して面白いですか、ウィキペディアンのみなさん?

    なにか新製品/新作品(特にアニメやゲーム)の発表や事件の発生があると、我先にと書き込みを行い、その中で編集合戦が発生したために全保護が行われ、間違った、あるいは特定思想に傾いた状態で放置されるなどとか、もう見ていられない。

    日本も、特に大学などの学術研究組織も、引用はおろかしようを含めて禁止を検討すべき段階にある。このような、教育界からのbanは、ウィキペディアンを引き締めるのにきわめて有効だ。
    • by MG42 (30424) on 2007年02月23日 15時22分 (#1115605) 日記

      引用はおろかしようを含めて禁止を検討すべき段階にある。
      これには断固反対です。これってつまりは情報統制ですよね? しかるべき権威(とされている所)の刊行物のみを出典にしないためにも、Wikipediaは十分有益です。そもそも今回の件は間違った事実を引用したことが原因で、自分で書き直してしまえば大丈夫なわけです。そこまで強硬な姿勢をとっているわけではありません。

      あと、ご存知かもしれませんがWikipediaは質にも注意してますよ。記事数が膨大で手の回ってない記事がままあることは事実ですが、きちんとした合意プロセスを踏んで記事を修正できるような仕組みは整っています。最近では「要出典」というソースの提示を求める記述も増えつつあります。出典がきちんとしているところから利用するぶんには本と大差ないです。

      私は、間違いが放置されていたら必ず直す人がいる一方で、めんどう、あるいは(これはもっともですが)利用したくないということで間違いの指摘のみ行う人の差が非常に大きいことが、Wikipedia不信論のひとつの原因だと思います。その垣根を取り除いていかない限り、ずっと信用されないままかもしれません。

      # ソースを書かないしあまり修正しない一人より

      --
      All your base are belong to us
      親コメント
      • by mr_spock (908) on 2007年02月23日 15時31分 (#1115607)
        言論統制はイカンと思うけど、情報統制ならいいんじゃない?だって、使えない内容が多いのに、百科事典ですっていう名目のため混乱の元になるならね。

        ていうかWikipediaは"情報"ていえない状態だから、こういう議論になってるのでは?
        親コメント
    • WikipediaっていうかWikiが全部そうですよね。
      いつ書き直されるかさっぱりわからない。ってことで。

      例えばゲームの攻略サイトにWikiが使われているけど、
      Wiki荒らしもいらっしゃいますし。まぁ、過去にさかのぼればよいんですがね。
      --
      「なんとかインチキできんのか?」
      親コメント
    • by Anonymous Coward on 2007年02月23日 12時24分 (#1115507)
      日本も、特に大学などの学術研究組織も、引用はおろかしようを含めて禁止を検討すべき段階にある。
      批判の多くはWikipediaだけに限った話ではなくてインターネット全般に当てはまる事ですね。Wikipediaを排除したからといって、より悪質なサイトに辿りつく可能性はなくならない。

      リテラシー教育にはいいんじゃないかな。悪いものから遠ざけるのは一時的に危険を回避するには良いけれど成長を妨げてしまう。最近は子供を甘やかしすぎだという批判も多い。 [srad.jp]むしろWikipedia程度でトレーニングした方が安全とは言えないかな。
      親コメント
      • by Anonymous Coward on 2007年02月23日 16時19分 (#1115632)
        リテラシー教育にはいいんじゃないかな。悪いものから遠ざけるのは一時的に危険を回避するには良いけれど成長を妨げてしまう。最近は子供を甘やかしすぎだという批判も多い。むしろWikipedia程度でトレーニングした方が安全とは言えないかな。


        「リテラシー教育のためにWikipedaが利用出来る」のは、確かにそうかもしれませんが
        現状では「Wikipediaのためのリテラシー教育」が必要となってしまっているのです
        なおかつ、Wikipedaはそのコストを十分に支払っていない様に見える。
        それどころか、安易な「百科事典」というキーワードで、リテラシー低下さえ招いている。

        Wikipediaは既に、それなりに大きな(もしかするとWikipedianが思う以上の)影響力を持ってしまっているので
        「Wikipediaの内容を信用しないでください」
        と、自らもっとはっきりとアピールするべきではないかと思うんだけどね

        ユーザ自身が判断すべきという主張は、正しいけれども現実にはそぐわない
        多くのインターネットユーザは、自分で判断するという力さえ十分に持っていないのだから
        # 恐らく内容ならば比較対象にもならない2chは、この点では十分に「信用できない」顔をしている
        # 皮肉にも、ユーザが過ちを犯さないという点では2chの方が優良なコンテンツかもね

        Wikipediaが責められる原因は、内容の誤りや質にあるのではなくて
        本質的には、ユーザの誤解を利用して拡大している様に見える点にあるのじゃないかと思うね
        「誤りは修正すればよい」とか「質を高める努力をしている」という反論は、あまり意味を為さない。
        中身ではなく、枠組みに問題があるんだ。

        「内容に誤りがある」という意見は、即ち内容の誤りのみを指摘しているのではなく
        そのようなWikipediaを百科事典という枠組みで提供する事に対する異だろう
        内容の誤りを指摘している(様に見える)意見と、修正すれば良いという意見がいつも噛み合わないのは、前者は指摘手段として内容を利用しているけれど指摘の目的はその枠組みにあるからだと思う

        親コメント
    • 確かに、Wikipediaは記事の”関係者が投稿してはならない。”とされているはずなのに、公式発表されていない未確認情報や、どう考えても関係筋しか知らない情報を「~だ。」と断定する言葉であらわしていますし、記事において中立を保っていないか、社会的に「悪」とされているものを肯定的に扱う記事も見受けられます。また、日本語版ではありませんが、英語版のen.wikipedia.orgはアニメや人物などの記事にどう見ても著作権や肖像権を侵害している画像が掲載されている事が多くあります。
      これらのことを考えると、安易にWikipediaの情報を「信じ込んだり、引用する」のは危険であり、引用などを禁止されるべきかもしれませんが、それ以上にWikipediaの情報が正しいのか正しくないかを判断出来るように教育すべきだと思います。
      Wikipediaはあくまで参考にすべきっと、そう教えるべきです。
      // 本来は編集者のモラルが問われる問題ではありますが、不特定多数が編集できる以上しょうがないことでしょうね。 //
      --
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      親コメント
  • by imaic (31975) on 2007年02月23日 11時27分 (#1115456) 日記
    世界の教科書は日本をどう教えているか http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/402261272X/ [amazon.co.jp]
    によると
    >日本人のサラリーマンはふだんデスクの中に水着をしまっておき、雨の日にはそれを着て外で水浴する。
    なんて記述があって仰天する。

    修正される可能性があるだけ出版物よりWikipediaはマシだと思う。
  • by Anonymous Coward on 2007年02月23日 8時28分 (#1115344)
    いや、正確性とか権威とか素人が書いている、(だけ)じゃなくてさ、
    Wikipediaは一次ソースではないし、原著論文でもない [wikipedia.org]から出典たりえない。
    本来は(引用したくなるような重要な事実であれば)検証可能 [wikipedia.org]な出典が書かれるべきなので、出典をたどって書けば良いだけの話。単に手抜き学生がいるというだけだと思うけどな。
  • 英語版も日本関連については、なかなかひどいものです。特に、神々や妖怪、歴史の記事にアニメやゲーム、歴史小説の情報を史実と思い込んで書き込む「善意の」ユーザーが困りもの。嘘が紛れ込んでも、訂正できる人が英語版にあまりいないし、たまたま「おかしい」と気づいた日本語話者も、英語で訂正を入れるほど英語に堪能とは限らないし、また「実際におかしい」のか「自分が知らないだけ」なのかわからないわけで。

    たとえば、今、思いつきで「雪女」の英語版 [wikipedia.org]を見てみるとー
    but other legends describe her as nude, with only her face, hair, and pubic region standing out against the snow.(脚注:Seki, Seigo Seki (1963), Folktales of Japan, p. 81, University of Chicago, ISBN 0226746143)
    大意:伝説によっては、雪女を裸で、雪をバックに顔と髪とあそこの毛だけの姿として描いている。
    というくだりを見つけたのですが、日本の民話に詳しくない身としては訂正を申し入れるべきかどうかも分からないのです。
    • >裸で、雪をバックに顔と髪とあそこの毛だけ

      たしかにそういう姿で絵図が残っている雪女がいてもおかしくないよな。
      --
      屍体メモ [windy.cx]
      親コメント
    • by Anonymous Coward on 2007年02月23日 9時55分 (#1115389)
      たがみよしひさ氏曰く、雪女は本来全裸だそうですよ。
      全裸だと子供向け昔話として都合が悪いから服着せちゃったダケだそうで。
      親コメント
    • 伝説で「・・・あそこの毛だけの姿として描いている。」てのは変だなー。(pubic region は「あそこ」ではあるが、毛とは言ってない・・てのは置いといて)
      「描いている」というからには伝説をネタに後の人が描いた絵のことだろう。
      伝説自体は「裸の女」としか記述してないでしょ。(記述してなくても、そもそも衣服なんか必要ないし)
      --
      the.ACount
      親コメント
    • 英語圏ではDoggy Style [wikipedia.org]といいます。
      but other legends describe her as nude, with only her face, hair, and pubic region standing out against the snow.(脚注:Seki, Seigo Seki (1963), Folktales of Japan, p. 81, University of Chicago, ISBN 0226746143)
      大意:伝説によっては、雪女を裸で、雪をバックに顔と髪とあそこの毛だけの姿として描いている。

      という訳もなんか変で、
      しかし他の伝承によると雪女は全裸(顔と髪、恥部が雪原に対して際だって目立つ)で立っているという記述が為されている。
      ぐらいじゃないですか?

      誰ですか?
      体位がバックで雪原でアソコが丸見え、詳しくない身としては丁寧に出し入れするべきかどうかも分からない
      なんて斜め読みしたのは!
      --
      Youthの半分はバファリンでできています。
      親コメント
    • Appearance

      Yuki-onna appears as a tall, beautiful woman with long hair. Her skin is inhumanly pale or even transparent, causing her to blend into the snowy landscape (as she is most famously described in Lafcadio Hearn's Kwaidan: Stories and Studies of Strange Things). She sometimes wears a white kimono,[2] but other legends describe her as nude, with only her face, hair, and pubic region standing out against the snow.[3] Despite her inhuman beauty, her eyes can strike terror into mortals. She floats across the snow, leaving no footprints (in fact, some tales say she has no feet, a notable feature for many Japanese ghosts), and she can transform into a cloud of mist or snow if she is threatened.[4]

      容姿

      雪女の容姿は、背が高く長い髪の美しい女性とされている。その肌は人間離れして蒼白で、透明とさえ言われており、その姿が雪景色に紛れ込む要因になっている(ラフカディオ・ハーンの『怪談』での描写で最もよく知られている通り)。白い着物を着ている(拙解釈: ...ことが雪に紛れる要因に挙げられる)場合もあるが、伝承によっては裸身での描写がされており、そこでは雪に対して際立つのは顔と髪と陰部のみとされている。人間離れした美しさを持ちながらも、その眼差しは死に瀕する恐怖を引き起こさせもする。 雪女は雪中を浮遊し足跡を残さないとされており(事実雪女に関して、日本の幽霊の多くにおいて注目すべき点である、足が無いことを述べている物語もある)、その身が脅かされれば霧や雪煙に姿を変えることができるという。

      Wikipedia: Yuki-onna [wikipedia.org]、拙訳)

      ...というように、そこは2文目「Her skin is...」からの、雪に紛れるくらい白い肌をしていることの説明の続きです。「雪を背にすると顔と髪と陰部のみが目立つ」ことをことさらに説明しているわけじゃなくて、「それ以外の肌からは容易に識別できない」程度の記述でしょう。私もおぼろげにしか知りませんが、特におかしい部分はないんじゃないかと思います。

      というか、「but」を跨いだ反対側の節さえも省いて「大意」を汲み「訂正」すべきか案ずるって、飛ばしすぎですやん。

      親コメント
  • by zeroing (30451) on 2007年02月23日 12時26分 (#1115510) 日記
    私は情報系の研究科に所属していますが、この間学部生の卒研発表会(4研究室合同)で配布された予稿集に、参考文献としてWikipediaや個人のウェブページが示されたものが多くて驚きました。もちろんそれらの中にはある程度信頼できるものも含まれているんでしょうけど‥‥。
    • by Anonymous Coward on 2007年02月23日 14時38分 (#1115583)
      私はpublishされていないもの(Wikipediaを含めウェブ全般)は、たとえオフィシャルなものでも参考文献に入れるな、と指導していますけどねぇ。どうしても入れたければfootnote。
      基準は信頼できるかどうかではなく(その判断は書き手ではなく読み手がするものだから)て、検証可能かどうか。publishされていれば、版数なども含めて著者が参考にしたものと同じものを手に入れられるけれども、ウェブは消えるかもしれないし、著者が参考にした時と読者が検証する時で違うかもしれない。そういう検証不可能(ないし困難)な資料は、ウェブに限らず参考文献リストに加えてはいけない、というルールに、私の周辺ではなっています。
      親コメント
      • ということはwikipediaの特定の版ならOK?
        親コメント
        • by Anonymous Coward on 2007年02月23日 18時40分 (#1115713)
          えぇ、それがpublishされていればもちろん。Wikipediaが来年も10年後も残っていて、全ページ最初の版から最新の版まですべて参照できると期待できません。やはり一般論としては「Webは参考文献に入れるな」となります。
          という頭の固い話はおいといて今のWikipediaに関して言えば、できればページの版じゃなくてWikipediaの版が欲しいです。関連情報の繋がりもありますから。もう少し言えば、URLなどに縛られない程度にWikipediaが一般化すればなおいいです。例えば「広辞苑 第5版」の様に「Wikipedia 5.12.4.113版」などと示せるようになれば、参考文献の書式としては私はOKと言うと思います。
          ただしそれとは別に論文の内容として、Wikipediaなんか参考にすんなよ~と言ってしまうかもしれませんけどね。;)
          親コメント
      • by rascal (33552) on 2007年03月08日 15時32分 (#1122697)
        今更感はあるけど、ちょうど今論文を執筆中に参考文献を書きながら思いついたので書いてみる。

        別スレッドで、Webは無くなるかもしれんから駄目見たいな事を書いたけど実は重要なのはそこじゃなくて、文献をciteする時のポインタが不変かどうかなんじゃなかろうか。
        書籍だとISBN、論文誌のISSN、その他どの学会のいつの研究会の何番目の報告など(ISBNは絶版になった後使いまわされる可能性があるとかは置いといて)、不変のポインタが存在するが、URLは不変なポインタとして使えない、というのがWebを参考文献にしないほうがいい理由なんじゃないかねえ。

        ま、そうは言ってもfootnoteでは不十分で、あえてciteしたいWebって特に見当たらないけど。
        親コメント
  • Wikipedia自体が「本当かどうか検証できるようにしましょう」ということなので
    本来なら、出典とされている文献を見るべきと、上の方で言ってますが。これはまさに正論。

    だが一番怖いのは
    『出典とされていた文献が、実在するかどうかの検証がされていない』ということだ。
    特に薬品関係等について、それっぽい海外書籍の名前と項目名とページ数を記しておいて
    それがどれだけ放置されてしまうのかは、とても興味深く、そして恐ろしい。

    --
    ==========================================
    投稿処理前プレビュー確認後書込処理検証処理前反映可否確認処理後……
  • 興味深い? (スコア:1, すばらしい洞察)

    by Anonymous Coward on 2007年02月23日 7時59分 (#1115335)
    >ただ、史料が誤読されて伝言ゲームで「歴史」が変わっていく現象は、歴史学としては
    >興味深いテーマのような気もする。

    普通にあるでしょ?
    • Re:興味深い? (スコア:1, 参考になる)

      by Anonymous Coward on 2007年02月23日 9時17分 (#1115366)
      ・原本がない/定まってない/複数ある史料なんてざら
      ・史料は転写の過程でミスや意図的に改竄されていくもの
      複数の伝本を対照して変遷の過程をつかむのは文献史学の基礎作業ですから、いまさら

      >歴史学としては
      >興味深いテーマのような気もする。

      というのはどうかと。
      Wikipediaは出典を挙げてないことも多いので、他の分野はともかく史学ではレポートに
      使っちゃだめでしょう。
      親コメント
      • Re:興味深い? (スコア:2, 参考になる)

        by hiddenangel (14285) on 2007年02月23日 11時07分 (#1115440)
        今までは「かつて起こったバリエーションの糾合」だったものが
        「いま起こってるバリエーションの糾合」の作業になるわけで、
        「なんでそんな事しちゃったんだ?」と、本人を問い詰めてみる
        のが可能な分だけ興味深い気もします。

        【歴史】学的に興味深いというか、
        【歴史学】学的に興味深い事になるような気もしますけど。

        人類史上、多数の人の目に触れうる文章が現在ほど書かれている
        時代はないわけです。でありながら、書かれた文章に対する
        取り扱い方に変化は特にありません。
        このミスマッチが、喜劇的な状況を生み出してるんでしょうね。
        いつかどこかで悲劇的な状況も生むのではないかな。
        親コメント
        • Re:興味深い? (スコア:1, 参考になる)

          by Anonymous Coward on 2007年02月23日 11時29分 (#1115458)
          >【歴史学】学
          「メタ歴史学」という意味ですな。

          情報伝達における複製ミスや歪曲のパターンは、心理学やその周辺領域では、わりとありふれた研究で正直目新しいものではありません。そういうパターンに関して何か分かったとしても、歴史学の史料批判にはそれほど役に立たないでしょう(もっと手間は掛かるが確実な手法がたくさんある)。

          それよか、
          > 書かれた文章に対する取り扱い方に変化は特にありません
          「検索」だけとっても大きな変化にがあるように見えますが。
          親コメント
          • 教育目的 (スコア:2, すばらしい洞察)

            by maia (16220) on 2007年02月23日 11時41分 (#1115473) 日記
            史料誤読、改竄、歴史(というか神話に近いもの)の形成過程の、反面教師というか実例として、逆に教育的に使えるのではないかと。
            イエズス会が島原の乱を支援していたって見方は、アメリカの学生の先入観をどこかで反映している。そこを見つめるチャンスにもなったはずだし。
            親コメント
    • Re:興味深い? (スコア:1, すばらしい洞察)

      by Anonymous Coward on 2007年02月23日 11時32分 (#1115460)
      ということは、「定量的にどれだけの誤読・ノイズが加わった場合、どれだけ変化し、定着していくか」っていうようなことを調べた研究があるってことですか(センスとしては、遺伝情報の変異と種の分化に似た感じ?)。
      親コメント
    • by Anonymous Coward
      普通にあることは何故起こるか、どのようにして起こるのか、その原因は? 防止策は?
      それを考察するのはとても興味深いことだと思います。
  • by soltiox (25610) on 2007年02月23日 14時51分 (#1115591) 日記
    // あれ?違った?
  • by Anonymous Coward on 2007年02月23日 8時38分 (#1115350)
    島原の乱が外国で試験に出るとはねぇ。天草四郎もビックリだ。
  • by Anonymous Coward on 2007年02月23日 8時42分 (#1115354)
    通史からみて変な記述があるようだ。
    1. 近畿ではまず石田光成が挙兵したことになっている。
    2. 毛利秀元が東軍に内応していたため動かなかったともとれる記述がある。
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コンピュータは旧約聖書の神に似ている、規則は多く、慈悲は無い -- Joseph Campbell

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