Microsoft Windows 3.0発売から20年 99
ストーリー by hylom
残念ながら見たことがないです 部門より
残念ながら見たことがないです 部門より
あるAnonymous Coward 曰く、
Microsoft Windows 3.0の英語版が発売されたのは1990年5月22日。先日で満20年が過ぎたことになる(本家/.記事)。
Microsoft Windows 3.0はMS-DOS(もしくはDR-DOS)上で稼働する本格的なGUIとして2.1xから大きな進化を遂げており、その後発売される3.1の爆発的ヒットに繋がるものであった。当時の思い出話や懐かしいネタなど、多いに語って頂ければと思う。
5年前まで現役でした。 (スコア:3, 興味深い)
# 機械の廃止に伴い退役。それが5年前だった。実勤15年か。
SDK が高かった (スコア:2, 興味深い)
ついでにメモリも当時 note のクセに 8MByte ものやつをいっしょに
買ったので両方で確か 25 ~ 30 万ぐらいしたような覚えが。
あの頃は紙のマニュアルだったから重かった。
ほとんど捨ててしまったけどアセンブラのだけは未だ取っておいてある。
当時はアセンブラで組むなんてアフォな事してたしなぁ。
# 単にコンパイラに回す金がなかった、という話もある ^^;;;
おかげで Visual Basic Ver1 (英語版) が出た時はショックだった。
Hello World がさくっとコンパイル出来て実行ファイルが数 KByte で
済んだ (もちろん別に DLL が必要なわけですが…) からなぁ。
輸入版でも 3 ~ 4 万円ぐらいだっけ。SDK+MSC と比べるまでもない。
# 「いいだろぉ、買うよな?、実はもうお前の分は予約してあるから」と
# 気を利かせて (?) くれた神保町の某ショップは既に無く…
記念に (スコア:2, おもしろおかしい)
googleロゴのところで動くようにすればよかったのに。
使ったことはないけれど (スコア:1, 参考になる)
Windows 3.0といったらやはりDDD [google.co.jp]。640×400(笑)で生活していた身には衝撃だった。
# ぷらっとホームで実際の画面見たんだっけ。
ナツカシス (スコア:2, 興味深い)
さらば愛しのPC98とか読んでたなぁ~
SUPER ASCIIとかも、このあたりだっけ?
ある意味、とんがった雑誌が一番多い時代。
Re:使ったことはないけれど (スコア:1)
DDDが発売されて程なく、大阪の日本橋にはそれまで無かったAT互換機を扱うショップがちらほら出現した。
日本語Windows3.0 + DDD は日本のパソコンがPC98からAT互換機に移行する大きなきっかけだったと思う。
年とった (スコア:1)
使ってた、
というか、DOS/V PC用に買ったら付いて来たので
試しに使ってみたような..
うろ覚え..
30分置きにリスタートしてたような気がする。
20年も経ったのか。
いろいろあったけど忘却の彼方 (スコア:1)
でももう古すぎてよく思い出せない。
・英語版Windows用のドライバーで日本語を使えるようにするソフト。
・DOS/Vをハイレゾでつかえるようにするソフト。
・OS/2上でWindows 3.0を動かせるようにしてたよね。あれがWARPだったっけ。
あの頃は、config.sysとautoexec.batをチューニングして環境を作ってたよなあ。
本体も部品を買ってきて組み上げてたし、ソフトもハードもプラモデルみたいで面白かったなあ。
Re:いろいろあったけど忘却の彼方 (スコア:2, 興味深い)
>・英語版Windows用のドライバーで日本語を使えるようにするソフト。
おそらくWin/V [mycom.co.jp]のことかな。
>・DOS/Vをハイレゾでつかえるようにするソフト。
V-TEXT ですね。でもこれは Win3.0 と関係ないw
>・OS/2上でWindows 3.0を動かせるようにしてたよね。あれがWARPだったっけ。
OS/2 2.1(日本語版はOS/2J2.1)のこと。ちなみに Win3.1 が載っていたのは OS/2 2.11。
Re:いろいろあったけど忘却の彼方 (スコア:1)
>おそらくWin/V [mycom.co.jp]のことかな。
それじゃなくって、当時のIBM-PC用のWindows 3.0にはIBM純正機用のドライバーしかついてなくって、しかも英語版Windows用のドライバーが使えなかったんですよ。
だから自作機で日本語Windowsを使うためには、自分でドライバーをなんとかして用意しなきゃならなかった。
そこで、英語用のドライバーでも日本語Windowsで動くようにしたソフトが売ってたんでですよ。
>・OS/2上でWindows 3.0を動かせるようにしてたよね。あれがWARPだったっけ。 OS/2 2.1(日本語版はOS/2J2.1)のこと。ちなみに Win3.1 が載っていたのは OS/2 2.11。
そうですね。2.1でしたね。あれは便利だったなあ。
Re:いろいろあったけど忘却の彼方 (スコア:1)
あれがなきゃ、自作機で日本語Windowsが動かせなかった。必須アイテムでした。
この頃の事だったのかな (スコア:1)
MSとメーカの力関係がひっくり返る前後をおもしろおかしく際立たせようって
話だろうと理解してたけど、もしかして実話なんかな。DOSなのかWindowsなのかも知らないし。
Re:この頃の事だったのかな (スコア:1, 興味深い)
当時のゲイツはBASICのマシン語コードを1byteも違わず暗記していて、会議の際には移植にあたってコードサイズの増減の見積もりをその場でホワイトボードに書き出したという話は読んだことがある(少しうろ覚え)
Re:この頃の事だったのかな (スコア:1, 参考になる)
「ビルゲイツからの手紙」みたいな新聞連載のコラムを昔に読んだんですが、ゲイツ氏最後のプログラム仕事はPC-8201のBASICとターミナルソフトだそうです。
Re:この頃の事だったのかな (スコア:1)
MSのエンジニアがNECに行った
どちらが本当かは知りませんが、(MSの情報提供を受けてNECが勝手にやってたと言う説も)
MSとNECが提携してPC-9801用にOSを作ったのは確かでしょうね
# 今も手元においてあるWinodowsNT4のパッケージ
# PC/AT,PC-9800シリーズ,MIPS,Alpha,PowerPC対応と書いてある
# 今から思えばPC-9800だけ浮いてるよな?
ガイドブックまだ持ってます (スコア:1)
JTSS
20年も (スコア:1)
ウィンドウを閉じる癖 (スコア:1)
私もWindows 3.1頃からですが、未だに「ウィンドウを閉じるときにはウィンドウの左上をダブルクリックする」癖が残っています。Windows 95 ~ XPで言うとプログラムのアイコンがある所です。この癖が残っているのは、マウスを手首だけで使う癖があり、右上の×ボタンを押しづらいというのと、実は今でもこの方法でウィンドウを閉じる事ができる為だったりします。
数ヶ月前よりWindows 7を使い始めたのですが、ウィンドウ左上にのアイコンが無くなっていました。最初もう使えない方法なのかと思っていたのですが、どうやらまだ有効らしいです。ただアイコンが無いのでパッとマウスを持って行きづらく、その為か反応する場所が狭くなっているような感じを受けました。Google Chromeのように、標準のAPIを使わずにウィンドウを作成してあるプログラムも増え、そろそろ右上×ボタン押下に慣れなければならないのかなと思います。
#HHKなのでAlt + F4は面倒なので。あ、Vistaはスルーなので分かりません。
3.1でVideo for Windows 体験 (スコア:1)
10分弱の Video for Windowsデータの再生がコマ送り状態で1時間近くかかったのを思い出しました・・・。
#2周目ではもっと速く通常の1/3くらいの速度で再生されましたが・・・。
386でも動くというあのOS (スコア:0)
実際使ってみたら利便性とかで大きく支障が発生するんだろうけど・・・
Re:386でも動くというあのOS (スコア:1)
#実は通常がTurboモード、古いソフトを動かすときにはTurboを切って低速にする
他にもDOS画面のスクロールを遅くするドライバがあったような気がする・・・
Re:386でも動くというあのOS (スコア:1)
Re:386でも動くというあのOS (スコア:1)
ちょっとソースは示せないのですが、Win3.0(3.1)あたりのOSは当時のハードウェア能力(速度)に依存した作り(プログラム内にウェイトや処理待ちを入れていない)になっているそうです。
例えば、
Dの実行にはB,Cの終了が前提という処理があった場合、当時のハード能力ではBよりCの処理の方が確実に早く終わる、という状況では、Dの処理はBの終了を持って開始、というソースになっているそうです。
これを現在のハードで動かすと、BとCの処理速度に差がなくなり、Dの実行時にCの処理が終わってないという状況があり得る、と。
そんなわけで、最新PCにWin3.0をインストールしても動かない可能性が高い、というお話でした。
#その前に導入可能ハードチェックで弾かれると思うけど。
英語版やエプソン版は8086でも動きました (スコア:0)
3.0Aでした (スコア:0)
同じパソコンで動くのに、NEC版、EPSON版、MSKK版と、3種類あって日本語変換などに差違があったような気がします。
Re:3.0Aでした (スコア:2)
3.0Aは東芝版もありました。Lotus1-2-3の挙動が違ったような気がします。
286でも何とかすれば動きましたが、プロテクトモードとかどうなってたんだろ?
Re:3.0Aでした (スコア:1)
プロテクトモード自体は 286 も積んでいたからいけないことはないのでは。リアルモードに戻るためには CPU のハードリセットが必要となったと思いますが。
東芝だと AX 互換機向けとかな気がしますね。
Re:3.0Aでした (スコア:1)
なんかものすごい裏技っぽい感じが……。(笑)
ASCII 辺りで出ていた PC-98 スーパーなんたらブックとかいう辺りだと、CPU のハードリセットくらいしか書かれてなかった気がします。
Re:3.0Aでした (スコア:2, 参考になる)
元ACさんのおっしゃっている変遷というのは、リアルモードへ戻る方法が三種類あり、下の方が新たに使われるようになっていった、ということですね。
1.CPU外部のハードウェア(キーボード)に頼んでリセットしてもらう
PCメーカーが標準で用意した方法です。
真っ当(?)な手段ですが、ミリ秒単位の時間がかかるという弱点が……。
ハードウェアなので、手法が機種依存するという問題もあります。
2.わざとトリプル・フォルトを発生させてバスコントローラにリセットしてもらう
これは多分、マイクロソフトの方が発明(^^;)した方法です。
ぐぐってみたら、中の人のブログに解説がありました。
Faster Syscall Trap redux [msdn.com]
IDTが無効なために連続で3つフォルトが発生し、ハンドリングできずにリセットがかかるとのことです。
3.LDALL命令で制御レジスタを変更してリアルモードに戻る
286の隠し命令です。LOADALL [wikipedia.org]と呼ばれることも。
戻る手段があるのなら、最初から言ってよ、と(^^;)
Re:3.0Aでした (スコア:1)
FM-RやTownsのはどうだったかな・・・
Re:3.0Aでした (スコア:1)
-- 哀れな日本人専用(sorry Japanese only) --
Re:3.0Aでした (スコア:1)
名前は知ってるけど、かなり強引な説だな >経済構造の大きな転換が起きたのは85年のWindows1.0
Windowsシリーズの原点と言えばそうだが。自分の経済観とWondows1.0を強引に結び付けてるだけじゃないのか?
動画機能なんか無かったし、Star,Lisa,Macと言ったもっと古株のWindowシステムも黎明期
当時AT互換機は触ったけどほとんどDOSベース、デジタルリサーチのGEMは評価用に触ったけどWindowsなんて
話題にもならなかった。
Re:3.0Aでした (スコア:2, おもしろおかしい)
>ある有名な *経営コンサルタント*
〜 Wikipediaより 〜
* Windows の開発によって新しい時代を招いたビル・ゲイツに敬意を払い、Windows バージョン 1 が出た 1985 年を「新時代の元年」とし、
それ以前を「ビフォー・ゲイツ (BG)」、それ以後を「アフター・ゲイツ (AG) 」と呼ぶ造語を作ったと述べている。
# 誰か磔にしてあげて。
Re:3.0Aでした (スコア:1)
Re:3.0 vs 3.1 (スコア:2, 参考になる)
細かな使い勝手がかなり向上したが、一番大きいのはメモリマップで8086用のモードが消えてプロテクトモード(実質386)のことだけを考えてプログラミングして良くなった。
プログラム作成の上ではかなりめんどくさい制限が外れたので、3.1の発表会では拍手喝采が起こったという・・・・
発売と同時に切り替えが済んだ(誰も3.0のプログラムを作らなくなった)点で画期的。
具体的にどんな制限だったのかは忘れちゃった。
# あの頃は、ジーンズ(MS)がスーツ(IBM、OS/2)を破った!ってことで、
# MSこそハッカーの側にいるような印象だったのが今となっては隔世の感がありますな。
Re:3.0 vs 3.1 (スコア:1)
Re:3.0 vs 3.1 (スコア:1)
Re:3.0 vs 3.1 (スコア:1, 参考になる)
4.0(95) -> 4.1(98)
5.0(2000) -> 5.1(XP)
6.0(Vista) -> 6.1(7)
.1を侮るなかれ。
Re:3.0 vs 3.1 (スコア:3, おもしろおかしい)
全くもってその通りですね。
Re:3.0 vs 3.1 (スコア:1)
あまり使わなかったのでよく覚えてないんですが、3.0用のディスプレイドライバは
ドライバごとに日本語化の必要があったような。
3.1ではそんなことなかったように思うんですが。
で、3.0用のDDDとか言うソフトで海外用VGAで日本語を表示できたような。
# ドキドキダイナモではない。
Re:爺……爺ッ!! (スコア:1)
今よりも安定していた気が・・・
Re:3.0 vs 3.1 (スコア:1)
Win/V って 3.0 時代にありましたっけ?
/V が出てきてから「ようやくそれなりに日本語環境として使える」(それなりにであって、しっかりと動作するという面では PC-98 用や公式日本語版を使う必要がある) とか、業務利用という面から見ると「で、既存のプリンタ (NEC PC-PR2xx とか) は使えるの?」などの面からきつかったという点が多かったように思います。
Win/V は Wikipedia なんかで見ても記憶通りの 3.1 からしか記述がないし、ライトなユーザーが 3.1 前を使うのは (日本語を扱う上で) 結構レアだった印象です。
3.1 になると /V などを使わなくても普通に日本語が扱える、日本 PC 市場参入が増加する国内、海外メーカーの増加や再参入なども増え、さらに実売 10 万に迫るようなデスクトップ PC の攻勢、Win95 発売などで、「周辺機器もまとめて買い替えてもいいんじゃないか」という程度の金額になり、一気に PC-98 が倒れたという感じはありますが。
ですから、NEC PC-98 などによって作られた「日本向けの PC 環境」に求められる要件を満たせなかった 3.0 時代では PC-98 の牙城を崩せなかった、と考える方が妥当だと思いますね。
# AT 互換機向けで「※ただし FM-V DESKPOWER を除く」の拡張機器が大量に出たのもこの頃ですか。
Re:3.0 vs 3.1 (スコア:1, 参考になる)
> Win/V って 3.0 時代にありましたっけ?
Win/Vは3.1の後に発売され、日本では発売されなかったWindows for Workgroupsを無理やり日本語で使うために西川氏が開発したものでして、一部マニア層に受けたわけですが、本来恩恵を受けるべきは企業ユーザーであったろうと思います。
というのは、もともとWFWが開発された理由は、米国の企業ユーザーにはすでにLANが普及し出していて、ネットワークにつながらないWindowsはお仕事には使えないという声が上がってたからなんですね。WFW(とくに3.11)の登場は、ネットワークを標準サポートする安いOSとして、OS史上、Win95以上に画期的なものだったと思います。WFWが未発売だった日本は、ネットワークの普及でも米国に遅れを取ることになったわけです。
> 「日本向けの PC 環境」に求められる要件を満たせなかった
DOS/Vの発売自体、日本語版Windows3.0の発売とほぼ同時期でしたからね。遅すぎです。AXとかしょうもない迷走を経て、日本IBMが開き直るまでずいぶん年月がかかりましたが、しかしメーカーの思惑とは別に、英語版のDOSを日本語化するハッカーが現れなかったのは残念なことです。米国では80年代から、ヘラクレスという安いハイレゾボードが普及していました。なのに日本人は高くて画面の狭いPC-98で、10年近く満足していたのです。
Re:3.0 vs 3.1 (スコア:1)
Re:プログラムマネージャー (スコア:2)
Re:プログラムマネージャー (スコア:1)
机上の事務作業をコンピュータの画面のUIとして実現した(アプリケーション→白紙の書類、ファイル→書かれた書類)Macintoshに慣れていたので、コンピュータの要素(ファイル、実行可能ファイル/プロセス)をそのままGUI化した(ファイルマネージャ、プログラムマネージャ)という考えにとまどったのでした。
実際使うようになったのは最初の就職先でNT4.xくらいからですが、一つのリーズナブルなUI設計の形ではあると思いますよ。
Best regards, でぃーすけ
Re:プログラムマネージャー (スコア:1)
自分でも別の物に置き換えてましたが
Re:FDの山 (スコア:2)
>何枚もFDを差し替えながらインストールする手間
英語版Windows 3.0はフロッピー3枚(DOS別。日本語版は5枚)で提供されていた筈ですが、そんなに手間でしたか?
さすがにWindows 95の20枚超を見たときは「これからはCD-ROMにしよう」と思いましたが。
Re:FDの山 (スコア:1)
手間を減らすためにHDDに全部コピーしておいたりもしました。
CDなら時間が短縮されるだけですけどFDの場合差し替えの手間が馬鹿にならないですからねえ。
Re:FDの山 (スコア:2)
Windows3.0AよりFD枚数多いゲームなんてたくさんあったし(一般作だよ)
当時枚数多かったといえば98版Borland C 3.1が17枚だったかな。
(こいつはFD枚数よりマニュアルの多さでビビった。結局使ったのはTASMばっかり。)
五太郎も酷かったような。買わなかったので枚数覚えてないけど。
(四太郎の次は一太郎Liteだった。八太郎まで重すぎ。九太郎でずいぶん改善された。)