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教育

高学歴の親の子供は「死」をネガティブに捉えない傾向が認められる 90

ストーリー by kazekiri
死だらけ 部門より

capra 曰く、

子供の「死」への恐怖、「死」の捉え方やそのアプローチに大きな影響を与えているのは周りの大人の「死」への理解であるそうだが、親の学歴がこれに関係していることが明らかになったそうだ(Medical Daily本家/.

スペインのグラナダ大学の研究によると、大卒の両親のもとで育った子供の方が「死」の話題を避けたり「死」を恐れたりせず、「死」に対するネガティブな考え方が少ない傾向があるという特徴があるとのこと。 また、特に「死」の話題を回避することは子供の恐怖を助長するそうで、「死」を恐れる子供の76%は、その原因が母親による「死」の話題を回避にあるそうだ。

この研究では、教育で「死」を取り上げることの大切さも指摘している。調査対象の教師のうち80%がカリキュラムに「死」に関する内容は組み込まれていないと回答しているが、教育で「死」を扱うことによって子供たちに「死」について考える適切な方法やリソースを提供することは重要であるとのこと。「死」を教えることは「生」を重んじることを教えることに他ならず、メディアによって歪んだ形で誤って伝えられる「死」を払拭することもできるという。

タレコミ人自身は「死」を恐れるのは当然であると思うし、恐れることに問題はないと思うが、ただ誰かや何かの「死」に直面する機会がもっとあれば「死」の話題も回避されず、無知からくる恐れや憧れではなく生命の仕組みの一環として受け止めることができるように思う。

調査対象の教師は「教育で『死』を扱うことは、子供達が『生きること』に対しよりリアルで濃密なアプローチを取ることにつながり、実際に誰かの死に直面したときの悲しみの過程によって引き起こされる様々な問題を防ぐことにもつながる」と述べているそうだが、ある程度の人数を対象に何らかの一律の方法で「死」を教育することは難しいのではないだろうか。/.J諸兄方のお考えを伺いたい。

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  • 片手落ち (スコア:2, すばらしい洞察)

    by the.ACount (31144) on 2010年12月07日 11時07分 (#1869793)

    生と死はワンセット。
    片方だけの教育なんて無理だ。
    これが難しいんじゃ、生命尊重も生き方も教育できない。

    --
    the.ACount
    • by Anonymous Coward
      園児になる前、意識を獲得した頃に、存在イコール生でその前はどうだったのと言う疑問と、
      当然ながら死が将来待ち受けているわけでこの恐ろしい問題を
      大人はどうやって解決してるんだ?と不思議に思ってたな。
      何も考えていなさそうなのはすぐ分かったけど。
      • by nemui4 (20313) on 2010年12月07日 14時57分 (#1869978) 日記

        >大人はどうやって解決してるんだ?と不思議に思ってたな。

        子供の頃に身近な「死」と遭遇した時、大人たちは憤り哀しみ嘆きそして慰め合っていました。
        たぶんそういうのを見て育ち「死」は避けられるものでもなく、遭遇して負の感情にさいなまれている人がいれば慰めるべきだと学習していたと思います。

        そういう課程については特に不思議には思っていなかったですけど、宗教で生まれ変わりや前世の因縁とか確かめようもないことや説明し切れていないことについては不思議だと思うというか疑問を感じていました。
        そのあとはそういうのも「おもしろいもの」だと理解していた気がします。

        親コメント
      • by the.ACount (31144) on 2010年12月08日 10時04分 (#1870401)

        A. もちろん前世もあれば来世もある
        B. 生まれる前は無、死んだ後も無
        C. 人間は有限オートマトンに過ぎないから、心や意識があると思うのは錯覚
        D. 量子力学では情報の消滅はないので、何かはある
        E. 世界のすべては眠れる神の夢

        どれがお好み?

        --
        the.ACount
        親コメント
      • by Anonymous Coward

        >大人はどうやって解決してるんだ?と不思議に思ってたな。
        意外と単純に考えていますが。
        生きている時間が増えれば周りで死ぬ人間も増える。
        更には、その死についての何らかの対処に責任を追う必要もまた増える。
        ただそれだけで。

        >何も考えていなさそうなのはすぐ分かったけど。
        てか、普段考える物じゃないってだけの話で。
        ま、この頃は親の死亡届も出せない大人も増えて来ているがね。

  • by tmkzr (19129) on 2010年12月07日 18時31分 (#1870107) 日記

    何故か指摘されていないようだが、ドイツなどは「死生学」 [wikipedia.org]として小学校の早い段階から死についての教育を行っている。最近日本でもこの死生学についてグローバルCOEに採択 [u-tokyo.ac.jp]されたりと、研究が進んできている。このような成果を取り込み、 死というものに早くから接し、自分や周りの人間にも死ぬ時が来るということを十分認識して生きていたほうが、人生に絶望したとき、愛する人を失ったとき、自死という極端な選択肢をとらずに済むのではないか、とは思う。

    システマティックな教育もある程度可能だろう。 すでに出ているし行われているけど、みんなでウサギを飼うとかすればそのうち死ぬだろうから「死」に接せさせることはできるだろう。他には何か本を読ませるとかやり方はあると思う。漫画でも例えば手塚治虫「火の鳥・鳳凰編」とか、アニメだったら「電脳コイル」とか最近の「マイマイ新子」もよかったし、文学だったら谷崎潤一郎とか福永武彦とか夏目漱石「こころ」とか、芥川龍之介「地獄変」とか、死を取り扱った作品はたくさんあるから(というか芸術を形作る衝動そのものといってもいいかもしれない)、きっかけを作ること自体はそんなに難しくはないと思う。

    ただそこから先に各個人が考えるべき領域があるのは確かだから、「死とは何か」「なぜ私は死ぬのか」「翻って生きるとはどういうことか」というような問題に安易に教師が一律な解答を与えるのは避けるべきと思う。そういう意味で、死の教育について、大量一括方式に限界があるのはその通りだろう。でもそのような機会が全く無いのとあるのとではまた違うと思う。

    結論としては、教育現場に「死」について考える機会をもっと設けたほうがよいと思う。ただ、教師の哲学的力量が問われるのは確かで、 「先生、なぜ人は死ぬのでしょう?生きる意味とはあるのでしょうか?」というような生徒の質問に、ごまかさずに宗教にならずに答えるのは難しい。そこが問題になると思う。

  • by Anonymous Coward on 2010年12月07日 11時29分 (#1869814)
    いい登山家は引き返すタイミングを知っているとか
    いい冒険家はとても臆病とか
    いい人生を送るにはその引き際の死ときちんと向かい合っておくのが大事ってこと
    きちんと向かい合えば何が無駄死にか見えてくるだろうし。
  • カント寺院の僧侶は教えてくれる!
    「金さえあれば大丈夫」と!!!

    #魔法使いのいかがわしい呪文とか、リセット技とか良くない!

  • 核家族化が進んでるし、親戚との物理的な距離もあり、
    身近に人の死を体験する機会が減ったんじゃないだろうか?
    学校教育だけだと、所詮、他所の出来事で終わっちゃいそうな気がする。

    --
    ☆大きい羊は美しい☆
  • 分からないというのはただそれだけで恐怖ではないでしょうか
    特に小さい頃の絶対的な象徴である親が教えてくれないとなれば
    尚更恐怖を感じるものだと思います。
  • どうでしょう?低学歴の母親は死の話題を回避するんでしょうか。スペインでは。

    肉親が死の床に着いたとき、オロオロしているように見えながら、見舞いの合間に喪服とか葬式用の顔写真とかの手配をガッチリ済ませている、そんなのが「日本の母」のイメージなんですが。実体はどうかな?

  • それはそれで問題だと思うんだ。

  • 高学歴の親の子供の死生観より、高学歴の親の死生観が子に影響をしている度合/程度を考慮に入れる必要があるのではないか…と思いました。

    死をやみくもに恐れる必要はなくて、受け入れる心構えを持つことができる大人に、いつか君も成れるよ、って言われたら、私だったら納得するかなあ。。

    #と、親でもなければ死について親に教わる年齢でもないので推し測ってみました

  • by Anonymous Coward on 2010年12月07日 11時09分 (#1869796)
    老人が親族(含む子供)に看取られながら畳の上で安らかに死ねるようになれば良い(今は人が子供のいるところで死ぬことは無い)
    • by saitoh (10803) on 2010年12月07日 14時50分 (#1869972)
      今の中高年世代だと、小学校くらいで祖父母4人のどっちかは亡くなって、死に目には会わないまでも死の床に着いているところを見舞うとかの経験をしているとおもいます。今では寿命が延びて、祖父母ともに孫の結婚式くらいまでピンピンしてるのがめずらしくありません。 幼児期~小学校あたりに身近な人間の死を体験してるかどうかが、なにか関係してないかなぁ。

      それと、近年はすっかり葬儀屋に任せてしまって、肉親ですら死体に触りませんよね。だから肉親が死んでもあまり直接的な死の体験にならないのかも。 僕は、末期の水、湯灌、死に装束を着せて・・とさいご骨を拾うところまでまで全部間近でみましたけども。

      親コメント
    • by Anonymous Coward
      平均寿命を70歳前後にするのであれば簡単に実現できますね。
    • by Anonymous Coward
      「死に目に会う」というのを重視するのは農村文化じゃあるまイカ?

      これだけ通信/交通が発達したのに、むしろ、死に目に会えないことの方が多くなってる気がする。
      30年生きていて、今まで一度も間に合ったことがないとこからの実感として。
      • by bit (41221) on 2010年12月08日 0時51分 (#1870302)

        >30年生きていて、今まで一度も間に合ったことがないとこからの実感として。

        少なくとも君自身の死に目には確実にあえるよ。
        遺産相続とか近くで争われていたりしたら、それこそ、
        ひとりにしてくれ..とか思うかもね。

        親コメント
      • by Anonymous Coward

        高齢化が進んでいるので、死に目に会うときには自分もとっくに定年退職している場合も多そうです。

        • by Anonymous Coward

          > 高齢化が進んでいるので、死に目に会うときには自分もとっくに定年退職している場合も多そうです。

          親の死に目とは限らないです。

          曾祖父母の死に目とか。
          関係が遠すぎて実感が沸かないかもね。

  • by Anonymous Coward on 2010年12月07日 11時12分 (#1869799)
    栄光ある帝国貴族の、滅びの美学を完成させるのだ!
    って話かと思った。
  • by Anonymous Coward on 2010年12月07日 11時18分 (#1869803)

    うまく伝えられるくらいなら、
    ゆとり教育の結果が、
    あんな残念なことにはなっていないと思われ。

    概念さえ理解できていない教員によるマニュアルのトレースなら
    やるほどに逆効果になるんではないかと。

    ・知っている
    ・できる
    ・理解している
    ・教えられる
    ・教えさせることができる

    この大きな違いを理解するとこから始めていただかなければというのが、
    現在の日本教育機関における現状ではないかなぁ。

  • by Anonymous Coward on 2010年12月07日 11時22分 (#1869807)

    死をネガティヴに考えたり、恐れたりするのは、生物として当然の、自然な感情なのではないでしょうか。

    それを、死をネガティヴに考えないように教育しようというのは、なんだかおかしいと思います。

    • 人にとって死は、ある程度コントロールできる現象なのですよ。
      だからこそ恐れる必要はないということです。
      少なくとも日本国内では普通に生活していて殺されたり病気や事故で死ぬ可能性は昔と比べて段違いに少なくなりましたからね。
      寿命でさえ平均80歳程度ということも分かっていることです。

      私は死期を選ぶ自由が尊重され、
      安楽死が認められる世の中になれば良いと思います。
      人が発達して死がコントロールできるまでになったのなら当然の権利ですよ。
      親コメント
    • by Anonymous Coward on 2010年12月07日 12時06分 (#1869844)
      「お父さんが急に死んだらどうする?」というような問いに対して、
      「そんなこと考えるだけでも不謹慎だ止めろ」で思考停止するか、
      それも現実に存在する可能性として万が一に対する備えを冷静に考えるかの差ぐらいに思った。

      まあ、適当な額の保険に入ってもらうか、それなりの蓄えをしておくぐらいしか無いから、変に深く考える必要もないんだけど。

      祖父が医者から「1年以内を覚悟してください」と言われる病状の時の親族会議を
      「不謹慎なことを言うな」でひたすら邪魔された経験上。
      親コメント
    • by Anonymous Coward
      ここでいうネガティブとは「考えようとしないこと」だと私は捉えています。
      無関心でいること、無関係に振舞うことが問題と言いたいのでは?
      • by Anonymous Coward

        > 無関心でいること、無関係に振舞うことが問題と言いたいのでは?

        それはたしかにそのとおりだと思います。

        しかし、死に関する教育を導入した結果、生徒が死を恐れなくなったり、
        ネガティヴに捉えなくなったりすることがあってはまずいと思います。

        むしろ、「ひとはみな死ぬのだから(あるいは、よりよく生きるための
        手助けになるように)、死に関する教育を導入すべきだと思うのだけど、
        下手に導入すると、(高学歴の親の子供に見られるように)死に対して
        ネガティヴな考えを持たなくなってしまうという問題がある。死について
        どのように教育すれば、そのような問題を回避することができるだろうか?」
        という問題提起の形であるべきではないかと思います。

        • by Anonymous Coward

          なぜあなたは「死を伝える」教育を規制しようとするのですか?

          生徒が死ぬことを恐れなくなったり、ネガティブに捉えなくなったりするという
          根拠のない言いがかりは、なにを目的としていますか?

          下手に導入するとなどと回避文言を入れていますが、「死を伝える」教育をした
          後に生徒が死んだら、すべてその教育のせいにする気が満々ですね。

          あなたは無自覚な表現規制者の典型です。

          • by Anonymous Coward

            > なぜあなたは「死を伝える」教育を規制しようとするのですか?

            そう読めましたか?死を伝える教育をするには、考慮しないといけないことがあり、
            それを解決しなければならない、という問題提起をしましたが、問題があるから
            やめようとは言ってませんよ。むしろ、問題解決(による、死に対する教育の
            実現)に向けた議論が起こるような方向へと道を作ったつもりです。

            > 生徒が死ぬことを恐れなくなったり、ネガティブに捉えなくなったりするという
            > 根拠のない言いがかりは、なにを目的としていますか?

            「根拠のない」と決めつけているようで

        • by Anonymous Coward

          むしろ、死を伝えない教育の結果、
          今の子供は死=ゲームキャラの死
          しか知らず、リセットすればいい
          という誤った認識に至るのですが
          如何?

          生死や、生命の尊さを教える事は
          今も学校で動物を飼う事を通じて
          教えているのですが。

          #文脈から軍事を連想させたい?
          #死を恐れなくするのは、死を知
          #らせないではなく麻痺させる事

          • by Anonymous Coward
            レイズで生き返るからリセットの必要もないしな。
          • by Anonymous Coward

            > むしろ、死を伝えない教育の結果、
            > 今の子供は死=ゲームキャラの死
            > しか知らず、リセットすればいい
            > という誤った認識に至るのですが
            > 如何?

            リセットすればいいという誤った認識が問題であることは合意します。
            それが「死を伝えない教育の結果」かどうかについても、多分そうでしょう。
            ゲームなどに表現されている誤った死のイメージが氾濫しているという現状が
            ある以上、それに対抗する正しい死のイメージを伝えることが必要でしょう。

            > 文脈から軍事を連想させたい?

            ちがいます。ストーリーにあるグラナダ大学の研究者らは、死を恐れることに
            対して

        • by Anonymous Coward
          ネガティブだけで完結させない事が死への教育と考えています。
          自然への畏敬と呼べばよいでしょうか。死という事実を受け入れることで、よりマクロな考え方を養うことが可能ではないでしょうか。

          あなたが言いたいことは死への尊厳を無視し、人命を軽視する考えを持つことへの警告と捉えていますが、死の教育にネガティブ(消極的)な考えとは少々議題が違うものではないでしょうか。
        • by Anonymous Coward

          s/死/性行為/g
          で読んでみた。

    • by Anonymous Coward

      同族の死を徹底的にデコレーションして包み隠す方が不自然です。
      そんな演出された死によってのみ得た、いわば作り物の感情が、
      果たして生物としての自然な感情であると言えるでしょうか。

      個人的な経験ですが、ヒトの亡骸を初めて見て触れたのが三十路過ぎ。
      その歳になるまで見ずに済んできた幸運に感謝するとともに、
      そういう現実を知らずに過ごしてきたことへの疑問も感じたものでした。

  • by Anonymous Coward on 2010年12月07日 11時23分 (#1869808)
    自殺者を減らすためにもっと恐怖心を育てた方がいいんじゃないか
    • by Anonymous Coward

      育てなくても、ヒトには生き物の本能として死への恐怖が組み込まれていると思った。そして、それを自ら乗り越えてしまうには相当の何かが必要だと思った。生命なんて結局は化学反応だと考えているのだけど。

      • by Anonymous Coward
        平常心で死ぬなら乗り越える相当の何かが必要だろうね
        自殺をした人の多くは、その瞬間平常心ではないと思いますが…
  • by Anonymous Coward on 2010年12月07日 11時31分 (#1869818)
    自分、近親者、知らない人の「死」に対する感覚が違う、
    ということに気づいて、それに疑問を抱けば、
    何かプラスになるかもしれませんね。

    全ての人類に等しく愛を、ってのは無茶ってもんです。
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日々是ハック也 -- あるハードコアバイナリアン

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