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4692 story

本家インタビュー:サイバー法学者レッシグ教授 92

ストーリー by Oliver
面倒くさがらずに読もう 部門より

ittousai 曰く、 "先日発売されたローレンス・レッシグ教授の新作『コモンズ:ネット上の所有権強化は技術革新を殺す』(原著" The Future of Ideas ")の本国での発売後2001年12月に本家でおこなわれたインタビュー Lawrence Lessig Answers Your Questions の日本語版。
本家slashdot読者から寄せられた「ミッキーマウス保護法のどこが悪いの?」「デタラメな法律でもこっそり破っちゃ駄目?」「理想の著作権法は?」「裁判官とか政治家って頭悪すぎなんだけど?」「P2P/DMCA/.NETってどう?」といった質問にレッシグ教授が時に雄弁、時に挑発的に答えまくる。"

これまでの著作権法の限界が見えてきているこの時代、その限界に挑戦し、そのむこうにあるものを模索しているレッシグ教授のインタビュー。知的所有権と著作権に保護された業界であるコンピュータ業界の人間にとって読んでおいて損はない。翻訳ありがとう > ittousai

質問 2001/12/11
答え 2001/12/21

1) The question of harm
著作権延長の害?
by caduguid

 先日のジャック・ヴァレンティMPAA(米映画協会)会長対レッシグのディベート第二ラウンド["創造、商業、文化"video]で、要約すれば「それがどうした?ミッキーマウスの著作権が20年延長されたところで、それが世の中にどんな害を及ぼしているのか説明してもらいたい。それが人々の創造性やものを作り出すことへのインセンティブをどう損なうというのか?」という重要な質問がヴァレンティ側からでたけれど、ディベートの流れでレッシグ教授は"小学校で授業の一環として撮影した映画が著作権侵害の恐れでシェア不可能に"というエピソードで答えただけでした。

 これについて、ひとつの例以上の明確な回答があればとても参考になると思います。著作権の保有者が利益を得る一方、公共にはなんの得もないこの著作権期間延長の取引が偏っているというのは私たちにも分かります。この決定は不公平だし、金が動いているのが感じられてむかつくけど、でもそこまでです。不快感だけじゃない公共への直接の害についてのはっきりした説明があれば、著作権保有者たちがすごく甘い汁を吸っているという二次的な害よりはるかに説得力があると思います。討論の間じゅうあなたがこの問題にもっと詳細に触れるのを待ってたけど、そうはなりませんでした。

ローレンス・レッシグ:

 まったくその通り。これはあの討論での大きな弱点で、長いあいだ私自身の弱点でもあった。
世界に対する私の見方からすれば、要は原則の問題であって実利(pragmatics)ではない。つまり、

1)著作権法は言論を封じる。もし君が私の本を歌にしたければ私の許可が必要で、さもなくば法律がその歌を排除する。

2)もし政府が言論を封じたければ非常に強い理由が必要だ。もしそういった理由がなければ、言論は封じられるべきではない-以上。何か発言する権利を得る前に、それがいかに価値があるか証明する必要などあるべきじゃない。

 しかしこれこそヴァレンティの問いが要求する事だ:「自分の言論がディズニーのそれに勝ることを証明せよ」と。逆にこういってみよう:「政府が私の言論を封じる正当な理由を持つことを証明せよ」。

 そして私は政府にもときには正当な理由があると信じる。著作権に関していえば、著作権法の意図するところは十分に正当な理由だと信じている。著作権法は作者に創作へのインセンティブを与える。作者に限定された独占権を与えることで彼らの創造性を支援する。そして多くの法律家的な物議の的となるだろうが、私はその支援が結局は封じ込めるより多くの言論を生むと信じているのだ。この見返り(「言論を生み出せば、限定された専売権を与えよう」)は、最高裁が述べたように、「自由な表現のためのエンジン」として機能する。

 だがこの議論は既にある著作権の期限延長を正当化することはできない。既になされた言論の保護期限を延ばすことでより多くの言論を生み出すことはできない。ハリウッドの援助があってさえ、議会が因果関係を逆転させることは不可能だ。われわれが何をしようと、過去のウォルト・ディズニーにより多くを創造させることなどできない。ディズニーに更に20年間ミッキーマウスに関する言論をコントロールする権利を何の見返りもなしに与える事は、言論に対する見返りなしに単に言論を封じることに過ぎない。そしてこの言論抑圧の規制は言論に対する何の利益も持たないゆえに、憲法修正第一条[言論の自由]のもとに打倒されるべきだ。

 この議論の弱点は、しかしながら、ほとんどの人は原則からではなく実利的に考えるということだ。彼らにとって重要なのは理想ではなく、それが実際どれほど問題となるのかだ。私はそれを示すことにまだ大きな成果を挙げられていないが、他の人々はすでにおこなっている。例えばthe OpenLawサイトのEldred v. Ashchroft裁判ページ、法学教授デニス・カージャラDennis Karjalaによる意見書を参照してほしい。

 しかし二度目(三度目だろうか?)の機会があれば、私はヴァレンティに対してこう言うだろう:

 第一に、ジャック、これはミッキーだけの問題じゃない。著作権に対する過去に遡っての延長は少数の特例にだけではなく、現在著作権の認められている(原則として1922年以降の)すべての作品に及ぶ。これが実際問題として何を意味するのか考えてもらいたい。

 1930年には10,027点の書籍が出版されていた。それらのなかで今も刷られているのは174冊だ。それでも、プロジェクト・グーテンベルクのMichael Hartが絶版になっている残りの9853冊をインターネット上で無償公開する事は著作権法により違法とされる-少なくとも、それらの著作権の現在の所有者を突き止め、許可をもらうことなしには。

どれほど困難だろうか?

 ほとんど不可能だ。著作権の保持者に登録の義務はない。ゆえに、1930年からの著作権の現在の保持者を突き止めるためには、まず作者が存命かどうか確認し、もしそうでなければ存命する親族を捜し出し、親族のなかで問題の著作権を受け継いでいる誰かが仮に見つかったとして、この朽ち果てつつある本をデジタル化する意志があるかを確認する必要がある。結論:著作権による制約のために、弁護士の一団なしにそれらの本を利用可能にしようとは想像もできない。

 なにがこれを正当化するだろうか?もしSonny Bono著作権期限延長法(1998年に可決、既存の著作権期限を20年延長)が可決されていなければ、1943年以降のすべての作品が今やパブリック・ドメインになっていただろう。これらの作品はすべてプロジェクト・グーテンベルクやエリック・エルドレッドEric EldredのEldritch Press, ブルースター・カールBrewster KahleのInternet Archiveによって無償で、あるいはDover Pressが行っているように有料で、利用可能となっていたはずだ。しかし現在、その法律のためにこれらの作品は法的規制のブラックホールに落ち込んでいる。Brewster KahleがEldred裁判に対して最高裁への意見書のなかで述べたように、いまやわれわれは人類のすべての知識をネット上に移すことができる時を迎えている。にもかかわらず法的規制がわれわれを阻む。なぜだ?

 第二に、この絶え間ない延長によって圧殺されている新しい作品についてはどうだろうか?Eldred訴訟についてのDC控訴審での弁論の後、ある女性がわれわれに接触してきて、彼女が1923年に出版された作品をもとに書いた脚本の話をしてくれた。彼女は既に十年近くその作品に携わってきたのだが、著作権保持者たちは彼女に公表や上演する権利を与えない。1998年に、その著作権は期限切れを迎えるはずだった。彼女はその劇を制作する契約書を受け取っていた。しかしSonny Bono法の後、問題の著作権はさらに20年延長された。そして、彼女の言葉は沈黙させられた。

 いったい何がこれを正当化し得るだろうか?1923年に出版されたその本はすでに刷られてさえいない。なぜ政府がすでに消え去ったも同然の作品を保護するために新しい作家たちを脅かすような活動をしなければならないのか?一体どれほどの創作者がこの現実をみて、実利的に考えて「苦労するだけの価値なんてないな。苦労は大きすぎるし、不確実性は高すぎる。」というだろうか?

 このような例は無数にあって、しかもほとんどの場合われわれはそれを知ることすらできない。討論で、ある小学校が授業で既存の映画を部分的にもとにした映画を制作したが、訴訟を恐れるあまりそれを上映すらできないという話をした。また『風と友に去りぬ』をアフリカ系奴隷の視点から描いた『風は過ぎ去ったthe wind done gone』の作者アリス・ランドールの例を挙げた。ミッチェル財団はアリス・ランドールに出版を許可しないと告げ、彼女が出版権を得るまでには数ヶ月に渡る高額の弁護活動が必要だった。何人のアリス・ランドールが単に諦めてしまうだろうか?

 ヴァレンティはランドールの例は些細なことだと述べた。しかしどこが些細だというのか?ひとりの作家が過去百年間でもっとも大きな影響力を持つ本のうちひとつを反対からみた物語の発表を望み、しかし原作者の遺産管理財団の許可なくしてはそれが不可能なのだ。ここアメリカで、有名作家の批評をするために弁護士の許可が必要とでもいうのだろうか?

 くり返すが、こういった現実的な利害の問題に関しては他に優れた人々が大勢いる。私にとっては、これは単なる侮辱であるとしか思えない。世界のアリス・ランドール達に向かって、「君たちは口を開く前に弁護士の許可が必要だ」と言いたいのか?ヴァレンティにこそ、そのルールの根拠を示してもらいたい。私がアリス・ランドールの発言する権利の根拠を示さなければならない、というのなら、われわれ弁護士がこれまで十分につかってこなかった言葉で答えたい-たわごとだ、と。

2) Is Copyright law a sham?
著作権法は欺瞞か?
by bw

 私自身の経験からして、知的財産権関連の法律、特に著作権法が大企業の利益のための道具に成り下がりつつあるのはあきらかだと思われます。しかしこの問題に対処するための一般市民からの真剣な取り組みがなされているとは思えません。議会はもっと無関心です。

 もし著作権の制限に対する政治的な取り組みが欺瞞に過ぎないとすれば、腐敗した法によって利益を得ている組織に対する隠れた市民的不服従という戦術を採るべきでない理由があるでしょうか?お聞きしたいのは、DMCAが悪法であるかどうかではなく、むしろ政府の腐敗を象徴していると確信できる法律に従わなければならないどのような道徳的理由があるのかという事です。

 結局、目立たない形で行われる脱法行為を阻止する有効な手段はないのです。私はDVDをクラックしたり大量のMP3を落としているわけじゃないが、いまから始めない理由がどこにあるか疑問です。

レッシグ:

 私は著作権に反対してるわけじゃない。例えば我々の憲法の起草者たちが定めた著作権(期限は14年で延長は一度だけ可能・限られた形態の作品に対して、登録した場合のみ与えられる・限られた範囲の権利のみを認める)は多少貧弱だが、あまりにも弱すぎるとは思わない。私はこれよりある程度強い権利の方がいいと思うが、期限についてはこんなものだろう。
 しかし、現在の著作権法は明らかに行き過ぎだ。特にこのデジタル時代には。技術革新で昔より遙かに多くのクリエイターに創作の力が与えられているとき、過去の法律はもう合理的じゃない。それは変わらなくちゃならない。

 問題はそれがどう変わるのか、だ。

 不服従というのは一つのテクニックだ。リスクがあるし代償はどんどん高くなってきてる。でも私が不服従に反対する理由はそれじゃない。

 不服従の問題点は世界に対するヴァレンティ的な見方を補強してしまうことだ。著作権を貯め込む企業や集団は彼らのコンテンツがどんな風に使われるかをほとんど完全に支配できるように、ますます極端な権利を要求するようになる。これに対して市民的不服従の運動は彼らはいかなる支配力も持つべきじゃないというメッセージを送る。完全なコントロールとコントロールの欠如どちらかといわれたら、ほとんどの人は完全なコントロールを選ぶだろう。つまり、我々の負けだ。

 不服従は、その目標にどんな種類の規制もあるべきじゃないという場合に意味がある。マーティン・ルーサー・キングがセルマからモントゴメリーへの行進を率いたとき、彼は限られた、あるいはバランスのとれた形の差別を主張してたわけじゃない。彼は差別の全廃を求めていたんだ。

 だが我々は著作権の全廃を主張すべきじゃない。我々はバランスのとれた、限定された形の著作権、憲法の起草者たちのものにより近い、著作権を貯め込む企業たちに進歩の邪魔をする力を与えずに、アーティストに生活のために稼ぐ権利を与えるような著作権を主張してゆくべきなんだ。

 これを理解できる人間がなにか行動を起こせば、この主張も進展させてゆけるかもしれない。もし、例えばスラッシュドットの読者がそれほど政治的に怠け者じゃなければ、何かが起こるかもしれない。もし君たちのなかから何か、例えば地元選出の議員にメールを送り続けたり、規制に反対する(EFFのような)ところに金を送ったりする人がより多くなれば、我々はこの極端な規制に抵抗できるだろう。

 だが私は楽観的じゃない。これを理解できる人間(例:君たち)は悲しいくらい非政治的だ。君たちは無関心を誇りにしてる。君たちは政治家を説き伏せてなにかさせようとする人々に辟易してる。私だってそうだ。だが何もしないでいるうちに、創造性とイノベーションの未来はワシントンD.C.で売り飛ばされてる-大抵は一番高値をつけた、一番むかつくような入札者に。

3) The Judicial Branch
司法関係者
by lblack

 司法関係者は技術革新についてゆくことができておらず、まともな判断を下す力がない。加えてサイバー犯罪に対して適用できる過去の判例の乏しさやDMCAのような“斬新な”法律のお陰でおかしな判例を残すことになっている。
質問:自由を守る、あるいは取り戻すために、これらの判例はどれくらいの障害になるだろうか?

レッシグ:

 以前は法律家たちは大した害にならないだろうと考えていた。サイバースペースについて連邦最高裁で争われた初の訴訟、リノ(司法長官)対ACLU(米市民的自由連合)に下った判決(1996年の通信品位法を違憲とした)は、まるで憲法が法律家たちに向かって「この言論の自由の聖地を汚さないように気をつけろ」といってるようだった。司法長官は国の規制がどんな害も及ぼさないよう国側に強い制限を課した。未来は明るく見えた。

 今は何もかもが変わってきた。法廷での争いがポルノから著作権に移るにつれ、バランスへの配慮も抑制も消え失せてしまった。法廷はどんな種類のテクノロジーでも“著作権への脅威”を理由に違法にしている。そういった規制がサイバースペースと言論の自由全般を脅かすかどうかについて何の考慮も無しに。

 法廷がテクノロジーを理解していないというのも理由の一つではある。だが私は裁判官がコードの書き方を知らないことが原因だとは思わない。問題なのは、裁判官たちにはある種のテクノロジーと法的な価値とのつながりが見えていないということだ。そして、それは我々が本来のサイバースペースのアーキテクチャ自体がもっている価値を十分に示してこなかったからだ。つまり、インターネットは自由という価値の体系を内包してきた。エンドツーエンドのデザインは、ネットワークの所有者たちはコンテンツや利用目的を選別して拒否すべきではないという考えを実体化したものだ。こういった価値が、他の手段ではありえなかったイノベーションの世界を作り出したんだ。もし法廷にこれを示すことができれば、こういった取り組みと裁判官たちの理解する概念とを結びつけることができる。

 ときどきスラッシュドットでの議論を読んでいると、君たちにもこのつながりが分かっているのかどうか疑問に思う。暗号化の権利を守るために費やされている情熱は素晴らしいし重要なことだ。けれど自由の未来にとっては、エンドツーエンドの価値がケーブル会社やネットワークの所有者たちによって歪められないようにすることも、ネットワークの本質的な部分が著作権収蔵者たちに歪められないようにすることも、周波数帯を政府の規制や支配から自由にしておくことも同じくらい重要なんだ。

 それなのに、こういった自由に関する議論はここスラッシュドットで行き詰まってる。これが私を一番悲観的にさせるんだ。もし君たちでさえイノベーションと創造性のための中立でオープンなプラットフォームの重要性を理解できないのなら、もし君たちでさえリバータリアニズムと財産権の20世紀的な論争の泥沼にはまってしまうなら、もし君たちでさえ共有地としてのネットワーク(ドット・コモンズ)が.com革命にとってどれほど決定的だったのかを理解できないとしたら、裁判官たちになにを期待できるだろうか?

 君たちのような人々がこの価値のアーキテクチャを作ったんだ。君たちがこれらの価値について話し合えるようになって、それを他の人々のために翻訳し始めるまでは、おそらく法廷も政治家たちも決して理解することはないだろう。

4) Leverage the knowledge of technical community
技術コミュニティの知識を活かす
by 2Bits

 たくさんの曖昧な法案が成立してきているというのに、大多数の人々はその存在にすら気づいてません。一方、技術コミュニティはそういった法案の制定を非常に注意深く見守っています。それに我々には自由やプライバシーに対する潜在的な影響や危険が理解できていると思います。でも技術コミュニティはとても小さな政治的影響力しかもっていないし、“政治ゲーム”をプレイする手がかりさえ持っていないように見えます。

 どうすれば我々のコミュニティの知識を活用して、政治家や一般の民衆をテクノロジーについて教育して、提出されている法案の影響を理解させる手助けができるでしょうか?つまり、議員に手紙を送る以外に、我々にはどんなことができるでしょうか?

レッシグ:

 これは素晴らしい質問だ。必要なのは翻訳者だ。ネットワークが持つ価値観というものを、技術者でない人々に分かる言葉に翻訳する必要があるんだ。そしてネットワークを構成するテクノロジーやアーキテクチャの変化を監視して、そういった変更がこの創造性とイノベーションの環境をどのように変えてゆくのかについて警告の声をあげなきゃならない。法律の世界での私のヒーローの一人であるジェイムズ・ボイルJames Boyle教授が表現するように、我々にはインターネットのための環境主義が必要だ。君たちはこの環境問題のエキスパートだ。君たちならインターネットの生態系への改変が創造性やイノベーション、そして自由といったネットが産み出してきたものをどんな風に破壊してしまうかについて明確に示すことができる。

 君たちはやってくれるだろうか?繰り返すが、私は懐疑的だ。こういった議論に焦点を合わせたり、人々を納得させる方法について協議するより、君たちはすぐにこれらの問題を見当はずれな口論に変えてしまう。私が“インターネットの「沈黙の春」”と評される本を書いたと誰かが投稿したときには、「DDTは本当に環境に害を及ぼしたのか?」なんてスレッドが立つ始末だ。いつの日にか自由が消え失せて、我々に残されたのは自分の考えを一番身近な人間にささやく権利だけになったとき、我々の子供たちは振り返ってこう尋ねることだろう。一体なぜ我々はつまらない口論をしていられる余裕があると思っていたのか、と。

 だがもし君に翻訳者になる気がなくても、環境への影響についての声をあげたくなくても、北カリフォルニアが南に、シリコンバレーがハリウッドに乗っ取られてしまえば自由もイノベーションも終わりだと伝えたくなかったとしても、まだトーヴァルズが勧めたことはできる。実際に闘っている人々に(特にEFFのような団体に)資金を送ることだ。私はEFFの理事の一人だから、どこを支援するかについては喜んで偏らせてもらおう。だがEFFにでも別のどこかにでも、トーヴァルズやその他歴史上の偉人たちの「十分の一税」に倣おう。一年分のインターネット接続料金を(君自身が払ってるのではなくとも)計算して、その10%を君自身の自由のために闘ってる団体に送るんだ。

5) file sharing and copyright law
ファイルシェアリングと著作権法
by stevenj

 OpenNapとかGnutella, Freenet, Morphiusやその他のファイルシェアリングシステムについてどう思いますか?個人が音楽やビデオの著作権法で認められてないコピーを配布するのは違法だと思いますか?特にどの営利企業も関わってない(つまりnapsterやgnutellaを除いた)場合、合法であるべきだと思いますか?配布した数や相手は関係ありますか?

 もしこれが違法であるべきだとするなら、法律はどう対処すべきでしょうか。こういった技術は著作権侵害と無関係の有意義な用途にも使えることを考えた場合には?

レッシグ:

 私はこういったテクノロジーを支持する。更に重要なことは、私はイノベーターたちのこういった技術を開発する権利を支持する。だが私はこれらの技術を使った著作権の侵害を支持してるわけじゃない。

 こういえば理解しやすいかもしれない。我々は毎日10人の子供たちが銃で殺される国に住んでいる。だがスミス&ウェッソンは彼らの技術を使って誰かが犯罪を犯したという理由でFBIに逮捕される心配なんてしていない。法律は技術の違法な利用を対象にするのであって、技術そのものを対象にしているわけじゃない。少なくとも、そのテクノロジーに合法かつ正当な利用法がある限り。だが話が著作権に及んだ途端、我々は著作権によって保護される利益を脅かすといって技術そのものを禁じるという極端に走ってしまう。その技術が正当な用途を持っているかどうかに関わらずに。

6) Microsoft settlements?
マイクロソフトの和解案
by Lumpish Scholar

 マイクロソフトの独占禁止法と民事の二つの訴訟で提出された和解案をどう見ますか?ほとんどの/.erにとって、前者は軽すぎるし、後者は罰どころかご褒美(教育市場に対する支配を強化する)だと思えるんですけど、何か僕たちが見落としてることでもありますか?

レッシグ:

 一言で言えば、和解案は致命的な欠陥品だ。マイクロソフトを和解条項に従わせる効果的なメカニズムがない。“監視委員会”には条項を解釈して行動に移させる力がない。それができるのは連邦裁判所だけだ。我々はそれがどれくらい上手くゆくか見てきた。1994年にマイクロソフトが同意した前回の判決は、1997年に開始された裁判の争点になった。法廷が20語の意味を理解するのには8ヶ月かかる。

 もし和解条項を監視、強制できる有能な特別補助裁判官(special master)がいれば、和解案はかなり改善されるだろう(いや、私はその役に興味はない)。それでもまだ完璧な決定とは言い難いし、私は残り9州が提示している別の案のほうが優れていると考えるが、少なくともチャンスはあっただろう。
 しかし、私もまた他の人々同様にマイクロソフトから強く攻撃されているとはいえ、またマイクロソフトの独占禁止法違反認定に関して控訴審に完全に同意するとはいえ、私は君たちのほとんどが気に入らないだろうことも強く信じている。すなわち、宣誓証言のなかで述べたように、私はマイクロソフトがインターネットに対する最大の脅威だとは思わない。そして実際に(更に論争を呼ぶだろうが)、少なくとも実装されかたについての一つの解釈によれば、マイクロソフトの.NET戦略はタイムワーナーやケーブル業者たちによる脅威に対してインターネットの最良の部分を強化することができるはずだ。少なくとも一つの解釈からすれば、.NETはエンドツーエンドのネットワークを補強することで、“インテリジェントな”ネットワークに抵抗するだろう。そしてオープンソースとフリーソフトウェアのムーブメントを除けば、これは本当の意味での自由につながるほとんど唯一の戦術だ。

 私はマイクロソフトが自発的にこの戦術を採るだろうとは主張しないし、あの会社を信頼すべきだなんていってるわけじゃない。だが私は効果的な対策はマイクロソフトを良い方向に向けられると信じているし、またもしそうなれば、あの会社は敵ではなく味方になりうる。

 この見解に反対する人間は多いだろう。多くの人々がマイクロソフトは悪魔だと信じてる。私はその一員じゃない。私が懸念するのは、もし我々が古い戦争に固執するならば、新しい戦いの性質が理解できないだろうということだ。

7) Doctrine of First Sale Dead?
初販の原則(消尽理論)は死んだ?
by burris

 むかし出版社は本に契約条項を印刷して、消費者がその本を売ったり貸したりすることを規制していました。この慣習は連邦最高裁によって中止させられて、消費者が合法的に購入した商品を(いくつかの限られた例外を除き)どのようにも利用できる権利は次第に著作権法の一部として合衆国の法体系に組み込まれました。

 ソフトウェアもまた著作権法で保護される著作物ならば、どうしてソフトウェアの販売者は制約的な契約条項を製品に印刷して、単にソフトウェアを使用しただけでその契約に合意したと見なすことで、人々の著作権法で認められた権利を否定できるのでしょうか?

レッシグ:

 彼らのロビイストが議会を説得して法律を変えさせたからだ。で、初販の原則は一部の著作物に対しては無効になり、その他の著作物については支持されなくなった。

 それでも、歴史というものは、著作権法が基本的に保とうとしてきたバランスを人々に思い起こさせるために重要だ。我々は現在に至るまでは、著作権を作者(あるいは出版者)が著作権で保護された素材を完全に支配する権利として捉えてきた事は一度もなかった。我々の憲法の起草者たちは著作権者にほんの小さな権利セットしか与えなかった。これは彼らが共産主義者だったからというわけじゃない。我々の文化は、著作権とは国による規制のひとつの形であるということを思い出す必要がある。そして政治的な文化として、この規制に関してはもう少し共和党的な態度をとる必要がある。つまり、「この規制が利益になることを示す規制影響報告書はどこだ?」と。

8) IP Laws of the Future
未来の知的財産権法
by Catiline

 現在の(または提案されている)著作権/特許法についてよりも、もし自分の好きなように書き換えることができたとしたら、あなたが考える理想の知的財産権法とはどんなものかを聞きたいと思います。また、それにはどんな国際的な合意事項が必要になりますか?

レッシグ:

 私は本の中でいくつもの変更を論じている。かなり制約された形になる-期間は基本的に5年ごとに更新可能で、最長75年とする。ソフトウェアに対しては、期間は更に短くすべきかもしれない。ソフトウェアの著作者に対して、保護期限が切れたときにはオープン・ソース化されるようにソースコードを著作権管理局に提出する条件もつく。

 更に重要なこととして、私は“著作権に派生する権利”の範囲を今よりもっと制限する必要があると考える。著作権の所有者はその作品の使用について料金を受け取る権利があるが、その作品をもとに作られる新たな作品を禁止する権利をもつべきじゃない。

 最後に、技術的な過渡期にあっては、新しいコンテンツのプロデューサや流通業者がその素材にアクセスでき、新しいビジネスを軌道に乗せられるように、著作権に付随する強い義務も必要だ。この義務はオリジナルの著作者への支払いを、法律あるいは専門の委員会によって比較的低く定めることを要求するものだ。これによってアーティストたちはインターネット以前より多くを得ることができるだろう。だがこれは同時にイノベーターたちが過去の恐竜産業の支配を受けることなくインターネットの未来を築けることも保証するだろう。


9) Patents, Copyright and the law community
特許、著作権と法曹界
by gdyas

 外から見ると、NapsterやEric Corley訴訟への最近の判決や、DMCA・SSCAのような法律の法的根拠・合憲性に対する法曹界の反応は低い、あるいは欠如している。これらに対立する立場をとっている法律家は非常に少ない。大抵は肩をすくめるだけで軽視している。私が見るに企業の利権やロビイストによる取引、そしてあからさまな収賄を通じた著作権や特許関連の法制定への干渉に対してなにかをしようとしているのはACLU、レッシグも一員のEFF,そしてジェシカ・リットマンJessica Litmanだけのようだ。しかし大勢としては、法律家や議員の間においてさえ著作権や特許に関する複雑な法律への関心は薄く、ゆえに利害と力をもつそれらの企業やライブラリのほしいままになっている。こういった問題に対して活動することと、専門家としての仕事とのあいだに葛藤は?“荒野の声”をやってるのは孤独では?奴らをやっつける計画は?もしかしてない?あなたやリットマンの著作にあるいくらかの悲しみやあきらめにはひどく意気消沈させられて、われらが旗持ちでさえほとんど希望がないと感じているのだろうか、と思わせられる。

レッシグ:

 味方は君が考えているよりは多いが、確かにまだ十分じゃない。繰り返すが、OpenLawのページをチェックして欲しい。著作権の拡張に反対してSonny Bono法を覆そうと協力して活動している最もアクティブな人々が50人以上いるのが分かるだろう。この学者や法律家たちが決定的に重要な抵抗勢力を代表している。

 とはいえ、我々にはまだ助けが必要だ。私は生活のため法律家を育ててる。多くの学生がなにか良いことのための仕事を探して、でもシステムのなかで働く仕事しか見つけられないのを見てきた。自由の大切さと、ネット上での自由の未来を守ることの大切さを理解できる人間が、そのために闘っている組織を支える必要がある。バークレー(カリフォルニア大バークレー校ロースクール)のパメラ・サミュエルソンPamera Samuelsonと彼女の夫ロバート・グルーシュコRobert Glushkoは国中のロースクールのクリニックを援助するために莫大な金額を出してる。スタンフォードでは、我々はハッカーたち(まもなく公式には“テロリスト”と呼ばれるだろう)を弁護するためのクリニック(ロースクールの学生が実際の事件の審理に参加する実習講座)を設けている。だがやはり、私はEFFがこの領域ではもっとも重要なプレイヤーだと考える。

10) Will the extension of copyright continue?
著作権の延長は続く?
by Artifice_Eternity

 1990年代のミッキーマウス保護法のような著作権の期限延長は続くと思いますか?メディア企業が保有する“知的財産”のコントロールを失いそうだと感じるたびに?

あるいは、公共の利益の主張がこういった著作権の期限延長を止めたり巻き戻したりするでしょうか?

 ある作品の著作権の期限が延長されれば、一人(作者、あるいは著作権を保有する企業)が得をします。でも期限が切れれば、それを複製、変更、拡張したりその上に新しいものを作り出したりすることでみんなが得をします。こういった種類の社会的、経済的な議論で法律をつくる人間を説得できるでしょうか?

レッシグ:

 まったくその通りだ。議会がSonny Bono Copyright Term Extension Act (CTEA)、我々がミッキーマウス保護法と名付けた法案を通過させたとき、我々はEric Eldred他を代表して訴訟を起こした。Eldredは市民的不服従をすると宣言していた。彼はパブリック・ドメインになった作品のウェブベースのアーカイブを運営していて、CTEAに違反して作品を公開するぞと約束した。我々は彼を刑務所はひどい場所だし、法廷がもっと上手くやれるかもしれないと説得した。我々は1998年から訴訟を続けてきて、この法律が違憲だとすくなくとも二人の連邦判事に納得させてきた。私はいまこの瞬間にもこの訴訟を最高裁に持ち込む事に反対する政府側弁論への答弁書を書いてなければならないんだ。答弁の期限はあと一週間だ。

 もし最高裁までいけば、我々が勝つと確信してる。これは“右か左か”という問題じゃない。法廷の保守派は起草者たちの憲法-コピーライトは“限られた期間”だけ与えられるとした-に目をやり、既にある著作権を繰り返し(過去40年間で11回)延長し続けている今の議会のやり方は起草者たちの意図を愚弄していると考えるだろう。リベラル派たちはこの“ネバーエンディング著作権”が言論の自由に与える影響に注目して、議会はこの言論の規制を正当化できないと結論づけるだろう。最高裁はハリウッドのことなど気にしない。最高裁は法に従うんだ。

 だがそれでも、最高裁での勝訴にはまだ足りない。パブリックドメインが創造性に対していかに重要かということを、一般の人々が再発見する必要がある。インターネットはそれを示すことができるかもしれない。たとえば、BrewsterのInternet Archiveはパブリックドメインの価値を示すとても良い例だ。しかし、この国を作った人々が理解していたことを議会に分からせるためには、実際の(つまり、法律家以外の)人々による本物の政治的なアクションが必要だ。

11) Cyberspace Amendment
サイバースペース修正条項
by kzinti

 何年も前、WWWの創生期にローレンス・トライブは「憲法で認められている全ての権利や自由を、どんなメディア上のものかを問わずあらゆる形の言論に対して明確に認める」という“サイバースペース修正条項”を提案しました。
スラッシュドット読者の意見は分かったようなものですが、これに対してどういう意見ですか?憲法による保護をインターネット、eメール、ウェブパブリッシングでも保証するためには?“サイバースペース修正案”はいまだに必要とされているでしょうか?もしかしたら以前よりもずっと?

レッシグ:

 いかにもトライブ教授らしい提案だ。時代のはるかに先を行き、かつ正しい。だが残念な事実は、われわれの自由はサイバースペースでの保護が弱いために損なわれているのではない、ということだ。われわれの自由が損なわれているのは、法廷が一般的に憲法上の保護をないがしろにしてきたからだ。

 この争いに関われば関わるほど、憲法がそれ自身でこの問題を解決できるとは信じられなくなってくる。もしアメリカ国民が法律家の手助けなしには自由のもつ価値を理解できないのならば、われわれはその自由に値しない。われわれはアメリカ国民が自由というものを再び認識するのを助けるために活動すべきだ。

12) Activism by coding
コーディングで世直し
by melquiades

 “言論としてのコード”やDMCAといった技術に関する抽象的な問題を扱う判事たちの多くは議論のポイントについてさっぱり理解できていないようだ。だが彼らを非難できるだろうか?テクノロジーとは複雑なものだ。判事たちが全員ハッカーであることを期待できようか?

 もしかすると、判事たちのために有能なプログラマーがなんらかの明確な実例をコーディングすれば役に立つかもしれない。われわれが見て取る問題をはっきりと示し、判事たちがコードとデジタル情報についての洞察を深める手助けをするような。

 例えば、“コードにも憲法で定められた言論の自由が適用されるか”裁判のためには、普通の英文としても読めるプログラミング言語を作り、その言語を使ってコピープロテクトを迂回するようなプログラム(たとえばDeCSSとか)を実装して見せることができるだろう。これは沢山の興味深い問いを提起する-これはコードであると同時に英文だ。憲法修正第一条の表現の自由によって保護されるだろうか?おそらく、プログラムとして走らせられる以前はそうだろう。ではプログラミング言語を考案する行為がすでに存在する言論の地位を変化させるのだろうか?もしソースコードとしてのみ保護されるのならば、この言語のためのインタプリタは違法か?この英文スクリプトとインタプリタをバンドルするのは違法か?等々...
...でもこれはすごく苦しい例だ。われわれプログラマーに書けるこういった実例、理論上の問題をもっと具体的にするような例題は他にあるだろうか?判事たちをただ混乱させたり苛立たせたりしないものが?われわれの大義のためにはどんな実例が必要だろう?実装する気全開で待ってるぜ!

レッシグ:

 これもまた素晴らしい質問だ。法律家とテクノロジストの更なるコミュニケーションこそが解決策だ。弁護士や裁判官が技術に対して無知なのは疑いない事実だ。だが技術関係者たちの間にも法律に対する無知がある。

 「コードは言論」論争は完璧な例だ。明らかに、これは重要な勝利のひとつだ。第二巡回区裁判所が「コードは言論である」を明確に認めたのは“2600”グループの控訴から得られた成果だ。だが憲法学者の間では、「コードは言論である」は難しい問題じゃない。難しい問題はこの後-たとえそれが言論だとしても、政府はそれを規制するためにどれくらいの力を持っているのか、だ。ただ「コードは言論である」というだけでは、憲法修正第一条に基づき政府はコードを規制できないということにはならない。著作権法についてもう一度考えてみよう。明らかに、著作権法が規制するのは言論だ。だがたとえ言論だったとしても、ある条件のもとで国家はそれを規制できる。

 技術者たちがもっとも活躍できるのは、残りの世界にネットワークにとってもっと根本的なものは何かを示すことだろう。なぜコードは言論なのかだけでなく、さらに:

  1. インターネットのアーキテクチャがどのようにしてある価値の体系を築いてきたか、
  2. それらの価値がわれわれの文化的伝統のうちもっとも重要な自由といかに根本的に結びついているか、そして
  3. ネットのアーキテクチャの変更がどのようにそれらの価値を損なうのか

 このアーキテクチャがいかにコモンズを築いてきたか、そしてこのコモンズがいかにイノベーションを導いてきたか、これを示す方法を見つけるんだ。この問題こそ法律家や政治家たちが理解していない重要なことだ。

13) International Freedom
国際的な自由
by bfree

 私たちはいま“面白い”時代を生きているようだ。2001/9/11に起こったことは、政治家たちに以前なら少なくともはるかに長期間の議論を引き起こしたであろう法案を成立させる弾みをつけた。今に至るまでのインターネットは各国政府からの介入や法制定が(いくつかの特筆すべき例外を除いて)極めて少ないとてもオープンなネットワークだった。今われわれは多くの国の立法者がこれをコントロールすべく法律を制定・施行する、インターネットの新しい法的局面に入りつつあるかのようだ。各国それぞれの試みはインターネットの残りの部分に大きな影響を与えることなく、自分の国の市民を邪魔するだろう。
質問は、この推測にどれくらい異議を唱えるのか、またその理由は?そしてどの組織(国連、w3.org、WIPO、ISP団体、マイクロソフト)が今から1/5/10/25/50年後のインターネットに対する正当な法制定の責任をもつことになると予測しますか?

レッシグ:

 君の説明のどこにも反論するところはない。これが私が最初の本で議論しようとしたこと-インターネットが最初に持っていた自由はそのアーキテクチャへの比較的小さな変更によって変わり得るし、われわれは各国の政府がそういった変更を起こすため強い行動にでることを覚悟すべき-だ。私は本の中で多くの陰鬱な予測をした。歴史は私がそれでも楽観的すぎたことを証明してきた。

 どの組織がこの変化に抵抗できるのかは分からない。かつてはIETFがもっと大きな役割を担うことを期待していた。w3もまた何が危機に瀕しているのかを認識しているはずだ。だが実際は自由の最大の擁護者たちもその自由によって失うものが多い者たちに圧倒されている。われわれの勝利の鍵は強力な商業組織が深く自由に投資するようになるかどうかだ。特許は別として、IBMがその組織だといえるかもしれない。だがビッグ・ブルーだけでは不十分になるだろう。

14) DMCA
デジタルミレニアムコピーライト法
by Amazing Quantum Man

DMCAが違憲だと認定される可能性はどれくらいあると思いますか?
Feltenも2600も負けたし、そもそもチャンスはあるでしょうか?

レッシグ:

 DMCA全体がうち倒されることはないだろう。いつになっても。だが少なくとも伝統的なフェアユースを守るためのテクノロジーの配布や使用を禁止する部分はいずれ取り下げられるだろうと信じている。少なくともそれに対する訴訟が続く限り。だが思い出してもらいたい-この訴訟を支援している唯一の団体はEFFだが、EFFのリソースも-驚くなかれ-限られている。

15) .NET-enabled futures?
.NETが可能にする未来?
by Nikau

 マイクロソフトの.NETやリバティ・アライアンス(AOLとかサンとかのグループが開発してるほう)についての意見は?自由なオンライン世界への潜在的な問題になると思いますか?

レッシグ:

 どちらにも懐疑的なのはこれまでも言ってきた通りだが、.NETがインターネットの自由を強化するように実装される道はあると考えている。マイクロソフトがみずからその方向を選ぶといってるわけじゃないが、もしそうなればそのアーキテクチャは自由を補強できるということを理解するのは重要なことだ。

 リバティ・アライアンスにも同じことがいえるだろう。いい名前だが、サンがオープンで自由なネットワークという考えを深く追求したことは一度もないことを考えると、わたしはリバティがその名の通りの自由を意味していると信じているわけじゃない。コミュニティとして、われわれには今よりはるかに優れた認証アーキテクチャが必要だということは信じている。一つの企業やグループによって支配されるものではなく、複数の認証サービスが構築されるプラットホームが。レッドハットからそういった未来に興味があるという噂も聞くけれど、それについて話すのはまだ時期尚早だ。

.NETとリバティ・アライアンス双方がもつ危険は、イノベーションと自由に対するニュートラルなプラットフォームの重要性について、われわれが一貫した明確なメッセージを展開することでより遠ざけることができるだろう。高速道路のシステムを作るとき、われわれはGMに「もし高速道路網を作ってくれるなら、GMのトラックがフォードのトラックより速く走れるように道路を建造していい」なんてことは言わない。パスポートのシステムが必要なとき、われわれはチェイスマンハッタン銀行にあらゆる取引毎の手数料と引き替えにシステムを作っていいとは言わない。どちらの場合にも、他者がその上に区別なく築いてゆくことができる中立で共有地(コモンズ)的なインフラストラクチャーの重要性への認識があるからだ。

 われわれはこの教訓を学び直す必要がある。すべてにおいて、またインターネットの文脈のなかで。君たちはこの教訓を教える手助けができるはずだ。まさに技術者たちだけがこの愚かしい力に対して道理を説いて聞かせられる信用がある。だがそれにはスラッシュドットで喧嘩する毎日以上の何かが必要だ。そしてこれまでのところ、君たちはそれ以上の何かができるところを見せた試しがない。

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • by pee02674 (7296) on 2003年01月09日 17時57分 (#232797) 日記
    市民も議会も目を向けるはずですよね。
    著作物をPublicにするよう、圧力をかける制度が有ればいいと思う。
    よって、著作権の維持コストを著作権者に要求しよう。
    利益に応じた著作権更新手数料を払わなければ、著作権が消失するように。

    金になる著作物は著作権者が保護し続けるだろうし、益にならない著作物は
    圧力に流されてPublicになるだろう。それは社会資本として文化に蓄積される。

    著作件の切れる期間を、短く設定すれば(無理だろうけど)、
    「ぎょーかい」はとりあえず延長料を払わざるを得ない。
    むしろ、著作物で飯喰ってるぎょーかいがこれだけ大きくなってるのに
    そのメシの種である著作権が税の対象にもなってないのがおかしいのだ。
    著作権維持したければ金払え!国庫も潤う。どうですか大蔵大臣殿。
  • ディズニーの話 (スコア:2, 参考になる)

    by snurf-kim (10835) on 2003年01月09日 19時19分 (#232833) 日記
    ディズニーの著作物が絡むものは何かと面倒なので敬遠されており、 印刷所や同人イベント等ではキングダムハーツお断り [google.com] が多いです。

    ディズニーの場合、公共への害と言うよりも自爆しているとしか思えないんですけどね。
    いくら法で勝ったとしても、世の人々に敬遠され、反感を買えば負けです。
    • Re:ディズニーの話 (スコア:2, すばらしい洞察)

      by DB-researcher (10541) on 2003年01月09日 20時06分 (#232846) ホームページ 日記

      ディズニーの場合、公共への害と言うよりも自爆しているとしか思えないんですけどね。
      いくら法で勝ったとしても、世の人々に敬遠され、反感を買えば負けです。

       自団体の創作物に対する2次創作物に対して厳しく締め付けている団体がいくつかあることと、そうした団体が2次創作物を扱う人々に反感を持たれていることについては確かにその通りだと思います。
       ただ、残念ながら、2次創作物を扱う人々が多数派で無いため、そうした場所での締め付けの実態と2次創作物への影響を訴えても、大きな流れにはならないだろうことも予想できます。
       そうした実情を把握し、レッシグ教授のように多数に訴えかける題材を用いた議論でプロパガンダしていかないと、現状は変わらないのでしょうね。そういった点で、このタレコミは非常にためになるものだと思います。
      --
      _.. ._._._ _... ._._._ ._. ._._._
      物は試しだ。コメントのしきい値を2にしてごらん
      親コメント
      • by snurf-kim (10835) on 2003年01月09日 23時43分 (#232963) 日記

        ただ、残念ながら、2次創作物を扱う人々が多数派で無いため、そうした場所での締め付けの実態と2次創作物への影響を訴えても、大きな流れにはならないだろうことも予想できます。


        前のコメントでは挙げませんでしたが、 児童がプールの底に描いたミッキーマウスの絵に対して著作権使用料を要求した事例 [google.com] もあります(過去にニュースサイトで記事を読んだ事があるんですが、元記事は既に無くウラは取れていません)。それ程までにディズニーの著作権行使は強硬です。

        このままだと著作権が切れる前にキャラクターの人気が途切れるんじゃないかと思います。

        資料 [geocities.co.jp]
        親コメント
        • しかし、小学校や幼稚園などが使用を申し込むと、案外簡単に許可が下りるという話も
          ちらちら聞きますね。
          親コメント
        • by wosamu (4952) on 2003年01月10日 14時28分 (#233354) 日記
          DB-researcher 氏も書いているようにことはミッキーだけの話ではないのですよ。
          もしsnurf-kim氏の言うようにディズニーが自爆していたとしてもそれは今回の議論とは全く関係のない話です。

          「別に二次創作者じゃなくても「コモンズ」による利益は受けているのだし、このまま無制限に著作権の延長を認めてしまうといずれなにをするにもどこかに金を払わないといけなくなるようになるよ?、それでも良いの?」って具合に話を一般化する必要があるのじゃないかと言う主張だと僕は読みとったのですが。

          あと、
          >このままだと著作権が切れる前にキャラクターの人気が途切れるんじゃないかと思います。
          キャラクターの人気が無くなるまで延長し続けるのでこれは当たり前のことです。
          親コメント
    • by limbo (6813) on 2003年01月10日 16時13分 (#233405) 日記
      自爆というか、お前らさんざんパブリックドメインで稼いできたじゃないか、という気がする。それとも白雪姫の著作権者に何か支払ったのか?>ディズニー

      まさか、自分で自分の首を絞めたせいで昔話の翻案から日本のアニメのパクリに転向したんじゃあるまいね。
      親コメント
      • by Anonymous Coward on 2003年01月10日 18時37分 (#233483)
        いっそ著作権の有効期限を1000年とか2000年にするのはどうだろうか?
        そうすればディズニーは白雪姫とかの現著作権者を探し出して著作権使用料を支払わなくてはいけなくなる訳だ。
        がんばってくれ>ディズニー
        親コメント
  • プロジェクト・グーテンベルグの頓挫は非常に解りやすい例なので
    そこから突き崩すのが良策かも。

    出版者が出版権を専有する義務として、
    著作憲法81条に(出版の義務)という項目がありますが、
    これをもうちょっと強めても良いように思う。

    # 著作憲法の38条(営利を目的としない上演等)を読むと
    # 個人WebサイトでのMIDI公開はエエような気がする。気のせい?
    • ># 著作憲法の38条(営利を目的としない上演等)を読むと
      ># 個人WebサイトでのMIDI公開はエエような気がする。気のせい?

      MIDIの公開だと公衆送信権もしくは複製権に関わってくるから、上演とは
      言えないんじゃないかと思います。だから、合法にはならないでしょう。多分。
      親コメント
    •  著作権の強化が原因で、多くの素晴らしい創作活動を萎えさせた好例として、MIDIの規制も好例かと思います。
       あれ以来、インターネットの世界が、少し寂しくなったように思っているのは、私だけじゃないはずです。
  • by newromancer (12618) on 2003年01月10日 16時40分 (#233412) 日記
     
    > 知的財産権関連の法律、特に著作権法が大企業の利益のための道具に成り下がりつつある
     
    という現状への懸念が提示されて、ネットの住人向けの部分を抜き出すと
     
    > 司法関係者は技術革新についてゆくことができておらず、法廷がテクノロジーを理解していないというのも
    > 理由の一つではある。
    >
    > 問題なのは、裁判官たちにはある種のテクノロジーと法的な価値とのつながりが見えていないということだ。
    > そして、それは我々が本来のサイバースペースのアーキテクチャ自体がもっている価値を十分に示してこなかったからだ。
    > インターネットは自由という価値の体系を内包してきた。エンドツーエンドのデザインは、
    > ネットワークの所有者たちはコンテンツや利用目的を選別して拒否すべきではないという考えを
    > 実体化したものだ。
    >
    > こういった価値が、他の手段ではありえなかったイノベーションの世界を作り出したんだ。
    > もし法廷にこれを示すことができれば、こういった取り組みと裁判官たちの理解する概念とを
    > 結びつけることができる
    >
    > それなのに、こういった自由に関する議論はここスラッシュドットで行き詰まってる。
    > これが私を一番悲観的にさせるんだ。もし君たちでさえイノベーションと創造性のための中立で
    > オープンなプラットフォームの重要性を理解できないのなら、もし君たちでさえリバータリアニズムと
    > 財産権の20世紀的な論争の泥沼にはまってしまうなら、
    > もし君たちでさえ共有地としてのネットワーク(ドット・コモンズ)が.com革命にとって
    > どれほど決定的だったのかを理解できないとしたら、裁判官たちになにを期待できるだろうか?
    >
    > 君たちのような人々がこの価値のアーキテクチャを作ったんだ。
    > 君たちがこれらの価値について話し合えるようになって、それを他の人々のために翻訳し始めるまでは、
    > おそらく法廷も政治家たちも決して理解することはないだろう。
    >
    > 我々にはインターネットのための環境主義が必要だ。君たちはこの環境問題のエキスパートだ。
    > 君たちならインターネットの生態系への改変が創造性やイノベーション、そして自由といったネットが
    > 産み出してきたものをどんな風に破壊してしまうかについて明確に示すことができる。
    >
    > 君たちはやってくれるだろうか?繰り返すが、私は懐疑的だ。こういった議論に焦点を合わせたり、
    > 人々を納得させる方法について協議するより、君たちはすぐにこれらの問題を見当はずれな口論に変えてしまう。
    > 私が“インターネットの「沈黙の春」”と評される本を書いたと誰かが投稿したときには、
    > 「DDTは本当に環境に害を及ぼしたのか?」なんてスレッドが立つ始末だ。
    >
    > 1.インターネットのアーキテクチャがどのようにしてある価値の体系を築いてきたか、
    > 2.それらの価値がわれわれの文化的伝統のうちもっとも重要な自由といかに根本的に結びついているか、そして
    > 3.ネットのアーキテクチャの変更がどのようにそれらの価値を損なうのか
    >
    > このアーキテクチャがいかにコモンズを築いてきたか、そしてこのコモンズがいかにイノベーションを導いてきたか、
    > これを示す方法を見つけるんだ。この問題こそ法律家や政治家たちが理解していない重要なことだ。
    >
    > まさに技術者たちだけがこの愚かしい力に対して道理を説いて聞かせられる信用がある。
    > だがそれにはスラッシュドットで喧嘩する毎日以上の何かが必要だ。
    > そしてこれまでのところ、君たちはそれ以上の何かができるところを見せた試しがない。
     
    こんな所かなと読んだのだけれど、ここまで切々と説かれたところで起こるのは
    外国人名のレッシグをレッシングと表記するのは自分的に耐え難い誤りである、とかそうでないとか
    疑問符を句読点で使用されると自分的に耐え難く翻訳の質的にも重要であるとかそうでないとかの議論だったりする。
    今の日本の著作権保護の動きについてどう見ているかと併せて、こうした発言をしてそれについて投稿された内容が
    このような内容だった事を心情的にどう思うか聞いてみたいなあ。
     
    ネットの黎明期の先達たちの努力はいざ知らず、現在ではネットでの自由の価値は
    「他人が用意した壁に便所の1行落書きを自由に書ける価値」かそれと似たような物位しかないのではないの?
    著作権法が大企業の利益のための道具に成り下がりつつあったとしても、それがどんなに旧態依然としていても
    その利益配分がどん
  • by Anonymous Coward on 2003年01月09日 16時50分 (#232778)
    人の名前を間違えちゃいかんよ。
    「レッシング教授」→「レッシグ教授」

    # 1st postがこれじゃ申し訳ないのでAC
  • 個人的には何度か出てくる「.NETがインターネットの自由を強化するように実装される道はある」と言うフレーズに興味があるんですが、これって「コモンズ」読めばどういうことだか理解できるんでしょうか?
    #積読状態の本が死ぬほどあるので読まなきゃならない本をこれ以上増やすのは考えもの。
    #でも読まなきゃならないなら読むべ。
  • オフトピ! (スコア:1, おもしろおかしい)

    by simon (1336) on 2003年01月09日 18時01分 (#232801)
    ところでレッシグ教授、コミックマーケットのご感想は?
  • by teltel (1423) on 2003年01月09日 18時59分 (#232824) 日記
    まずは、訳文を作ってくれたittousai に感謝。
    原文も見たけど、長いので読んでない…。

    とにかく、自由が侵されるという危機感が文章からわかる。
    それほどには感じていない自分もちょっと啓蒙されるかも。

    しかし、自由を勝ち取った経験の乏しいわたくしには
    なんというか、とっかかかり難い問題でもある。
  • >最長75年とする。ソフトウェアに対しては、
    >期間は更に短くすべきかもしれない。ソフト
    >ウェアの著作者に対して、保護期限が切れた
    >ときにはオープン・ソース化されるようにソ
    >ースコードを著作権管理局に提出する条件もつく。

    わざわざソースコードを提出しなくちゃいけないなんて。
    #あの汚いコードを人目にさらすのは・・・
    #逆アセンブルしてくれよー。
    • なんとなく義務なのは変じゃない?と思った。
      オープンソースへの追従か?なんて。
      そもそもソースをオープンにできるsystem って保証されるのかな。
      そこも含めてなのかもしれないけど。
      親コメント
  • sigh (スコア:0, すばらしい洞察)

    by Anonymous Coward on 2003年01月09日 17時57分 (#232798)
    レッシグ教授の言葉から引用。

    >こういった議論に焦点を合わせたり、人々を納得させる方法に
    >ついて協議するより、君たちはすぐにこれらの問題を見当はず
    >れな口論に変えてしまう。私が“インターネットの「沈黙の春」”
    >と評される本を書いたと誰かが投稿したときには、「DDTは本
    >当に環境に害を及ぼしたのか?」なんてスレッドが立つ始末だ。

    推敲とか翻訳文がどうとか……
    • Re:sigh (スコア:1, 興味深い)

      by Anonymous Coward on 2003年01月10日 3時01分 (#233067)
      ついでにこれも.
      (前略)
      まさに技術者たちだけがこの愚かしい力に対して道理を説いて
      聞かせられる信用がある。だがそれにはスラッシュドットで喧嘩
      する毎日以上の何かが必要だ。そしてこれまでのところ、
      君たちはそれ以上の何かができるところを見せた試しがない
      15) より引用.
      親コメント
  • by Anonymous Coward on 2003年01月09日 20時09分 (#232847)
    http://www.eff.org/perl/join [eff.org]
    >EFF is a 501(c)(3) charitable organization; your donation is 100% tax-deductible.

    日本から寄付しても所得控除の対象になりますか?
    # 法律にも英語にも詳しくないのでAC

    • by vn (10720) on 2003年01月09日 20時29分 (#232854) 日記
      501(c)(3) というのは、どこかの国の法律の条項を表わしているに
      違いなくて、なおかつ日本の国税庁が外国の法令に基づいて税金を
      まけることなんてまず有り得ないから、所得控除にはならないでしょう。

      # あなたが外国の納税義務を負っている場合はその限りではないが。
      # EFF が日本での「認定」NPO法人などであるケースも除外。
      親コメント
      • Re:寄付 (スコア:2, 参考になる)

        by von_yosukeyan (3718) on 2003年01月10日 0時18分 (#232990) ホームページ 日記
        501(c)(3)というのは米国の内国関税法(連邦法のInternal Revenue Code、略してIRC)501条のことで、内国歳入庁の認定する非営利団体の収益を非課税とし、寄付に対しても(c)(3)に該当する宗教、教育、慈善、科学、文化、公共の安全のための団体などに対する寄付行為に対して寄付控除を認めるもので、EEFの場合おそらく30%ほどの控除が受けられると思います

        日本の所得税法上も、所得税法第78条3項の「教育又は科学の振興、文化の向上、社会福祉への貢献その他公益の増進に著しく寄与するものとして政令(注:所得税法施行令51条の5)で定めたもの」ならば寄付控除を受けられますが、財務大臣の指定が必要なので、EEFへの寄付はおそらく寄付対象にならないんじゃないかなぁと思います
        親コメント
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アレゲはアレゲ以上のなにものでもなさげ -- アレゲ研究家

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