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アレゲなニュースと雑談サイト

mhattaによる 2008年06月18日 7時00分の掲載
あら探しばかり得意になってもしょうがないけどね部門より。

あるAnonymous Coward 曰く、

本家/.「How To Teach a Healthy Dose of Skepticism?」より。

ここ/.において、ストーリで提示されたアイデアや法に対して「whatcouldpossiblygowrong」(欠陥ありの予感)とタグが付けられることが多いのは単なる偶然ではない。欠陥を予測したり指摘したりする能力は、有能なエンジニアであるための重要なスキルであるからである。このスキルは自らを取り巻く世界に対し健全な懐疑心を持つことから始まり、ひいてはクリティカル・シンキングを育んでいくものだ。

クリティカル・シンキングを取り扱った本や講座はたくさん存在するが、人々に健全な懐疑心を教え、育てるにはどのような方法が良いのだろうか? そもそも教えることが可能なスキルなのだろうか? それともギークが生まれながらもっている才能というようなものなのだろうか?
健全な懐疑心を持つことは生きる上での必須スキルであると思うのだが、確かにどこかで誰かに教わったものではない。/.J諸氏は「健全な懐疑心」を持ち合わせているだろうか? また、「健全な懐疑心」を育むにはどうすればよいのだろうか。ご意見をお聞かせ願いたい。
この議論は賞味期限が過ぎたので、保存されている。 新たにコメントを書くことはできない。
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  • 懐疑?猜疑? (スコア:5, すばらしい洞察)

    Anonymous Coward : 2008年06月18日 9時56分 (#1365778)
    本文は「懐疑」心について書いてますが、
    コメントには「猜疑」心の話題が流行ってますね。

    ヤフーの辞書より
    懐疑:物事の意味・価値、また自他の存在や見解などについて疑いを持つこと
    猜疑:人の言動をすなおに受け取らないで、何かたくらんでいるのではないかと疑うこと

    猜疑は別のお話ですね。

    #ただまぁ「懐疑心」って単語は見つかりませんでしたが。

    --
    自分の思いついたナイスアイデアには懐疑心を持って接するように勤めています。
  • 新聞を良く読む。 (スコア:4, すばらしい洞察)

    firewheel (31280) : 2008年06月18日 8時33分 (#1365734)
    その後で2ちゃんねるを読む。

    「世の中には嘘つきが沢山いるんだな」ということと、
    「憎まれっ子世にはばかる」ということが理解できるようになります。

    その昔、「サンゴ汚したK・Yってだれだ」を新聞のカラーページで直に
    目にしたことは、世の中を理解する上で大変役に立ちました。
  • Anonymous Coward : 2008年06月18日 13時32分 (#1365956)
    その後に自分で確かめる。

    「世の中には嘘つきが沢山いるんだな」ということと、
    「憎まれっ子世にはばかる」ということが理解できるようになります。

    最近、上記コメントのような人が増えているようで頼もしいのですが、
    どうもそれだけを過信している方も居るようです。
    元々の姿勢を忘れずに、忘れずに。
  • > 秋葉原無差別殺傷事件でも、トヨタの責任を追及するマスコミが皆無だとか、

    だって、トヨタ関係ないじゃん。あれで関係あるなら、単純労働向けの期間従業員を抱えている会社全体の話題になるし、一方でトヨタが期間従業員に犯罪を強要した訳じゃないし。マスコミがゲームやマンガに犯罪の原因を求めるなら、一般市民は企業に犯罪の原因を求めるんですね。

    # マスコミのオタクバッシングとネットに溢れる企業陰謀論は同根でしょう。
  • なるほど、秋葉原の件は、トヨタが偽装請負を黙認していたことを理由に加害者は殺人に走ったのですね。
  • tnk (13707) : 2008年06月18日 9時48分 (#1365773)
    プロジェクトの火消しにかりだされることが多いのですが,これは切実に
    感じますね。同じ製品の同じバージョンをつかったプロジェクトなのに,
    何事もなく無風で完了するプロジェクトもあれば,製品のバグが出まくって
    進退窮まってるプロジェクトもあります。

    最近の商用ソフトウェアは機能の肥大化が激しく「だれが使うんだこんな機能」
    なんてものまで実装されています。しかし,そういう部分は当然のことながら
    枯れてません。

    地雷をよけるスキルを持ったプロジェクトリーダーは,うまいこと枯れた
    部分だけを活用してシステムを作り上げます。

    そのスキルを持つ人がいないプロジェクトでは,お客の無茶な要求を
    整理することなくそのまま実装するために,マニュアルをひっくり返して,
    製品の超マイナーな機能を見つけ出してきて,無理矢理システムを作ります。

    たいていの要件は,本当に必要な部分だけをとりだして,ちょっと修正を
    くわえれば,製品の一般的な機能だけで実装できるようになるんですが。

    「この機能はまずい」「この機能をこういう使い方をするのはやばい」という
    のを嗅ぎわける感覚を身につけていると,みんなが幸せになれるのですがねえ。
  • 親の教育が大切です。 (スコア:3, おもしろおかしい)

    お年玉を「将来のために貯金しておいてあげる」と言って預かったり...etc
  • Re:親の教育が大切です。 (スコア:2, おもしろおかしい)

    Anonymous Coward : 2008年06月18日 8時15分 (#1365728)
    私の親は、ちゃんと専用の口座を作り、預けたお年玉などはそこに入金してくれていました。

    …ただ、なぜかその口座から公共料金の引き落としが行われてましたけど…
  • Re:親の教育が大切です。 (スコア:1, おもしろおかしい)

    Anonymous Coward : 2008年06月18日 11時22分 (#1365850)
    原戸籍を取り寄せて本当に親子か確認したほうが良いと思う。
    横領せずに、律儀に積み立てていたのは、何か思うところが
    あっての事ではないでしょうか?
    --
    #正直な両親の元、懐疑心を磨く機会を失ったのは大きな損失だと思う。
  • それは猜疑心を育むだけじゃなかろうかと。
    私の「健全」な懐疑心は「○月×日(金)発売予定」みたいな感じの広告で育まれましたよ。別に諦めとも言うんですが。

    私は物知らずなんで事の真贋なんて判断できないや。
  • Anonymous Coward : 2008年06月18日 8時09分 (#1365726)
    何故か年金と空目した。
    これも「将来返すよと言われつつ強制的に召し上げられて余所で使われておしまいなお金」という点では変わらないからだろうか……
  • 我が家ではカニ味噌を「カニのう○ち」と偽ってくれてましたが、自力で打破しました。
    いや、目の前で喰ってりゃばれるっていうか、いつ気がつくかニヤニヤしながら観察してたんだろうけど。
    うちの親はどうも、子供に嘘を仕掛けて、いつ見破るのかを娯楽のひとつにしていたようです。
    --
    (自分の生きた恥を残せ)
  • 私もそうやってお年玉・入学祝等を親に取られていたのですが、

    先日、(20年近くたって)本当に定期預金されていたということを知らされました。
    しかもバブル期の利率3~5%位の頃のものが多くて、結構な金額になっていました。

    同時に、口座を譲りうけましたが(とはいってももともと私の名義なのですが)、自分で稼いだお金でもないので、何かあったときの資金としてこのまま貯金しておくと思います。

    昔は騙されてると感じたものですけど、いまではとても感謝しています。
  • 時には (スコア:3, 興味深い)

    Anonymous Coward : 2008年06月18日 8時52分 (#1365745)
    その場の「空気」を壊すことも必要.

    #失敗学では失敗を認めないひとが重要視されるというのが新鮮でした.それにより,議論が深まるのだそうです.
    ソフトウェア品質 - 失敗から学ぶには系統だった体系と右脳の活性化が重要 [mycom.co.jp]
    「失敗学では自分のミスを認めない人が重要になる。"謝る"というのは社会の潤滑油として必要だが、終始しないこと。何となく一件落着し、原因究明が曖昧に終わってしまうので隠れた原因を突き止めることができない。これに対して、自分のミスを認めないことで口論が起こり、それが真相究明につながる」
  • そんなことに原因を求めているうちは失敗を繰り返すと思う。
    口論じゃなにも解決しないよ。議論だろ、必要なのは。
    --
    ペーストビン [windy.cx]
  • Anonymous Coward : 2008年06月18日 10時16分 (#1365795)
    そうそう、そうやって反発して空気を壊すことが大事なのよ。
    それをリンク先のオジサンは「口論」と称してる。
    「議論」でもいいんだけどね。

    日本人はとかく自分の罪を認めることを美徳としがちで、
    業過で取り調べる側も特定の個人の過失を追求し、
    それらの人の過失がなければ事故は起こらなかった、、、、という
    結論に持っていきがち。
    まあそれは刑事裁判の都合上仕方ないことではあるのだけどね。

    しかし「本質安全」を旨とする失敗学では、「なぜそのような過失を起こすに至ったか」
    「仮に過失があったとしても、それでも事故が起きないシステムがなぜできていなかったか」
    を考える。
    なので、過失をした人が「警標を見落とした/無視した」といっても、
    「警標の意味を熟知してなかった」「なぜ熟知できなかったのか」ということが議論され、
    「そもそも管理者側が危険の予測をできなかったのではないか」
    「安全対策に金かけなかった経営者の責任も多い」
    となることもある。
    まあ社会的批判を受けたり、社内での立場が悪くなること多いから、正直に意見を言うことは
    なかなか難しいけどね。

    なので一番面倒なのは、自分が罪を全部かぶって、意見を言わない人。
    そこから先に進まないので、原因究明の大きな障害になる。

    そういう意味で自分のミスを認めず「○○が××をちゃんとやっていたら、事故は起こらなかった筈だ」
    と言う人は貴重。
    経営者や管理職に多いけどね。(自己保身もあるし、ヘタしたら自分が捕まっちゃうから当然だ)

    そこで「ではなぜ○○は××がちゃんとできなかったのか」
    「急病でちゃんとできなかった時は、事故は仕方ないものとして諦めるのか?」
    といったツッコミを入れることになる。これをトコトン詰めていくことで最適解を見つけ出すのが
    失敗学的なアプローチの仕方なんだよ。
    で、往々にして発想を転換することで解決する事例も多い。

    ただただ議論するよりも、口論くらいになったほうがいいこともあるのよ。

  • 原因究明と責任の所在がごっちゃになってる事の方が殆どだからそうなる。謝る謝らないとは直接関係無い。

    「捜査に協力する代わりに責任は問わない、もしくは罰を減らす」ってのがもっと増えればいいんでしょうね。
    --
    署名スパムがウザい?アカウント作って非表示に設定すればスッキリさ。
  • Anonymous Coward : 2008年06月18日 16時22分 (#1366045)
    司法は原因者を罰する機関で、本来原因究明する機関ではないのです。
    もちろん容疑の認否を論議する過程で原因究明が必要になりますが、
    最終的に裁判官が納得できるような、それらしい原因があればOK。

    自白調書があれば話はもっと簡単です。
    検察も判事も忙しいので、被告が納得すれば一件落着。
    弁護士も技術面に詳しい人は稀で、しかも反論すればするほど
    判事の心証が悪くなるので、ほどほどの所で止めてしまう。

    労基署の場合は「災害被害者の減少」という使命もあるので
    送検とは別に細かい原因調査とかもしますけどね。

    日本の法律は司法機関による犯罪捜査に対しては黙秘権が認められていますが、
    行政による立入検査、事情聴取には黙秘を認めていません。
    取り調べられる側は、真相を言っても言わなくても罪になる仕組みになっています。

    原因究明に協力的だったことを判事が斟酌してくれればいいのですが、
    どうしても被害者、遺族側の心情に引っ張られますからね。

  • よくわからないけど、予測可能な間違えやすいポイントがあるのに事前に説明しない上に実際に相手が間違ったときにヤーイ引っかかったなんて言ってると「あなた」に対しての不健全な懐疑心が高まるだけだよ?

    # まあこのタイプの人間は本人は優越感に浸って幸せなつもりになることが目的になってるから
    # 社会(←いろんなスケールでのグループという意味での社会)ではハブられるだけなんだけどね。
    # 間違って人の上に立っちゃうと多くの人不幸にして結構な損失も出しちゃうので気をつけてね。
  • 自己レス

    元コメのリンクを読んだけど

    自分のミスを認めないことで口論が起こり、それが真相究明につながる」
    この飯野氏が言いたいのは謝るだけで済まさず失敗の原因究明をしなければならないということ。だからLivingdead氏のように最初から原意究明のための議論のステップに入れるのであれば口論のステップはまったく必要ない。

    また、飯野氏の言う「右脳~」っていうのはミスを繰り返すのは固定観念にとらわれていたりして柔軟な思考が出来ないからだということを言っているのであって実際に右脳活性の必要性を証明しているのではない。

    その上で#1365772 [slashdot.jp]氏は「自分のミスを認めない人が重要になる。」というワードの固定観念にとらわれている可能性が高い。常にそこがかなめではない、改善できる失敗を失敗と認知できず原因究明が行われない現場では「自分のミスを認めない人が重要になる。」ということ。
    # 個人的には単にアホばっかの現場では真相究明のステップに移るきっかけとしてちょうどいいんだよって言ってるだけとしか思えないが。

    認知できたり原因究明が行われる現場では、その次のステップ原因究明と失敗を繰り返さないための議論においては「自分のミスを認めない人」は完全に不要。ミスを認めない==失敗を失敗と認知していないということだから真相究明のステップに進めてないだけだからね。っていうかこういう人間は実社会では不要の烙印押されるだけだな。


    なるほど、今回は#1365772 [slashdot.jp]氏が「ミスを認めない人」だったから私が原因究明する羽目になったワケだね。やっぱりこの手の人間は迷惑だ。こんな程度の低いのことを説明しなきゃならないなんて。

    # まあ、身近にもこういう困った人がいて実際に迷惑しているので看過できなかった訳だけど

  • easy (27613) : 2008年06月19日 19時39分 (#1366901)
    認めても 認めなくても ミスはミス

    おそまつ。
  • bugbird (4706) : 2008年06月18日 7時42分 (#1365712) ホームページ 日記
    知見との差異を認識することが健全な猜疑心の起点であると考えれば、知見を広げるということに尽きるでしょう。無知であれば猜疑心の起きようもありません。
    --
    --- Toshiboumi bugbird Ohta
  • bugbird (4706) : 2008年06月18日 10時33分 (#1365813) ホームページ 日記
    > 知見の広さが「猜疑心のクオリティ」を分かちそうですね。

    Yes.

    > 最低限の偏った知識が与えられていれば、
    > それが一般的に見て「無知」と呼べる程度であったとしても、猜疑心は起こります。

    これには不同意。テロリスト国家とかカルトがやっている「マインドコントロール」は、猜疑心を抹殺することを目的として独善的で偏った知識のみを提供することで実現されているからです。
    --
    --- Toshiboumi bugbird Ohta
  • world-walker (36314) : 2008年06月18日 8時21分 (#1365730)
    インドなどを旅行すると結構身に付くと思いますよ。

    猜疑心だけを育んでも良くないとは思いますが、
    谷を経験することで山がより良く見えたりするものですし。
  • ots556556 (34248) : 2008年06月18日 11時58分 (#1365876)
    欠陥を予測したり指摘したりするのに必要な能力ってのは以下のようなものでは。

    ①あるアイデアが、どのような問題をどのように解決すると提案しているかを、正しく理解する能力。
    ②そのアイデアが前提としている事柄を推測する能力。
    ③その前提が正しいかどうかを判断できる知識、及び正しいかどうか調査する能力。
    ④そのアイデアを実行に移した場合、どのような障害にぶつかる可能性があるか推測する能力。

    もっと抽象的に言えば、言語能力、論理的思考能力、(対象分野に関しての)常識・知識、経験に相当するかと。

    で、これらは「ギークが生まれながらもっている才能」というよりは、「ギークやってると鍛えられる能力」ですな。
    ギークは、アイデアに対して検証を行うというプロセスを(自分のアイデアに対して、ですけど)他の人より
    数多くこなしていると考えられます。
    また、例えばそのアイデアがプログラミングなどについてのものであった場合には、自分が間違っていたときには
    すぐに分かる(検証が正しかったかどうかはっきり分かる)点も見逃せません。

    # 部門名については気の持ちよう一つであって「ココがダメだからこのアイデアはダメだ」と思うか
    # 「ココを改善すればこのアイデアはとてもよいものになる」と思うかの違いだと思うんだな。
  • kicchy (4711) : 2008年06月18日 12時24分 (#1365900)
    自分が経験したこととその結果から、
    目指す目的までの差異を認識して
    次にどう改良すれば、目的まで達成できるか、を
    訓練することが大事であると思います。

    飽きっぽく放置する事が一番の大敵でしょう。
    その為には、達成することに喜びを感じるという事が大事なので
    達成した喜びを感じられる目的選びが重要なポイントになるかと思います。

    結局大事なのは、親からの押しつけじゃなく
    子供がやりたい事をトコトンさせるのがいいのではないでしょうか。
    本を手に入れる方法を教えたり、道具の使い方を教える。
    子供はやりたい事は、集中してやりますから。

    その目的達成手法を応用できるくらい成長したとき他分野に
    手を伸ばしても遅くはないと思います。
  • 疑うことから始まるのは哲学なのかと思いきや、エンジニアリングの分野でも有効だったのですね。

    哲学者に大切なムーブメントはdeconstruction、技術者の自分が今日やることはまずコンストラクタを書くこと。
    今日もいっぱいコードを書くよ。ぃぇーぃ。

    # …っと、本家でも哲学ネタが。
  • Anonymous Coward : 2008年06月18日 8時11分 (#1365727)
    哲学関連で思い出すのは、バートランド・ラッセルの言葉ですね:

      「この世の中で問題なのは、バカどもが自信満々であり、賢い者が懐疑心を抱いていることだ」(要約)

    うちの会社とかにも、この言葉が当てはまる例が多数…。
  • Anonymous Coward : 2008年06月18日 8時28分 (#1365733)
    >「この世の中で問題なのは、バカどもが自信満々であり、賢い者が懐疑心を抱いていることだ」(要約)
    「なぜその人は、最後に「と私は思う」と付け加えなかったのだろう?」(うろ覚え)

    #彼女がその言葉を理解した時、この言葉が痛烈な皮肉となって彼女を襲うのである。
  • >「なぜその人は、最後に「と私は思う」と付け加えなかったのだろう?」(うろ覚え)

    でも本人なんだからきっとラッセルのパラドックスは理解してるんじゃ
    ないかな、と私は思う。
  • なんでも疑って、自分で証明するってのが哲学でいう科学的態度です。
    くだらん詰め込み教育(=教科書を疑うなかれ)をやってるのは非常に良くない。
    小学校の授業など哲学とマクガイバー鑑賞だけにしてしまえばよろしい。

    # で、中学はマクガイバー実践w
  • 弟(3歳):「待って。このバグは本当に実在するの? まずはその実在性から疑ってみようよ」

    姉(5歳):「要は、もう一度テストを流して様子を見てみよう、ってことを言いたいのね?」

    # ありますよね、こういうの…えっ、ない?
  • Anonymous Coward : 2008年06月18日 7時30分 (#1365707)
    教科書を読み上げて教えるんでなく、できうる限り実地で教えるのがいいんではないかと。
    生徒に自分の手で実験させる。その余裕がない場合でも、教員がその場でやってみせる。そういえば、まさにそれそのものの教訓歌がありましたね。「やってみせ 言って聞かせて させて見せ ほめてやらねば 人は動かじ」

    現代日本ではID論だとか国産みの神話だとかの影響力がさほど大きくないので、本来ならこれ、かなり効果的だと思うんですが、現場の負担はめちゃくちゃ大きくなりますよね・・・
  • ちょっと改変 (スコア:2, おもしろおかしい)

    albireo (7374) : 2008年06月18日 10時16分 (#1365794) ホームページ 日記
    「やってみせ 言って聞かせて させて見せ ほめてやったら カモはできるよ」

    マルチ商法の勧誘法ですね、わかります。
    --
    うじゃうじゃ
  • Re:素人考えですが (スコア:2, すばらしい洞察)

    Anonymous Coward : 2008年06月18日 7時58分 (#1365721)
    子供にDHMO [google.com]なんかについて、議論させた後に、その正体を明かしてみるって言うのはどうでしょうかね?

  • ツボを踏み、ヘタを打ち、足元をすくわれる(決して「救われる」のではない)。
    そういう経験を繰り返す事で、ヤバそうな物件の臭いを嗅ぎ分けることが
    出来るようになるのではないでしょうか。
    学問と同じく、お手軽かつ効率的な王道は、存在しないと思います。
  • 「カモは何度でもカモになる」というのが業界の経験法則。
  • そうして世界を見直すのだ…

    :
    :

    今、君の心の中に湧き上がったもの。それが「懐疑心」というものだ。

    .

    「健全な懐疑心」を育むにはどうすればよいのだろうか。

    一例を挙げてみましたが、これで判ったでしょうか?
    # メタ構造も含めて理解できた人だけが正解。
    --
    fjの教祖様
  • # え?落第なんですか?なんで?
    そりゃ決まっておろう。

    とりあえずfjの教祖様が正しいと信じなさい、心の底から。
    というこの条件を満たしているなら、

    「この投稿がどの様な効果を狙ったものなのか?」
    という疑問は出てこない。

    正しいんだから、効果は狙い通りのはずだろう?
    だから疑問は最低限でも「得られた効果から、何が判るのか」から先だけだよ。

    ここまで到達できるぐらい考察できて初めて「懐疑心」と言える。

    .

    ほら。ここまでを考慮したうえで、誰が何を言っているのか見直せば、あの投稿から「誰に懐疑心があるか」、よく判るじゃないか。
    --
    fjの教祖様
  • 物事がテキストや,マニュアル通りやってもできない場合,テキスト等のほうに誤りがあるのではないかと,疑ってしまう.
    こういう場合,自分がたいてい間違っている.

    ちゃんと推敲された本などにあらかじめ疑ってかかるのは,時間の無駄な場合も多い.
    でも無駄なことをするのが人間味があっていいし,疑うことこそが成長するってことなのだと私は思う.

    疑わないことがどんなに楽か,大学はいってやっとわかりました;
  • 最も猜疑心が消える場所 (スコア:1, おもしろおかしい)

    Anonymous Coward : 2008年06月18日 11時49分 (#1365868)
    ジョブズ「あともう一つ、今日は世界で最もエレガントで先進的な壷を紹介しよう。」
  • 「その名もiPotだ」
  • アパート経営をしている知人(の母親)が、先日の火災警報器義務化のおり、任せている不動産屋から連絡があった。「火災警報器、義務ですよ、と。」

    値段を告げられて、「高いわね、本当にそんなに必要!?」ということで、調べさせたら、半額になった。当の本人は「不動産屋までリフォーム詐欺やる時代になったか!」とカンカン。

    ネット上で調べると、どうやら「必須(寝室と通路)とお勧め(台所)」があって、不動産屋は「必須+お勧め」で1室2台で計算。再計算は「必須のみ」で1台らしい。従って、どちらにしてもウソではないんだが、いかにせこのご時勢、頭に上った血が下がらない。

    これは健全な懐疑心に入るのでしょうか?
    --
    -- gonta --
    "May Macintosh be with you"
  •  猜疑心を持って物事を検証することは大事ですが、最終的にはその指摘内容をきちんと検証して評価することが大事なのではないかと。

     指摘内容が妥当かどうかだけではなく、発見の難易度や影響の重大さなんかを考慮に入れた総合的な貢献度のようなものを評価するわけです。こうすればレビューする側もどういう指摘が大事なのかわかるし、ノウハウとして積み上げていくことも決して不可能ではないと思います。
    --

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  • まず自分を疑うことです.自分の頭上斜め後ろあたりから「本当にそうなの?」という感じで.
    軽くブレーキを踏むことでミスに気が付いたりします.

    コードを書く人であればデバッグで嫌でも身に付くと思います.

    あとは「推論する」のも有効じゃないかと思います.
    出来の悪いシステムでは理解に苦しむ事象に遭遇したりしますが,こういう場合はあらゆる可能性を検討し,原因を追究することになります.その積み重ねが結果として「良い懐疑心」を育むことになります.

    # やってる人間はたまったもんじゃないけどね.
  • 疑いを持つ為には、その対象となる事象に興味を持つ事が必要。

    ってことで、物事の本質について考える癖を持たせるようなトレーニングをするのがいいんじゃないかと。

    ゲームだって勿論良い教材。
    そのゲームから、電子の動きを想像させればいいんだ。
  • the.ACount (31144) : 2008年06月24日 14時36分 (#1369383)
    「懐疑心」だけなら単に習慣の問題。
    「健全」となると難しいが、たとえば骨董の目利きになるには「本物をたくさん見ると良い」そうだから、基礎知識を深める以外の近道はないだろう。
  • 本当にそう思っている奴ばかりだと疑いもしないのは笑われるところですね。
  • Anonymous Coward : 2008年06月18日 10時11分 (#1365790)
    陰謀論のたぐいはシニカルな笑いを取りに行く手法のひとつだったハズなんですが
    最近は100%本気で信じた上に、どういう訳かやたらと攻撃的な態度を取る
    不健全なヒトが多数見受けられます。

    ネタをネタと見抜けない人は・・・
  • Re:「健全な」猜疑心 (スコア:1, すばらしい洞察)

    Anonymous Coward : 2008年06月18日 10時31分 (#1365809)
    立場の違いに依る意識の差ってあるよね。
    官僚が「当たり前の手順」と認識して淡々と処理している事でも、
    その結果を一般人から見ると「悪辣な陰謀」にしか見えなかったり。
    (手段と目的が入れ替わっちゃう運用とかね。)

    我々一般人が「空気読め」とか「常識で考ろ」とか遠吠えしてみても、
    同じ国の中に空気や常識自体が全く異なる空間があるんだぜ。
  • それを疑った上で、出た結論が:
    「うん、やっぱりこいつらが馬鹿だ」
    ではなかったのか?という疑問をちゃんと解いてから書いたかい?
    (という疑問)
    --
    fjの教祖様
  • 私に慢心がある、などとそのような愚問を呈するとは、そもそも君は人間なのか?
    (という反語)
    --
    fjの教祖様
  • >私に慢心がある、などとそのような愚問を呈するとは、そもそも君は人間なのか?
    「愚問」を常識的に解釈するなら「質問するまでもなく答えが分かりきっている、口にするだけ愚かさを露呈するような疑問」だが、
    「私に慢心がある」が愚問なら、さて、分かりきった答えとは?

    「私に慢心がある」を愚問に分類した本人ならわかりそうだが、それは本人が周囲に対して自分をどのように見て欲しいかの裏返しでもある。
    彼が周囲に対して、「私に慢心がある」が愚問となるほどに認知されることを望んでいなければ、先のような言葉は出てこないだろう。
    彼は "私が慢心している?当然だろう愚か者!" と言いたいのか、"私が慢心している?そんなわけ無いだろう愚か者!" と言いたいのか?
    分かりきった答えはどうも、本人に分かりきっているだけで、少なくとも私にはまったく判定しかねるようだ。

    さて、okky氏は周囲から「慢心している」と見られたいのか、「慢心していない」と見られたいのかどちらだろう。
    私としては、前者を支持することに疑いを覚えずにはいられないのだが、はて、これは猜疑だろうか、懐疑だろうか?

    (どうでもいいことをさも深い問題のように見せかけてみるテスト)
    --
    (自分の生きた恥を残せ)
  • What could possibly go wrong? といわれて思い出すのはマーフィーの法則 (If anything can go wrong, it will.) ですな。「うまくいかない可能性のあることは、必ずうまくいかない」という。それに対して What could ... は、自信満々と「絶対うまくいくぜ!」といいたいところでしょう。

    ネタにそういうタグがくっつけられるということは、当事者の自信に対して懐疑的なのでしょうから、私が whatcouldpossiblygowrong タグを翻訳しろといわれたら、「うまくいけばいいんですがね」か「どうせうまくいかないよ」くらいにしておきます。