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補足のような蛇足のようなコメントで恐縮ですが ^^、原爆開発の歴史のおさらいです。
当時ウラン濃縮の方法として、サイクロトロンを使った電磁分離法の他に6弗化ウランを使う、気体拡散法、超遠心分離、熱拡散法が検討されていましたが、それぞれの方法は一長一短でした。 結局アメリカが成功した方法は、まず気体拡散法で低濃縮ウランをつくり、これをさらに電磁分離法にかけて高濃縮ウランを得る、という方法でした。 サイクロトロン(実際には濃縮専用機ですが)だけでは原爆の材料をつくるには収量が悪過ぎ、気体拡散法と組み合わせる必要があったのですが、そもそもサイクロトロンがないことにはそれに気付くこともできません。
もう一つ、戦争突入直前に原爆の燃料としてウランの他にプルトニウムも使えそうだという予測がイギリスでされましたが、当時イギリスにはこれを実証できる設備がなく、実験で確かめられたのはアメリカで、サイクロトロンで重水素を加速して得られる中性子線をウランに当て、効率的にプルトニウムの試料をつくることに成功できたからです。 ちなみに実際の長崎型原爆の燃料のプルトニウムの製造は、黒鉛炉を使って行われました。
まとめると、サイクロトロンだけでは原爆はつくれないことは確かです。 しかしサイクロトロン無しでは、原爆の製造方法を確立することはできなかったでしょう。
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誤解じゃなくて (スコア:0)
Re:誤解じゃなくて --ちょっと微妙です-- 長いですが (スコア:5, 参考になる)
ただし、田島先生は「中性子散乱」という原爆に関係する研究をしていたにもかかわらず、「核エネルギー開発研究は軍の最高機密事項で、仁科先生もこのことに関しては必要な人にだけ必要な事項を述べるだけで」「私たちも気を廻して」(必要なこと以外は)「触れないようにしていた」とのことで、「日本の核エネルギー開発研究の全容を的確に知ることは今では困難である。」と記しています。
田島先生は、資料と経験から、原爆開発の三本の柱のうちの一つとして、
「第三の柱はウランの同位体ウラン・238とウラン・235を分離することと、ウランに関する基礎データをすることである」ので「仁科研で原子核を研究していたグループはサイクロトロンを用いて基礎データを測定することを担当した」(田島先生は遅中性子捕獲の研究を担当)と述べています。
このように、サイクロトロンと原爆は全くの無関係ではなく、かなり微妙です。
ただし、サイクロトロン廃棄のいきさつとして、「ついに十月、サイクロトロンを用いて医学・生物学の研究をしてもよいという許可を得ていた」のに「十一月の二十五日の早朝、大小サイクロトロンおよび...主用機器を撤去するという通達を受けた」とのことで、田島先生自身が直接切断の指示をして、非常な屈辱を覚えたと述べています。
Re:誤解じゃなくて --ちょっと微妙です-- 長いですが (スコア:5, 参考になる)
補足のような蛇足のようなコメントで恐縮ですが ^^、原爆開発の歴史のおさらいです。
当時ウラン濃縮の方法として、サイクロトロンを使った電磁分離法の他に6弗化ウランを使う、気体拡散法、超遠心分離、熱拡散法が検討されていましたが、それぞれの方法は一長一短でした。
結局アメリカが成功した方法は、まず気体拡散法で低濃縮ウランをつくり、これをさらに電磁分離法にかけて高濃縮ウランを得る、という方法でした。
サイクロトロン(実際には濃縮専用機ですが)だけでは原爆の材料をつくるには収量が悪過ぎ、気体拡散法と組み合わせる必要があったのですが、そもそもサイクロトロンがないことにはそれに気付くこともできません。
もう一つ、戦争突入直前に原爆の燃料としてウランの他にプルトニウムも使えそうだという予測がイギリスでされましたが、当時イギリスにはこれを実証できる設備がなく、実験で確かめられたのはアメリカで、サイクロトロンで重水素を加速して得られる中性子線をウランに当て、効率的にプルトニウムの試料をつくることに成功できたからです。
ちなみに実際の長崎型原爆の燃料のプルトニウムの製造は、黒鉛炉を使って行われました。
まとめると、サイクロトロンだけでは原爆はつくれないことは確かです。 しかしサイクロトロン無しでは、原爆の製造方法を確立することはできなかったでしょう。
Re:誤解じゃなくて --ちょっと微妙です-- 長いですが (スコア:2, 参考になる)
ええと、「中性子散乱」を使った研究をしている者ですが
> 原爆に関係する研究をしていたにもかかわらず
中性子散乱=原爆と言われますと、ちとアレです
うちの方では中性子散乱と言えば物質の構造の研究に使っています
> 仁科研で原子核を研究していたグループはサイクロトロンを用いて基礎データを測定することを担当した
原爆を作りたくてサイクロトロンを作ったんでしょうかね。サイクロトロンで研究をやりたくて、その為には軍を喜ばせてやることが必要な時代だったんじゃないですかね。
とは言え中性子科学が原爆と無関係ではないとはおっしゃる通りでしょう。ついでに言えばここ数日、中性子の古い論文を遡っていたら、1940年代のエンリコ・フェルミやエドワード・テラーの論文に到達しましたが、それらはきっと原爆の為の基礎データを取った残りの成果だったんでしょうな……。
Re:誤解じゃなくて --ちょっと微妙です-- 長いですが (スコア:1)
>> 原爆に関係する研究をしていたにもかかわらず
>中性子散乱=原爆と言われますと、ちとアレです
>うちの方では中性子散乱と言えば物質の構造の研究に使っています
すみません。原爆のことを話題にしていたので
中性子散乱=原爆
と受け取れる表現をしてしまいました。
私が学部の頃に、田島先生の弟子にあたる人たちが、コックロフト(もう知る人はいないでしょうね)使って発生した中性子を他の物質に当てて、中性子断面積を測る実験をしていたこともあり、そのへんは(専門は違いますが)よく聞いていたのですが。
>原爆を作りたくてサイクロトロンを作ったんでしょうかね。サイクロトロンで研究をやりたくて、その為には軍を喜ばせてやることが必要な時代だったんじゃないですかね。
理研のサイクロトロンは一号機(小サイクロトロン)と二号機(大サイクロトロン)がありますが、小サイクロトロンの建設の頃は核分裂は発見されていなかったので、当然、小サイクロトロンと原爆は関係ないでしょう。
彼らのモチベーションは、現在の研究者と変わらないと思います。
==========
以下蛇足ですが、
主に田島の本から(田島先生の業績を、特に戦後のそれを、もっと知って欲しいとの思いもあり)まとめると
(1) 1934年 フェルミにより、「種々の元素に中性子を照射することにより新しい新しい放射性元素が造られることを発見」
さらに「ウランに中性子を照射すると」「原子番号93の新元素がつくられることを予測したが」「確認できなかった」
(2) 1936年理研(小)サイクロトロン建設(湯浅光朝「科学文化史年表」による。田島先生はまだ学生で本に記述無し)
(3) 仁科・木村のグループはサイクロトロンを使ってフェルミの予測の確認する実験をおこなうが、非常に多くのβ崩壊が観測され、どんどん原子番号の大きな元素が生まれるという矛盾に悩む。
(4) 1938年の暮 ドイツのO.ハーンとF.ストラスマンが核分裂を発見、翌年学会誌で発表(これにより、(3)の矛盾は解決、実は彼らは核分裂を観測していた)
(5) 田島によれば、仁科は小サイクロトロンの完成の近づく頃から
、より大きなサイクロトロンの建設構想を抱いていた。
ですから、彼らが原爆の生産を目指していたわけではないのは明らか(核分裂の存在を知らずに、建設計画を推進していた)ですが、また当時の研究の興味の中心が(原爆とは直接結びつかないにせよ)核分裂に向いて行くのも、当然の流れでしょう。
また大サイクロトロンの建設の予算要求では当然原爆(というか核開発)の可能性にふれていると思います(政府・軍部との折衝は仁科が一人で行ったようで、ごく一部のものしか知らない)
田島は、1940年頃は「陸軍でも海軍でも核エネルギーに注目し、それぞれ別々に小グループをつくって秘かに検討していたが、ようやく指導的立場にある科学者に接触し始めた頃である。」としている。
また、1944年の戦時研究動員会議に提出された書類で、「(1)重量210トンの電磁石を有するサイクロトロンを用いて、強力な放射性元素を生産すること」と(2)その応用研究をすること、と書かれているのを1982年になって初めて見たと書いている。