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もしもボックスで「水伝が嘘ではなく科学的事実な世界」を作ったとしても、 「だからヒトを傷付ける乱暴な言葉はやめましょう」では、道徳になってないよね。 もし本当にそれだけしか感じないんであれば道徳教育の前に情緒教育に問題があったって事なんだろうな。
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消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:4, すばらしい洞察)
この本の中で、小学校に上がってくる子供達はすでに「消費者」として自分を確立してしまっている、
という指摘があります。だから学問が役に立つと思えば「わざわざ勉強してやる」し、学問の意義を
教師が説明できなければ、納得できないのに勉強するなんて消費者の沽券にかかわる、という説です。
このような心得違いが、小学生に限らず、くだんの道徳教師にも蔓延している、という見方は
できないでしょうか。まるでバイヤーのように「科学」と「オカルト」を比較して、
子供達がより少ない努力でより大きな成果 (丁寧な言葉遣いなど) を得られる方を選んで
仕入れてくる、という考え方です。その考え方で正しい、と思っているからこそ、
前野氏の指摘に対して道徳教師は腑抜けのような反応しかできなかった、ということではないでしょうか。
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:1, 興味深い)
小学校のときに人を差別してはいけないんだよ、という授業があったのですが、
なんともあやふやな内容で、当時は何でこんなにつまらないものを、と思っていました。
部落差別について教えていたのだと気付いたのは中学に入ってからです。
それに小学生に道徳を教えるとなると、できるだけはっきりとわかりやすい事例の方が良いのでしょうが、
生命について問うのであれ、差別について問うのであれ、
わかりやすい分その価値観に反発する人も多そうです。
修身に関連するものも使いにくそうですし、
その点水についての科学?なら、価値観ではないし、事実なので教えやすいのかと。
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:2, すばらしい洞察)
個人的にはそれが一番引っかかります。
なぜ,対人関係を学ぶ道徳事業に水を持ち出すのか。
で,エセ化学を教えることに呵責はないのか。
自分が「ありがとう」と言われたらうれしいし,「ばかやろう」と言われたら悲しいじゃないですか。
他の人だって同じです。・・・てな流れにならないと,やっぱり教師失格ですよ。
水に何かしたってコミュニケーションの訓練なんかにはなりません。
水を持ち出さなくても,隣の席同士で声かけのトレーニングをするだけで十分目的は達せられます。
よく水伝のことを宗教だとかいうけど,化学にもなれず,宗教にもなれない,道徳的価値もない,最低最悪なものの一つですね。
教えられた方は信じて,得るモノはまったくないんですから。
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:2, すばらしい洞察)
> 他の人だって同じです。・・・てな流れにならないと,やっぱり教師失格ですよ。
> 水に何かしたってコミュニケーションの訓練なんかにはなりません。
同感。
もしもボックスで「水伝が嘘ではなく科学的事実な世界」を作ったとしても、
「だからヒトを傷付ける乱暴な言葉はやめましょう」では、道徳になってないよね。
それって人間がどうこうの話じゃなく、あくまで水のスペックへの影響だもん。
自分が摂取する水にだけ優しい言葉を掛ければ済む話になってしまう。
聞かせるため・興味を持たせるためにキャッチーでオカルトなメソッドを選択しても、
それで意図が伝わらなきゃ何の意味もない。
# 海外で生水を飲む時は優しい言葉を掛けると御腹を壊しません、みたいな。
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:0)