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お茶の水大、「ニセ科学批判」がらみで提訴される」記事へのコメント

  • マルチ (スコア:4, おもしろおかしい)

    >原告である吉岡氏は、磁気活水器のネットワークビジネスを展開中

    ネットワークビジネスってマルチ商法だろ。
    いちおう合法だけど、法律守ってたら商売にならないくらい厳しい規制がかかってる。
    従って、まもってるヤツなんていないから、結局違法な商売。

    あれだ、暴力団と一緒。
    暴力団も、法律さえ守ってれば合法な組織。
    でもさ、法律守ってる暴力団がいるわけない。
    結果、暴力団=違法な組織って認識で、ほぼ間違いない。
    • by Anonymous Coward
      > 従って、まもってるヤツなんていないから、結局違法な商売。
      だからどうなの?

      apj氏が「原告のおこなってるビジネスは違法だ」と証拠を挙げて言明してるなら、公益性があるからそれは名誉毀損にはあたらない。しかし、違法なビジネスをやってる奴は人権なんて認めねぇなんてのは日本では許されない。そこは間違えちゃいけない。

      で、この裁判結構、大学をプロバイダ責任法でせめてる点は部外者にも興味のある話でしょう。apj氏は自分を被告にしないのを「トンデモ」と表現してますが、野球で言うと、打ち気マンマンの4番apjを敬遠して、自信なさげな大学で勝負ってとこでしょ。トンデモどころか「自分が勝つとしたら、これしかない」と練りに練った作戦を実行って感じでしょ。1審に限って賭けをするとしたら穴狙いで原告勝ちを買おうかなと思わせる雰囲気ありますね。
      • > トンデモどころか「自分が勝つとしたら、これしかない」と練りに練った作戦を実行って感じでしょ。
        そんなあなた、難癖つけて裁判沙汰にするような奴を、戦法が巧いからってほめてどうするの。

        > しかし、違法なビジネスをやってる奴は人権なんて認めねぇなんてのは日本では許されない。そこは間違えちゃいけない。
        本気で原告勝訴を祈ってるの?無責任な人権論もいいとこだね。
        • Re:だからどうなの? (スコア:1, おもしろおかしい)

          by Anonymous Coward
          こんなとき、某掲示板には最適な返し言葉がありますよ。

          >> #1221580 [srad.jp]
          自演乙

          というね。
          • あとは
            本人キタ━━━━━━━━m9( ゚∀゚)━━━━━━━━!!
            でおk?

            # あまりにもアレなのでAC
            • by apj (8158) on 2007年09月20日 13時20分 (#1221878) 日記
               タレ込み採用ありがとうございます>ここの編集の方m(_ _)m。
               民事訴訟はあくまでも私的自治の延長にあるので、当事者同士の争いに止まっているのであれば、さほどニュース性は無かったと思うのですが、原告が
              ・わざわざ発信者を外して名誉毀損訴訟を提起
              ・しかもそれを講演会で話す(主催は遠赤外線研究会であって、何とか法学会ではないので、かなり無理矢理感がある)
              というあたりで、目的外提訴、つまり濫訴と考えるべきだという結論に至りました。

               スラッシュドットに出した理由は、掲示板における名誉毀損訴訟のパターンからはずれたケースであることと、組織に対する攻撃があった場合の個人の対応例を提案することができるのではないかと考えたからです。

               掲示板書き込みが原因の名誉毀損訴訟は、発信者を特定できれば大抵の場合は発信者が提訴されますし、それを妨げた上に削除もしなかった場合は掲示板監理者が提訴される(2ちゃんねるの例など)となっています。発信者と監理者の両方を、共同不法行為として提訴するというのも、もちろん有りです。しかし、今回のように、発信者を極めて容易に確認できるのにそれをせず、匿名と言い張るというのは少ないと思います。でもって、発信者が訴訟法の手続きをとって裁判所に当事者として出向き、裁判官の前で「私が発信者です」と弁論し、裁判官が原告に向かって「発信者に損害賠償請求はしないのですか」と訊いているのに「その気がない」と答えた上で訴訟を続行するというのは、相当稀なケースだと思います。この部分は、変な訴訟としてむしろネタ性が強い部分だと思います。

               もう1点は、企業では少ないかも知れませんが、組織内からの情報発信の自由度をどう確保するかという問題です。大学内からやるなという意見もありますが、私は、大学内から、ニセ科学批判関連に限らず、いろんな情報発信ができる自由度を将来に向かって確保しておくべきだと考えています。情報発信の結果、社会の一部分の利害に反する結果になるということは、今回だけではなく、今後も起こりうることです。もちろん、明らかな誹謗中傷を容認するわけではありません。いずれにしても、大学側の果たす責任と発信者の果たす責任を切り分けて、表現の内容については発信者が責任を負うというのが、自由度を確保する一つの方法だと考えています。
               大学には、グレーゾーンとなるような表現が名誉毀損かどうかを事実認定して判断する機能などありません。事実認定と判断は裁判所の仕事です。ですから、結論は最終的には裁判所で出すことになります。しかし、嫌がらせや牽制のために、大学を巻き込んで訴えるという手段は誰にでも取れます。この場合に、発信者としてどう動いて責任を負うかということが問題となります。この訴訟を例にして、責任の負い方の一例として、民事訴訟には訴訟参加という方法があることを知っていただければと思います。
               いずれか一方の当事者に補助参加する方法と、独立当事者参加(これを認めるかどうかは裁判で決まります)という方法があります。補助参加の方は、元の当事者の立場に引きずられるので、立場としては弱いです。独立当事者参加だと、三面訴訟の形になり、元の当事者の弁論に引きずられずに訴訟を行うことができます。
               これ以外にも、元の訴訟で争われている表現内容が不法行為に該当しないという「確認の訴え」を別に提起し、弁論を併合するように申し出るという手もあるかもしれません。民事訴訟の、紛争を矛盾なく1回で解決するという機能をきちんと使おうというものです。こちらは、私が一番最初に思いついた方法でした。不法行為でないという判決を得られれば、削除要求や損害賠償の根拠を消滅させることができますので。ただ、これでは元の訴訟を止められないので、当事者参加すべきだと弁護士にアドバイスされました。
               今回、私は、発信者の立場で、当事者であると名乗り出ました。法的な構成としては、責任者の冨永教授が一緒に参加する方がすっきりするのですが、ちょっと見送りました。

               なお、今回の表現に関して言えば、裁判官すら、どこが名誉毀損か読んだだけではわからないので原告に求釈明している状態です。前回の口頭弁論では、裁判官は「名誉毀損訴訟だと普通は読めばどれが名誉毀損かわかるものだが……」ということを発言していました。裁判官すらそう受け止めるような表現を見たときに、大学つまり素人が、名誉毀損か否かの判定を正しくできるとは考えられません。
              親コメント
              •  大学からの情報発信の自由度をどう確保するかという問題について、別にまとめておきます。
                 大学からの情報発信の自由度を考えるにあたっての前提ですが、たとえばエロサイトを勝手につくるとか、全く関係のない趣味のページを作りまくるといったものが含まれないことは確かでしょう(学生がちょこっと作るのはほほえましいと思われるかもしれませんが、職員がやるのは違う)。従って、教育あるいは研究といった活動の範囲に限るということになります。個人が何でも勝手にやるということが前提ではありません。

                 「大学からの情報発信の自由度の確保」の問題とは、「誰かの利害には反するが公益性のある情報」をどこまで研究者・教員個人が大学から発信できるのか、という範囲あるいは相場を決めていこうということを意味します。発信者の自由意思で外でやるというのは当人の勝手だし自由ですが、それではルールなり基準なりをどう決めるかということには寄与しませんので、今回は考慮しません。

                 極端な解決策の1つは「教員による情報発信の自由を一切認めない」というものです。コンセンサスが得られるならばそれも有りですが、その場合は、大学としてそのことを(内外に)意思表示すべきでしょう。弊害もありますが、これを選んではいけないという理由もありません。
                 別の解決策の1つは「クレームがあったり訴えられたりしたら即止める」というものです。この場合も、そのことが世の中に知れ渡っていないといけませんね。「大学からは、企業のクレームに引っ掛からない情報だけ提供します」ということに他なりませんから、そのフィルターの存在が正しく知られていないと、情報を受けとった人が判断を誤ります。

                 さて、例えば私はニセ科学とどう向き合うか、騙されないためにはどうするかということをテーマとして、講義もしていますし、一般の方々に講演するといったこともしています。その内容には、水商売ウォッチングの内容もかなり含まれています。この内容は、必要とされていることもある一方、商売の邪魔だと思う人が居ることもまた確かです。講義の内容をウェブで公開すれば、嫌がらせの提訴の対象にはなり得ます。情報発信の基準として「クレームや提訴があったらやめる」を選んだ場合、講義内容を大学から発信できなくなりますが、講義そのものをしてはいけないということにはならないでしょう。つまりウェブに出してはいけないが、講義はしてもいい内容がある、ということになってしまうわけで、これはかなり変です(講義資料を作るにあたっての著作権の問題は敢えてここの議論に入れません。混乱しますので)。なお、名誉毀損における公然性については、大学内の委員会に流れただけで公然性有り、と判断されます(これは実際に私が原告となって裁判所の判断を確かめました。)。講義でも公然性有りとされるでしょう。

                 では、クレームや訴訟への対応を大学に丸投げにしたらどうなるか。大学のみが責任を負うとなると、大学は情報発信の事前規制をせざるを得ず、そのチェックに現実に使えるリソースを考えると、実質的に、教員の情報発信を原則として禁止し、チェックできる限られた情報に限って公開するという形になると思われます。

                 もちろん、あきらかな誹謗・中傷の発信が許されるわけでは無いのは当たり前のことです。ただ、「単に不利益になる情報」に対して「誹謗、中傷だ」「名誉毀損だ」というイチャモンが付けられることが現実にはよく起きるということも考慮しておく必要があります。
                 大学から外部への情報発信は会議を通ったものだけ、という運用以外に、現実に運用可能なやり方があるかどうかについては、今の時点では、まだ、考えておく意味があると思います。
                 私の案の一つは、大学は「特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律」(通称プロバイダ責任制限法)に定められたプロバイダとして行動し、ただし教育・研究機関であるという性質上、実質的な発信者(責任者も含まれる、何かあった時に訴える相手)を特定できる形で情報を出しておき、発信内容についての法的責任は発信者が負う、というものです。つまり、裁判所で当事者になるということです。ですから、今回は、自分で弁護士と契約し、民訴47条に従って、独立当事者参加の申し出をしました。

                 最終的に、世の中と大学が、どういった制度を作るという結論で合意するかは私にはわかりません。ただ、制度は作ったようにしか運用できません。多分、今はまだ過渡期で、試行錯誤している状態なのだと思います。
                親コメント
              • 下記に引用を致します通り、貴学のホームページ上におきまして、私が使用しておりますメールアドレスを掲示しつつ、私が当該メールアドレスを用いて
                貴学の理学部准教授である○○○○氏を『騙った悪質ななりすまし行為を実行中』であるとの事実が公然と摘示されております。
                 
                > ............@...........を名乗る私の偽者が現れました。
                > 【追記】当該人物が大学に対して上記メールアドレスの削除を要求してきました。大学には、「私を騙った悪質ななりすまし行為を実行中の人物である」ことを説明しました。なりすまし行為が続く限り、メールアドレスの公開は継続します。
              • by Anonymous Coward
                >大学側の果たす責任と発信者の果たす責任を切り分けて、表現の内容については発信者が責任を負うというのが、自由度を確保する一つの方法だと考えています。

                自由度を確保したいのなら、学外のサイトでやればいいのに…。
                学術誌に査読があるように、信用と自由はトレード・オフだよ。
                ご自分の意見を自由に発言がしたいなら、そういう場でしたら?
              • by apj (8158) on 2007年09月20日 15時41分 (#1221927) 日記
                >自由度を確保したいのなら、学外のサイトでやればいいのに…。
                 単なる「発言の自由度」の確保ではなく「大学から発信する場合における自由度」をどこまで確保するかという話なので、学外でやれというのは意味がありません。

                >学術誌に査読があるように、信用と自由はトレード・オフだよ。
                 意味不明です。ウェブからの情報発信が、学術誌と同じに扱われるわけではないのは自明のことです。
                また、一般に、自由に対してはリスクが伴うのであり、信用云々は無関係です。

                >ご自分の意見を自由に発言がしたいなら、そういう場でしたら?
                 ということで、これは見当外れですよ。
                親コメント
              • by Anonymous Coward
                あんた、相変わらず全然、駄目だね。

                >ウェブからの情報発信が、学術誌と同じに扱われるわけではないのは自明のことです。

                大学サイトからの発信が、商業プロバイダの個人ページと同じに扱われるわけではない。
                個人が自由に発信できる場であれば、そこからの情報の信用度は下がる。自明のことだ。
                そういう場の必要性は認めるけどな。一方で、そうでない場も必要なのが分からないのかね。
              • by Anonymous Coward
                あんたも全然だめだねぇ.

                もともと

                 単なる「発言の自由度」の確保ではなく「大学から発信する場合における自由度」をどこまで確保するかという話なので、学外でやれというのは意味がありません。


                という話をしていたのに,


                そういう場の必要性は認めるけどな。一方で、そうでない場も必要なのが分からないのかね。


                分かるも分からないも,それの「程度」の議論をしましょうよ,と言っているのに.話をそらさずちゃんと議論をしましょうよ.批判したいならなおさら.

              • by Anonymous Coward
                【プレプリント・サーバー】と【査読誌のウェブ版】でも自由と信用のトレード・オフはあるみたいだけどね。

                まあ、中には、プレプリント→フィールズ賞→受賞拒否&大学辞職なんてのもあるけどな。

                > arXivで以下の3つのプレプリントを発表しポアンカレ予想を解決したと宣言した。
                > 趣味はキノコ狩りである。
                http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%8... [wikipedia.org]
              • by nisekagaku (34799) on 2007年09月20日 18時18分 (#1221969)
                【大学サイトからの発信である、という信用が不要】であるならば
                学外サイトから発信すればいいんだが。

                大学にある掲示板上の記述に関して、大学が法的責任を有するのは
                自明なことだ。書き込み人には部外者に対する法的責任はないとは
                言えないだろうが。

                お茶女裁判 その4 色眼鏡で見る人々
                http://www.minusionwater.com/ochajudgement4.htm [minusionwater.com]
                親コメント
              • 講義の場合でも、学外者(ここでは学生を含む)に対する主要な責任は大学が有している。
                大学はその責を果たすために、教員(による講義)に対する一定の管理責任がある。

                それが嫌なら私塾でも開けば良い。(現在は法的には大学が認めれば兼業も可能。)
                親コメント
              •  もう一点、最近気になっていることを書いておきます。
                 今、大学教員には産学連携しろという圧力が、あらゆる形でかかっています。それはそれでいい面もあるのですが、変な宣伝をする企業と共同研究してしまうというケースも出てきています。共同研究の範囲がまともでも、それ以外のところで変な宣伝をしている場合がありますので。すると、「○○大学と共同研究」というフレーズと共に「わけのわからん科学っぽい宣伝」が世の中に流通することになります。一方、会社との共同研究の実績は、大学としても大いに宣伝したい種類の情報ですので、大学側で共同研究リストを作っていたり、大学お墨付きで実績としてウェブで公表していたりします。

                 ニセ科学批判などをしていると、学内の別の教員の共同研究の相手にツッコミを入れてしまうという、内部での利益相反が起こり得ます。教員による情報発信禁止方式を選んだ場合には、変な宣伝の方は大学の名前と一緒に世の中に広まり、批判の方は学内からは一切出てこないという結果になりそうです。まあ、教員の情報発信可能な運用をしたとしても、利益相反のときにどう判断するかという部分で、大学の見識は問われるかと思いますが……。

                #実際、「こんな一般向け講演企画の申し込みがあって」と主催者サイドから連絡され「それは例えばこんな結果が論文として出てないと、そこまで言うのは危ないですよね」などと話をしていたら、講演者が学内の別の先生だったということが……orz。
                親コメント
              • 憲法学の教科書を読んで出直せ。ついでに判例も。
                親コメント
              • では、貴方がわざわざ出て行かなくとも、【余裕で不当提訴】で決定じゃないですか?
                貴方の行動が、そのご発言を丸っきり裏切っているのですけどね
                親コメント
              • by Anonymous Coward
                >大学サイトからの発信が、商業プロバイダの個人ページと同じに扱われるわけではない。

                オフィシャルなページでもない限り、同じです。
                あなたのように、自分に都合のいいときだけ違うことにしておきたい人がいるのはよく知っていますが。

                >個人が自由に発信できる場であれば

                そんなものは、個々人の心の中にしかねぇよ。
              • もし学内の利益相反がクリアできていない状態であるならば、
                まずは学内で何とかしようとする。それと同時に必要ならば、
                学外のサイトで個人として発言するというのが普通でしょう。
                それなら、大学には学外に対する責任が発生しない。

                大学から発信することが大学の利益になるとの判断のもとで、
                また大学もその行為を認めているのならば、大学が発信者と
                しての責任(の少なくとも一部)を有するのは当然でしょう。
                親コメント
              • by Anonymous Coward
                > >大学サイトからの発信が、商業プロバイダの個人ページと同じに扱われるわけではない
                >オフィシャルなページでもない限り、同じです

                判例を待ちましょうか。そもそも「何を以ってオフィシャルではないと判断するのか」すら、不明ですから

                「完全な個人ページ」を開設することを国立大学法人が認めることにどんな意味があるのかもよく分かりませんけど。福利厚生とか?

              • 大学から発信することが大学の利益になるとの判断のもとで、
                また大学もその行為を認めているのならば、大学が発信者と
                しての責任(の少なくとも一部)を有するのは当然でしょう。


                当然だと思います。しかし今回は名誉毀損を行ったとされる
                本人が元々自明でしたし、さらに堂々と裁判に出てきてますので、
                そこを無視しようとする意図がよく分かりません。

                教えていただけませんか?
              • by Anonymous Coward
                >そもそも「何を以ってオフィシャルではないと判断するのか」すら、不明ですから

                また、わけのわからんことを……
                オフィシャルであると謳っていないページはオフィシャルではありません。
              • それは吉岡本人の意図を推測する、という話だよね。

                ただ、目的外提訴という文句は、訴えられた者がそう言うことで自己の利益になると
                考えた場合に付けるものであって訴えられてもいない者がそういって乗り込んでいく
                ことも大学にして見れば、なんだか目的外提訴な訳だよ。

                いずれにしても、大学のサイトの運営をどうするか、という問題は、原則的に大学の
                権限と責任で決定されるものであって、天羽氏が決定することではない。天羽氏には
                削除の法的な義務は存在しない、さらに大学にも存在しないとしても、コンテンツを
                大学のサイト上に置くことは、大学と天羽氏双方の合意があって可能なことであって、
                その一方が認めなければサイト上からコンテンツは消える訳よ。つまり、天羽氏にも
                大学にも当該の書き込みを『掲載する義務』は少なくともない。
              • >オフィシャルであると謳っていないページはオフィシャルではありません。

                > >大学サイトからの発信が、商業プロバイダの個人ページと同じに扱われるわけではない
                >オフィシャルなページでもない限り、同じです

                オフィシャルの意味が変わってるよ。

                後者の「オフィシャルではない」は、完全な個人ページということだから。
                オフィシャルと謳っていないだけじゃ、完全な個人ページとは限らないね。
                親コメント
              • by Anonymous Coward
                > 学術誌に査読があるように、信用と自由はトレード・オフだよ。

                それは違うな。自由のないところに信用などない。

                あなた、自由などかけらもない独裁国家の発表する内容を信用するんですか?どこかに圧力をかけられて論文の採否を左右されるような査読者や学術誌を信用するんですか?

                私は信用しませんね。

                査読は、信用の確保のために必要な自由を保証しながら、紙面や読者の時間という有限なリソースを無駄遣いしないという矛盾する要求を満たすために作られた手法であって、自由を制限するためにやっているのではありません。査読というシステムが、著者と査読者の自由を確保するためにどれだけ気を使っているか、早く気づいたほうがいいでしょう。
              • by Anonymous Coward
                『自由』は別にある雑誌にリジェクトされても、(当たり前だが)他で発表することは自由である、ということにあるんだけどね。随分、勘違いしてるようだが

                圧力は、当然あるよ。最近では、IFを気にする雑誌も多いかもね。査読付き学術誌が信用を落とすような論文を自由に掲載させてどうする?
              • 信用と自由のトレードオフとか書いていますが、
                自由には責任がついてくるものだと思います。
                自由に行動する結果生じる責任を果たすことでついてくるのが
                信用なので、信用があっても自由というのは存在しえますよね。

                #1221920 のACさんが「自由」と表現しているのはたぶん
                「好き勝手、わがまま勝手」のことなので話がまぜ返されているんだと思います。

                # 本人来た以外はすっかりオフトピなのについ反応
                親コメント
              • by nisekagaku (34799) on 2007年09月20日 22時11分 (#1222054)
                学術誌が、市民に自由な発言の場を提供するために査読制度を取り入れていると?
                いや、科学者に自由な発言の場を提供するためか?科学者とそうでない人を、どう
                区別するんだ?

                普通は「適切な論文を選別」して掲載するためにでしょう。
                親コメント
              • >自由に行動する結果生じる責任を果たすことでついてくるのが信用なので

                付いてくる場合もあれば、付いてこない場合もありますね。
                自分の判断で自由に投稿してリジェクトされるのも、責任という意味では何の問題もありません。
                しかし、それで研究者としての信用が生まれますか?

                逆に極端な話としては、世界的に有名な学術賞が与えられれば、研究者としての信用になります。
                あるいは、学会で不要に成果発表して、後で重大なミスに気づき論文にまとめられなかった場合、
                責任という意味ではあまり問題はないと私は思いますが、研究者としての信用は落とすでしょう。
              • by Anonymous Coward
                > 査読付き学術誌が信用を落とすような論文を自由に掲載させてどうする?

                無理矢理「自由に」とこじつけてますが、自由と関係ない話になってますな。

                自由ではなく、誰かに圧力をかけられて、信用を落とすような論文を掲載させた場合は問題なしですか?

                信用を落とすような論文を掲載する学術誌は市場原理で淘汰されるでしょう。学術誌や査読者への圧力を容認するような社会では、市場原理が機能せず、すべての学術誌がそろって信用を失って終わりでしょうね。

                > 学術誌が、市民に自由な発言の場を提供するために査読制度を取り入れていると?

                誰でも投稿できるようにしているから、査読が必要になるんですよ。

                選ばれた一部のエリートにしか投稿が許されないのであれば、査読なんて必要ありませんね。
              • by Anonymous Coward
                市場原理的な圧力は当然。投稿は自由だが、掲載は自由ではない。そういうでしょう。
                今の場合、原告が問題だと考える書き込みを大学が放置して、掲載されたままである。
                「こういう掲示をしてくれないか」と大学に提案する自由を問題にしている訳でなく、
                自由に掲載しても良いのかの問題だ。天羽氏の言う自由が、提案の自由のことならば、
                自由と信用のトレードオフというような話にはならないが、そういう自由の話な訳か?
              • > 投稿は自由だが、掲載は自由ではない。

                いいえ。掲載も自由というのが重要なんです。それぞれの機関が自由に掲載する内容を決めることによってもたらされる多様性が存在して、その中で生き残ってきたことが信用の源泉だということが理解できないとはお気の毒です。

                掲載されているものに問題があると考えるなら、その主張を発表して言論で対抗すればいい。それが本当にまともな主張なら、受け入れられるかもしれません。市場原理的圧力とはそういうものです。

                現実にはまともに言論で対抗できないから、裁判みたいな手段に出るわけですな。
              • 自分にだけ都合よくmy定義を振りかざすな。
              • だから、天羽氏の言ってる自由度は『大学が大学のサイトに掲載する自由』の話ではなく、
                『天羽氏(あるいは、冨永氏や教員)が大学のサイトに掲載する自由』の話だろう。
                「後者の自由」は「媒体の信用」とトレード・オフだ。何、話をスリカエてるんだ。

                個人として法的な表現の自由を行使したいのならば、大学のサイトに固執する必要はない。
                大学のサイトである以上、表現の自由の行使の主体(の少なくとも一部)は大学であって
                大学の責任が問われる、という話だ。天羽氏はまるで『大学には責任がない』かのように
                主張しているが、それが間違いだな。

                もし『完全な個人ページ』であ
              • なんでそんなに熱くなっているのかわからんが
                別に固執してもいいと思うんですよね

                とくに今回の件に関しては公益性がありますので。
              • by nisekagaku (34799) on 2007年09月21日 8時58分 (#1222336)
                興味のポイントが違う。大学のサイトに当該ページを置くことの是非ではなくて、
                大学のサイトに置けば、【大学の責任と信用】の問題でもある、ということ話だ。

                天羽氏はまるで、【大学の責任と信用】の問題にはならないかのように主張して
                いるでしょう。それは間違いだという話。

                当該書き込みの公益性が法的に認められるか、どうかに俺は大して興味はない。
                親コメント
              • >現実にはまともに言論で対抗できないから、裁判みたいな手段に出るわけですな。

                おいおい。日下部を名誉毀損で刑事告訴したのは、どこのどいつだよ…
              • それぞれの機関が自由に掲載する内容を決めることによってもたらされる多様性が存在して、その中で生き残ってきたことが信用の源泉だということが理解できないとはお気の毒です。

                大学が大学を通して発言する内容を決める自由の下で、許される発言の範囲を可能な限り広く取るのも自由です。で、その基準の下で生き抜いてきたことによって、大学を通した発言の信用が生まれているわけです。

                自由を制限することによって信用が生まれるわけではありません。
              • by nisekagaku (34799) on 2007年09月21日 9時43分 (#1222365)
                「機関の自由の話」と「著者の自由の話」をスリカエてますね。

                【個人】が機関を通して自由に発信できるなら、その機関からの情報発信だということによる信用力は低下しますよ。機関が選別して掲載するから、当該機関の選別を通ったという信用が生まれる。当たり前の話だが?
                親コメント
              • 全然、違いますよ

                著者が【その機関の選別のやり方】が気に入らなければ、
                その選別のやり方を批判するだけではなくて(編集者に
                直接に文句を言うとか、同僚に「最近、あの雑誌、質が
                落ちてない?」とか。)だけではなく、別の場所で発表
                すればいい

                それが機関に対する市場圧力(の一つ)だな。「著者に
                見放されるよ」というね
              • by Anonymous Coward
                この件に関して言えば

                誰でも自由に、お茶の水大学のサイトにページを設けることができる訳ではない
                そこに、【お茶の水大学による選別】があるのは明らか

                大学には、その選別についての責任がある。このケースで言えば、削除要求後も
                当該書き込みを掲載し続けたことに対する責任がね。もちろん、当該書き込みに
                そもそも法的な問題がないのなら、別にどうってことはないだが
              • by Anonymous Coward
                それを言うなら、吉岡と天羽は同類

                どっちも「大学の自主的な判断」を外部から法的に制限しようとしてるんだから

                大学の自主的な判断を尊重するなら、【独立当事者】なんぞではなくて、大学に
                請われて大学に協力する形で、大学側の証人なりなんなりで出廷すべきでしょう

                天羽のやってることは「大学の自主的判断」の尊重などではなく、吉岡と大学に
                対して「自己の自主的判断」の尊重を求めているに過ぎない
              • by nisekagaku (34799) on 2007年09月21日 11時50分 (#1222470)
                >天羽のやってることは「大学の自主的判断」の尊重などではなく、吉岡と大学に
                >対して「自己の自主的判断」の尊重を求めているに過ぎない

                「お茶の水大学の自主的判断」と「自分の自主的判断」とをよく混同できたものだ
                親コメント
              • そんなことはありません

                それがどの程度許容されるべきなのか、議論の必要がありますね

                と主張しています。勘違いも甚だしい。
              • >天羽氏はまるで、【大学の責任と信用】の問題にはならないかのように主張して
                >いるでしょう。

                >勘違いも甚だしい。

                では、勘違いさせないように以後、気をつけて下さいね。例えば、
                  
                これは、書き込み人だけではなく【大学の責任と信用】の問題でもあるが、
                「その大きさがどの程度なのか」については議論をする意義がある

                とでも言えば良いでしょう。
              • > 機関が選別して掲載するから、当該機関の選別を通ったという信用が生まれる。当たり前の話だが?

                当たり前に思えるのはあなたが信用についてロクに考えていないからです。

                無名の編集者が無名の査読者をかきあつめて、新規に学術誌を作ったとしましょう。誰がそれを信用しますか?「まったく期待はしてないけど、いいものを作れるようにがんばってね」というのが一般的な反応ですよ。その査読を通ったからといって、それだけでは誰も評価しません。選別されても信用など生じていないわけです。

                では、どういう条件が満たされれば信用が生まれるのでしょうか。答えは
              • >個人が機関を通して自由に発言すれば信用が低下するという主張も誤りです。

                それはあり得ません。そのことは、貴方自身認識しているはずです。
                というより、極めてミスリーディングです。
                そこでの個人は、「何らかの形で選別されている」ことが条件です。

                >無名の編集者が無名の査読者をかきあつめて、新規に学術誌を作ったとしましょう。

                確かに認識していますね。

                ここでの興味は、『お茶の水女子大学による選別』の事実です。
                それは必要なことであり、また、その選別に関する【大学の信用の責任】の問題です。
              • by nisekagaku (34799) on 2007年09月22日 10時48分 (#1223069)
                >無名の編集者が無名の査読者をかきあつめて、新規に学術誌を作ったとしましょう。

                いずれにしても、【内容で選別】するか【人で選別】するかといったことをしなければ
                『そこからの情報発信であること』による信用など生まれようもない

                自由競争で実績を積むというのは、『よい選別をしている』ということに関する競争だ

                では聞きましょう。何のための学位ですか?何のためのDM批判ですか?
                親コメント
              • 誤解を招く発言を今まで散々、繰り返してきたのはどこのどいつだ…?

                >大学が大学発の情報を規制するのは当たり前だ。それが世間の常識である。しかし現実には、お茶の水女子大学は個々の内容まで規制していない。なぜか。それは大学当局が、学内の個々の情報発信源を信用しているからである。

                http://www.minusionwater.com/ochajudgement4.htm [minusionwater.com]
                親コメント
              • 全編を通じて宮台氏がニセ科学批判の問題に関る重要な論点を提起していますので、
                熟読玩味されることをお勧めします。

                >■その意味で「悪と戦い続け善を積み増せば、千年王国で永遠の生命が得られる」と、ゾロアスター教よろしく素朴な二元論に陷るアメリカのプロテステタント諸会派──福音派と呼ばれる──は、カトリック的視座からは「苦難を欠くがゆえの唾棄すべき軽薄さ」と見做されるのである。

                >■抽象的に言えば、「世の摂理は人知を超える」という発想は、「終わりよければ全てよし」とばかりに、まだ見ぬ(永久に見ることのない)終わりを参照点としつつ全てを正当化するという「恣意的な分別」への、居直りを奨励しかねない。だからこそ「世直しの不可能性」なのである。

                MIYADAI.com Blog
                幼い頃に観た藤城清治(当時木馬坐)の影絵劇『銀河鉄道の夜』のDVDが発売されました!
                http://www.miyadai.com/index.php?itemid=563 [miyadai.com] [miyadai.com]
                親コメント
              • 同一トピック内でマルチポストするな [srad.jp]愚か者よ。
                さっさとこっちの議論に [srad.jp]きてください。
                あと、キミACにしなくてよかったのですか? 自作自演がばれますよ? ニヤニヤ

身近な人の偉大さは半減する -- あるアレゲ人

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