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UNIXはシンプルである。必要なのはそのシンプルさを理解する素質だけである -- Dennis Ritchie
好奇心と執着心 (スコア:0)
好奇心と執着心は選別できない (スコア:1)
もちろん逆に「悪い好奇心と悪い執着心」だけを伸ばす事も出来ないはず。
しかも、良い悪いの価値基準は、時代によっても状況によっても変わる。
さてどうするか?
例えば、
「
Re:好奇心と執着心は選別できない (スコア:0)
現行法に引っかかった時点で法的に処理、で良いのでは?
#ネタにまじれすっぽいのでAC
Re:好奇心と執着心は選別できない (スコア:0)
#以下同文なのでAC
Re:好奇心と執着心は選別できない (スコア:1)
僕はバカなので文章が上手く書けなくて、
それで、相手に伝わりにくかっただけで、
言いたかったことは単純です。
皆さんは、
「将来、有利になるから能力(スキル)を付ける」
「自分だけでなく、周囲の人の為にもなるように方向付けする」
から「正しい」のだと言いますが、
「脳」からしてみれば、目や耳や鼻や触覚・・・などなどの感覚器官から入力されて来る
どんな情報も「(ほぼ)平等です」。
我々人類が過去これまでの文化の積み重ねで「洗練」させてきた、
「道徳観」や「価値観」は、「(ほぼ)ソフトウエア」だと考えられます。
つまり、外部から、感覚器官を通じて「脳」に「文化」という「ファームウエア」が書き込まれること、
それこそが「新生児~20歳(複雑な現代社会では45歳くらいでしょうか)」の
間の期間の「教育」と「人生経験」だと、僕は仮定しています。
つまり、脳に入力されるファームウエア(文化)の「品質」や「性向」や「傾向」によって、
いかようにでも人間は変わるということです。例外は(ほぼ)無いと思われます。
確かに「脳」には、動物的な原始倫理/道徳が多少組みこまれています。
(捕食する場合も、遊びで(殺す)場合も、状況によって殺す場合もあれば、殺さない場合もある)
しかし、人間の場合、圧倒的に「原始脳」以外の「大脳新皮質など」の部位の優位性が高いので、
「脳」を、「訓練」や「習慣による無意識のうちの訓練」によって、
いかようにも「フェティッシュ」な状態に持って行くことが可能だと思います。
どうすれば良いか考えて見て下さい。
そこが、「単純ではない。近視眼的ではいけない。全てを考えなければならない」と思う理由です。
Re:好奇心と執着心は選別できない (スコア:0)
Re:好奇心と執着心は選別できない (スコア:1)