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69783 story

訃報:石田晴久氏逝去 117

ストーリー by kashibat-svt
お悔やみ 部門より

あるAnonymous Coward 曰く、

日本のコンピュータ界、ネット界の先駆者であり、その礎を作られた石田晴久氏が本日午前7時に逝去されたそうです(サイバー大学のプレスリリース)。
書籍「プログラミング言語C」など、様々な書籍の翻訳者としても活躍され、その仕事のお世話になった方も多い(C使いならほぼ全員?)と思います。

思い出話を語りながら故人を偲ぶストーリーになればと思い、タレコミます。

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • 石田先生と教育 (スコア:5, 参考になる)

    by abee2 (33216) <abeeNO@SPAMsqueakland.jp> on 2009年03月10日 1時47分 (#1527950) ホームページ
    石田先生は教育にも大変熱心でいらっしゃいました。
    このページ [hp.com]の左上の写真で、アラン・ケイ博士の後ろに写っているのが石田先生です。
    これは日本HPのSqueakによる社会貢献活動を紹介した2004年のニュースリリースで、石田先生は会場に来賓としていらしていました(私はスタッフ)。当時は多摩美術大学のメディアセンター長を務められていましたが、Squeakを使った子供の教育に多大な関心を寄せられ、アランさんとも熱心に情報交換されていたのを覚えています。その後、情報デザイン学科の須永先生と共にSqueak Labの設立に尽力され、私も研究員として呼んでいただきました。Squeak Labではアートとコンピューティングを組み合わせた子供のためのワークショップを開催し、大きな成功を収めています。
    サイバー大学設立の折には、打ち合わせ場所として使っておられた新宿中村屋に私を呼び出され、教養科目としてSqueakを使った講義 [cyber-u.ac.jp]を行うことを提案されました。サイバー大学には世界遺産学部とIT総合学部という異なった学部がありますが、どちらの学生も習得すべき基礎的なリテラシとして、プログラミングを取り入れたいとのお考えでした。
    石田先生というとUNIXやC言語の印象が強いですが、パソコン黎明期にはTiny BASICやUCSD Pascalを紹介されており、現在もさまざまな言語や環境について研究されていました(先生が担当されていた「パソコンの歴史」と「コンピュータ進化論」 [cyber-u.ac.jp]は当時を知る上で大変興味深い内容です)。 先生からの最後のメールは日本におけるOLPC普及に関するもので、最後にお会いしたのはMIT Media LabでMindstormsやScratchを開発したミチェル・レズニック教授との会食の席でした。
    入院の直前までSkypeを使っておられたという話もあり、いかにも先生らしいと思う一方で、もっとご自愛いただけていたらと思うと残念でなりません。
  • 情報系の進学をして渡された教科書が石田先生の著書でした。
    ちょっと難しかったけれど凄く参考になりました。
    もうIT系の仕事はしていませんが、いまでも教科書は持っています。
    いまから読み返して喪に服したいと思います。
    --
    書痴の森へようこそ。
  • こんなところからで申し訳ございませんが、ご冥福をお祈り申し上げます。

  • by phenix (31258) on 2009年03月09日 20時53分 (#1527782)

    こういった方がまだご存命だったんですものね・・・
    この業界まだまだ伸びしろがあるはずです。

    ITに携わる人の数は爆発的に増えていますが、
    我々の時代に、果たして先生の時代ほどの変化をもたらすことができるか・・・
    身が引き締まる思いです。

  • 苟もC言語を志す者ならこの本くらいは持っとくべし(ちょっと原文と違うかもしれないけれどそういうニュアンスだったと思う)と、今まなき Oh!X 誌で故祝一平氏が紹介されていたのがきっかけで、K&R の第2版を手にしたのが既に20年近く前だったのではないかと思うのですが、とにかくこの本との出会いは衝撃的でした。
    当時、せいぜい X-BASIC くらいしか知らなかった自分にとって、最初は難しく思えてしばらくの間は積読状態になっていたものの、結局本棚に数ある本のなかでも特にこの1冊だけは手垢で真っ黒になってしまっており、特別な1冊であったことを物語っています。
    思えばCを書くとき常に傍らにあった1冊であったわけで、座右の書、人生を変えた1冊と言っても過言ではないでしょう。
    この場を借りて石田先生に感謝の気持を贈りたいと思います。
    --
    uxi
  • by saitoh (10803) on 2009年03月10日 10時22分 (#1528093)
    計算機センターに配属された教員なんてのは仕事に追いまくられて研究どころではない。博士号がとれずに困る助手なんてのはごろごろいた。 業務でやったことを論文化しようとしても、計算機/ネットワークシステム運用なんてのは研究分野とはみなされてなかった。これではいけないということで・・・
    「大学や企業の計算機システムなど大規模分散システムの構成技術や管理運営に関する研究発表の場を提供するため」  に、情報処理学会にDSM研究会がつくられた(1996年)のだけれど、その初代主査を務めていただいたのが石田先生でした。
    実際、「定義があって補題があって定理があるものじゃなければ論文じゃない」みたいな雰囲気だったんだよ~。 DSM研究会(今ではIOT研究会)ができて、助かってます。
  • 私は、K&R 第一版でプログラミングを始めました。
    自分でノートに整理しながら問題も全問トライして、プログラミングを学びました。

    いまも、システム開発で生きていけているのは、あの本と格闘したからこそだと感謝しております。

    ありがとうございました。
    ご冥福をお祈りいたします。

  • by pegiminh (37693) on 2009年03月09日 19時57分 (#1527746) ホームページ
    常に側に置いて何度も読んでいます。
    ご冥福をお祈りします。
    --
    /* pegiminh (aka .thx) */
  • by deleted user (3598) on 2009年03月09日 21時01分 (#1527785)
    石田先生のプログラミング言語C訳本がなかったら
    きっと卒業できてなかったと思います。
    本当にお世話になりました。いまだにお世話になっているようです...

    # 木村泉先生のソフトウェア作法にも非常にお世話になりました。
    # っていうか今も役に立ってます。
    --
    =^..^=
    Enjoy Computing, Skiing, as much as Horse Racing.
  • by Anonymous Coward on 2009年03月09日 21時10分 (#1527789)
    日本のインターネットの父と言えば村井純さんですが、東大の大型計算機センター長として村井さんをサポートしてたそうですね。言うなれば日本のインターネットのジジイでしょうか。関連ストーリーにある「インターネットの夜明け」でそういう話を見ました。
  • by gm_camouf01 (31675) on 2009年03月10日 0時03分 (#1527907)
    and Thanks for all the C
    「バイブル」とか呼んでた学生の時分、あの手の書籍はなかなか手が出なかったな…
  • by DesKwa (35996) on 2009年03月10日 0時46分 (#1527930)

    ご冥福をお祈りいたします。

    って、「UNIXプログラミング環境」買って全然読んでなかったorz
    明日から読むかな?

    • いまや内容は時代遅れですが、でも、プロ環に相当する良書がないんですよ。 アスキーの人に会うと、「21世紀のプロ環」的な本を作ってくださいとお願いしているんですが。
      親コメント
    • 「UNIXプログラミング環境」って確かガッコの教科書で使ったような...と思って探したら、石田先生が監訳されていたのですね。
      あれにはお世話になりました。

      石田先生の訳された本には、K&Rや独習C++などでプログラムの基礎を学ばせてもらいました。
      心より御礼を申し上げるとともに、ご冥福をお祈りいたします。

      親コメント
  • 嘘ニュースサイト「bogusnews」も哀悼の意 [bogusne.ws]を表しております。
    ……あのサイトなりのやり方で、ですが。

  • by Anonymous Coward on 2009年03月11日 4時51分 (#1528692)
    PC-8001のころ、石田先生とは知らずに「マイコンBASIC入門」で勉強しました。
    大先生と知ったのはずいぶん後です。石田晴久というお名前は、明治の人が意味も
    分からずに漢文を素読したように、僕の中では意味や偉さがよくわからなかった
    1980年代初期のマイコン時代の著作者として「高橋はるみ」さんと同じフレームに、
    セピア色の記憶のひとこまとして残っています。

    大学でお顔を拝見しに理系の講義に潜り込んだのがいい思い出です。
    石田先生、ありがとうございます。単位も何ももらってないけど、書店でも、図書館でも、
    僕は「石田晴久」という著者名を見るといまでも「おお」と思って必ず手にします。

    僕の人生のひとつの方向性を決定つけたという意味で、タイミング的に、K&Rよりも
    先であり、上です。
    上のほうでも書いている方がいらっしゃいましたが、そういう意味でも、ほんとうに
    いい先生、啓蒙者だったと思います。誰かそういう思想史書かないかな。
    私淑っていういい言葉があったのを思い出しました。
  • by Anonymous Coward on 2009年03月09日 19時40分 (#1527734)
    石田晴久著「UNIX」をボロボロになるまで読みました。よく遊びに行ってた研究室にSun2/160Cが納品された後、誰も使う人がいないままだったので「UNIX」片手にviコマンドを覚えたりとか。今でもviしか使えないのは、きっとあの本のせいです。ご冥福をお祈りします。
  • by Anonymous Coward on 2009年03月09日 19時42分 (#1527737)

    プログラミング言語Cといえば、ポインタの章が理解できずに何度も読みすぎてそのページだけ黒くなっていました。
    ご逝去の報に接し、謹んで哀悼の意を表します。

    • by Sune (7520) on 2009年03月09日 19時59分 (#1527748)
      手元にCの環境がなかったのでread onlyだった借り物のk&R、
      借りっぱなしで2版が出る頃には同じように黒ずんでました。

      当時は(今も?)訳が読みづらいと評判でしたが、別に苦にならなかったなあ。

      あれがなければこっちの世界に踏み込む事はなかっただろうと思います。
      ありがとうございました。
      親コメント
    • by ranraran (37589) on 2009年03月09日 21時58分 (#1527830)
      「プログラミング言語C」がなければ、私はCの技術者としての道を進むことは
      ありませんでした。謹んで先生のご冥福をお祈りいたします。
      親コメント
    • 私自身はPascalとModula-2とFortranの経験しかない段階で
      Ver.2.1のWindowsからWindowsのプログラミング本だけを片手にイキナリC言語に入ってしまったので
      メモリはリニアじゃなくて切れ切れだわ、ポインタじゃなくてハンドル(実体はポインタへのポインタだけど使用前にはロック必須)だわ、標準ライブラリは使えないわ、とひどい目にあいましたw
      (とはいえ仕事じゃなくて学生が趣味でやってただけなので、ひどい目といっても知れてましたが。) 

      K&Rはそのずっと後、卒論・修論でC++をさんざん使った後に古典として読んだので、
      世代的には「K&Rでプログラミングを覚えたぜ」世代の範囲内なのにこのトピックではあまり熱く語れないという…。

      親コメント
  • by Anonymous Coward on 2009年03月09日 19時53分 (#1527741)
    OS/2の解説書にはお世話になりました。これを見ながら内部構造やデバイスドライバーの作り方などを勉強したのが懐かしい。
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「科学者は100%安全だと保証できないものは動かしてはならない」、科学者「えっ」、プログラマ「えっ」

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