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206408 story

「いまだから言える」ワンボードマイコンTK-80開発秘話 74

ストーリー by hylom
30数年前の出来事 部門より

あるAnonymous Coward 曰く、

PC Watchにて、先日行われた「パソコンの元祖TK-80 実演とシンポジウム」の模様がレポートされている。NECでTK-80に携わった元NECの渡辺和也氏、後藤富雄氏などが参加、開発の裏話などを語ったようだ。

タレコミ子はTK-80の実機は見たことがないのだが、「チップを作り過ぎたため、チップを売るためにTK-80が産まれた」や、「社内では『おもちゃ』として白い目で見られていた」、「新たな革新的な市場を創出するには、関係者の8割が反対しているときにやらなくてはならない」などの話が興味深い。

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  • 重箱の隅 (スコア:2, 興味深い)

    by saitoh (10803) on 2010年03月30日 18時07分 (#1740860)
    リンク先を読んだけど、TK80とTK80Eの写真が入り混じってる。説明は全部TK80.TK85に言及するくらいならTK80Eのこともちゃんと書けばいいのに。
    と、重箱の隅が気になってしまいました。

    安田寿明先生のブルーバックスで読んでこの世の中にはマイクロコンピュータってものがあるらしいことは知っていた。 新聞の経済欄のベタ記事でTK80発売を見つけたときには興奮したなぁ。自分の小遣いでは1ケタ届かない金額だった。

    • Re:重箱の隅 (スコア:2, 興味深い)

      by saitoh (10803) on 2010年03月31日 13時26分 (#1741310)
      ぼくの記憶ではCPUなどにセラミックパッケージ(白い)を使ったのがTK80. プラスチックパッケージのがTK80E. TK80のRAMはCMOSだったので、乾電池でバックアップできたがTK80EになってMOS(nMOS?)になって待機電力が増えバッテリバックアップは無理になったと。

      ぐぐってみたらこの違いだそうだ。
      1. uPD8080AD -> uPD8080AFC  ・・・独自改良版セラミック→インテル8080完全互換プラスチック
      2. uPD8228D -> uPD8228C・・・セラミック→プラスチック
      3. uPD454D -> uPD464C・・・eePROMセラミック→マスクROMプラスチック
      4. uPD5101E -> uPD2101AL-4・・・CMOSセラミック→nMOSプラスチック

      親コメント
    • by kalb (19692) on 2010年03月31日 1時00分 (#1741069)
      >TK80とTK80E
      そんな微妙な差が有ったなんてこのコメントで知りました
      #ぐぐったらEEPROMとマスクROM
      当時MPUを日頃使っていた本職の人を除いて
      モニタをアップデートするなんて概念があったんだろうか?
      親コメント
    • 高校のころ物理部に在籍してましたが、TK-80BSと言うのが部の機材でありました。
      PC-8001に似たキーボードが付いてて、BASICでプログラミングできました。
      懐かしい。
      親コメント
  • ふーん (スコア:1, 参考になる)

    by Anonymous Coward on 2010年03月30日 16時08分 (#1740766)

    >「チップを作り過ぎたため、チップを売るためにTK-80が産まれた」や、「社内では『おもちゃ』として白い目で見られていた」、「新たな革新的な市場を創出するには、関係者の8割が反対しているときにやらなくてはならない」などの話が興味深い。

    パソコン創世記で読んだな、それ。
    http://attic.neophilia.co.jp/aozora/htmlban/gopc.html [neophilia.co.jp]

    • by Anonymous Coward
      いきなり「ヤマギシズム」とかいう妙ちきりんな話に飛んでびっくらこいた覚えがあります。
    • by Anonymous Coward
      「復活!TK‐80」にも書かれていたような覚えが…。
      • by Anonymous Coward
        あなたはあなたが生まれる前・物心つく前のことをどの程度ご存知でしたか? 後になって初めてそれを知ったとき、あなたにとっては新鮮な驚きに満ちた事柄のひとつやふたつ、ありませんでしたか?
        • by firewheel (31280) on 2010年03月30日 18時30分 (#1740876)

          これや「「いまだから言える」ワンボードマイコンTK-80開発秘話」というタイトルに対してコメントしてるのでは。

          「いまだから言えるはずなのに、なんで以前に聞いたことがあるんだよ」ってね。

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    • by Anonymous Coward

      古いコンピュータ本を漁っていた10年くらい前にBOOKOFFで、TK-80を使った花王のマイコン業務活用、みたいな本を見たことある。
      確か出版日が70年代だったような・・・

      ♯買いませんでした

  • そういえば秋葉原のラジオ会館に“パーソナルコンピュータ発祥の地”なんてプレートがありましたね。
    TK-80のイラストが入っていたのが印象的でした。

    # 今もまだあるのだろうか・・・
  • by yasuchiyo (11756) on 2010年03月30日 17時36分 (#1740837) 日記

    ショウケースに展示されてるのを見たことはありますが、さすがに電子ブロックよりひとケタ高い値段には、手も足も出るわけありませんでした。

    HOWTO本みたいなの(雑誌かも)を見たおぼえはありますが、16進の数字入れてコマンドキー押してって手順でプログラムを入れてくと、ルーレットみたいに数字が変わったり音が鳴ったりするとかって(うろ覚えなんで違うかもしれないけど)、トランジスタ並べてナニするってのとは違う世界の片鱗を味わった気分でした。

    • Re:高嶺の花 (スコア:2, 興味深い)

      by maeta (13632) on 2010年03月30日 18時23分 (#1740869)
      私は九十九電機から出ていたデッドコピー品TB-80というのを買って作りました。1000箇所以上はんだづけして、自分でもよく動いたと感心しました。 本当にコピー品で、ROMもまったく同じだったと思う。あんまりうるさく言われないいい時代だったのかな。
      親コメント
      • by Anonymous Coward

        PC-8001の時代になっても I/O(だったよね?)とかに「全回路図」とか載ってたからなぁ…

        • Re:高嶺の花 (スコア:2, 参考になる)

          by kalb (19692) on 2010年03月31日 1時07分 (#1741073)
          TK80後継機のTK85ではマニュアルにモニタ(今ならBIOSとでも言うのか)の全アセンブラソースが載ってました。
          #さすがにバイナリでは読みにくいからアセンブラだったかも(ソースに絶対番地も書いてあったような気が…)
          もしかしたらTK80もそうだったかもしれません

          別な話ですが、昔はTV・ラジオも全回路図がマニュアルどころか本体に紙で貼ってありました
          #いい歳だけどID
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        • MZ-700は、マニュアルに全回路図が載ってました。
          当時のパソコンなんかは、結構回路がシンプルで、
          回路図を見ればだいたい動作が把握できたものですが、
          当時の思い出。

          (それまでのMZ-80K/C/1200がRAM 48KBだったのに対し、MZ-700は、0000~0FFF(ROM)とD000~FFFF(VRAM)をバンク切替することで64KB RAM を実現していたのですが)

          回路図を見ていると、D000~FFFF が、「VRAMバンク」「メインRAMバンク」の他に、何もマップされないバンク設定があることに気づきました。
          これは何なんだろうなーと思っていたのですが、後継のMZ-1500では、そこにグラフィックVRAMのバンクが割り当てられていました。

          #当時「アレはこのための布石だったのか。将来を見越した設計だなあ」と思ったんですが、今にして思えば、
          #MZ-700の最初の設計時点で盛り込んだものの、グラフィック機能搭載での製品化はあきらめた、
          #ってことだったでしょうねぇ…

          ともかく、あれは、回路図を見るのが楽しくなる出来事でした。

          #PCG-700とかPCG-8100なんかは、回路図があってこその、サードパーティー増設機器だったと思います。
          #回路図を解析するところから設計してたら、ああいう製品はなかなか出なかったからでしょうし…

          親コメント
        • by Anonymous Coward
          8bit機時代は回路図やファームウェアが載っている解析本って必須アイテムでしたね。
          どんな機種でもほぼ確実に出版されるか雑誌に掲載されていました。
          一応、記事の著者が独自解析って形の書き方が多かったですが、ソースのラベルそのまま使われていたり
          「絶対にメーカから情報もらっているだろ!」って部分もあったなあ。
        • by Anonymous Coward

          昔は家電品にも回路図がついてきていたようですよ。
          外国の骨董品の電話分解したら中に折りたたんだ回路図が入っていてびっくりした。
          TVやラジオにも回路図がついていたという話を聞いたことがあるが、それは伝聞。

          そんな一般消費者が回路図もらってどうするんだろう。
          街の電気屋さんが修理の時に使うのかな?

      • by Anonymous Coward

        TK-80はCPUやその周辺チップの販促ツールとしての位置づけでしたので、
        デッドコピーはむしろ歓迎されたんじゃなかろうかと思います。

  • by tensu (34456) on 2010年03月30日 21時38分 (#1740976)

    いまだに持ってます。
    売れんかな?

    • by Anonymous Coward

      ジャンクでも4~5万が相場のようです

  • by Anonymous Coward on 2010年03月30日 22時40分 (#1741005)
    >>「新たな革新的な市場を創出するには、関係者の8割が反対しているときにやらなくてはならない」

    PC WatchだったかのITニュースサイトで、Pomeraの開発エピソードで役員会に出したらほとんど反対した中、一人の役員が「これなら自分も欲しい」みたいなことを言って、それを聞いたトップだったかが、「回りのほぼ全員が反対して一人が惚れ込む製品は確実に市場がある(だったか「売れる」だったか)」みたいなことを言って役員会を通った、みたいな話があったと思うんですが、それとそっくりですね。

    ひょっとしたら、「8割反対」は必勝のルールかもしれませんね。

    • by COCKY (5646) on 2010年03月31日 15時52分 (#1741406)

      富士通の岡田完二郎 [wikipedia.org]元社長のエピソードでも「重役が10人いたとして、3人が賛成なら『やれ』、5人が賛成なら『手遅れ』という考え方だった」という話がありますからねぇ。
      「8割反対」というよりは「過半数の賛成を待っていたら遅い」という方が正しいかも。
      #ただそれって、ある種民主主義を否定しているよなぁ…。

      親コメント
    • by Anonymous Coward
      >ひょっとしたら、「8割反対」は必勝のルールかもしれませんね。

      IS01も確実に8割は反対していると思うんだけど…
      逆はまた真ならず!
      • by hig (25417) on 2010年03月30日 23時46分 (#1741032) 日記

        「8割が反対するモノの中にも大ヒットになるものもある。」て感じではないでしょうか。

        ほとんどがだめで、その中からイケるものを決断するのができる経営トップではないかと。
        プロジェクトXなんかで年寄り先達の方々が泣いて語るみたいに上の許可を取らずこっそりと開発なんて今の日本企業ではできないですしね。

        親コメント
      • by Anonymous Coward

        > IS01も確実に8割は反対していると思うんだけど…
        案外、偉い人たちの間ではこれはいける!と支持率100%だったりして……

        結果は現場の不支持率100%でしたが。

    • by Anonymous Coward
      必要条件と十分条件を混同するな
    • by Anonymous Coward

      ウォークマンもそういうエピソードがあるはずですね。
      「再生だけの機械なんて売れない」と周りが反対していたのに、井深だけが賛成していたとか。
      # でも本当に必要なのは、そういうトライを許容できる社風だよね。

  • by Anonymous Coward on 2010年03月31日 2時03分 (#1741092)

    当時私はオフコンの小さなソフト屋で一社員として働いていました
    当時はまだPCのLANもそう本格的には広まっていなかったのですが
    私は今後はこれが主力となるだろうと思い社長に進言したところ
    「パソコン?こんな玩具で何ができる!」と却下
    私は会社を辞めて会社を設立しました
    当時の社長がやっていた会社は既に倒産してありません

    常に新しいものを追いかけることが最善とは思いませんが
    TK-80が出た時に確かに私もこの玩具欲しい!と私も思い購入しました
    今玩具とおもっているものは常に次の時代を作るものになる手本でありプロトなのかも知れません

    そこで今を考えると、Google等の玩具がかなり浸透して来た昨今
    ソフトウェアの仕事もクラウドの波にのまれて無くなるだろうと感じています

    個人的にはクラウドの波はオープンソース等の開かれたソフトウェアに対する
    最後の揺り戻しだと思います、クラウドが広まるとMS以上に閉ざされたブラックボックスの世界に
    押し込められてしまう可能性が高いと思いますし玩具は玩具なりに弄り倒せないと駄目だと考えます
    クラウドは要注意です

  • by Anonymous Coward on 2010年03月30日 18時06分 (#1740858)
    この文中の「横須賀のNEC中央研究所」というのは妙ですね。横須賀に中央研究所があるのはNTTじゃなかったけ。
    • by Anonymous Coward

      NECの中央研究所って言ったら川崎の宮前だよな

      • by Anonymous Coward
        「復活!TK‐80」を読んだ記憶によれば、製品化前の試作を納入したのはNTTの研究所だったはず。
        ちなみに宮前のNECの研究所はもうなくなってます。
        • by Anonymous Coward
          >宮前のNECの研究所はもうなくなってます。

          ちなみに横浜のNECの事業場(工場)もなくなってます。
          大手メーカーも事業再編・合理化等で意外と大きな変化をしてるんですね。
          • by Anonymous Coward

            >>宮前のNECの研究所はもうなくなってます。
            >ちなみに横浜のNECの事業場(工場)もなくなってます。

            どちらも、玉川事業場に吸収合併でございます。

        • by Anonymous Coward
          当時の電電公社ですね。NECはもともと電電公社の御用会社だったわけだから、当然と言えば当然の話です。
  • by Anonymous Coward on 2010年03月31日 0時40分 (#1741061)
    最終的にはTK-V25/30/40/50あたりまで作られていたよね。
    ICEのプローブのっけて、いろいろやらされていた時が懐かしい・・
    「チップを売る方法を考えろ!」なんて、マイコンに行けば日常茶飯事で
    言われてたよなぁ・・・
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UNIXはただ死んだだけでなく、本当にひどい臭いを放ち始めている -- あるソフトウェアエンジニア

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