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14564 story

ネットから長文が消える理由? 166

ストーリー by yoosee
確かに紙より読みづらい気はしますね 部門より

Anonymous Coward 曰く、

ITmediaに小寺信良氏の ネットから長文が消えたいくつかの理由という記事がある。 筆者は長文が消えた理由として、 「PC画面での文章の読みにくさ」と「長文を書きにくいブログやSNSなどの文章入力システム」を挙げている。
前者の読みにくさの原因としては、 上下左右の間隔が詰まりがちになる日本語フォント・モニターのコントラスト・行間等の問題を挙げ、 後者の長文を書かなくなっている原因としては、一般的なブログ・SNSの狭い文章入力フォーム、 はてぶのようなそもそも文章を書かなくてもコンテンツを作れるようになったことを挙げている。

現状では、文章を推敲するための仕組みが絶望的にまでうまくできていないということで、「ブログやSNSの文章入力システムが変われば、 ネットには多くの論客が生まれるのではないかと思う」ということであるが、 タレコミ人としてはネットから長文が消えるのは他にも理由がありそうな気がしないでもない。

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • by power (11625) on 2007年02月06日 20時08分 (#1105179) 日記
    残業していると、自分の時間が足りない、と痛感することが多いんですが。

    実を言えば、ネットの世界はある意味『一期一会』なんですよね。

    たどり着いた文章が長文だった場合、それを読もうと思っても、ある程度の時間が無いと読めない。
    これが書籍なら、手元で空いた時間に読めるものを…となるわけです。
    それでも面白くのめり込むような文章を見つけると時間を忘れて読み耽り朝を迎える、なんてこともあるんですが、最近はその前に自制するようになってきてます。
    お気に入りのブックマーク、だけでなく、更に栞が付いていれば違うのになぁ、とか思う次第。
    • by arkas (10211) on 2007年02月06日 20時18分 (#1105184) 日記
      あとで読む [atode.cc]/あとで読も [atode.cc](モバイル版)

      # 個人的には「あとで読も」のネーミングにシビれた。
      親コメント
      • by power (11625) on 2007年02月06日 21時32分 (#1105231) 日記
        そーゆーサイトがあるのを知らなかった…orz

        はともかくとして。
        つい先ほど気づいたことが。

        Webページには改ページがないので、長文になると非常に読みにくい

        ということに気づいたのでした。
        Wordとかで図入りの文章書いて、HTMLに変換したものと見比べたら顕著になるかも。
        特にA4で10ページくらいになるようなものをHTMLとWordとで比べると格段に違うんじゃないかな?
        親コメント
    • by phiria (28874) on 2007年02月07日 0時44分 (#1105338)
      栞、欲しくなりますよね。いや、全く同感です。

      Firefox のプラグインでSessionSaver .2 なるものがありますよ。 
      読みかけでも後で起動するとちゃんとすべての開いていた(タブシート?)が読んだところで開きます。

      わたしはこの機能がないと寝ることが出来ません。まともに全部読もうとするのがいけないんですけど…^^;;

      あと便利なのは、ScrapBook という plugin ですね。これは、dialup してたころのソフトに感覚が近いです。今読んでるページを丸ごとローカルに落としてくるというものです。(巡回ソフトではないのでお気をつけを。
      親コメント
  • 減ったのではない (スコア:5, すばらしい洞察)

    by Anonymous Coward on 2007年02月06日 20時26分 (#1105187)
    ネット以前を考えても、元々長文を書く人はそんなにいなかった。
    (小説書くのが趣味とか、コラム書くのが趣味って人はほとんどいなかったでしょ?)
    ネットが整備されて誰でも自由に発言できるようになったんだけど、ほとんどの人は文章を書きなれていないから、長文をつくることが出来ないだけだと思うよ。普段の生活で文章の設計とかやる経験はあまりないと思うし。
    逆にいえば、構成とか考えずに無理なく書けるのがblogなどで書かれてる分量なんだと思う。
    それに、ある程度長文書く人って、大抵は金を回収できる場所で書いてると思うしね。
    • by fuckyou (30938) on 2007年02月06日 20時51分 (#1105202)
      創業者が、10分程度の画像ならアマチュアでもプロと同じ土俵にたてる、という趣旨の発言をしていました。文章でも同様のことが言えると思います。文章を書くことを生業としていなくても、ブログの1エントリ程度なら負担に感じずに書けますしね。個人的にはそういう状況を否定的に捉えることもないと思います。別に害があるわけでもないですしね。2ちゃんねるを見ていても、1行で如何に秀逸なことを言うのかという事に関しては、お笑いで食べているヒトでも思いつかないくらいじゃないかと言うほどの書き込みもありますしね。
      親コメント
      • Re:youtubeが10分な理由 (スコア:2, すばらしい洞察)

        by Anonymous Coward on 2007年02月06日 21時18分 (#1105219)
        私は、読み手の時間やスタイルの問題だと思います。
        おそらく、文章でも動画でも同じで、10分ならつきあえるが、60分は嫌みたいな部分があるんじゃないでしょうか。
        そして、それが、YouTubeは流行っても、Gyaoが流行らない理由な気もします・・・。
        親コメント
    • by Anonymous Coward on 2007年02月06日 20時58分 (#1105208)
      そうですね。
      ネット上で文章を書く、という行為は自分の作品や主張そのものを世に問いたいというよりも
      ちょろちょろっと書いてレスポンスを期待する掲示板やメール、つまり日常会話の
      延長線上にあるものなんじゃないのかな、と思います。
      一方しっかりとした長文は壇上で小一時間講演するようなもんで、一般人にとっては
      やはりそれなりの習熟がなければちゃんとやるのは難しいものかな、と。
      元記事は入力のためのシステムや画面表示を問題として見てるようですが、
      今時小説家でも紙とペンで原稿あげてる人はそうそう居ないように思えるんですが。
      親コメント
      • 意識して減らしている (スコア:3, すばらしい洞察)

        by vyama (6377) on 2007年02月07日 0時29分 (#1105334) ホームページ 日記

        どこにつけようと思ったけど、ここで。

        私はNetnewsや掲示板やblogはあまり長文に向いてないと思っています。

        しっかりとした長文だと、長文なりに主張やら証拠が沢山あるはずです。1つの主張に証拠がたくさんの場合は仕方ないとして、こういう形式だと、たくさんの主張を1つの記事にまとめるよりも、記事をばらしたほうがコメントなりを付けやすいし、スレッド内の論点がはっきりしやすいという効果もあります。というか、私はなるべく1つのコメントでは(落ちは別にして)1つの主張に絞るようにしています。この記事では実践できてないにせよ。(笑

        それに、別の論点で別スレッドで議論が始まっていていたら、それぞれ論点を分けて投稿するんじゃないかな。それが普通なら、長文がそれぞれの小さな投稿に分けられるから、長文が少なくなるのは当然でしょう。

        「HTMLで書く」ってことだったら、論文・報告書系の長文のHTMLは日常的に書いてますし、読んでますから、短文系が多くなったということは同意しますが、長文系が昔に比べて少なくなったとは特に思いません。

        --
        vyama 「バグ取れワンワン」
        親コメント
  • 長文は減ってないだろ (スコア:5, すばらしい洞察)

    by Anonymous Coward on 2007年02月06日 20時29分 (#1105192)
    単に短文をウェブにアップする人がものすごく増えて、短文だけにアップの頻度も増えて
    長文がそれらに埋もれてしまうようになっただけじゃね?
  • by TarZ (28055) on 2007年02月06日 20時31分 (#1105193) 日記
    ヒロシです…

    自分の書いた駄長文を読み返すだけの根気がありません…

    ヒロシです…

    句読点1つどこにつけるかで、駄長文を書くより長く悩んだことがあるとです…

    ヒロシです…

    先にオチを思いついてしまい、フリのための駄長文を書く羽目になったことが数え切れません…

    ヒロシです…

    駄長文の推敲繰り返していたらゲシュタルト崩壊を起こし、誤字が増えました…

     …まるでデスマのエンバグです。

    ヒロシです…

    駄長文を書き、さらにその3倍の分量の「行間」を埋め込んだことがあるとです…

     …行間は、誰も読んでくれませんでした。

    ヒロシです…

    ヒロシネタは今日び流行らないのに、これでまた長々と引っ張ってしまいました…これも一つの駄文です…

    ヒロシです…

    ヒロシです…

    # 長文書くのは楽勝なのだが、読むのがな…。「読める長文」を書くのは実に難しい。
  • 文章を推敲するための仕組みはあるけれど、それを使っていない人が圧倒的に多いというだけのことですね。紙の上で下書きしてタイプしても構わないわけですし(私は実際にやることがあります)。

    リンク先の記事は、電子書籍が普及しないこととblogなどに長文が少ないことを一緒くたにして論っていますが、分けて考えないと面倒なことになります。

    電子書籍は商売として繁盛していないだけで、青空文庫などは利用者が相当いるようですし、読みやすさに配慮した専用ビューアがいくつも開発されています。商売を考えると、コピーコントロールが難しそうなのと、CDと同じく再販制度がある分野なので既存の業者による画期的な新ビジネスは(CDほどパイが大きくないので他業種からの参入も)期待しにくいといったあたりが壁になるでしょうか。

    blogなどに短文が多い理由としては、そもそもまとまった分量の文章を書き上げるという技術自体(そして実は読む技術も)誰でもが持っているものではないということと、読むために必要な労力が増えるに従って読者数が減るということが(前者は個人サイトで、後者は商用サイトでとくに)大きいでしょう。
    --
    yp
  • 時間が足りない (スコア:5, すばらしい洞察)

    by pochi-one (11119) on 2007年02月06日 21時25分 (#1105224) 日記
    ここもそうですが、ネット上のblogや掲示板の類だと、長文をきちんと推敲して
    考えて書こうとすると、書きあがった頃には議論が流れてすでに時代遅れ(?)な
    文章になってしまうように思います。
    万事スピード化したことの悪影響じゃないかなぁ…。

    # パソコン通信の時代だと「書いた発言は一晩寝かして見直してからアップする」
    # というくらい時間をとっても議論についていけたんだが…時の流れははやい。
  • 長文と云うよりも (スコア:5, すばらしい洞察)

    by kusanagi (3927) on 2007年02月06日 23時34分 (#1105301)
    小寺さんの記事の中でタイトルは長文になっているんだけれど、
    一番云いたいのは自分の意見をちゃんと書いていないと云う部分じゃないかと。

    最初にたとえ話や自分の意見を書くにはこの程度の長さが最低限必要と話して、
    短い文章には推敲も足りないし、自分の意見を入れきれないと云う論理展開から
    はてなのような文章を入れなくても構成できるというサービスをあげている。

    ただ、そうすると和歌や短歌が推敲もいらなければ自分の意見がいらないかと云う
    話になってしまうのですが、それは割愛。

    おおむね同意な部分はあるんですよ。
    たとえばblogでもニュースのURLを貼り付けてちらっと一言書いてあるだけとか。
    小寺さんの推敲が不足しているという指摘はこのようなページをさしているんじゃないかと
    思われるんですが、これは逆に発言に責任を持ちたくない意識の表れではないかと思っています。

    逆を云えば文章に責任を持つべき時にはちゃんと推敲して文章を書くけれど、
    責任をとりたくないときにはACだったり、上記のように自分の意見はリンク先の記事に任せて
    あたかも自分の意見はないような書き込みにしてみたりする。

    まぁ、日常会話の延長の文章に責任が必要かどうかというのはありますが、
    日常会話以外の文章を書く人はそれ系のサイトがあるわけで、
    blogと日記と変わらない現状で日常会話サイトで長文と責任感を出せと云うのも酷な話じゃないかなと。

    これもblogやwebが日常的なものになってきた証拠のような気はするんですけれど。
    --
    kusanagi shin
  • by JnJ (23012) on 2007年02月06日 20時02分 (#1105174) ホームページ
    個人的な感想としては、
    読み手としては調べ物のときは別として
    よほど面白いか興味のあるコンテンツでないと
    長文は最初の数行だけ読んで次に進んでしまう気がする

    書き込みの時の問題としては
    長文を書いていてタイムアウトではじかれたり
    文章長すぎではじかれて書いてた内容消失するとやる気がうせるとか。
    --
    LAN内LAN稼働中
    • by harumomo (30313) on 2007年02月07日 7時25分 (#1105400)
      プロのエッセイはともかく、仕事のメールでも短文が好まれる気がします。
      とくにうちの会社のエラい人は、10行超えるようなメールは見てくれません。
      「あ、さっき貰ってたメールなんて書いてあったの?」
      って、アンタ黒ヤギさんかよと。
      あとエンジニア系はタイトル集約に凝るあまり、中身がNullだったりします。
      プログラムもメールも集積の美学のようです。
      親コメント
    • by s02222 (20350) on 2007年02月06日 20時12分 (#1105181)
      >読み手としては調べ物のときは別として
      >よほど面白いか興味のあるコンテンツでないと
      >長文は最初の数行だけ読んで次に進んでしまう気がする

      そして、調べ物の時に長文にぶち当たると、どっかに要約してるサイトはないか? と探し始めるわけです。
      親コメント
    • by mondayota (33444) on 2007年02月07日 11時32分 (#1105535)
      長文はいくらでも書いております。
      今日からヴィトゲンシュタイン「論理哲学論考」について何回かに分けて長いブログを書く予定です。
      こういうブログは読まれることをまったく期待してません。

      つまり、より多く読まれることを期待して更新回数を多くすると一回当りの文が短くなる傾向は当たり前です。ブログランキングなどに釣られているブロガーは、注目度の高いキーワードを含む短いブログを頻繁に更新する方が有利なのは明らかです。

      そうじゃないブログはそもそも注目を集めないので存在しないかのように扱われているだけです。

      ちなみにブログという時系列配列やRSSも短文化に影響しています。
      一回で全部を書かなくてはならないというのが、暗黙のシステム設計になってますが、先の「論理哲学論考」の場合いったい何回になるかわかりません。

      時系列と論理構造が一致しない可能性のほうが高いです。
      長文はWikiの方が適切だとはいえますが、個人が維持するWikiというのはWikiの思想に反してます。

      そういうわけで、長文をうまく整理するために「カテゴリー」などのシステムが拡張される必要があると思います。

      長い文章が読めない人は、本も読めないわけで、この場合論外ではないでしょうか?
      親コメント
  • 携帯・PDA (スコア:4, 興味深い)

    by oyajismel (32045) on 2007年02月06日 20時25分 (#1105186) 日記
    書く・読む(のが大変)以外に日本では携帯インターネットの普及が理由にあるんじゃないでしょうか(その前にはPDAの時代)。

    それほど多くのメモリをつんでませんし、画面も小さく長文を読むのには不向きです。

    とはいえ、ニュースサイトなどだと同じ内容を携帯用・パソコン用両方に作るのは労力の無駄ですから、どうしても本文を短くし、同じデータベースから携帯・PC用画面を表示するという形になってくる。

    ブログも同じ。携帯でも読める・読みやすくすることを考えると自然と本文を短くしていくことになるんじゃないでしょうか。

    #実は、某掲示板で長文を書くと嫌われるからとか。。
  • by Anonymous Coward on 2007年02月06日 20時46分 (#1105200)
    頑張って長文書いても「必死だな」の一言でひっくり返されてしまったりするのでコストパフォーマンスが悪すぎます。
  • by Anonymous Coward on 2007年02月06日 20時35分 (#1105197)
    日本語の改行規則って単語をぶつ切りにするから、長い段落だと読みづらいんですよ。
    英語は単語を切る場合もあるけど、日本語ほど頻繁じゃない。

    長い文章書くときには<p>タグ使って段落わけして、その中の改行は書き
    手は意識しないようにする(改行はブラウザに任せる)のが普通ですが、そ
    うすると単語をぶつ切りにしてしまうので、日本語の表現方法って、文意を
    とらえる前に視線が移動するので読解しづらい構成なんだと思っています。

    ↑こんな風に

    #一行ごとの長さは不定で、文意の切れ目のところで改行する(ネット上の)文化って
    #いつから発生したのでしょうか?

    タレコミのフォントの話題とも絡むけど、長い段落だとどの行が次の行か、
    目を横に移動させているうちに見失ってしまうこともあり、ストレスがある。
    • by uxi (5376) on 2007年02月06日 21時24分 (#1105222)
      ワープロすっ飛ばして LaTeX 使ってたのですが、
      禁則は勝手にやってくれるので、
      WYSIWYG 的に一行の文字数が揃ってる必要ありませんでしたし、
      そうすると変なところで切らずに、
      句読点で改行した方がコピペで編集し易かったってのはあるんじゃないかなぁ?
      # むしろ、ワープロ以外では、
      # 折角文字数そろえてても編集加えると、
      # 以降全て手作業で文字数揃え直さねばならないため、
      # 文字数揃えること自体が無意味だったってのもありますけど。

      チャットなんかでも、やはり句読点くらいのまとまった単位で一旦送信する気もしますし、
      思考の切れ目としても、句読点あたりで一旦入力してしまうのがリズムが良いんじゃないかと。

      あと、長い段落が読み
      辛いのは、物理的に1
      行が長いせいじゃない
      でしょうか?視線の移
      動で段落の繋がりが追
      い辛くなるんだと思い
      ますよ。段落が長くて
      も、1行が短ければ比
      較的読み易いと思いま
      す。段組みがその良い
      例じゃないかと。いく
      ら段落が短くても、例
      えば新聞みたいな大き
      な紙面が1段で組んで
      あると殺人的に読み辛
      くなると思いますし。

      と、書いたところでプレビューしてみたところ、
      非固定ピッチのフォントだと、
      1行の文字数を揃えて出力の体裁を気にする事自体
      無意味だって事も発見、、、
      # 行末、ガタガタだし、、、orz
      --
      uxi
      親コメント
    • by Anonymous Coward on 2007年02月06日 21時01分 (#1105210)
      >#一行ごとの長さは不定で、文意の切れ目のところで改行する(ネット上の)文化って
      >#いつから発生したのでしょうか?

      まぁパソコン通信の頃からあったね。

      当時(MS-DOS主流の時代)は「ふつ~」の端末だと一行の見た目の長さは固定だったけど、データとして送れる長さにはホスト側のシステムによる制限があったから、適当に改行を入れる必要があった。
      で、適当な切れ目で改行を入れる人、適当に矩形にする人、finなどを使って矩形に整形する人などが入り乱れつつ、単語がぶち切れると検索性が悪くなる…当時は検索システムも貧弱で改行が入るとヒットしない…などの理由で語句の切れ目で改行ってのが増えだした。

      と「感じている」。
      親コメント
    • ソースの小寺信良氏がやってる「印象論」だとコメントが難しいのですが,スラドのトップストーリーがなぜ短いか。だったら,簡単に説明できます。

      FAQあたりを読んでもらってもいいのですが,スラドのストーリーが短いのは「事実ベース」で書くからです。すべての事実関係を明らかにして意見や感想を交えずに文章を書こうとするとたいした分量をかけません。ようするに「新聞記事はなぜ短いのか?」というのと同じです。解説とか入ると,若干長くなりますが,裏づけにけっこうな分量の情報を検索したり読みこなしたりしないとできないんで,よっぽどの識者でないとスラドで長文記事はむずかしいです。

      それにくらべれば,コメントは,自分の意見とかが入ってもかまわないと思っているので,コメントのほうが楽に長文を書けると感じています。

      んで,日記とかが長くなるパターンもあるんですが,それはディティール勝負になる「体験記」だからで,これはIT戦士の「線メリ」シリーズとか,いわゆる市民記者のオンライン記事とかがベタ記事と比較して,かなり長くなるのとおんなじ現象だとおもいます。

      はじめの「印象論」に話を戻すと,そういう「体験記」をネット上で公開することが,ハイリスクになってきている。という可能性はあると思います。

      #私の場合,改行を完全にpタグがわりに使ってますね。そいや。
      --
      斜点是不是先進的先端的鉄道部長的…有信心
      親コメント
  • 大長文をオートパイロットでダウンロードして読んでたころが懐かしい。
    #パソコン通信ね
  • by akiraani (24305) on 2007年02月06日 21時04分 (#1105214) 日記
     小説サイトやコラムサイトを運営している人はバンバン長文書いているはず。
     手書きでも日記にはそんなに長文書かないわけで、ブログのインタフェースが長文向きでないのは当然の話ではないかと。

     Webの長文が読みにくいのは、横書きだからではなく、段組されてないので一行が長いのが主な理由でしょう。読みにくいからという理由でブラウザを縦長にしていますが、これなら慣れれば多少長文でもなんとかなりますし。
     件の記事にしたって、一行が全角60文字あるわけで、新書サイズでも一行40文字そこそこであることを考えるとちょっと長すぎですよね。
    --
    しもべは投稿を求める →スッポン放送局がくいつく →バンブラの新作が発売される
  • by minamina (18231) on 2007年02月06日 21時19分 (#1105220)
    いわゆる「ショートカット症候群」と言われる症状では?
    安易に結果のみを求めるような社会が完成しつつあるのでしょう。
  • 件の記事には、
    ブログなどに文章を綴る際、パソコンの能力的には下書きの紙も無駄にならず、文の入れ替えや一括置き換えなども簡単にできるはずだ。ただ文を推敲するための仕組みが、絶望的にまでうまくできていない。

     ブログやSNSの文章入力システムが変わるだけで、ネットには多くの論客が生まれるのではないかと思う。
    とありますけど…
     ある程度長い文章を打ち込む時には、一旦テキストエディタにて打ち込みませんか?
     少なくとも私はそうしてます。当然、この文章も。

     うっかりEscを叩いて真っ白になったり、うっかりブラウザを閉じちゃったり、投稿時にエラーが発生して「戻」ったら真っ白になってたりを数度経験すると、数行以上の文章をtextareaに直接入力なんて恐くてできません。
     また、textareaにはお仕着せのフォントサイズとかが設定されていたりで見にくいことが多く、好みに設定したエディタの方が見やすいです。

     テキストエディタなら、文の入れ換え・一括置換なんてできて当然です。
  • ケータイ (スコア:1, 興味深い)

    by Anonymous Coward on 2007年02月06日 20時22分 (#1105185)
    携帯には長文が向かないと思うのですが、
    携帯小説 [google.co.jp]がそれなりにジャンルとして成り立っている不思議。
    携帯に長文、PCで短文ってなんだそりゃ。
    • Re:ケータイ (スコア:4, 興味深い)

      by Rem (17869) on 2007年02月06日 22時01分 (#1105250) 日記
      フォレストなどの、ケータイサイト作成支援サイトで
      ページを作成する場合、文字の入力制限がかかります。
      基本的に2000字ですね。原稿用紙5枚分。

      で、この2000字のコンテンツを細切れにアップしていく、ていう感じになります。
      小説を書いてアップする、ていういわゆる同人小説系サイトだと、
      1回の更新でだいたいこれくらいの分量になるんで、
      ケータイで気軽にやったほうが楽だよね、てことかと。
      PCで作るとすると、PCを起動して、作成ソフト使って、htmlページを作って、
      FTPでアップして、表示を確認して、と激しくメンドクサイ。
      リンクのつながりとかも考えないといけないし。
      小説の内容以外のことでも悩まないといけないわけです。

      しかし、ケータイサイト作成支援サイトの場合、
      小説サイトのための雛形があるんですよ。
      コンテンツを形式に沿ってタイトルと、小説(中身)を投稿すれば、
      「次へ」リンクとか、「前へ」リンクとか、「目次に戻る」リンクとか
      勝手につけてくれるんで、それを使うと、とても楽。

      なので、ケータイで作っちゃおう、となるわけです。

      文字はキーボードで打ったほうが早いじゃん!と思われるかもしれませんが、
      親指タイプというのは侮れません。
      予測変換機能とか使うと、慣れればものの数分で800字くらいは打てますから。

      ちょっと空いている電車の中とかで、携帯使ってがががーっと打ち込んで
      ポチっとな、で出来る手軽さが、更新の継続を促して、
      結果として長文コンテンツになっている、てことかと。

      継続は力なり、ていうことでしょうかね。
      ただ、推敲に関しては、やっぱり足りていないので、荒削りな部分は多いですね~。
      でも、若さと勢いがあるから面白いですよ。
      親コメント
    • by taifu (26037) on 2007年02月06日 21時54分 (#1105242)
      ケータイは1画面の文字量が少ないのが、逆に集中しやすくしているんだと。
      それに寝転がりながらでも読めるし。
      親コメント
  • 個人的意見としては長い文章を読むときは、縦書きの表示がほしいです。
    横書きより縦書きのほうが流し読みがしやすいので。
  • by gabill (29206) on 2007年02月06日 21時15分 (#1105217)
    回線が早くなったことで、リンクを踏んで新しいページを
    表示するためにかかる時間的・精神的なコストが下がり、
    その結果、ひとつのサイトにとどまる時間が縮小して、
    長文がスルーされる傾向が強まったのでは無いでしょうか。
    • by kubox (23429) on 2007年02月06日 23時07分 (#1105280)
      広告が多いサイトは時間的なコストが多いですよ。上左右の大部分の広告に埋もれた中央の記事。
      あと、記事に人気があるか調べるためか、離脱しているか調べるためか、「次のページへ」というのが大すぎで困ります。
      読み手のアクセシビリティを考慮しているのかどうかも気になります。
      親コメント
  • 話題が変わってしまうんです。
    パッと見たらダーっとやってチャッとしないと。
    --
    - Sparklegate, Yam.
  • ネットから長文が消えた、というより数多の短信の中に埋もれた、と理解しています。

    それから最近は、自分自身が「知っている」という事実に満足してしまっている状態に気付き、
    愕然とする瞬間が間々あります。

    今はネットで検索すれば、ある事実を簡単に知ることは出来る。
    でも、その事実を「理解」するには、その思考経路などが記述された
    「長文」をある程度読む必要がある。(ネット以外の書籍などを含めて)
    しかし、簡単にその「事実」のみを記述している短信を読むことで、
    「理解」したつもりになってしまっている。
    そんな輩(自分を含む)が増えて、ますます短信が増殖し、
    しっかりした構成の長文がネットの海の中に埋もれてしまう。

    良くない傾向だなぁ、と自分でも思うのだけど。

    モニタの表示の問題など、テクニカルな事象は本質的な問題ではないでしょう。
    書籍であっても、古い字体の活字を「読みにくいなぁ~」と思いつつも、
    チマチマ読んでいたりしていたわけですから。
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計算機科学者とは、壊れていないものを修理する人々のことである

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