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アレゲなニュースと雑談サイト

hylomによる 2008年06月11日 16時05分の掲載
右から左に受け流してませんか?部門より。

あるAnonymous Coward 曰く、

The Atlantic.com7月号に掲載予定のNick Carr氏の記事「Is Google making us stupid?」では、人がウェブを使いこなしていくと共に、そのテクノロジーの性質を自身に取り込みはじめるとの論を、神経科学の研究を踏まえた受けた上で展開している(CNET.comの「Is Google making us stupid?」と題された記事本家記事)。

なんだか人間の能力が広がる魅力的な話に聞こえるが、Carr氏は次のように警告する。

「インターネットは私たちの認知能力に大きな影響を与えている。計り知れないほどパワフルなコンピュータシステムであるインターネットは他の知的技術を包含していっている。インターネットは私たちの地図であり時計であり、印刷機でありタイプライターであり、計算機、電話、ラジオでありテレビでもある。ネットがある媒体を吸収するとき、その媒体はネットをひな形として再形成される。」
ネットに取り込まれた媒体のコンテンツにはハイパーリンクが貼られ、点滅する広告が組み込まれ、諸々の見掛け倒しの機能が付加され、他の取り込まれた媒体のコンテンツで取り囲まれた姿に形を変えるのである。そしてそういったテクノロジーを使う人間の脳は非常に高い順応性を持つため、それらテクノロジーの性質を獲得し機能するよう自身を作り変えるという。

私たちがインターネットに接続する頻度と度合いが深まるほど、理路整然とした深い思考を練る能力を失い、バイトサイズの情報を迅速に処理し、ざっとナナメ読みするようになっていないだろうか? インターネットの広がりとともに、人はどう変化してきて、これからどのように変化していくのだろうか? /.J諸氏の見識をお聞かせ願いたい。

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  • 逆だと思います (スコア:5, すばらしい洞察)

    takka (28276) : 2008年06月11日 16時17分 (#1361343)
    調べたりすることに時間をとられなくなる分、思考など別の時間に割り当てることが出来ると思います。
    ちょうど手計算と電卓で計算するのと同じように。
    (手計算が悪いって意味ではありません。そのとき注目していることの、本質部分かそれ以外の部分かの違い)

    場合によっては「調べること」それ自体が重要な場合もあり得ますし、インターネットも電卓や計算尺などの道具と同じ、使い方次第だと思います。
  • Anonymous Coward : 2008年06月11日 16時50分 (#1361382)
    コンピュータを使い始めてから,手書きの時に漢字を思い出すことができ
    なくなったことを痛感します.人間の脳はよくできたもので,使わなくなった
    機能はどんどんと外していくようです.

    「考える前にネットで調べる」についても同じことが起きているように思います.
    個人的には「調べずにまず考える」を意識的に実践するべきかと.
    確かにその場では効率的でしょうが,ネットに解が無いような問題に会ったとき,
    その対処能力がまったく違うことになるでしょう.
  • mamoru (617) : 2008年06月11日 21時22分 (#1361635)
    >コンピュータを使い始めてから,手書きの時に漢字を思い出すことができ
    >なくなったことを痛感します.人間の脳はよくできたもので,使わなくなった
    >機能はどんどんと外していくようです.

    同じような思いをもっていたけど、私の場合、手帳を買って毎日 ToDo
    リストを付け始めたら、すぐに昔以上に書けるようになりました。

    手書きとキー入力では脳の活性部位が違うだけだから、「機能が外れた」
    というほど深刻な問題では全然ないと思いますよ。
  • Ryo.F (3896) : 2008年06月11日 17時24分 (#1361428) 日記
    この問題は、教育とか訓練の問題なんだと思います。
    例えば、二次方程式を解く場合を考えましょう。
    いきなり二次方程式の解の公式を調べて(教えて)も目的は達成できます。しかし、それだと、なぜその公式が導き出されたのか、というプロセスが抜け落ちてしまいます。そのプロセスを学ばないことの欠点は、他のそれ以外の方程式を解く場合にまったく応用が利かない、ということです。
    あるいは、公式を調べるのではなく、プログラムを与えても目的は達成できます。が、こちらはさらに応用が利かなくなります。
    もちろん、最初から応用が利く人は、プログラムを利用しても構いませんが、応用が利く人を育てるためには、教育や訓練が必要です。例えば、二次方程式の公式を自ら導き出してみる、などです。
  • coward-chan (25689) : 2008年06月11日 23時30分 (#1361717) 日記
    同意です。基礎教育の根幹である (←と思う) 創造力や洞察力、ひいては目的達成への探究回路形成をスキップして、目前の利益を得るための直接的手段伝授に傾倒した結果のように思えます。教育側、被教育側共に。
    需要に応えるためなのか、大学ですら職業訓練所的な方向に向かっているように思えますし。
    タレコミの件もたぶん、ネットが根源的原因、という単純な構図ではないのでしょう。「道具」として扱うキャパのないうちに入手して、それを自らの能力と勘違いしてしまい、「使われている」ことに気づかないまま伸び代を失っているのでは?

    以前教え子の一人から「二次方程式が将来何の役に立つの?一生使わなさそうじゃん?」と聞かれて「確かに二次方程式自体はまず役に立たないね。大事なのは二次方程式を解けるようになることじゃなくて、物事の仕組みを理解して受け入れる準備ができること。だから二次方程式とか数学自体が苦手なら、他の何でもいいからとにかく未知を受け入れて、既知と組み合わせて前に進む訓練をしておきなさい。将来何かやりたくなったときのために地盤を整えることができるのは今しかないから。地盤を疎かにして家を建て急ぐと、途中で増築しようにもできなくなるよ。『できないこと』に対して『やらない理由』を探す癖が付いてしまって、常に次を与えられなければ進めない大人になってしまうと、いざ何かやろうとした時に体が動かないんだから。」と説教した覚えがありますよ。かくいう私自身の地盤は怪しいものですが、そこは棚に上げました (笑

    # 今年の新卒諸氏を見ていて痛々しく思いました。
    # 個体の問題なのかもしれませんけれど。
  • Anonymous Coward : 2008年06月11日 16時38分 (#1361364)
    確かに電卓使えば誰でも四則演算には不自由しないけど、
    実際に売り上げや見積もりの数字の羅列から傾向や法則や対策を導くためには
    計算能力が高い方が有利なんですよ、たぶん。

    提示した数値からこんなもんですかねぇ、と説明してるのに、
    暗算苦手な上司は理解してくれないんです。
  • Ryo.F (3896) : 2008年06月11日 17時56分 (#1361467) 日記

    数字の羅列から傾向や法則や対策を導く
    そういうことですら、データマイニングとかで半自動的に解析を行う時代なんだな。
    ただ、そういう解析は本質的に難しいから、

    計算能力が高い方が有利
    ではありますね。人間の、ではなく、コンピュータの、ですが。
  • Re:逆だと思います (スコア:1, すばらしい洞察)

    Anonymous Coward : 2008年06月12日 10時38分 (#1361904)
    でもね、能力の高い計算機を使うには使う側の能力も要るんだな、往々にして。
    車の性能の高いものを「高い性能の領域で」使うにはドライビング能力が要るのと同じで。

    低い領域で充分ならそもそも高い性能の機械なんぞ要らん。
  • Ryo.F (3896) : 2008年06月12日 11時10分 (#1361926) 日記

    能力の高い計算機を使うには使う側の能力も要るんだな、往々にして。
    そうですね。データマイニングシステムを使うのは簡単だけど、独自のデータマイニングシステムを開発・実用化するのは難しい。

    車の性能の高いものを「高い性能の領域で」使うにはドライビング能力が要るのと同じで。
    ドライビング能力の不足をコンピュータによる支援で補う、なんてことも行われてますがね。
    この種の支援は、コンピュータに限らず、機械式のものもあるわけですが。

    低い領域で充分ならそもそも高い性能の機械なんぞ要らん。
    そんなことはありません。
    低い領域ぎりぎりの能力の車より、余裕を持った能力の車の方がより安全。
    コストと安全性のトレードオフになりますけどね。
  • Re:逆だと思います (スコア:2, すばらしい洞察)

    Anonymous Coward : 2008年06月11日 17時09分 (#1361407)
    >調べたりすることに時間をとられなくなる分、思考など別の時間に割り当てることが出来ると思います。

    そういう面もありますが、悪い面もあります。
    脳の中に入っている情報と、外部記憶から引っ張ってくる情報では、それを使った思考の反応速度が違います。
    また、外部記憶から引っ張る(ぐぐる)作業によって、思考が邪魔されます。

    >ちょうど手計算と電卓で計算するのと同じように。

    電卓で済むのであれば、九九も四則演算も覚える必要がありません。しかしそれでは済みません。
    人間の短期記憶は有限ですから、思考の速度が速い/遅いによって、最終的な出力も変わる可能性があります。

    要するに、ある程度の思考のサブルーチンは、呼吸をするかのようにこなせないと、
    最初に何を考えようとしていたのかを忘れてしまいます。

    技術者にありがちな、
    情報を調べる術さえ覚えていれば、情報自体を記憶する意味は無い、という主張には同意しかねます。
  • Ryo.F (3896) : 2008年06月11日 17時13分 (#1361413) 日記

    情報を調べる術さえ覚えていれば、情報自体を記憶する意味は無い、という主張には同意しかねます。
    何度か同じ情報を調べれば、自然に記憶するでしょう。調べる頻度が高くなければ、記憶からは落ちてしまうので、調べる方法は覚えておかなければならない。
    そういうもんじゃないでしょうかね。
  • 何度調べてもPHPの関数名と引数の順番がおぼわりませんorz
    --
    始祖あんりあ(Ichigo Mayo)
  • Re:逆だと思います (スコア:2, すばらしい洞察)

    Ryo.F (3896) : 2008年06月11日 17時09分 (#1361409) 日記

    調べたりすることに時間をとられなくなる分、思考など別の時間に割り当てることが出来ると思います。
    正しいと思います。
    ただし、「調べたりすることに時間をとられなくなる分」を「思考など別の時間に割り当て」られない人が少なからず居るんじゃないでしょうか?今までは、調べる事で金を稼げていたたものが、そうならなくなります。そう言った仕事をしていた人達全員が思考する事で稼げればいいのですが、実は思考することが不得意な人も少なからず居る、ということが問題になるんじゃないかな。
  • Anonymous Coward : 2008年06月11日 19時30分 (#1361548)
    調べることがうまいだけの人が増えていると思います。
    ネットから隔離されたときにこういう人は本当の役立たずです。

    ネット上に情報を構築し積み上げるためには思考する能力が必須です。
    利用するだけで、貢献できない人間がどんどん増加しているさまを
    実感できる状況になっているのではないでしょうか。
  • Ryo.F (3896) : 2008年06月11日 19時50分 (#1361562) 日記

    利用するだけで、貢献できない人間がどんどん増加しているさまを実感できる状況になっているのではないでしょうか。
    というか、貢献できない人間は元々かなりの割合居たけど、それがネットによって白日の下に曝される様になった、ということじゃないかな。
    あるいは、今までは調べると言うことだけで十分な貢献だったけど、それが貢献としての価値を失った、と捉えるべきか。
  • >思考など別の時間に割り当てることが出来ると思います。

    思考する必要が決まっているのならね
    問題は、思考する必要が少なくなってるんじゃ?と言う事では
  • Anonymous Coward : 2008年06月11日 16時17分 (#1361344)
    何を言っているのかわからなかったので、私の知的能力は低下しているのかもしれない。

    #なにと比べて低下しているのかは判らないが。
  • TarZ (28055) : 2008年06月11日 16時36分 (#1361359) 日記
    同じく斜め読みしたところ、なるほど「ゲーム脳」の次のトレンドは「インターネット脳」かと思いました。

    # 今のところ、私は「ニューロンネット脳」。かろうじて。
    ## でも最近、どうもシナプス結合がリンク切れで404だったり、機能不全で403だったりが多くて
    ## ハイパー結合の方に頼りがち。
  • Anonymous Coward : 2008年06月11日 17時09分 (#1361408)
    >## でも最近、どうもシナプス結合がリンク切れで404だったり、機能不全で403だったりが多くて

    バックエンドの問い合わせ言語がダメなんじゃないですか?
    I/Oボトルネックとクエリパフォーマンスも疑わしいですよ。

    #まあサブジェクトが本題
  • TarZ (28055) : 2008年06月11日 17時26分 (#1361434) 日記

    バックエンドの問い合わせ言語がダメなんじゃないですか?

    クエリはワイヤードロジックで実装されているらしく、特に言語化しないで問い合わせているのですが、強いて言えば「なんだっけ」「えーと、ほら、アレアレ」です。脳が回答できる場合は、これで回答が出てくるみたいです。(その仕組みは謎です)

    Google検索する場合はWHERE句が必要なので、どちらかというとそちらの方が頭を使っているかもです。
    「もしかして」機能ができてから、Googleは脳に一歩近づきました。これでまた、もうちょっと脳がバカになっても平気。誤変換しても検索できるって素敵過ぎます。
  • >「もしかして:ふた○りプリキュア」のころの方が脳に近かったように思います(誰の?)

    あれは脳というより脊椎。脊椎反射でああいう答えを返すからまずかったんで。
  • 「ニューラルネット」って言う方が多いかな。
  • Anonymous Coward : 2008年06月11日 17時03分 (#1361401)
    バストサイズの処理には有能になりました

    2次元かよっ
  • simon (1336) : 2008年06月11日 16時48分 (#1361378)
    んー。どうなんでしょうね?

    たとえば、昔の知識人というものは、古典をそらんじているのが当然でした。
    四書五経から何かを引用しながら自説を説いたり、ラテン語の警句を混ぜてみたり、
    聖書の言葉に沿って何かを言ってみたり。

    印刷術の普及によって古典の丸暗記というものが必ずしも必須の条件ではなくなり、
    そしてさらにインターネットの普及によってこの書き込みの表題のようなラテン語の警句を
    三分前にググって知ったくせに「私前から知ってましたけど何か?」というような顔で
    コピペすることが可能になりました。

    果たして、それは知的能力の衰退を意味するのでしょうか?
    私はそうは思いません。

    ググるという行為は、暗記という作業をアウトソーシングしたにすぎません。
    そもそも知らなければググれないんですから。
    うっすらとインデックスのみを覚えておけばいい、という程度の記憶なら
    人間はもっとたくさんのことを知れますし、覚えられます。

    「じゃあなんでこんなバカが増えたの?」
    という人もいるかもしれません。
    しかし、それは逆なのです。たぶん。

    暗記にせよ本の購入私有にせよ、それは一面ではハードルなわけです。

    かつては働かなくても生活ができ、日がな一日書物の暗記に没頭できるような人々しか
    知識人にはなれませんでした。
    高価なランプの下でずっと本を読めるような一部の人々しか知的活動はできませんでした。
    論文を書いたり雑誌に寄稿したり本を出版したりするようなことも、経済的なハードルが大きかったでしょう。

    しかし知識の収集・検索ということが「暗記・本の所有」というハードルから開放され
    自説の開陳・発信という行為がインターネットで極めて簡単になされる昨今は、
    かつてはフィルタリングされていたバカが発言する場を得たので人類は総じてバカになったように見えるだけでしょう。

    人類の利口/バカ比というのは大して変わってないと思います。
    かつては「カネがあって、本を暗記したり読んだりするような苦痛に耐えられるような利口なひと」
    しか発言できなかったのが、技術の進歩により誰もがそれができるようになった、というだけの話に思えます。
  • Anonymous Coward : 2008年06月11日 17時18分 (#1361420)
    技術の進歩によりバカが発言できるようになっただけなら良いが、
    そのバカの発言も尊重しなければならないため、社会全体がバカのために奉仕しなくてはいけなくなった。

    もっとも、一部の利口を装ったバカのために社会全体が疲弊するほど奉仕させられたことも一度や二度ではないのだから、
    これも民主化の暗黒面と諦めて受け容れるしかないのかな。
  • Ryo.F (3896) : 2008年06月11日 18時44分 (#1361503) 日記

    うっすらとインデックスのみを覚えておけばいい、という程度の記憶なら人間はもっとたくさんのことを知れますし、覚えられます。
    ポイントはその辺りだと思います。

    「うっすらとインデックスを覚えて」いれば十分、という知的活動もあると思いますが、ある分野に特化した深い知識の集積の上に成り立つ知的活動もあるとおもいます。
    例えば、simonさんも挙げられていた論語。朱熹や王陽明は論語の解釈を深化させ、独自の体系である朱子学や陽明学を起こしました。これは、インデックスのうっすらとした記憶と外部記憶では成し得なかったでしょう。おそらく、彼らは丸暗記するほど論語を読み込んだはずです。
    また、孔子を題材とした小説は多数存在しますが、その中の優れた作品は、論語はもちろん、大量の研究書を読み込んだ上で書かれた筈です。

    もちろん、そうやって生み出された体系・小説に対して「うっすらとインデックスを覚えて」いれば、それなりに偉そうな顔はできますが、自分で新たな体系・小説を生み出すことはできないでしょう。
  • 新たな体系を生み出すような人は、昔も今も極一部ではないでしょうかね
    そうですね。
    ただ、今までは、新たな体系を打ち立てない程度の知的活動でも十分知的と言えたけど、調べることのコストが低くなったために、調べれば解る程度のことを言うだけでは、ちっとも知的とは言えなくなったんじゃないかな。知的活動のインフレと言うかなんと言うか。
  • Anonymous Coward : 2008年06月11日 21時40分 (#1361650)
    我々の知的能力は、インターネットによって上昇している
    しかしまた、知識の価値はインターネットによって低下している
    知識価値の低下は、知的能力の上昇よりも激しく起こっている
    故に、我々の知的能力は"相対的"に低下している

    こんな感じかな?
  • barrel (25979) : 2008年06月12日 2時47分 (#1361814)
    「外部に膨大な知識DBがあれば脳内にはインデックスだけあれば十分」と
    学生の頃私も以前そう考えていました。
    「これからは答えがググれる世界。知識なんて覚えるだけ無駄、医者も弁護士も商売あがったりだね!」と。

    そうやって「意識して記憶する」という努力を怠りながら知識のつまみ食いだけを続けること数年、
    最近どうにも限界が感じられるようになってきました。

    調べ物していて、深さ優先で探索中にスタックの戻り先ポインタ失って「はて何を調べていたっけ?」となる
    ことなどしょっちゅうで、間違ってブラウザを閉じたり、あるいはブラウザが落ちたりすると
    何のためにどのページを見ていたのかすらも、みるみるおぼろげになってしまうこともしばし。

    何か複雑な思考に耽ろうにも、考えているそばからキャッシュ・ミスヒット連発で
    逐一メモを取らないと思考の本題を見失うのではないかという心配しなければならない始末。

    まるで自分という存在が、現在という一瞬一瞬にのみ存在している一次元セルオートマトンに思えてきたり、
    あるいはメモリの少ないPCが、何をするにも逐一HDDにアクセスしてガリガリと音を立てつつ
    ちっともアプリが動かない様子にも似ていると思えたり。

    知識をアウトソーシングしすぎると、何をするにもバックエンドDBとの通信が必要な
    中身のないシンクライアントみたいな人間になってしまいます。
    バックエンドDBとの通信には必ずオーバーヘッドがあるわけで、知識をオン・メモリで
    持ってる人に比べパフォーマンスに雲泥の差があることを痛感します。
    せめてサマリというキャッシュだけでも意識して記憶するようにしないといけないと
    思っているのですがどうにもこうにも・・・。

    # もしかしてこれが歳のせいというやつ・・・なのか・・・orz
  • インターネット以前はヒントを探すのに本を漁ってました。T-Zoneまで行ったりして。
    検索で出てくるのは少し悩めば解決することが多いけど時間の節約にはなります。
    でも、 本当に知りたいことは検索してもBBSに投げても片付きません。
    ネットの情報は、そのまま信じられずウラを取る時間も結構かかります。
    使うときはネット中駆け回って集めてから組み立て直して資料化する作業も大変です。
    本やノートなら「あそこにある」と覚えておけばすむこともありますが、ネットだと消えちゃうし。
    逆にネットで探せないと「おっ、これは飯の種かも」と思うんだけど、そういうのも結構本に載っていたりします。
    今でも体系的に書かれている本を読んで進めながら突抜けられることが多いです。

    とはいえ、まずググッちゃうんですが。
    スタックが壊れて戻れず暴走するのは同じ。
    大昔ぁし、Cの教授に「思考が止められたらなんにもならん。キーはブラインドで打て」と言われました。
    サターンデッドヒートで、ジュニアが酒飲んで対数表飛ばして、「暗算で出せるけど覚えてれば瞬時に使える」(意訳)というのもあったし、 キモは記憶しとかないと閃かないぁと思う今日この頃です。
  • 非常に同意しつつ、自分もどうなんでしょうね?ですね・・・

    ただ、知識を記憶として保持するのではなく、思考の一部にしないとけないと出来ない発想というのは確かにあるわけで。
    それは必ずしも整然とした理論ででてくるわけではなく、思いつきやこんな感じで行けそう等でもあるわけで。

    それは頭にある知識にさまざまな状況を代入して「こんな感じになる」を拡張する作業なので、調べる作業や暗記とは違うような気もしなくもない。
    しかし、頭の中がインデックスだけで外部へのアウトソーシングが激しいとこの手の発想はなかなか難しくなるような。
  • zadory (36401) : 2008年06月11日 20時29分 (#1361589)
    多くの人物が情報発信することが容易になったことで、「頭の悪そうな」文章を目にする機会が
    相対的に増えた点はそうだと思います。比較対象は文章のプロが書いた文言ですし。

    ただ人間の記憶の仕組みと、言語化されたネット上の仕組みは決定的に異なるので、
    全ての知識をアウトソーシングすることは当分困難と思います。
    例え脳内に外部記憶野を持つ時代になっても、思考の材料は脳自体が記憶していることに
    由来すると思いますし、そもそも考えるという段階に至るまでに相当な知識が必要なはずです。

    脳が外部記憶に適応して巨大なインデックスになるのか、はたまた外部記憶が脳の記憶と再生の
    システムに介入してくるのかは興味深いことだと思います。
  • あまりにも簡単に答えが得られるため、
    「知った気になる」のが一番の問題。

    何かを知ろうとした際、
    そのものの掘り下げや、そこからの横の広がりなどを
    自然に考えて実行する傾向の人にとっては、
    ネットの情報量・検索性はかなりパワフルなツールでしょう。

    一方で、google 検索で目についたものを選び、
    ざっと読んだだけで「○○? 知ってるよ(笑)」と
    言ってしまう人の場合、ネットの有用性はかなり寂しいものになります。
    #簡単に知ったかぶりできる、という点では有用ですが。 

    もっとも、これらはネット普及以前、
    本からメインに知識を得る頃から同じではあります。
    ただ、本から知識を得るよりも遥かに簡単であるため、
    「物事を知るには、単純な答え以外の周辺知識も重要」という
    理屈を知らない(主に若い)人が、これに慣れてしまうと
    「知ったつもり」になる傾向が加速してしまう気がします。

    自分は知らない、と思っている人よりも
    中途半端な認識で自分は知ってる、と思い込んでいる人の方が
    遥かに始末が悪い。
  • 進歩 (スコア:4, すばらしい洞察)

    Anonymous Coward : 2008年06月11日 16時49分 (#1361380)
    人はマッチを手に入れたことで、木を擦って火を起こす方法を忘れた
    ショッピングセンターが出来たことで、食べられる/食べられない植物を判断できる能力を失った
    ・・・
    進歩ってそんなもんじゃないの?何かを失って何かを得るのです
  • 思考の外部化 (スコア:4, 参考になる)

    FLYWHALE (27794) : 2008年06月12日 9時34分 (#1361880)
    ネット、そして強力な検索エンジンにより、データなどを調べるには便利になりました。

    以前なら図書館などで資料となる数字や記述を見つけると、再びアクセスするのが面倒なので、自分のノートに書き留めたものです。そこで、読むという行為に加え、書くという行為が加わり、記憶がある程度強化されていました。
    ところがネットの時代になり、データへのアクセスが便利になったため、書き留めるという行為が少なくなっていったように思います。そのためか、自分を振り返っても、細かい数字や年代などを以前より記憶していないように感じます。

    しかし、これは半面、(それが信頼できるデータであるという前提ですが)正確な数字を引用するたびに、調べ直すのですから正確を期せますし、データを覚える時間をそのデータを吟味する時間に回せるというメリットも生じます。ネット時代に進んだ「記憶の外部化」とはこういうことではないでしょうか。

    問題は「思考の外部化」も起きていることです。
    僕はライターの傍ら、編集者の仕事もしていますが、原稿をもらうと、その一部を検索窓にコピペしてググることにしています。以前に僕が担当しているのと別の媒体ですが、ネットからの引用ではなく、引き写しとしか言いようのない記事があったからです。文章構成は思考そのもの。どう考えても倫理的に(下手すりゃ法的にも)問題があります。

    思考の外部化はプロがそれを行うと、自分の仕事を失いかねない自殺行為となります。
    でも、それが致命的な行為にならない人、例えばブロガーやBBSの投稿者には、思考の外部化をしている人が少なくないように思えます。とくに「自分が信じたいような内容」については、その傾向が強いように感じます。

    本来なら、記憶を外部化して余裕ができた分、思考に回せば、深い思考ができるはずが、その思考までも外部に頼ってしまう傾向が出てきているように感じます。そういう意味では知的能力が低下しているのかもしれません。
  • Anonymous Coward : 2008年06月11日 16時16分 (#1361341)
    記憶力の低下。なんも覚えなくなる。 検索すればどんな情報も出てくるから、その場で理解して分かったつもりですぐ忘れる。
  • Anonymous Coward : 2008年06月11日 16時36分 (#1361358)
    別に昔から調べた結果覚えることってのは、
    よほど頻繁に使う内容でない限り、
    「何の本のどのへんに載ってるか」
    でした。

    それが今は、
    「グーグルで何て検索したか」
    になっただけ。

    大して代わらない気がします。

    しかも、本だと何度調べても同じだけど、
    WEB検索だと調べるたびに情報が変わって刺激的だったりします。
  • mtgood (31646) : 2008年06月11日 16時59分 (#1361397)
    思い出す代わりに検索しちゃうとヤバイね。

  • 「最近の若いもんは」 (スコア:2, すばらしい洞察)

    tondeke (29053) : 2008年06月11日 16時31分 (#1361356) 日記
    言ってることはポンペイの落書きと変わらないのではないかと思います。

    ネットは(あるいはGoogle一社が)様々な媒体を飲み込んでいくことの危険性は、また別にありますが……。
  • Anonymous Coward : 2008年06月11日 20時35分 (#1361595)
    ええ、しかもこれは年寄りの戯言だけの話じゃなくて、今日ではインターネット全体が落書きみたいなもんですよ。

    でもね、それに輪をかけてヒドいのが、このネットというものを、
    ・落書きだと分っていないで見ている人がいる
    ・自分の書いた内容が落書きだと気付いていない、みんなに見られてるとは思っていない人がいる
    ということなんですね。

    かく言うこの内容も落書きの一つですし、こんな考えも私の脳が考えたことじゃないんですよ、きっと。
    これなんてネット上に普遍的に存在する現象を要約してるようなもので、ある意味ネットという集合無意識みたいなものが私を通じて書かせているんです。

    えーと、というわけで私が誰だか知りませんか?
  • astro (17245) : 2008年06月11日 16時55分 (#1361388) 日記
    サブジェクトは私が勝手に作った言葉です。

    インターネット、特に検索エンジンというものが登場して以来、個々の頭脳への
    知識の集積は徐々に意味を失いつつあります。最近は、検索エンジンの力により、
    ググることさえ出来れば、誰でも情報にたどり着けるようになりました。
    最近では、わからない言葉はとりあえずgoogleにでも放り込めば、何らかの情報が
    得られるようになってきています。つまり、インターネットはあまりに便利な百科
    事典になってしまったのです。

    これは、ある意味自分の内部に記憶できないものを、常にネット上に保持している
    いわば外部記憶のような役割を示しています。この外部記憶は本人の意思に関係なく、
    絶えず変化しているというのも大きな特徴です。

    このような便利な外部記憶をもつと、人は内部記憶への情報の記憶量を減らし、
    必要な時に外部記憶から情報を引っ張るようになります。
    これが「何でもネットで解決しようとする」という行動の大きな特徴です。
    これにより「知の内部蓄積」による内部での知の融合発展が進まなくなり、
    「考える」人を減らしてしまいます。

    さらに進むと、ネットで検索して情報を得ただけで、「わかった」気になってしまう
    ようになってしまいます。思考にリンクしない情報は、すぐにキャッシュから追い
    出され、消滅してしまいます。

    もうひとつの問題は、調べようとしない存在を大量発生させたことです。
    インターネットでは、時空を超えたコミュニケーション(のようなもの)が成立します。
    そこにおいて、知識を持たないものが、持つものに安易にたずねるという傾向が
    生まれました。検索しても出てこない、わからないことに対して、答える人がいる以上
    こういう「ググレカス」といわれる人々は増加し続けます。こういった人々は、本来、
    ネットがあろうとなかろうと、調べなかった人たちなのです。
    彼らにとっては、ネットで尋ねることは、googleの検索結果より手っ取り早いのでしょう。

  • 9nu (12793) : 2008年06月11日 17時30分 (#1361436)
    こういう話があると、アインシュタインの

    「本やノートに書いてあることをどうして憶えておかなければならないのかね?」

    という名言を思い出す。

    結局のところ、重要な情報と重要でない情報の取捨選択の問題と、情報を保存するメディアの取捨選択の問題、

    思考する能力の問題がごっちゃになっている。

    「現在ではググってしまえばいいので、本当に必要な情報のみ自身の内部に記憶しておけばいい。必要なら外

    部記憶装置から検索して引っ張ってくればいい(攻殻機動隊の世界のように)。」

    と考える人間は肯定派になり、そうでないものは反対派になるというだけの不毛な議論でしかないようにも思える。

    いつの時代も教えて君は居るものだし、一を知って十を知ったつもりになる者も同様。
    --
    犬が犬であるように、猫でありたい
  • >憶えておかなければならないのかね?
    憶えておく必要はないけど、理解しておく必要はある。
  • clema (20979) : 2008年06月12日 0時56分 (#1361762) 日記
    ググルナカス [hatena.ne.jp]って言葉がある。
    ゲゲるのが便利でも、たまには自分の頭と体でで試行錯誤してみることもいいことなんだと。
    人は情報機器に頼りきりになると若年性健忘症 [google.com]になる可能性がある。きっとそういうことなんだろう。
  • Anonymous Coward : 2008年06月11日 18時14分 (#1361477)
    みんな知識はいっぱいあると思う。難しい漢字や言い回しを
    知ってたり、いろんな雑学に通じていたり。
    即席でぐぐってるのか、ふだんのネットサーフィンを通して
    雑学がたまってるのかは区別がつかないですが。

    一方で、それらの知識を組み合わせて推論したり別のことに
    応用したりといった思考力については、驚くべき知識量からは
    想像もつかないくらいの低さを示しているように感じてます。

    ここ数年、思い続けていることです。
  • http://homepage2.nifty.com/watayan/diary/200610.html#D102801 [nifty.com] にも書いたことですが,31世紀になっても知識のありかがわかるだけで,それを組み合わせたりするのは別のようです。
  • Xatz (31320) : 2008年06月11日 19時06分 (#1361523) 日記
    そんなこと言いましても、小説だろうとなんだろうと斜め読みするときは斜め読みでしょう。

    「普段読むテキストの性質が変わったから一概に同じとはいえない」と言われれば、全く以ってその通りなのですが、それが本当に思考していないことに繋がるのでしょうか?

    一字一句、完全に認識して読んでいるかと言うと、どんなに注意して読んでいてもそれは在り得ないのでは?人間の脳の補完能力は素晴らしいです。誤字脱字だらけでも、ある程度のものは瞬時に変換してさらっとスルーできてしまいます。

    また、見掛け倒しの機能や広告がそこまで悪影響を与えるかというと甚だ疑問です。確かにWeb環境の悪化は招きますが、自ら広告に飛び込もうとする人たち以外の脳に与える影響なんてせいぜい呆れや苛立ちがいいところ。いちいちバカみたいな広告を全部読んで、それに皆が影響されるのでしょうか。「本屋の近所を広告車両が毎日通ると、その本屋の常連はバカになる」って言ってるようなものです。騒音が気になる人は別の本屋行くでしょうし、気にならない人はそんなことじゃバカにはなりません。

    確かにWeb上のテキストになったとき、いろいろなものが変化します。初期の話ですが、Web小説が出てきたとたん、「章」ではなく「文」で改行を入れるようになりましたよね。今では個人が書くHTMLの質も圧倒的に向上し、blogも一般化したため、その傾向は落ち着きましたが。

    ネットを雛形に再形成されたものは、確かにそれまでの常識にそぐわないものでしょう。ですが、それはネットに限りません。大正期前後に何度目かの大きな日本語の変化があり、近代文学が幕を開けましたが、それは知的能力の低下でしょうか?確かに現代人は古い日本語を使いません。使えないと言っていいでしょう。そうして言葉が変化したとき、恐らくば人の価値観や思考回路は変わります。言語は思考と密接に関係している、とも言われますし。ですが、知能レベルが変わるのか?私はそうは思いません。言語を含め、文化とは蓄積です。必要に応じてモノが生まれ、不要にならなければ(又は代替が生まれなければ)それは失われないでしょう。

    Webによって新たな価値が生まれたとするなら、紙媒体が喪失されるまでは、我々は二つのスタンダードで物事を考えられる。そう考えると、これは決して知的能力の低下とは言えないのではないでしょうか。
    --
    otaku to techno
  • 一字一句、完全に認識して読んでいるかと言うと、どんなに注意して読んでいてもそれは在り得ないのでは?
    その通りですが、無視できない程度の差はあると思います。

    自ら広告に飛び込もうとする人たち以外の脳に与える影響なんてせいぜい呆れや苛立ちがいいところ。
    集中力が人並み外れて強い人を除き、「呆れや苛立ち」の影響は小さくないと思いますよ。でなければ、学習環境が問題になることは無いわけで。
    まあ、「見掛け倒しの機能や広告」が無いサイトに行けばいいわけですが。
  • 同じことを繰り返し言う大人って、どうやって頭が悪くなったか忘れてるんじゃないの?
  • その昔、「マーシャル・マクルーハン」というおじさんがおりましてな。。。。

      # ごほ、ごほっ。。。。
  • yukichi (12361) : 2008年06月11日 19時15分 (#1361531)
    メディアはマッサージというやつですね。
  • oguma (17986) : 2008年06月11日 17時20分 (#1361425)

    人間、文字を覚えると記憶力が減退して、考えることをしなくなるんだそうな。

    --
    Nullius addictus iurare in verba magistri
  • zozbug (9256) : 2008年06月11日 17時25分 (#1361432)
    メッセンジャーとかで喋ってて、なにかこっちが知らないことを言う度に検索かけて調べながら話そうとする人がいますけど、知らないなら知らないで違う話題を振るからワザワザ知ってるフリしなくてもいいよと思ったりはしますな。

    ネットにあるのは二次情報、三次情報だったりするんでいろいろ変わってくるし。
  • Re:別にいいんだけど (スコア:1, すばらしい洞察)

    Anonymous Coward : 2008年06月11日 17時54分 (#1361464)
    いい友人じゃないか、大切にしろ
  • 思考のネタとしてググるのは良いとしても、結果となる答えをググることが多ければ
    指摘は当たってるんじゃないかと思いますね。

    難しいことを考えるよりも、検索すればそこに答えがある。
    ・・・なんて事に慣れていると、そりゃ低下もするわな。

  • genzin (23225) : 2008年06月11日 17時45分 (#1361454)
    同じような話で、昨今の書籍は答えがそのまま載っている、いわゆるノウハウ本の類しか
    発行されなくなってきました。というのも、そういう本しか売れないからなんですけど。

    おかげで、ある分野を勉強しようとしたとき、包括して説明するような良い本が発行されておらず、
    古い本を(たいてい絶版だから古本屋などで)探すか、まだ多少は残っている海外の本に頼るしか
    なくなってます。

    もちろん、ソフトウェア等新しい分野はそれほどでもないのでしょうが、古くからある分野ほど
    こういう傾向が目立っていると思います。
    (でも昔はオブジェクト指向の原点みたいな本があったけど、最近は見かけない気がするな)

    #ええとつまり何だ、ネットに関係なく、人類が馬鹿になってきているってことか。
  • 本に答えが載っている事は少ないけど、検索でざくざく引っかかる"答えらしきもの"がたくさんある

    ってのが問題なのかなと思いますよ。

    ・・・でも答えが答えたりえる判断ってみんなどうしてるんだろう。鵜呑みじゃないよね??

    #私は結構うのみー
  • 本も「答えらしきもの」だけが載っているのがノウハウ本なのですが、
    そうか、「ネット」と同じように読めない本は売れなくなってきた
    という意味で、ネットが原因だったのか!?

    #私は、自分の知識や常識と照らし合わせて妥当で、さらにやってみてうまく行ったらかなぁ
  • ΩΩΩ Ωノなんだってー!!

    原因というより、求めている物が本ではなくネットにあれば
    皆ネットに転ぶでしょうよ。

    だからなぜそこまで答えだけ求めようとするのかって所だと思うんだけど
    そこに答えがたくさんあるからってのも違う気がするんだよね。

    ・・・考えることが楽しいことじゃないから、か。

    #で以下教育論につづくかもしれない
  • >(でも昔はオブジェクト指向の原点みたいな本があったけど、最近は見かけない気がするな)
    多分これですね。最近大幅に改訂された第二版の日本語版が出ました。
    http://www.amazon.co.jp/dp/4798111112 [amazon.co.jp]
    ただし上巻のみ。

    下巻は一体いつになったら出るのだろう。やっぱりこのまま幻になるのかな。
    ノウハウ本しか売れないご時世ではいたしかたないですね。
  • ふと思う。
    新聞を購読するにはお金がかかるし、本のコピーは一枚10円。
    だが、ネットではプロバイダにお金を払いさえすれば、無料で無限に近い情報を得ることができる。
    昔の人はいいこと言った。
    「無料(タダ)より恐いものはない」と。
  • ウェブに接続されているストレージの記録が自分の記憶になったのならば、求められるのは記憶力ではなく必要な情報をリンクする能力になるんじゃないでしょうか。シナプスつなげるように電子情報をつなげるという。
    たとえすべてを知っていてもそれを活用する術がなければ意味が無いので、基本である思考力を訓練するこれまでの教育が無意味になることは無いでしょうなぁ。

    現在の「すぐに情報にありつける」という環境が「活用する術」を退化させているのは間違いなさそうですが、それってキーボード見ながらタイプするのは最初のうちはブラインドよりも効率がいいけど、最終的にブラインドを訓練していたほうが効率がいいのに似ている気がします。Wikipediaをはじめとするウェブの資料をコピペして論文書くようなのは、そのうちよく訓練されたウェブのブラインドタッチが出来る人間に圧倒されるんじゃないかな。

    「あなたの御計らいはわたしにとっていかに貴いことか。神よ、いかにそれは数多いことか。数えようとしても、砂の粒より多くその果てを極めたと思ってもわたしはなお、あなたの中にいる」と言ったところで、それがどういう歴史的文化的背景とリンクしていて、文字以外にどのような意味があるのかは「言っただけ」では理解できてないでしょうし。
  • 世界を変えるほどの影響を与えるものは常に諸刃の剣である
    なんていっているあいだに
    利点と危険な点を知る知らせる行動はやはり必要
    利点ばかり見ていると間違いなくアホになるわん
  • 個人的な感覚ですが、「精読」するときは、やはり紙媒体の方がうれしいと感じます。そして精読の結果、その文章が直截には指摘していない事柄Aと事柄Bの関連にフッと気づいたりします。

    同じことがネット上のテキストから生じることもあるのですが、あくまで感覚的なものですが、書籍を精読しているときのほうが生じやすいように感じます。

    こうも言えるかも知れない。僕は蔵書を時々読み返します。読み返すことで、当時は理解できなかったこと、読み飛ばしていたことを検証できるからです。再読の結果実りの多かった書籍は、三読・四読の対象に格上げされていきます。しかし、ネット上のテキストで繰り返し読み直しているものがあるかというと、まったくないわけではないものの、圧倒的に少数です。

    これは書籍で育った僕の感覚に過ぎないかも知れないけれど、僕の感覚ではハッキリとネット上のテキストは「精読」に向いていません。ネットに頼って学生生活を送った人は、僕よりも「精読」の体験が少ないかも知れません。わからないけどね。

  • 他ネット文書の検索と入手が容易になった為、理解を補うネット文書を選びやすくなりました。その為、特定の書籍を精読しなくなる代わりに、事柄に注目して複数のネット文書を吟味する方向にシフトしただけだと思いますよ。

    吟味するという点に於いては、精読に通じる感覚だと思います。

    # 情報を吟味する、しないは個々人の考え方次第なのですが、
    # 自分が気になる記述に必ず他のネット文書が言及しているかと言うと、そんな事もないので、
    # 結局、どんな文書であれ精読するハメになると思いますよ。
    --
    俯瞰しよう。何事も俯瞰しなくちゃ駄目だ。
  • 「携帯メール依存」だから出会い系に落ちる [gendai.net]

    こういう記事を読むと、携帯電話によって、重要な義務教育期間の知的能力に悪影響を与えると思いますね。

    一日に50通以上のメールとか、メールは3分以内で必ず返すとか、携帯電話を取り上げると暴力をふるい始めるとか、親も学校も不甲斐ないという気がします。

    それに比べると、インターネット(というかWeb)の方が影響は、まだ軽微かと。

    --
    あなたの予想に反して、このページが見えているでしょうか?
  • 日本では (スコア:1, 興味深い)

    Anonymous Coward : 2008年06月12日 0時15分 (#1361743)
    Google ではなく ATOK の利用による漢字忘却の方が問題。

    # 生産性は飛躍的に向上していますけど。
  • なるほど、ご発言自体がその成果だということですね。
  • 従いまして、私自身はそうではないと考えております。  なお、ご質問の様な論理的飛躍のある内容を
    飛躍の内訳の説明もなしに見ず知らずの人間にぶつけるのも、
    知的活動能力の低下の現われだと思います。  出来ればご自重頂きたく、お願い申し上げます。
  • 知識のアウトソーシングと思考のアウトソーシングは別物でしょう。
    現在インターネットで行われているのは知識のアウトソーシングに過ぎない。依然として思考自体は外部化されていません。

    まあ、本来は思考の過程で導かれる結論も知識として溢れているので、訓練する場が減っているのは事実。
    その辺はは思考の訓練を別途することで解決するべき課題ですね。思考力のある人が、巨大な知識ベースを使える価値は非常に大きいので、上手く活用していきたいです。