竹島が日韓の問題となって浮上してきた。外務省は相変わらずおよび腰だが、当然だと思う。いろいろ微妙な歴史があるため、深く突っ込めないんだな。
外務省のかえれ竹島 は超やる気の無いページでほほえましい。こんな説得力0 のページよくお金出して作ったなぁ。税金返せ。
ここによると
明治時代に入り、日本人によるうつ陵島への渡航が再び始まりました。明治16年(1883年)には日本と朝鮮両国の通商に関する規則の成立により多くの漁民がうつ陵島に行くようになり、その途中竹島に寄港していました。明治20年代の終わりごろからは隠岐の島民たちが竹島でアワビ、アシカ等の漁猟に従事していました。
だそうなのだが、この時代に朝鮮との交渉で鬱陵島と竹島は日本の領土ではないと、放棄してしまっているのだった。(1877年3月20日付 太政官)
明治37年(1904年)隠岐島の住人中井養三郎という人が、竹島においてアシカ猟を行うため政府に竹島の領土編入及び貸与を願い出ました。これに対して政府は明治38年(1905年)1月28日の閣議において同島を正式に竹島と命名し、島根県隠岐島司の所管とする旨決定しました。これに基づいて、島根県知事は同年2月22日付けの島根県告示第40号をもってその内容を公示しました。
だが、以前に放棄してしまっているにもかかわらず1905 に急にこんな事になってしまう。
このころ鬱陵島にも日本人が渡って、現地の人に横暴の限りをつくしていたのだが、政府の弱体化もあって現地警察力は無きに等しく「日本人の保護のため」という理由で日本の警察が鬱陵島にまで進出していた。つまり1910 の朝鮮併合の前段階として鬱陵島の実効支配があった。その為の方向転換な訳だ。その後の歴史は見ての通り。
だから竹島を日本の領土とするのに解決の必要な点は三つ
これは達成不可能に見える。いやそもそも根拠がかなり弱いから…。ということで、本当に竹島を日本の領土にしたい人は、じっと我慢して静かに時を待っていると思われる。
ちなみに外務省が国際的に調停してもらうふりをしているけど、韓国がそれをしないでいてくれているので、こういった放棄の事実が表に出ず体面が保たれている訳だ。
あと、僕は馬鹿なことをするのは嫌いですよ (わざとやるとき以外は)。-- Larry Wall
太政官の指令 (スコア:1)
Google検索「1877年3月20日 太政官 竹島」 [google.co.jp]
で、いろいろ出てきますね。
Re:太政官の指令 (スコア:1)
わかりやすかったです (スコア:0)
わざわざ調べるほどは関心無いので助かりましたです。
異論ではないのですが (スコア:0)
国際司法裁判所に判断してもらった方がすっきりして良いでしょうね