yasuoka (21275) の日記

2005 年 01 月 08 日
午後 07:07

国語課長の更迭

かかるとき何と千里のこま物屋にもコメントしたのだけど、大野晋の朝日新聞(平成13年8月8日朝刊)の以下の文章が気になったのでちょっと調べてみた。

小汀利得という国家公安委員がいた。日本経済新聞の元社長で、佐藤栄作首相の経済顧問格だった。親しい佐藤首相に小汀氏は言った。「佐藤さん、あなたの名前は当用漢字表によると書けないのですよ。『藤』は植物だから、カナで書くことになっていますから」。それを聞いて佐藤氏はすぐ「中村(梅吉・文相)を呼べ」と言った。結局、戦後の国字政策を主導した国語課の課長は更迭され、行政の方向転換がそこから生じた。

中村梅吉が文部大臣だったのは昭和40年6月3日~昭和41年8月1日なのだけど、確かに昭和41年7月1日に国語課長の中城堅吉が、日本ユネスコ国内委員会事務局科学課長へ配置換になっている。代わりに国語課長になったのが、文化財保護委員会事務局普及課長から配置換された金田智成である。しかしこの中城堅吉も、昭和40年6月1日に宗務課長から配置換されてきた人物で「戦後の国字政策を主導した」なんてことはありえない。そもそも、この時期、文部省の国語課長は1~2年でどんどん交代するのが常で、1960年代だけでも、白石大二→内山正→中城堅吉→金田智成→国松治男、と順調に交代している。それも他の課長と回り持ちで同時に配置換されていて、更迭なんてブッソウな話は全くない。しかも、その後『藤』が常用漢字に入ったというわけでもない。

結局のところ、大野晋は小汀利得のホラ話にだまされたということなのだろう。

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計算機科学者とは、壊れていないものを修理する人々のことである

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