von_yosukeyan (3718)の日記

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労働観と報酬

von_yosukeyan による 2004年01月30日 15時46分 の日記 (#190124)

やけくそで書いた記事なので、採用されたこと自体が驚きだったのだが、富士通の第四四半期限定賃下げの話題が採用された。これで採用数の合計は65となり、採用率は63%となった

富士通に関して言えば、秋草社長時代(現会長として院政を敷いているので現在も秋草時代であるが)から業績予想と決算の乖離が激しすぎマーケットから愛想をつかされた会社である。「社員が悪い」発言(東洋経済)はあのような背景から出てきたものだ

「社員が悪い」とよく対比されるのが、経営破綻した山一證券社長の「社員は悪くありません」というであるが、あの会見の頃よく「社員とは株主のことだから、株主が悪くないのは当然だ」というのが流布された。法律屋の質の悪いジョークの一つである

株式会社の原則の一つに、所有と経営の分離というものがある。株式会社では会社を所有している株主と、経営者が必ずしも一致しない。株主は会社を所有はしているが、会社を経営しているわけではなく、単に株主総会で経営者を信任したり、会社における重要な決定事項の承認を行うだけだ

もう一つが有限責任である。株主は、企業が破綻した場合には投下した資本の範囲内で責任を負うだけで、債権者は破綻した会社の残余財産から債権の回収ができるだけである。企業の経営という極めてリスキーな行為に対して、経営者自身の自己資本では規模の拡大は望めないし、有限責任を認めなければ資本の投下という極めてリスキーな行為を誰も行わないからである

その意味において、「所有と経営の分離」と「有限責任」は近代資本主義におけるセントラル・ドグマと呼んでもいいだろう。

ところが、原則論は別としてどうも意識的にこの原則が働いてるのかと思うことがある。それは例えば、銀行による融資における経営者個人に対する債務保証であったり、企業経営に対する労組の介入であったりするのだが、極端に感じるのは労働者が会社を所有しているかのような言動である。これは原則として間違っており、そして部分的には正しい

部分的に正しいというのは、一つは従業員もまた株主である場合が多いからである。持ち株会や、個人的に株式を所有する場合もある。といったところで、従業員が所有する会社の株式は、上場企業でも5%を超えることはほとんどないといってもいいだろう

もう一つの理由は、おそらく「従業員と会社は運命共同体である」という、わが国特有の終身雇用制度に基づいた労働観にあると思う。それは、従業員は会社に忠義を尽くす代わりに、年功序列による報酬と終身雇用を約束するというものである

#しつこいが、終身雇用制度はわが国独自の制度ではない

よって、従業員にとってある企業に就職するというのは、ある意味で労働力の「現物出資」による投資行為であり、基本的に報酬に見合った対価を要求しない代わりに、終身雇用と年功序列賃金を、自分の尽くした「企業」の業績に連動して受けることができるという労働間を形成しているのではないだろうか

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未知のハックに一心不乱に取り組んだ結果、私は自然の法則を変えてしまった -- あるハッカー

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