von_yosukeyan (3718)の日記

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農林中央金庫がみずほ証券に資本参加

von_yosukeyan による 2004年09月14日 19時22分 の日記 (#250466)

http://www.reuters.co.jp/newsArticle.jhtml?type=businessNews&storyID=6225072

すでにいくつか報道はなされているが、具体的な出資比率が固まりつつあるようだ

よく誤解されるのだが、みずほ証券というのはみずほFGにおけるリテール証券部門ではない。実質的にリテール部門を担っているのは、みずほBK傘下のみずほインベスターズ証券と、系列の新光証券で、みずほ証券はみずほCB傘下の投資銀行部門である。他の銀行系投資銀行を見ると、SMFG系列の大和證券グループ本社とSMFGの合弁投資銀行である大和SMBC証券や、シティ系列の日興コーディアルグループとシティグループの合弁投資銀行である日興シティグループ証券(旧日興ソロモン・スミス・バーニ)があるが、日興シティは別としてもあまりぱっとしない。旧国際証券を母体に大々的に設立された三菱証券に到っては話にならないほどDQNっぷりを晒している今日この頃である

わが国最大の投資銀行は、言うまでもなく野村證券である。リテール証券としても大手だが、これに次ぐ規模の投資銀行は実質的にみずほ証券、日興シティと言う形になる。日興シティは、元々銀行系というよりもシティグループを買収したトラベラーズグループ傘下のソロモン・スミス・バーニ系統であるから、銀行系としてはみずほ証券が最大規模を誇る

このみずほ証券の母体になっているのが、旧日本興業銀行(IBJ)である。IBJはみずほHDと経営統合し2002年4月に最終的に分割されたことで、大企業向けの融資部門をみずほCBに、投資銀行部門をみずほ証券に分割する形で成立した。2003年の組織変更によって最終的にはみずほCBとの経営統合を視野に入れる形で、みずほ証券はみずほCB直接傘下となった

この辺の経緯をひもといていくと、実に興銀史を語るに近い話になる。IBJは、1902年に会社法に準拠しつつも特別法(日本興業銀行法)に基づいて設立された特殊銀行で、産業部門の設備投資資金を供給する任務を帯びた銀行であった。戦前は、政府主導で設立された国策企業や、政府の産業政策に密接に関係していた財閥や大企業に対して融資を行っていたが、あまりぱっとしながった。躍進をはじめるのは、満州事変以後の軍需企業育成政策と結びついた新興財閥への融資比率を高めていったところで、代表的なところでは日本産業グループ(いわゆる日産コンツェルン)や理研グループ(いわゆる理研コンツェルン)などへの軍需産業や植民地政策に密接に関わる企業を支援した

戦後、GHQによりIBJは普通銀行に転換され普通銀行として歩むことになるが、日本勧業銀行のように質的な都市銀行への転換を成す前に、IBJは長期信用銀行法に基づく長期信用銀行に再転換した。講和条約締結により独立を達成した日本だったが、基幹産業の復興には多額の産業資金が必要であることには違いはなかったし、それらの資金を企業が単独で調達するには、まず日本の直接金融市場の規模が脆弱であったこと、また格付けが低すぎて企業が社債発行により資金調達を行うのには無理があったからだ

これを解決するため、長期信用銀行法は普通銀行には禁止されていた社債発行を許可し、産業部門に対する長期資金供給を促した。後に、普通銀行に転換した北海道拓殖銀行と日本勧業銀行の債券発行部門を分離して日本長期信用銀行が、朝鮮銀行と台湾銀行の残余資産を元に設立された日本不動産銀行(後の日本債権信用銀行)が成立するが、実質的に長期信用銀行法の趣旨を達成していたのはIBJだけだった

#正確に言うと、東京銀行は外国為替法改正により後に金融債を発行しているし、民営金融機関では農林中央金庫と信金中央金庫が特別法による許可がある

戦前の特銀時代のIBJと、戦後のIBJは民営化されたというのみの違いしか持たないわけではない。特銀時代のIBJも金融債(社債の一種)を発行していたが、IBJに資金供給を行っていたのは圧倒的に預金部(郵便貯金の資金)だった。また、IBJの債券は政府保証が付与されていた。これに対して、戦後のIBJは資金調達の大半を金融債による調達によって達成していた。短期資金調達を目的とした割引日本興業銀行債券(ワリコー)と、長期資金調達を目的とした利付日本興業銀行債券(リッコー)である。前者は1年、後者は5年の発行期限を持ち、大口債は主に大企業や地方銀行の資金運用手段として使用されたが、一般にも販売され最低で1万円券から発行されていた

債券発行のみで資金調達を行っていたので、長信銀は都銀と比較して大規模な支店網を持つ必要がなかった。債券は預金よりも資金調達コストが高いが、資金不足の時代にあっては運用手段として有利であったため、一律的に全国の富裕層の一般的な資金運用手段として活用された。一方で、割引債は無記名で発行されたために脱税やマネーロンダリングにも使用される傾向にあった

#これは興銀よりもむしろ日債銀にその傾向が強く、「政治家の貯金箱」と揶揄された

高度経済成長が一段落した昭和30年代後半に入ると、企業の設備投資需要が低下し、比例して長信銀の融資シェアが低下しはじめる。これに呼応するように、IBJは融資関係にある企業を系列化してメーンバンク化を進める一方で、恒常的に大規模な資金需要のある電力産業への融資を強化していく。一方で、全くの新規で設立された勧銀、長銀、日債銀は、不動産や流通、建設といった都銀があまり手がけなかったニッチな分野に特化していくことになり、特に長信銀の長銀、日債銀破綻の遠因となる。また、こういった傾向は、同じ長期資金供給任務を帯びていた信託銀行の中でも、非財閥系の独立系信託銀行の凋落も同じであった

金利収益を強化する一方で、IBJはニーズが高まりつつあった大企業の社債発行を強化しはじめる。特に、海外での社債発行や政府系の特殊会社の債券発行でIBJは重要な役割を果たし、躍進しつつあった四大証券のライバルとなっていく

バブル期は長銀や日債銀、下位地銀と同じように過剰融資に走り経営を悪化させたが、特殊法人の債券発行では相変わらず興銀が主幹事を独占し、野村と激しく争った。金利収益でも、海外の金融機関に習いプロジェクトファイナンスなど、新しい融資形態を強化した(が、これが不良債権を積み上げる要因となる)が、80年代の初期には、すでにIBJの内部では金利収益よりも引受業務など投資銀行的な手数料収益主体の金融機関を指向する傾向が見られるようになる

この傾向を強めたのが、90年代半ばの邦銀の格付け低下におけるIBJの戦略転換である。生保第二位の第一生命と提携する一方で、LC(信用状)発行など格付けがモノをいう手数料分野でも、収益にならなければ撤退するといった大胆な方針に転換し、ついには97年ライバルだった野村證券と戦略的提携を発表する。しかし、提携関係は99年に発表されたFBK、DKBとの三行経営統合によって形骸化し、再び野村はIBJのライバルとなる

結局IBJは、02年にFBKを法的な存続銀行として合併し、企業向けの融資業務や為替業務を行うみずほCBとみずほ証券に分離されたが、実質的にみずほCBを最大の牙城としながら、IBJの勢力は温存された。DKBによるFBK吸収合併であったはずのみずほグループの結成が、DKBの内部抗争とFBKの陰謀により持株会社とBK間で熾烈な内部抗争を尻目に、IBJはCBを中核とした手数料収益をモデルとした新しい金融集団の結成に力を入れてきた。その最大の悲願が、証券取引法第65条改正による銀行と投資銀行部門の合併であり、実質的な興銀の復活と、リテールのような汚れ仕事は内部抗争に明け暮れるFBKとDKBに任せて低コストに資金調達を行うという西村構想だった

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一方の農林中央金庫は、農協及び漁協、林業協同組合、それらの県単位の経済連の出資による中央系統機関である。設立の根拠は農林中央金庫法によるが、資本はすべて民間出資であるという特殊な形態の金融機関で、同じようなものとして信金中央金庫(SCB)がある。海外では、ヨーロッパでこのような形態の金融機関があり、代表的なものとしてはフランスのクレディ・アグリコルや、オランダのラボバンクがある

農林中金も、資金調達は主に金融債(正確に言うと農林債券)によって行うが、近年では資金運用難の農協や経済連による預金が急増していて、個人向けの金融債発行は近いうちに停止される予定である。農林中金の資産規模は80兆円近く、4大メガバンクに旬日巨大金融機関だが、業務の大半は資金運用を目的としている。明らかに旧IBJとは異なる金融機関で、ディーリング収益と大企業への貸し出しによって収益をあげているが、SCBのように資産流動化ニーズがあるわけでもないし、格付けの上昇のために優先出資証券を発行する必要性すらない。そういった意味で極めて特殊な金融機関である

農林中金の性格上、直接投資銀行業務に乗り出すことは問題があるし、資本参加と資金供給という形で投資銀行業務への参加は有り得る話であるが、虎の子のみずほ証券への出資という形になるとは誰もが想像しえなかったであろう。もう一点、衝撃的なのはみずほ証券が単独で上場する可能性があるという点だ。即ち、興銀の不良債権をCBに切り離したままで、みずほ証券だけが独立してしまう、というのはマネーセンターバンクと総合金融グループ化を指向したみずほグループ設立当初の西村戦略が質的に転換したことを意味するからだ

これは、みずほグループ内部の権力闘争がある一定の落ち着きをみせたことを意味するのかどうかは不明だ。少なくとも、今年4月のBKの人事異動はFBK勢力による勝利であると言われているが、数では負けるが高収益部門であるCB-みずほ証券ラインを握ったIBJ系統が反撃に出たものか、それとも経営戦略として総合金融グループ化の交替を意味するのかは不明だ

単なる資本調達という説もあるにはある。みずほFGは、最近系列ノンバンクの上場を強めており、最終的には系列ノンバンクすべてを合併の上上場させる方針であると言われているが、実際のところ国有化を回避するための戦略ではないか、という話もある。というのは、業界の癌であったUFJがMTFに吸収されることで処分が決定した今、次なる標的はみずほである、という認識があるのかもしれない

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