von_yosukeyan (3718)の日記

○ ◎ ●

帳票文化

von_yosukeyan による 2005年03月22日 7時39分 の日記 (#287946)

http://www.atmarkit.co.jp/fbiz/cbuild/serial/r3/01/01.html

先日、ある都市銀行のネットバンキングで投資信託を買おうとしたら、投資信託保護預り口座がネットバンキング上で表示されないという非常に困った状況に直面した

この銀行は、投資信託保護預り口座の開設が書面で必要なので、随分前に保護預り口座を郵送で開設していたのだが、その際にネットバンキングの登録口座に追加するという項目が反映されていなかったようだ。この項目が反映されていないと、投資信託保護預り口座が存在していても、ネットバンキング上では登録口座に含まれていないので、ネットバンキングを経由して投資信託を購入することはできない

コールセンターで、何回か不愉快なやり取りをした後、取引支店から電話で「保護預り口座開設時に、ネットバンキングへの登録項目をオペレーターが見落としていたのが原因で登録が行われていなかった」と連絡があった。官僚的な銀行なので、こういった高飛車で最初から顧客のミスを疑うような態度には慣れていたが、なぜこのようなミスが発生したのかを考えてみると、イロイロな問題点が浮かび上がってくる

冷戦期、カーボン紙の需要がもっとも多かったのは旧ソビエトだった。理由は単純で、ゼロックスが普及していなかったからだ。反政府的な文書を容易に作成できる、という理由でソビエトでは印刷手段を限定して、ゼロックスを一般に普及させなかったために、大量のカーボン紙需要が存在していたのだ。従って、文書の複製は基本的にはタイプライターにカーボン紙を何枚も挟んで複製した。冷戦構造の崩壊によって、このような前時代的な作業は姿を消した

一方で、わが国では未だに大量のカーボン紙が使われつづけている。こっちも理由は単純で、伝票にカーボン紙が使われているからだ。応用分野も、製造業に止まらず、流通や行政などで、カーボン紙を使った伝票は大量に存在し、一部に業界標準形式はあるものの、大抵の伝票の仕様は企業ごとに独自の様式が採用されている。多種多用なサイズや様式の伝票に出力するドット・インパクト・プリンターが未だに需要があるのは、カーボン複写伝票のためである

様々な伝票や帳票をよく観察すると、その企業ごとのビジネスプロセスがどのように構築されているのかがよくわかる。例えば、手元にある財閥系信託銀行の投資信託保護預り口座の開設申込書がある。5枚複写の帳票で、A4サイズの比較的大きいものだが、1枚は顧客が保存するもので、残りの4枚が業務に仕様されるもののようだ

この帳票には「投資信託保護預り口座開設申込書兼外貨MMF取引申込書兼顧客カード兼テレホンバンキング利用申込書兼外国証券取引口座開設申込書兼累積投資取引申込書」という大層な題がついている。一枚目が取引店用保存用紙で、二枚目が取引店保存用の複写用紙、三枚目がコールセンター保存用、四枚目が登録業務を行うバックオフィスへの送付用、五枚目が顧客への返送用控えになっている。五枚目が顧客控えの用紙になっている例はあまり見たことがないが、冒頭のようなミスがこの信託銀行にも発生しうることがわかるだろう

#冒頭で述べた銀行の口座開設用紙を見つけた。これは7枚複写になっていて、カーボン紙と表紙を含めると10枚が1つに閉じられている。これだけの厚さになると、筆圧が高い人でも最後の用紙に確実に複写される保証はないし、この用紙は3枚目に永久保存用の分厚い紙質の印鑑届け票があるのでなおも下の用紙に複写が困難な構造になっている

要するに、この5枚複写用紙は、4枚目のバックオフィス用の用紙以外は、原則的に記入内容の同一性を確認するためだけの保存に使用される用紙である。銀行内部で、記入内容を保存・確認するために、取引店、コールセンターの二箇所に分散して用紙を保存するためだけに3枚も使用されていて、実際にシステムに登録内容を入力するための用紙が別途四枚目として存在する。この銀行がそうなのかどうか不明だが、バックオフィスで入力に使用する用紙は入力が終了すれば破棄するフローになっている銀行すらある

コンピューターによるオンラインシステムが登場する以前、帳票は業務フローを定型化するために必要な主要な構成要素だった。拠点間のデータ伝達を正確に行うには、製本と副本の間が同一内容であることを保証する仕組みが必要である。そのために、カーボン複写伝票が広く普及した。これが、オンラインシステムが普及し始める1970年代移行も、原則的に業務フローの塊である伝票を中核としたロジックに大きな変化は見られなかった。伝票が相変わらず存在し、拠点ごとに帳票を保存するための巨大なスペースが必要であることには違いない。厄介なことに、業務フローによっては帳票から一旦入力した内容が変更されたときに、再度帳票に再記入するフローになったままになっている場合もある。先の都市銀行の口座開設用紙の例だと、住所変更や銀行事故発生時のイベントを、印鑑登録票に手書きで再記入して履歴を残すフローになっていたりする

もう一度、先の信託銀行の帳票に戻って考えてみると、この帳票のもう一つの問題点が浮かび上がる。やたらと長い題がついているのは、元々5種類別々に存在していた帳票の機能を1枚にまとめたからであると推測できる。ということは、システム上この帳票の記入内容は、5種類(実際には口座とリンクしている情報なのでもっと多い)の別のシステムで稼動している機能を1つにまとめたのではなく、1枚の用紙に記入された内容を、5種類の別のシステムに入力する必要があると推測できる点だ。さすがに、都市銀行では1台の総合端末で複数のシステムに接続して登録作業が可能だろうが、システムが比較的旧式な例が多い信託銀行などでは、下手すれば5種類の別の端末で入力しているのかも知れない

このように、帳票を中心とした文化が意味する事実は重大であるし、わが国の経済発展段階ではそれなりに効率が良かったのだろう。しかし、業務が多様化するに従って、帳票の数が増え、また検索やサービスにオンラインシステムが普及するようになっても相変わらず帳票を中心とした業務フローに頼っていたのでは、業務プロセスの合理化など覚束ない。銀行という特殊かつ典型的な規制産業を例にとったのは極端だったかも知れないが、一般企業の中でもこういった非効率性は多かれ少なかれ存在する。業務プロセスを効率化するために、ERPやシステムを導入する場面で必ずと言っていいほど、このような業務プロセスの効率化を行う前にシステム導入を行おうとするので、システムの導入コストや維持コスト単体では以前よりも安くなったかも知れないが、システムのライフサイクルや、業務プロセスにかかるコストが削減されていないという事例が多く散見される

その典型的な例が、ERP導入時におけるアドオンの多さだ。本来は業務プロセスの改善と、会計や法令対応に必要なコストを削減するのが目的であるはずのERP導入が、既存の業務プロセスを見直すことなしにERPを導入しようとするために、結局はレガシーシステムに実装された機能をすべてERPで実現させるために大量のアドオンが必要になる。稼動後も、パッケージのバージョンアップ時にアドオン部分の動作検証にコストがかかるので、維持コストも無視できなくなる

こういった問題を回避するために、既存の基幹系をEAIツールでERPと統合して、アドオンを最小限にすることで開発コストを削減する手法を取る企業が(結構多く)あるが、結局はレガシーシステムもERPも同時に稼動することになるので、単にビジネスプロセスが複雑になるだけだ。実際、ある業態の情報システム子会社が、レガシーシステムとERPを、EAIを使って統合して従来よりも安い会計システムを実現するスキームを大々的に売り込んでいたが、アダプタの開発にコストがかかってアドオンを追加しまくるのとコストが変わらない上に、運用コストが増えるだけなので、発表から3年ほど経ったが受注実績は親会社を除いてゼロだ

法令上帳票が必ず必要なケースがあるし、業務上自社だけでは帳票が廃止できない、または帳票を全く廃止することが現実的でないケースは多い。それでも、日本企業はあらゆる業務が帳票・伝票を中心に回っており、プロセス全体から見ればシステムは単なる付属品、といったケースがまだまだ多い(徒に帳票を廃止せよ、というのが論旨ではない)。先日の社会保険庁の汚職事件で、専用帳票の印刷コストを削減するために専用帳票を印刷する高価な専用装置を製作していた、という話があったが、この話をどれだけ笑い飛ばせる企業があるのだろう? 帳票の数や用途の見直しを通じて、業務プロセスの合理化を勧めるという観点もあるのではないだろうか

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。

コンピュータは旧約聖書の神に似ている、規則は多く、慈悲は無い -- Joseph Campbell

処理中...