securecat (3946) の日記

2003 年 09 月 10 日
午後 02:57

Re: DDT's Room:Web Site Watch Sep-2003

ブロックレベル要素と整形より

徳保さんは
  形式段落は単なる改行では終了しない
とおっしゃいます。しかし,小学校では,段落(形式段落)は改行で表現する,って教えてますよね。日本の手書きの一般的な表現では,改行は形式段落だと思うンです。

もしかしたら
  単なる
って部分が重要で,字下げもするとか,天声人語みたいに改行で表現しない場合もあるとか,そういう意味でしょうか。

自分の日記につけたコメントを書いている最中に、意味がわかりました(謎)。

つまり、読書感想文とかを書くときに、“そのとき僕は言いました。「ウホッ!イイ男!!」”という書き方をすることもあるだろうし、“そのとき僕は、「ウホッ!イイ男!!」と言いました。”という書き方をすることもあります(ここで会話括弧の部分は独立一行とする)。

これを形式段落で考えると、たとえ改行を途中にはさんだ2行 や3行の文章であっても、1つの形式段落になりますよね(特に後者は)。

これが「単なる」が重要な理由かと思いました。

つまり形式段落を、字下げから次の字下げの手前までとして扱えば、確かに単なる改行では終了しないのですヨ!

……という解釈でどうだろ?

だとしても、“<p>そのとき僕は、</p>”ってするのはちょっとツライけど。何がツライかというと、文章の書き方次第で明らかに無理なく1つの形式段落として成立したはずのものを、複数の構成要素から成ると意味づけしてしまった場合に、その複数の構成要素が日本語的にはひとつの段落を成すものであると、機械(パーサ)に見なさせるのがツライであろう、ということ。

引用の要素に関しては、むしろq要素という、p要素の中で意味づけ可能な便利な要素があるわけなので、以前の日記で記したとおり、やはりq要素を使うのがスジだと思います。“<p>ほげほげ、</p><blockquote>ぴよぴよ</blockquote><p>へろへろ。</p>”だと、どう足掻いても3つの形式段落(ひとつはblockquote要素内の形式段落)によって構成されていることになっちゃうんだけども、“<p>ほげほげ、<q>ぴよぴよ</q>へろへろ。</p>”これならまさしく以って、もとの文意どおりにひとつの形式段落として意味づけできるのであるから。

「p要素=小節」という考え方だと、“これは鉛筆です。”という文章を、“<p>これは</p><p>鉛筆です。</p>”とも意味づけできるようになってしまうのだけど、それはさすがに無いでしょ。ただ、前述のとおり、小節単位のようなものをp要素で意味づけしちゃうこと自体には反論がないというか実際そうしているというか、ともあれ自分の日記につけたコメントの通りなのです。結局、何も結論出してないような気がしますがこだわりません。

#以上に関して、とりあえずいわゆる「横レス(謎)」なもんで、議論をさかのぼったり繰り返しになっちゃうようならゴメンナサイ……というか、気にしないでください。

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