kubota (64) の日記

2002 年 02 月 12 日
午後 09:40

Markus Kuhn の異文化攻撃

Markus Kuhn は、一部では i18n エキスパートとして信頼されているかもしれないが、たまにこんなことを言う

訳してみると

bidi {訳注: 右→左、左→右の双方向} テキストターミナルについて考えれば考えるほど、POSIX プラットホームは普遍的な bidi サポートを持とうと試みるべきではない、という思いを強くする。特殊用途のソフトウェアの外では、つまりファイル名やシェルスクリプトなどでは、ヘブライ文字やアラビア文字は使ってはならない。もしほんとうに使わざるをえない (なぜ?) ときには、書く順 {訳注: ヘブライ文字やアラビア文字は、右から左へと読み書きする} ではなく、文字列を左→右の「見た目順」にエンコードすべきである。

右から左への書き順は、右ききの人がのみとハンマーを使って書きやすいという理由で、数千年前に発明された。私の率直な意見では、コンピュータ時代において、右→左の書き順は、居場所がない。右→左の書き順は、主に不合理で宗教的な理由で使用され、もしテキストターミナル上で使用されれば、{訳注: テキストの} 他の部分をめちゃくちゃにしてしまう。たぶん、それは一部の限られた GUI ワープロやウェブブラウザによって、Syriac、ヒエログリフ、数式、縦書き中国語、その他複雑な処理を必要とする特殊なスクリプトなどとともに使われるべきものであるが、ターミナルエミュレータ上で一般的なプレーンテキストについて良いサポートを実現できると期待してはならない。ECMA-48 は、それ以外の私がこれまで見たことのある bidi サポートと同様、満足できないハックである。

思うに、アラビア文字やヘブライ文字をコンピュータ上で扱うための最も妥当な標準は、ISO 233 と ISO 259 である。トルコ文化は、たいした障害もなく、前世紀の初期に使っていた右→左スクリプトをやめることに成功した。長い目で見たときに実行可能な唯一の解決策として、私は、この方法を強くおすすめする。

そういやこの人、Unicode の漢字統合問題についても、中国と日本と韓国は同じ漢字を使うべきだ、なんてことを主張してたものだ。そんなこと、文部大臣 (いまなら文部科学大臣か) にでも言ってくれ。それがどんなものであろうと、各国や各地域の文化をありのままの姿で受け入れ、それをサポートしようと努めるのが、国際化というものではないだろうか。コンピュータは道具なのだから、コンピュータが文化に合わせるべきであって、文化がコンピュータの都合に合わせて変化を強いられるということはあってはならない。もちろん、コンピュータの普及や使用も文化の一部だから、コンピュータの使用や普及によって自然に文化が影響を受けて変化していく、というのは悪くも何ともないが。

こんな主張ができるのは、世界のソフトウェア (プロプライエタリ・フリーソフトウェアを問わず) の動向に対するラテンスクリプト圏の支配力が背景にあるからだ、ということは、たぶん自覚していないんだろうなあ。もし自覚していたら、確信犯的な植民地主義者だってことになる。が、実際はそうではなくて、おそらく、自分が属する文化と他の文化を対等な目で見ようと努力する、ということを知らない、単なる幼稚な思考法にすぎないのだろうと思う。

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