SS1 (6823) の日記

2004 年 02 月 03 日
午後 08:28

blogサイトの空間距離

政治

この日記,反応リンク集に収集されてますね。すばや~~~い!

「儀礼的無関心」という言葉をキーワードに,はてなを中心にblogをまたいだ議論がつづいている。

個別の日記で議論されているので,議論のコアとかは見えない。ごく大雑把にはリンクの是非とか,礼儀だとか,ようするにリンクしないでネタにするサイトは無礼だとか,見てみぬフリをすべし,とか,そうじゃないとか,そういう話みたいだ。

なんだけど,ここスラッシュドットの日記はトラックバック無いし,リファー見れないし。で,微妙に異なった印象を持った。リファーにしても,トップストーリーになると数百から千数百の参照が来るんで,あんま見たいとも思えないような。

そもそも,私のとかオタク系の日記って,何かネタをとりあげて,それに対して,えらそうな感想を書いてるだけだから,プライバシーとかって,あんま関係ない。ま,「インターネットの中心でパカをさらす」ようなところはあるけど。

それに,スラッシュドットのタレコミ記事では,リンクでソースを明示するのは,いわばスタイルになっちゃってるし,それを否定するのも難しい話し。

とくに異なるのが公共性と空間感覚なのかな。

前にも書いたけどタレコミとコメントとジャーナル書くときは,やはり書き方が変わってくる。タレコミは,最悪だと10万人以上の人が読むかもしれないわけで,それだけに書くときも緊張するし公共性にも気を使う。そらそうだわね。コメントは,その1/10くらいの1000人程度の印象がある。まあ,大ホールで質問するときの気の使いかたくらい。ジャーナルはそのまた1/10で最大でも100人いるかいないか。だから,思ったことをそのまま書いちゃってもいいかなぁという気分で書いてる。それで言葉遣いなんかも微妙に変化してる。

ただ,こういう空間感覚ってのは,それぞれのシステムや,人それぞれの感受性にもよると思う。文化背景もあるしね。たとえば都市部の人間だと「人様を指差しちゃいけません!」なんて教育されてる。そういう空間感覚に対する,上手いメタファーを持っていると,理解しやすくなるかもしれない。

たとえば2ちゃんねるは,銭湯(あるいは健康ランド)のようになってて,裸で密度の高い空間を共有することが,独特のまったり感を与えているのだと思う。そのかわり,外からは見えにくい厳しいルールが存在する。

スラッシュドットは,Net dungeonの発展系みたいなところがあるから,日記はプライベートな空間と認識されてて,ジャーナルにコメントする時は,ドアを開けて訪問するような感覚になる。それがコメントのつけられない日記に閉ざされた印象を受ける理由でもある。んで,トップストーリーは完全にパブリックな公共の広場として捉えられていて,モデレーションによるメンテナンスが行われているし,裃つけてというほどではないにせよ,2ちゃん的なまったり感は無い。ようするに明解に使い分けられてるわけだ。

はてな,とかの blog系は,そのへんの空間感覚がblog毎システム毎に異なるところがある。もしくは,利用方法に対する(ある種の文化的な)合意が固まっていない,んで「儀礼的無関心」なるテーマで議論が出てくるのかなと思う。んでもまあ,間接的には,そこらはサイトデザインで吸収できないもんかな。というか。リンクに全ての意味をこめてしまうところに無理がある。っつうか・・・ たぶん,彼らはルールを作りたいのではなく,文化的合意を作りたいと願っているのだろう。

いずれにせよ,自分の,あるいは共通のルールを他所にも拡張しようとは,思わないし,反対に押し付けられるのもいやだ。とはいっても,2ちゃんノリで,他所に投稿してる人をみると「こいつ素っ裸で,何やってるんじゃ?」てな気分になる。もちろん,2ちゃんで2ちゃんのルールでやってる分には一向に構わない。というか,私が言うのは余計なお世話なだけだが。場所ごとのルールの違い,というのは当然のように生まれている。はず。

細かな言葉遣いには,そういう公衆性や空間距離についての評価が現れてくるわけで,それが読めるかってのが,大事なところなのだと思う。

「公共の場での儀礼的無関心」ということなら,スラッシュドットで最近起きてたフレームを自分でも気がつかないうちにスルーして読んでいたことを発見して,すこし驚いている。それだけモデレーションシステムが機能してるってことだけど・・・・ ううむ。

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。

あと、僕は馬鹿なことをするのは嫌いですよ (わざとやるとき以外は)。-- Larry Wall

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