AD (8507) の日記

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つれづれと

AD による 2005年02月25日 22時22分 の日記 (#283490)

いや、もう何度も何度も誰かが言い続けていることなのだが、まだぶり返しますかね。既にHTML自体が時代に取り残されている感が否めないですが。あぁ、今日は鬱が強いのかな。

HTMLの議論で正しいHTML・正しくないHTML両陣営共に排他的になるのには訳がある。両者の問題定義が異なることだ。

HTMLに拘らない人は、HTMLを映像を作り出す道具として用いる。この人の視点では、映像として出力されれば問題ない。HTML的に正しい必要などなく、今そこで実現すればそれでよい。いわゆる現金主義。現実主義とのたまう方も居られるが、何かの悪い冗談だろう。

HTMLにこだわる人は、HTMLを情報媒体として用いる。一応、表示の差異や不具合を気にはするが、それらのウェイトはそれほど大きくない。自分では殆ど意識しないくせに視覚障害者に対する優位性やアクセシビリティの優位性を主張せずにいられない。素直に色んな意味でStrictのほうが楽ができると言わないのが不思議。

HTMLにこだわらない人は、HTMLを正しく使いなさいなんて言われても気にしない。彼らは映像を作りたいだけなのだから。しまいにゃ、HTMLそのものを否定し始めます。否定して、もっと優れたものを考案してくれるのなら、ずいぶん幸せになれたものですが。

HTMLにこだわる人は、私を筆頭に主張を小難しくし過ぎ。真にズボラであるためには、ゴテゴテしたTableレイアウトなど不要と吐き捨てればよい。我々が作りたいのはHTMLのソースではなく、将来に渡って管理が容易なコンテンツだと言いってやればいい。そのためには、標準化とか仕様には大きな意味があると。

現に時代はblogというテンプレート式のWebオーサリング手法を受け入れている。これはStrict HTML + CSS が果たすコストの軽減と同様の効果を持つものだ。今まではHTMLに詳しい人が自分に最適化したテンプレートを個々人で作っていたが、今は誰かの作ったテンプレートでページを作っているユーザが多い。

今までの典型的なHTML議論は、両者の立っているレイヤーが違いすぎて議論になっていないものが多すぎた。そして、それを解決するだけのアイデアも生まれてこなかった。これからはHTML議論自体、無意味なものになってゆくだろう。(──と思って何年経ったか。現に、HTMLに博識な人々間での解釈をめぐる議論はあれども、特に大きな意味を持つものはない。)

いずれにしても、「ホームページ作成」に熱狂した時代は終わったのだ。徐々に誰かの思惑通り application/xhtml+xmlが優勢になってゆくことでしょう。アプリケーション開発者がその気ならね。

そこで、(目新しくもないけれど)問題となるのは、志のないオーサリングツール開発者だろう。一般ユーザすべてを啓蒙するよりは現実的な対象となるだけが唯一の利点か。

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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ見習い

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