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109842 journal

y_tambeの日記: インフルエンザワクチンを過信するな

日記 by y_tambe
#ちょっと煽り気味な書き出しですが。

基本的に、新型インフルエンザに対するワクチンを接種しても「新型インフルエンザに罹らなくなる」というわけではありません。現在の技術では、従来のものと同様、重症化は防げても、感染自体を防ぐ効果は期待できません。ここらへん、マスメディアなども含めて、インフルエンザワクチンに過度の期待というか、幻想みたいなものを持っている人も多いと思いますので、今のうちから注意を呼びかけておいた方がいいかな、と。

#つーか、実はもう5-6年前から言ってはいるんですけどね。

ここでは割と年齢が高めな人が多いと思うので、小中学校で毎年インフルエンザワクチンを接種してた経験がある人が多いと思います。あの学童接種は15年前(1994)に廃止されました。これは「接種しても罹る=ワクチンなんて効かない、という考えを(主にマスメディアが)吹聴した」「(少数の)副作用事例が大きく取り上げられた」「それらの声を後ろ盾に、医療費削減に突き進んだ」という流れによるものです。

まぁ一応、専門的な観点からも現在の「学童接種廃止」という判断は、単純に「良い/悪い」で断じることができず、「妥当と言えば妥当」な判断とは言えるのではあるんですが、ここらへんの複雑な背景を全く理解しないまま、「新型ワクチンうったけど罹った」とかいう表面的な部分だけを取り上げて、またぞろマスメディアが騒ぐのも目に見えてるわけで。その「近い将来」に向けて、冷静に対応できるような心構えをしておいた方がいいかな、と。
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もともとワクチンの接種には大きく二つの目的があります。一つは「ワクチンを接種することで罹りにくくなったり重症化が予防されたりして、接種者本人の利益につながる」こと、もう一つは「伝染しやすい病気についてワクチンの集団接種を行い、社会的な蔓延を防止する」ことです。旧来、ワクチンの接種は後者の目的での意味合いが大きく、社会的な蔓延を阻止するという「国家戦略」の一つとも言えました。日本でも戦前から戦後しばらくの間にかけて、いくどとなく伝染病の蔓延に見舞われたことから、こちらが重視されてきてました。しかし、やがてさまざまなワクチンの普及と医療の総合的な発展のために、伝染病や感染症というものに対する恐怖や警戒感が薄れていきます。特に、1980年の天然痘撲滅宣言によって「人類は将来、感染症を克服できるだろう」という考えが広まったことは大きかったと言えるでしょう。このため、「伝染病の蔓延」に対する警戒は和らぎ、将来的にはその対策も徐々に縮小していけるだろう、縮小していこう、という動きが始まります。

これに加えて、それまではあまり取り上げられなかったワクチン接種の副作用にも目が向けられるようになります。特に、日本国内でも公害病や薬害など、「人為的な病気の発生」の方に、より社会的な注目が集まるようになってきてたこともあって、マスメディアなんかだと特に、ワクチンによって得られる利益がどうであろうと、「副作用」があればとにかく叩く、という風潮が社会的にも高まりました。まぁ、そういった一部の「行き過ぎた反応」ってのもあったんですが、比較的冷静な専門家も、ワクチンの副作用にもっと注意しよう、という考え方にシフトしていきました。
従来通り「国家戦略としての伝染病蔓延の防止」が主目的なのであれば、たとえ少数の副作用被害者が出ても「国家全体としての利益に適う」という判断が成り立ちます。しかしこの意義が薄れていくに従い、「接種者本人の利害」がワクチンの主な目的にシフトしていきます。これは特に1994年の予防接種法の改正(感染症法の改正とリンクして行われた)で明確なものになりました。

「接種者本人の利害」ってヤツは、例えば、天然痘の場合、罹ったら命に関わるし、ワクチン接種を行えば天然痘に罹りにくくなる効果は非常に高いのですが、副作用の発生頻度が高く、そもそも現在は絶滅宣言が出てるので(米ロの研究所等には残ってますが)、接種してもリスクの方が大きいから通常は接種しません。
また、例えば過去に麻疹や百日咳がそうでしたが、ワクチンで副作用が発生したら、国はとっとと定期接種を止め、希望者だけの接種に切り替えます…副作用が出るリスクと、接種によって将来得られるだろう感染防御の恩恵は「実際にその利害に直面する自分自身で決めて選べ」というのが今の方針なわけです。
#昔は「義務接種」なんて言葉が使われてましたが、1994年の予防接種法改正で、原則「勧奨接種」になってます。

現在も、都道府県の長などには、希望者に対して予防接種を受けさせる「義務がある」(義務教育の「義務」と同様、受益者に「受ける義務がある」というわけではない)わけですが、これはあくまで「希望する人には」ということであって、それを定期接種として行わないといけない、ということは必ずしもありません。なので通常、定期接種として行われているものでも、場合によって止めることが可能になってます。麻疹や百日咳なんかはワクチンの副作用が出た時点で止められたわけですが、このような場合、実際に定期接種を止めるかどうかの判断には、大抵「その時点から過去数年くらいを見て」当該の感染症がどの程度流行してるのかを予測した上で、全体の利益を概算するわけですが、将来のことまでは予測が付きにくい部分も大きいので……なわけで、これが昨今の成人麻疹や百日咳の流行規模拡大なんかにつながってくるわけです。

#さらに言うと、このワクチン接種の流れも、最近の政府の動きである「受益者負担の原則」とか「小さな政府」の方向に同調してるわけで。
#ここらへんは、今後も注意しておかないと、国民が損をする羽目になりかねない、というか。

話をインフルエンザに戻します。
インフルエンザの場合も、一度罹ると免疫ができて、次には同じ型/亜型のものには罹りにくくなります。しかし現在のワクチンを接種して免疫を付けた場合、重症化は防げますが、罹らない/罹りにくくなるという効果はあまり期待されません。インフルエンザウイルスは気道粘膜で感染を起こしますが、このときの感染防御には粘膜中の分泌型IgA抗体(ウイルス粒子に直接結合し、中和する活性が高い)が重要だと言われており、現行ワクチンのように不活化したウイルスを皮下接種する方式ではこのタイプの抗体が十分に誘導できないからだ、というのがその理由として考えられてます(一方、皮下接種で誘導可能なのは主にIgG抗体だと言われてます。これも一部は粘膜に出ますがウイルス粒子の中和活性自体はあまり高くない…ただし重症化防止には十分な効果がある、と)。

また、そもそもインフルエンザという疾患自体は*一部の人*を除くと重症化が問題になることは、現在ではあまりありません。過去にインフルエンザは非常に恐れられてましたが、*普通の人*にとって恐ろしいのは、インフルエンザの後で細菌性肺炎を続発することでした。抗生物質の発達によって細菌性肺炎の治療が可能になったことで、「普通の人にとって」インフルエンザは恐ろしい病気ではなくなった、と言ってもいいでしょう。(1)重症化のリスクが元々低く、(2)罹りにくくなるわけではない、ということから、普通の人にとってはワクチンを接種することによって、直接得られる利益はほとんどない/それに対して副作用のリスクだけは(卵アレルギーなど)残ってる……つまりはワクチンの二大目的のうち「接種者本人の利害」から言うと、普通の人が接種してもあんまり意味はないだろう、ということになる、と。

じゃあもう一方の「社会的な伝染病蔓延防止」から言うとどうかというと、これについてもインフルエンザワクチンの効果は疑問視されてました。「罹りにくくなる」という効果があるわけではないので、実際の感染者数が減るわけではないので。ただ、これについては2001年頃に、学童接種の廃止以降、超過死亡が増えた、という報告が出ており、効果を見直すべきだという声も聞かれます。
#まぁつっても、正直言うと、この辺りは「超過死亡」なんていう新奇の概念まで持ち出さないと差が出なかった、ということの裏返しでもあるので、どこまで真に受けていいものかは悩むところだったりするんですけどね…。

まぁ超過死亡も含めた上で本当に学童接種に意義があるかどうかは、やがて明らかになっていくとは思いますが、現状のようなワクチンを用いる限り、はっきりさせておかなければならないのは、「学童接種では基本的に、リスクを負う人と利益を得る人が別だ」ということです。ここらへんは、実は近年厚労省が進めてるような「接種者本人の利害重視」へのシフトとか、あるいはいわゆる「受益者負担の原則」への流れに逆行してて、むしろ「社会的な伝染病蔓延防止」のために実は接種対象者にリスクを強いるものなのだ、ということは知っておいても損はないかなぁ、と。
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吾輩はリファレンスである。名前はまだ無い -- perlの中の人

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