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数学

taro-nishinoの日記: 志村五郎博士"The Map of My Life"の書評

日記 by taro-nishino

志村五郎博士の"The Map of My Life"について、私も僭越ながらアマゾンでレヴュを書きました。しかし、それはレヴュと言っても、いわゆる感想文もしくは書評ではなく、よく本に付いている帯や本の裏表紙にあるような、宣伝文句の域を超えていません。長々と得意気に論評する資格など私にはありませんから、要は私の目から見てどこが面白かったかだけを短く書いただけです。まともな感想又は書評なら私が読みたいくらいです。
で、読むに耐える感想はないものかと探してみました。条件として、一般人(数学者又は数学科卒でない人)、日本人(日本人数学者も含む)を除きます。理由は、一般人の感想は読むに耐えないものが多すぎることと、同邦人の足を引っ張るのは同邦人である(特に同じ分野において)と昔から言われていることだからです。つまり、海外の数学者の感想が一番いいのです。
これが意外にも少なかったのですが、コルビー大学の数学者Fernando Q. Gouvêa氏の感想が的を得ているように思いましたし、公正な評価だと感じました。その私訳を以下に載せておきます。

志村五郎博士"The Map of My Life"の書評
2008年11月25日 Fernando Q. Gouvêa

志村五郎は、50年間前後に渡って数論に広大な貢献をした偉大な人である。歴史家と数論学者として2つの人生を私は持っているから、これは読まなければならない本だった(他のレビュアー要員もしたかったが、私が編集職に就いている恩典だ)。

The Map of My Lifeは普通の自伝ではない。むしろ、追憶の本である。1930年に生まれた志村は、辛いエピソードを抜かし、生き生きとした物語に絞って私達に語り、いくつかの感情と考えを見せている。そのスタイルは飾り気がなく強烈で、親密な印象を与える。

本は2つの主要部を持つ。第一部は、第二次世界大戦以前、最中、戦後の日本で大人になっていくことについて。ここで、タイトルの"地図"が具体的になる。祖先が生活をし、彼も成長した東京の近郊を示す地図(切繪図)のことを書いている。その地図は江戸時代に作成され、大名が所有する土地を示し、家臣(志村家を含む)によって占有されている地区を指し示している。本の中に、その地図が再作成されていないのが私は残念だった。

この部分は、戦前の彼の幼年期に主に焦点を合わせている。読みながら、私の祖父がよく語った物語を思い出させた。記憶の一部は鮮明だが、他は曖昧だった。幾つかの場合、同じ状況にいなければ、物語を理解するのは困難だと思った(例えば、志村は"アドバルーン"と言っている。これらが何であるか推測出来るが、彼は正確には私達に話さないので、私の推測が正しいのかどうか分からない)。

第二部は、数学者としての志村の初期時代についてである。1950年代後半のフランス訪問とプリストン訪問、米国への移住の決心、プリストン大の教授として1962年からの時代について語っている。1960年代に彼がやっていたことへの意見、数学への一般的なアプローチについて沢山書かれている。数学的詳細は非常に少ない。私はもっと欲しかったが、ちょっとテクニカル過ぎるかも知れないので、多くを与えないことが他の読者には嬉しいだろうと理解出来る。

私も別の国(私の場合はブラジルだが)に生まれたので、移住の決心の説明に興味を持った。志村が言う理由の一部は、彼は痩せているので寒さに敏感だと。日本の家屋はうまく暖まりにくく、彼が1959年[訳注:細かいことはどうでもいいことかも知れませんが、志村博士の最初のプリストン訪問は1958年の秋です]にプリストンを訪問した時、アパートがいかに暖かく大喜びした。彼は日本が寒かったから去ったと言っている(それを人に話すと冗談か比喩的に言っていると思うらしい、と彼は言う)。

志村の個性は始めから終わりまで発揮している。彼は遠慮無く他人を貶す。平凡、又は嫉妬深い、又は無分別だと志村が思えば、そのように言う。数学についても彼の意見を遠慮無く語る。例えば、良く知られている理論の形式的公理化を軽蔑している(例として、幾何の基礎についてのヒルベルトの仕事)。彼の会う老日本人数学者達に対する反応はしばしばネガティブである、と彼は言う。

私がもっと読みたいと思ったトピックスはそこにはない。志村は友人で連携者である谷山の自殺について書いて来ているが、この本では"何故、あの記事を書いたのか"という節で触れているだけだ(その記事自体を付録に収めていても良かったかも知れないが、そうではない)。実を言えば、谷山は小さな役割でしかない。

志村の多くの大学院生について全く触れていず、数論の最近(例えば、1980年以降)の結果もない。プリストンと高等研究所での同僚で詳しく書かれている唯一の人はアンドレ・ヴェイユだけであり、志村は明らかに愛情と尊敬を持っている。

数回じれったいヒントがある。プリストンの学生はシニア論文を書くことを要求され、そのため多くの学生が彼を指導官として選んで来たと志村は言う。"私は易しいが興味あるトピックスのストックを持っていたから、彼等を歓迎した"と言っている。私はいつも"易しいが興味ある"シニア論文のトピックスを案出することに苦労して来ているので、実例を欲しい思いが残った。

数学的な節は、基本的テーマとして、モジュラ形式の算術的理論における志村の役割の解明を含む。1960年代には、殆どの人が分かっておらず、おそらくヴェイユとアイヒラーのみと彼は言う。プリストンに来た時、彼は"私は数論、代数幾何学、モジュラ形式に精通しており、米国にはそんな数学者はいなかった"と言う。私が受けた印象は、私の数学人生が志村の活躍する場所で費やされて来ただけであることだ。

志村が時間を割いているトピックスの一つは、すべての有理楕円関数はモジュラであるという予想の起こりだ。1955年に谷山によって作られた問題がその線に沿っているが、不正確であり、もっと言えば正しくないと志村は強調している。最初に予想を正しく作り、それを人に話したのは志村だった。付録として、もっと詳細に説明している複数の手紙を含めている。

志村が英語のネイティブスピーカではないことが、この本にはっきりと現れている。ぎこちなく組立てられた文章が多くある。いくつかの所で、特に日本での幼年時代に関する節では、上手く表現出来ない効果を求めている。年代順の範囲内で泊まることに殆ど注意を払っていない。"それについては後で書く"又は"それについては、これ以上言いたくない"のようなコメントをしばしば目にする。これは、老人が若かりし頃の物語を記憶に沿ってあちらこちらしながら、まだ好きな部分を語っているのを聞くような、私の印象を強くする。

もっとよい作品製作が出来たであろう、又はするべきだったであろうと思うことを書くが、スプリンガー社の私の友人にはあまり立腹しないよう希望する。写真が悪く再作成され少ない。多くの所で、ちょっと大胆に編集を加えたら本を改善出来たであろう。もっとも悪いのは、索引と文献が無く、志村作品集へのポインターだけだ。少なくとも名前の索引くらいはあったていいだろう?

私の数学人生の殆どはモジュラ形式の研究だが、志村に会ったことがなく、彼の論文の多くも読んではいない(許しがたいことと分かっている。私の唯一の弁明は、私がやって来るまでに、志村は1960年代の研究からもっと一般的で、私自身の研究に必要でない難解なケースに移ったことだ。しかも、他には古い研究の教科書風解説を書き始めていたことだ。志村の古典的な"Introduction to the Arithmetic Theory of Automorphic Functions"の大部分を読んだが、大学院生には非常に難しいことが分かった)。志村作品集一式を欲しい思いが残った。例えば、ヘッケ固有形式に付随したガロア表現を彼が構築した未発表の1968年論文がある。私は大学院生として、この論文の噂を聞いた憶えがあり、それが作品集の中に収められると聞いて嬉しい。そして、もちろん、歴史家の観点から、理論がどのようにして来たか見る必要がある。

志村の回顧録は、数学の陰にいる人の一瞬を私達に見せる。私は、もっと名前、もっと物語、もっと詳細を欲しかった。しかし、私は貪欲であってはならない。彼をほんの少しだけでも知ることはありがたいことだ。

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