chuukaiの日記: 私の名前は記号として流通する
何ヶ月かに1回くらいの頻度で、本名をキーワードにして検索し、自分という存在がネットのどこでどう扱われているかを調べている。3~5年くらい前から、googleの検索結果の1ページ目には同姓同名の人ばかりが表示されており、自分自身が出なくなっている。
それ以前には、検索結果の1ページ目の上の方が自分のことで埋まっていた時期もあった。しかし、本名で活動することが普通だった昔のインターネットとは違って、今では本名を使って活動することがなくなった。現在活動しているブログ、自作のウエブサイト、スラドや2ちゃんねるのような投稿のすべてで本名を使っていない。はてな、Facebook、本名を併記することが多いtwitterからは本名を登録から削除した。個人的な情報を暴露される足がかりをなくすためだ。そのせいもあって、検索結果の順位がどんどん落ち続けている。おそらく、もう数年もすれば2ページ目からも私の名前は消えるだろう。
しかし、これから10年くらいたっても、自分の名前がネット上から完全に消えることはないという確信がある。
インターネットアーカイブでページが残ることもあるし、なにより青空文庫に登録されているテキストファイルには、自分の本名が載っているものがある。これは私自身の意思とは関係なく、青空文庫が管理するサーバーの中で、あるいは外部でテキストファイルが利用される時にはそこで、消えずに残り続ける。
いつまでそこに名前が残り続けるか、正確にはわからない。しかし、青空文庫のテキストファイルは今までの10数年消えずに残ってきたし、今後PC以外のデバイスが主流となって使われる時代が来たとしても、10年かそこら以上はまだ読書用にテキストファイルが使われ続けられる予感がする。その点については楽観的だ。だが他方、もし将来、私の子供達が私の名前を青空文庫のテキストファイルの中に見つけたとき、それを私自身であるとはっきり認識することはできないだろうという、悲しい見通しも持っている。
私の名前が青空文庫のテキストファイルに残り続けても、読者にとってはさほど意味を持たない記号である。墓石に書かれた名前は、その墓を訪れる人が無くなれば誰に対しても意味を持たなくなるのと同じ寂しさはあるが、自分の名前がテキストファイルとともに流通し続けるところがちょっと違うようだ。