phasonの日記: ティッピングポイント-激変を予測する 3
"Recovery rates reflect distance to a tipping point in a living system"
A.J. Veraart et al., Nature, 481, 357-359 (2012).
多数のものが互いに相互作用し合う系では,個々の相互作用が非常に単純であっても,系全体では非常に複雑な振る舞いが現れることが知られている.例えば海流や気流は非常に原始的な熱輸送や流体力学のモデルを用いて再現できるが,世界全体ではしばしば予想も付かないような激変を引き起こす.また数値モデル化された株式市場などにおいても,個々の投資家(に相当するアルゴリズム)の判断基準は単純であっても,市場全体としては予期せぬ暴騰や暴落を引き起こす.このような単純な相互作用が積み重なることで予想できない系となったものを複雑系と呼ぶ.
さてこのような複雑系においては,いくつかの状態の間での急激な変化が観測されることがある.前述の暴騰・暴落もそうであるし,気候の変化に対して(少なくとも表面上は)柔軟に対応できていた生態系が何かの弾みで一気に崩壊に陥るなど,その例は枚挙にいとまがない.つまり,(安定して存在している)複雑系には現状を維持しようとするフィードバックがかかっているのだが,ある程度以上のストレスが加わりこの復元力を超えると,一気に別の状態へと転移するわけだ.この「別な状態に遷移する瞬間の状態」をティッピングポイントと呼び,ティッピングポイントを超えるような外圧が加わると系の状態が激変する.
さて,我々の生きる世界も複雑系である.だからといって明日いきなり気候が激変されては困るし,乱獲がたたってあっという間に生態系が崩壊されてもたまらない.株式市場は出来ることなら予想の範囲で動いて欲しいし,新たな流行が起こるなら出来るだけ早くその兆候を掴んでおきたい(商売的な意味で).そんなわけで,「果たして系がどの程度安定なのだろうか?今やってる事は,系をどの程度ティッピングポイント近くに追い込んでしまっているのだろうか?」という事を何とか定量化しようという試みが数多く行われている.
さて,そんな複雑系の振る舞いであるが,単純化されたモデル系の研究から,「系がティッピングポイントに近づけば近づくほど,系が変動から回復する速度が遅くなる(そしてティッピングポイントで回復時間が発散する)」という事が示唆されている.例えば生態系を例にとろう.ここから多少獲物を狩っても,ちょっとすれば個体数は回復する.ここにさらに気候変動が加わりやや住みにくくなってきたとしよう.複雑系である生態系のバッファ作用により,見た目の個体数などにはほとんど影響がない(ように見える).ところがここからまた同じぐらいの獲物を狩ると,今度は個体数の回復に前以上の時間がかかる.さて,気候はさらに厳しくなり,生態系の耐久度ギリギリだったとしよう.にもかかわらず,実は表面上の個体数はそれほど変わらない.ところがここから少数の個体を狩ると,なんと残念!今度は生態系が崩壊し,多くの種が絶滅してしまう,というのだ.つまり,ある単一の種の個体数変動だけを見ても系全体が危機的状況かはさっぱりわからないが,その揺らぎからの回復速度を見てやればどのぐらい危ないかが予想が付く(かも知れない)という事になる.
*もちろん全部の種の全個体数をきっちり把握できる調査力と,かつそれがどうなっているかを演算できる素晴らしい演算能力があれば系の状態なんてものは確実にわかるのであるが,それは無い物ねだりというものである.
しかしこの仮説,生態系などの系では今まで実証されてはいなかった.というのも,大規模な生態系でこの手の実験を行うのはなかなか難しいからである.今回の論文は,(1種しかいない単純な生態系とは言え)実際の系においてこのslow downが観測された,というものである.
実験は非常に単純(え,こんなのが今まで無かったの?というレベル).水層の中で,シアノバクテリアを飼育する.光合成のために光が必要なのであるが,ここで当てる光を時間とともに次第に強くしていく.光が無ければもちろん死ぬのだが,当然強すぎる光も害になるわけで,これはつまり時間とともに外的ストレスが強くなっていく状況に対応する.さて,強い光が当たっても十分な数のシアノバクテリアが存在すれば,上層の仲間を盾にして下部の個体は影響を受けない.そして下部で個体が増えれば,上部にも漂って拡散することでまた盾が出来る.このバッファ作用により,ある程度までは光のダメージは軽減される.ところがある程度以上強い光だと,上層で多数死ぬ → 個体数回復前に中央でも死ぬ → 全滅,となるであろう.
こういったセッティングにしておき,さらに揺らぎとして数日ごとに個体数を1割減少させる.例えば10Lの容器であったら,1Lだけ掬い取ってかわりに水1Lを足すわけである.この個体数減少という揺らぎからどの程度の時間でもとの個体数に戻るか,を観測するわけだ.
その結果,当てる光の強度(=外部からのストレス)に対して,個体数の回復時間の逆数がきれいに直線関係にあり,系にかかっているストレスが強く絶滅へのティッピングポイントが近いほど回復に時間がかかる,という予想が実際に確認された.そしてティッピングポイント近傍では,1割の個体数減少から回復できずにそのまま絶滅を迎える.
もう一点興味深いのは,ティッピングポイントに近いほど,自己相関が大きくなっている(ように見える)点である(ただし,こちらはややばらつきも大きいので,実際にそういう傾向があるかはまだ推測の域を出ない).
自己相関というのがどういうものかというと,ある関数y(x)を一定値スライドさせた関数とどのぐらい似ているか?というようなものだ.つまりy(x)とy(x+δ)が,δを適切に選ぶとよく似ている場合には自己相関が大きい,という事になる.
さて,今回の実験で自己相関が出てくるというのはどういう事だろうか?これは,一度(外部から導入した,または自発的に生じた)揺らぎとして生じた個体数の変動が,しばらく時間が経ってからまた繰り返されることを意味している.正確なことは言えないが,可能性としては,「一度揺らぎから個体数が回復したように見えても,実は内部的にはまだ(系全体としての)ダメージを抱えており,周期的にそれが顕在化して個体数の変動をもたらす」というようなものが考えられる.例えばもっと大規模な生態系で言えば,「鰯の個体数は回復したけど,鰯が餌にするプランクトンや,鰯を餌にするマグロの個体数の変動がまだ残っていて,それが周期的に鰯の個体数変動としてフィードバックされる」というような感じか.
現実の生態系,特に大規模な系では,外乱を入れて個体数の回復速度を測るというのは難しい.そのため,系がティッピングポイントに近づいているのかどうかの判断はなかなか出来ない.しかしもしこの「ティッピングポイントに近いと,自己相関が高まる」という事が成り立つのなら,個体数の時間変化を追うことで「絶滅などの激変に近づいているのか,遠ざかっているのか」というようなことが推測出来るようになるかも知れない.
ただしわかるのは「ティッピングポイントに(相対的に)近いか遠いか」であって,どこまで行ったら帰って来られない(ティッピングポイントを超えてしまう)のかに関する情報は得られない点には注意.
余談であるが,こうした複雑系におけるティッピングポイント,物性物理や統計力学における相転移などの臨界現象との関連が非常に強い(というかそちらから派生してきたというか).こういった系では,そのモデルの詳細によらず同じ臨界現象(ある物理量の発散度合い)が観測されることでも知られる.例えば固体中でスピン集団が強磁性へと転移するとか,層流と乱流の間の転移とか,超臨界流体のようなもので気体的なところから液体的なところへ移行するだとか,原理もモデルも何もかもが違うものなのに,臨界指数と呼ばれる値(物理量が,転移点に向かってどういう比率で変動していくのか)が同じであったりする(正確には,いくつかのグループのどれかに分類される).こういう「全く違う系での統一的な振る舞い」は,系の持つ次元性だとか対称性だとかで決まってくるわけであるが,こういうユニバーサルな性質が出てきて全く異なる系が同列に見なせるあたりはやはり物理の醍醐味である.
長いけど読む価値あり (スコア:0)
興味深く読ませていただきました。
仮に系を関数化できたとして、微分係数が1を中心に波形を描きうる範囲を超える点がティッピングポイントでしょうか。
収束にせよ発散にせよ、係数の反転が不能になればそれは制御不能に陥ったという点で同等だと考えますがどうでしょう?
ストレスがティッピングポイントに近づいた状態では、微分係数の波形が引き延ばされて低周波になる?
あるいは係数が1未満の期間が短く1より大きい期間が長くなる、さらにこの逆もありうるが。
現実世界でのそれは、ストレスの変化に対する系の応答の鈍さという形で観測される?
実際にティッピングポイントの近くにある系、を再現可能にした点は大きく評価されるべき。
近傍にある系がストレス変化に対してどのような応答を見せるか、これからの実験が興味深いですね。
その他の系でも近似した応答が認められるようであれば、広く応用が利く。
Re:長いけど読む価値あり (スコア:2)
ティッピングポイントに関してはいろいろな議論があるようですし,私もそれほど詳しくはないのですが,ある種の二つの相が同程度の安定性(自由エネルギー)を持ち拮抗しているような状態になります.
このような場合,A相が安定になる条件とB相が安定になる条件の中間に近づくに従い応答関数,つまり外場などがかかった場合に系がどの程度変化するか,というものが急速に増大し,ちょうど転移点で応答関数が発散します.つまり,どんな無限小の変動を与えても,系に有限な変化が現れる状況になります.
一度揃い始めると揃う方向に,一度ばらけるとばらばらになる方向にフィードバックがかかる系のようなものですね.で,まさにその中間だと,どちら向きの一撃であっても巨大な威力を発揮するという.
もうちょっと別の観点から見て見ます.私がなじみが深いんでスピン系の話にしますが,スピンが同じ方向に揃った低温強磁性相から温度を次第に上げていく事を考えます.高温極限は,スピンが全部勝手な方向を向いた常磁性相です.
さて,極低温の強磁性相では,全てのスピンは同じ向きを向いています.
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
温度が少し上がると,ごく一部のスピンがぽつぽつと違う方向を向き始めます.
↑↑↑↑↓↑↑↑↑↑↑↑↑↑↓↑↑↑
さて,この状況を粗視化してみます.スピンを3つずつ組を取って多数決を行い,その3つのうち上を向いているものが多ければ↑,下を向いているものが多ければ↓で置き換えます.すると上のスピン列は
↑↑↑↑↑↑
と,強磁性と完全に同じものになります.
つまり,転移点より下の強磁性体というのは,ごく短距離の揺らぎ(強磁性からのズレ)はあってもそれが連結することなく,荒く大雑把に見ると完全に強磁性に一致していくわけです.
さて,逆に常磁性相を見てみます.すると,全てのスピンは完全にランダムです.完全にランダムなものを3個ずつ組にして粗視化しても,できあがってくるスピン列は相変わらずランダムです.つまり,常磁性状態は粗視化を繰り返すとランダムになる状態,と言えます.
さて,では常磁性と強磁性の中間に近づくとどうなるでしょうか?
強磁性の側から近づいた場合を考えると,徐々にスピンの揺らぎの数が増えるとともに,揺らぎによって出来るドメインのサイズも大きくなります.例えばこんな感じです.
↑↑↑↓↓↑↑↓↓↓↑↑↑↑↑↑↑↓
さて,こいつを一段階粗視化するとこうなります.
↑↓↓↑↑↑
二段階だとさらに
↑↓
と,まだ↓が生き残ります.つまり,多数派としてはあくまでも↑なんですが,徐々に↓の集団も増え,粗視化してもなかなか完全な強磁性には近づいていかないのです(ただし,転移温度以下なら,粗視化を繰り返すといつかは強磁性に見えるようになる).
そして常磁性と強磁性のまさに中間,転移温度では,この揺らぎが無限に増え,粗視化を繰り返しても(統計的には)全く同じ状況が出てくる,一種のフラクタル的な構造が現れます.
これは,波長の非常に短い(=短距離で変化する)揺らぎと,波長の非常に長い(=長距離まで続くドメイン的な)揺らぎが混在しているためです.細かく見ると,小さな↑の塊と↓の塊が混在していて,遠くから眺めると何となく↑の多い巨大な領域と何となく↓の多い巨大な領域が見えてくる,という不思議な状況になります.
統計力学&物性論的にこのあたりは非常に面白いんですが,なんというか,説明が難しいというか.
Re: (スコア:0)
一度揃い始めると揃う方向に,一度ばらけるとばらばらになる方向にフィードバックがかかる系のようなものですね.
これは、こうですか?
正方向のフィードバックしかかからない系では……ああ、なるほど。キュリー点もティッピングポイントの一種というわけですか。
スピンを揃えようとするフィードバックが熱で破壊されてしまう……そして今度は揃えさせないフィードバックが働き始める。
これであってますか?
生物だと正逆両方のフィードバックが同時にかかっているので、微分係数を可視化すると波形を描くだろうと思ったのですが
そんな系ばかりではありませんわな。
なんにせよ面白い。