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日記

phasonの日記: プリオンは形質の遺伝を司るか? 8

日記 by phason

"Prions are a common mechanism for phenotypic inheritance in wild yeasts"
R. Halfmann et al., Nature, 482, 363-367 (2012).

今回の日記は,論文そのものと言うよりそのバックグラウンドが大部分を占めています.調べていたら結構面白かったもので.

プリオンというと一般的には哺乳類において狂牛病などの原因となる異常タンパクを指すが,今回の話題は近年注目を集めている酵母プリオンに関するものである.
狂牛病の原因因子としてのプリオンが提唱されたとき,研究者には大きな衝撃が走った.何せDNAもRNAも持たない単なるタンパク質が病原体として振る舞い,自己触媒的に増殖していくというのだ.当初はそんなことが本当に可能なのかを巡って激論が交わされたが,その後様々な生物から同様の自己触媒的な構造変化を起こすタンパク質が見つかるに至った.今回話題の中心となる酵母プリオンもその一つだ.

話は20世紀中頃に遡る.酵母というのは様々な発酵に利用されるなど歴史の初期から我々との関係も深く,また応用範囲も広いため積極的な研究が行われていのだが,その中から妙な遺伝特性を示す系統が発見された.酵母の1倍体同士は有性生殖(のようなもの)を行い,いわゆるメンデルの法則が成り立つ.ところが一部の特性において,非メンデル的な「ある特性が子の代以降に受け継がれ,メンデルの法則を遙かに超える率で発現する」というものが見つかった.これに関しては長いこと議論があったのだが,1994年についに「これもプリオン説で考えるとうまく説明できるのではないか?」という説が提唱される.つまり,親の細胞内でプリオンのように自己触媒的なタンパク質の特殊な折りたたみが実現していれば,それは子の細胞内のタンパクにも必ず引き継がれるため,メンデルの法則を超える率で子が同じ特性を持つ,という事になるわけだ.そしてその後の研究から,[PSI+](これは異常型構造となったものを指し,通常型は[PSI-])などと名付けられたいくつものタンパクがいわゆるプリオン的な挙動をすることが明らかとなり,酵母プリオンと呼ばれることとなる.

さてこの酵母プリオン類,当然ながらタンパク質としてはいわゆる狂牛病のプリオンとは全く違うのだが,「タンパク質の一部がβシートとして折りたたまれることで溶解度の低いアミロイドを形成する」という点は同じである.また,酵母というのは培養が簡単であること,その遺伝子もよくわかっていること,狂牛病のプリオンは人間に対し危険が高いが酵母プリオンは基本的に無害であること,などの点から研究が行いやすく,狂牛病などの基礎的メカニズムを解明するためのモデル系と良く用いられている.

このような酵母プリオンの研究に面白い視点を持ち込んだのが今回の著者であるLindquistのグループである.彼女はかなり初期からのプリオン研究の大御所であるが,2000年前後から今に至るまでの研究を通し,この酵母プリオンが進化に重要な役割を果たしたり,酵母の環境適応能力を増加させている可能性を指摘している.
まず,これら酵母プリオンとなるタンパクはDNAの読み取りに関与するものややmRNAにくっついているものなど多岐にわたり,様々なタンパクの発現に関与している.通常は自己触媒的にある形状(これは必ずしも正常-異常の2種に限らない.折りたたまれ方が非常に多く様々な多形をとるプリオンも存在する)をとっているこれらプリオン類であるが,環境負荷が高まる,つまり酵母の生存の難しい状況に陥ると,酵母はこれらタンパクの発現量を増やしたり減らしたりと大きく変動させる.プリオンの量が減ると異常な折りたたまれ方は解消する方向へ向かい,濃度が増えれば逆により折りたたまれた異常プリオンの発生率が高まる.すると何が起きるかというと,

・正常時は今の環境で生きやすい発現を保つプリオン(の組み合わせ)が維持される
・環境が厳しくなると,異なる形状のプリオンの発生確率を高める.すると最終的なタンパク質が変化し,生き残れる変異体(ただしDNAは変化していない)が出現する確率が高まる

となるわけだ.要するに,ハードワイヤードで変化させにくいDNAはとりあえずそのままにして,いわばソフトウェアのように容易に改変できるプリオン形状を様々に変化させたバリエーションを増やし,環境に適応した個体の出現を促すことが出来る,という説だ.
彼女らのこれまでの研究で「プリオンが発現した株ではいくつかの状況で生存性が上がる」という事は示されていたのだが,「いや,それはでも偶然研究室で発生した特殊な個体であり,自然界ではプリオンはあくまでも非常に希に発生する病的なものなのではないか?」という批判も強かった.そこで今回,自然界の様々な株(約700系統)をもってきて,それらの中でプリオンを捜したというのが今回の論文である.

結果であるが,まず,有名な酵母プリオンとして知られる[PSI+]や[MOT3+]を持つ株が多数発見された.これは自然界においてもこれら変異型のプリオンを持つ酵母がそれなりの比率で存在していることを示している.
また,アミロイドを分解するような薬品で処理する(=細胞内のプリオンを一度分解する)と,その後の培養で各種の発現様式が変化した株が全体の1/3もの比率で存在した.これらの株においてはDNAの変化は起こっておらず,(何らかの)プリオンが分解した結果発現様式が変化したと考えられるが,それはつまり自然界の酵母の1/3程度はタンパク質の発現に影響を与えているプリオンを持っている事を示唆している(このプリオンの多くは未知のプリオンだと考えられる).
さらに,[PSI+]を持つ株には様々な環境ストレスに耐える株が存在することが明らかとなった.これは以前に実験室形でも確認されていたことだが,野生種においても同様の耐性を持つものが存在したわけだ(例えば抗菌剤に強い種,アルコールに強い種,酸に強い種など).これらの株では,一度アミロイドの分解処理を行ってプリオンを消失させるとこれらの耐性が無くなることから,この耐性はDNAではなく,プリオンによる各種タンパクの発現や変異(*)に由来していると推定される.

(*)[PSI+/-]の酵母プリオンは遺伝子の翻訳の終止コドン(対応するアミノ酸の存在しない塩基配列)認識に関与する.通常はあるタンパクを作るためにRNAを順番に終止コドンまで読んでいきそこで終了する(出来上がったタンパク質が放出される)のだが,[PSI+]はアミロイドを形成することから溶解度が低く,細胞中での濃度が低い.こうなると,終止コドンまで来たときに[PSI+/-]が(数が少なくその場にいない事が多いので)くっつかず,タンパク合成処理がそのまま続行される場合が発生,通常の構造の後ろにずらずらと別の配列が繋がった異常タンパクが生産されやすくなる.

この結果により,自然界においても酵母プリオンは広く存在し,かつ生存に有利なように様々な場所で働いている可能性が強まったと言える.

一時期は「DNAが読めればだいたいのことがわかる」かのように喧伝されていた時期もあるが,最近では様々なエピジェネティックな変異(後天的なDNAの化学修飾による発現制御.先天的な化学修飾もある)など,生体内ではよりフレキシブルかつダイナミックに制御が行われていることが次々と明らかとなっている.
さらにプリオン類が生体内における発現制御や変異率の制御に関わっている(しかも遺伝する)となると,ますます複雑かつ面白い系だと言える(解析/制御は大変だろうけど).丈夫だけど改変しにくく融通が利かないハードウェアの中心層(DNA)の上に,状況に応じて迅速に制御可能でややフレキシブルなFPGAみたいな層(エピジェネティックな修飾,プリオン類)を乗せたようなものか.
タンパク質はDNAの複製にも関わるわけだから,そのあたりにもプリオン的なメカニズムがあったりすると「環境が悪化すると突然変異の発生率を上げる」なんて制御がかかっていて自発的に進化を促進してるなんて可能性も考えられて,夢はふくらむばかりである.

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • DNAの損傷による突然変異では欠陥のある個体(成長しなかったり、生殖不能だったり)が
    やたらと出現するわけですが、もっとソフトに遺伝子の発現を制御するスイッチが、やはり存在した、と。

    ひと昔前は理解できない部分をみんなクズ扱いで「ジャンクDNA」と呼んでいたわけですが、
    今や「そのジャンクDNA、本当にジャンクなんですか?」という時代になってきましたねぇ。

    DNAとは別に独自の遺伝要素を持つ糖鎖だとか、あとレトロウィルスがやるtRNAのリードスルー(スリップミス)による触媒生成だとか、
    ゲノムまわりには面白いネタがいっぱい転がってて楽しそうです。できれば我々もファームウェアのHexダンプのようにDNA配列を
    見るだけでなく、デバッガつないで細胞内の反応をトレースしたり、逆アセンブルしたソースコードを見て改造してみたいものです。

    • 分子生物学分野はもうやたらと進歩していて,ものすごい勢いで教科書の書き換えが起こってますよね.凄いものです.

      >デバッガつないで細胞内の反応をトレースしたり

      こういう感じの測定法も徐々に出てきているようですね.
      特定のmRNAなどにくっつく相補的なRNA+蛍光タンパクの分子を作って細胞内に食わせておくと,細胞内のどの領域でどんなmRNAがどんなタイミングで集積していくか,なんてのをリアルタイムで観察できるそうです(しかもバックグラウンドで光って邪魔しないように,mRNAにくっつく前は光らないとか).最近そう言った研究報告を聞いてびっくりしました.

      親コメント
    • 「プリオンは進化を促進してるのか」

      ありそうですね。

      「エピジェネティク因子は進化を促進しているか」
      に置き換えてみます。さらに、
      「エピジェネティク因子はゲノムの多様性を向上させるか」
      と捉えてみます。

      ゲノムつまり(DNAの配列あるいは)遺伝子に変異がなくてもエピジェネティク因子により形質の多様性が増大。それが環境の変化に対応できれば淘汰されてなくなってしまう遺伝子が残り易くなり、ゲノムの多様性向上につながる。

      ゲノムに突然変異が起きたとき、そのままでは適応度が下がってしまう場合でも、エピジェネティク因子が作用してその変異をマスク(サプレス)すればやはりゲノムの多様性は向上する。

      エピジェネティク因子が適応度を上げるように作用するか、どうかは、運次第でしょう、突然変異と同じで。

      もとにもどると、プリオンは進化を促進している、と考えられそうです。

      親コメント
  • いつも面白い話をありがとうございます。

    エピジェネティクスの世界がまた更に広がったという感じがします。

    プリオン(スクレーピーなどの)のように煮ても焼いても性質が壊れない、酵母のプリオンのようにある種の遺伝因子として機能する、とまではいかなくても、もっと一般のタンパク質でも短時間ならば複数の準安定状態のうちのどれかが長く続き、細胞の機能を制御するようなことはありうるかもしれません。タンパク質の構造の安定性の違い、時間スケールの違い、あとは、特別な機能的差異があるかどうか、かもしれません。 DNAにもありそう、今日たまたま non-B DNA というのを読みました。

    ストレスをうけるとDNAの突然変異率が高まるような仕組みをバクテリアがもっているという話を聞いたことがあります。これか [livedoor.jp]あるいはそうでないか、記憶があいまいで。そのブログに紹介されているMolecular Cellのイントロにありそうです。

    ところで、酵母にはアポトーシスの仕組みがあるそうです。単細胞生物でプログラム細胞死したらもう終わりですね。これを聞いたときは驚きました。

  • この[SPI+/-]というタンパク質,機能とは関係ない側の末端に無駄に長いアミロイド化しやすい部分をぶら下げてるんだそうです.
    現時点ではこの末端部分の存在理由は特に見つかっておらず,「プリオンとして働くように,わざと構造が変異しやすい部分をぶら下げているのではないか?」という説が結構有力なのだとか.

    余計な部分をぶら下げるのはそれだけコストがかかりますが,それによってDNA以外の手段でのバラエティの確保&その特性の子孫への引き継ぎが出来るようになり,トータルでプラスになるようになっているのではないか?と.

    もしかしたら狂牛病なんてのも,本来はこういった生存に有利なようなプリオン的メカニズムが,何の弾みかちょっとやり過ぎた方向に行っちゃって弊害が出た例,とかなのかもしれません.
    (哺乳類でプリオン類がプラスに働いている例は今のところ見つかっていないと思いますので,単なる妄想ですけれど)

  • 単細胞生物でこういうことが起きるのだとすると、多細胞生物だと、発生の途中で環境が変わることにより、DNAは全く同じなのに一定の細胞集団ができるようなことにも影響していそうですね。でも、実験するにあたっては、制御すべき要素が増えてますます難しくなりそう。時系列で、「発生の初期段階の特定の環境が後で影響する」とか起きそうですし。

  • by Anonymous Coward on 2012年02月16日 17時56分 (#2100481)

    遺伝子は形質プリオンの夢を見るか

    形質プリオンは遺伝子進化の夢を見るか

    phasonはプリオンに形質進化の夢を見るか

    #なんていうか、フレーズが浮かんだ

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