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日記

yasuokaの日記: 現代社会学者の考えるQWERTY配列 4

日記 by yasuoka

丹羽敏行・河宮信郎・白井英俊の「キーボードの文字配列の改良研究」(中京大学現代社会学部紀要、第5巻、第2号 (2012年3月)、pp.165-183)を読んでみたところ、ノッケから以下の文章があって、かなりカチンと来た。

現行の「QWERTY配列」は英文タイプのキーボードを踏襲したもので,文字の使用頻度と整合しない不合理なものである(安岡・安岡,2008)。このことは周知であるが,世界中のユーザーが現行配列によくなじんでいるので,その変更に対しては(たとえ合理的な改善であっても)強い拒否反応がはたらく。

ふざけるな。私たち(安岡孝一と安岡素子)は『キーボード配列 QWERTYの謎』(NTT出版、2008年3月)において、QWERTY配列が「不合理」だなどと一度も書いていない。誤読するのは読者の勝手だが、論文で著書を参照するのなら、私たちの著書のどの部分を根拠として、QWERTY配列が「不合理」だなどという説が出てくるのかハッキリしていただきたい。特に「世界中のユーザー」とかいうくだりは、『キーボード配列 QWERTYの謎』pp.185-186に私たちが書いた

つまり、QWERTY配列がずっとアメリカ市場を独占してこれたのは、市場の独占をもくろむ生産者が必ず背後にいたからであり、ユーザーの意思とは無関係だったのではないか、と。そうでなければ、QWERTY配列の独占が、アメリカや日本やイギリスでだけ起こっていて、ヨーロッパの他の国には及んでいないことの説明がつかない。

と完全に矛盾している。私たちの著書のどこをどう読めば、そのような説に至るのか。正直なところ、丹羽敏行・河宮信郎・白井英俊の三者は、私たちの著書を全く読まずに「参考文献」に入れたのではないか、とすら思える。

そこまで言い切るのは、もう一つ理由がある。この論文は、Paul Allan Davidの『Clio and the Economics of QWERTY』(The American Economic Review, Vol.75, No. 2 (1985年5月), pp.332-337)も参照しているのだが、その内容がどう考えてもおかしいのだ。

このジレンマが経済学者の関心を惹き,ゲーム理論による分析の対象とされた。そこにおいて,①偶然的に成立したQWERTY配列(戦略Q)と②合理的に設計された文字配列(戦略D)の競合がゲーム理論で考察される(David, 1985)。

『Clio and the Economics of QWERTY』に、「ゲーム理論」なんて話は出てこない。「戦略」の「競合」とやらも出てこない。「ポリヤの壺」ならいざしらず、一体全体「参考文献」のどこを参考にして、この論文を書いているのか。その上、「キーボードの文字配列の改良研究」と題していながら、過去の「改良研究」を全くサーベイしていない(Dvorak配列すら文献を引いていない)のは、正直どういうことなのか。ぜひ、丹羽敏行・河宮信郎・白井英俊の三者に、説明を願いたい。

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