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日記

phasonの日記: アモルファスSiを電極としたリチウムイオン電池における予想外の挙動 3

日記 by phason

"Two-Phase Electrochemical Lithiation in Amorphous Silicon"
J.W. Wang et al., Nano Lett., in press (2013).

"In Situ TEM of Two-Phase Lithiation of Amorphous Silicon"
M.T. McDowell et al., Nano Lett., in press (2013).

ほとんど同じ実験を行った2つの論文である.こういった同じ研究結果が論文誌の同じ号に載るのは良くあることだが(片方の論文の査読中にほとんど同じ実験の論文が別のグループから投稿されると,編集者側が両方をまとめて同じ号に載せたりする),今回のこの二つの論文では投稿日時もほとんど全くと言っていいほど同じという珍しいパターン.1つめの論文はピッツバーグ大,中国科学院,ジョージア工科大,サンディア国立研究所による共同研究で,投稿は昨年の11月28日,修正版が今年の1月12日.2つめの論文はスタンフォード大,テキサス大オースティン校,パシフィック・ノースウェスト国立研究所,SLAC国立加速器研究所による共同研究で投稿が昨年12月3日,修正版が今年の1月3日と,両者とも実に接近した日時に同じ論文誌に投稿したものだ.webでの公開は当然ながら同じである(ほぼ同じ時期に投稿された同じ事を扱った論文の公開日時をずらすと,優先権関連でいろいろもめたりするため).

近年,リチウムイオン電池の用途が広がるのに伴い,いかにその容量を増やすか?という研究の重要性が増している.現在最もよく使われている電極材料は負極に炭素(グラファイト系物質),正極にコバルト酸リチウムなどを用いたものなのだが,これらの材料での容量改善はすでに限界に達しており,特に負極材料である炭素系電極は理論容量にほぼ等しい値が実現されてしまっている.つまり今後容量を増加させるためにはもっと容量の大きな新材料を用いる必要があるのだが,そういった観点から注目されている負極材料がSiである.炭素電極では,炭素がC6Liと言う化合物に変化することでLiを蓄える.この時に蓄えられる電荷は炭素電極1gあたり372 mAhである.一方,SiにLiが取り込まれていくと,究極的にはLi4.4Siという合金を作ることが可能で,この時の理論容量はなんとSi 1 gあたりで4200 mAhにも達する.実際には電極の安定性のため,もっとLiの少ないLi3.75Siなどで止めるのだが,それでも3600 mAh程度と炭素電極を遙かに超える容量が実現されるわけだ.
ところでこのSi系負極,自身の数倍という多数の原子を取り込むため充放電での体積変化がとんでもなく大きく,3倍程度に膨れあがったりする.この体積変化は電極材料である微結晶の崩壊などを招き,充放電による容量の低下を招きかねない.そこで,体積変化による電極の破壊をいかに防ぐか?というのは大きな研究テーマの一つとなっている.

さて,この電極の崩壊を防ぐ手段の一つとして提案されているのが,アモルファスシリコンの利用である.電極としてSi微結晶を用いると,LiがSiの結晶を壊しながら中に入っていくのだが,その際に相境界が発生する.つまり,充電の途中では「多数のLiが入って,Si同士の結合がズタズタになったアモルファス相」と「結晶を保ったままの純粋なSiの相」という二つの異なる相が生じその境界部分に大きなひずみがかかり,これが電極を構成する微結晶の崩壊につながっていると考えられている.ところがここでアモルファスシリコンをスタートにすると,アモルファスというのはそもそも結合がランダムでぐちゃぐちゃなものであるから,Li原子はその中にどんどん均一に入っていくことが可能となり,充電中は「全体的にLiの少ない均一なアモルファス相」から「全体的にLiが増えてきた均一なアモルファス相」を経由し,最終的に「Liをみっちり含んだアモルファス相」に行き着く,と考えられているからだ.これにより,電極寿命が延びるのでは?というアイディアになる.
なお,結晶Siをスタートに用いても,一度充放電を行うと「Si-Si結合がズタズタに切られ多量のLiと混じった相」からSiが析出することになるため,以降の充放電ではアモルファス相となっており,それ以後の挙動は大きくは変わらないと考えられている.つまる最初からアモルファス相を使うというのは,初回の充放電で受けるダメージ(微結晶の大きな割れなど)を減らし,それが後々の寿命に効いてくるのを予防する,と言うようなものだ.

そこでようやく今回の論文である.
著者らは,この「初回のダメージがアモルファスシリコンを使うことで軽減される」と言うのを直接観察しようと電顕でのその場観察を行ったのだが,その結果は予想とは大きく異なるものであった.
まず実験の説明をしよう.その場観察を行うため,著者らは導電性のワイヤーにアモルファスシリコンの粒子を担持したサンプルを作成した.2つのグループで使っている導電材料がカーボンファイバーなのかSiナノワイヤーなのか,乗せている粒子が大きめの粒子なのかナノ粒子なのかなど細かい点は違うが,結果はほぼ同じである.
そしてそのサンプルとは別に,金属Liも用意する.こちらはごく短時間だけ酸素に触れさせることで表面を酸化リチウムに変え,これが固体電解質としてLi+のイオンだけを通す役割を果たす.
さて,実際の観察では,真空中でこれら二つの材料を接触させ,電顕で観察しながら電圧を印加,金属Liの棒からLi+が出て行きアモルファスシリコンの粒子に吸収されていく様子をその場観察している.
その結果であるが,なんとこれまで言われていた通説とは異なり,アモルファスシリコンであっても初回の充電時には「Liの多い相」と「Liの少ない相」にくっきりと分かれ,その界面にストレスがかかっていたのだ.
この電顕によるその場観察のムービーがSupporting Informationとして公開されている.

1つめの論文:Supporting Information (Movie 1つ)
2つめの論文:Supporting Information (Movie 4つ)

最初はやや濃いめに見えているSiの部分が,軽原子であるLiの進入とともに電子密度が下がりやや明るく見えるように変化していく様子が見て取れる.いやはや,最近の電顕は実に強力な分析手段であることを実感させる.
1つめの論文ではこの初回充電時に発生する謎の界面の様子をとらえたものだけだが,2つめの論文ではさらに放電や2回目の充電時にはこのような相境界は発生しないことも確認している.
つまり,アモルファスシリコンを用いても,初回の充電時にはLiがSi-Siの結合を切るのに時間がかかり,その結果「すでに結合が切断され,多数のLiに囲まれたSiの相」と「Liがなかなか切れないSi-Si結合を切ろうと四苦八苦している界面」,そして「まだLiがやってきておらず元のアモルファスシリコンのままの相」という領域に分離しているわけだ.
2度目の充電時にはこのような境界が見られない点に関しては,内部に入り込んだLiの一部が放電時にも抜けずに残存して,それが次回の充電時に他のLiを呼び込む抜け道になっている可能性や,一度充電されることで単なるアモルファスシリコン以上に構造がグズグズに崩され,次回のLiの進入が容易になっている可能性が挙げられている.
2度目以降の繰り返しの充放電では相境界が現れないことが,これまでの研究でこのような相境界の存在が見過ごされてきた理由なのでは無いか?とも書かれている.つまり,チェックなどのために一度充放電を行ってしまったセルは,分解して調査してももう相境界は発生しない.この相境界を発見するには,第1回目の充電段階から電顕でその場観察をする必要があるわけだ.さらに,電顕観察時に照射する電子線強度を上げすぎると,電子線によりSiの構造が壊されるためにこの相境界は見えにくくなるらしい(電子線で破壊されたところから,Liが進入しやすくなる).電子線強度を上げた方が像が明るく見やすくなるので実験しやすく,そういった点でもこれまで見逃されてきた可能性がある.

最近は電顕を用いたその場観察がずいぶん利用されるようになり,様々な面白い事実が明らかとなってきている.今回の現象も,ここからさらに研究を重ねていけばSi系負極の劣化メカニズムを解明し予防できるようになる可能性があるわけで,製品開発上も重要なものとなり得る.

バブル崩壊後に日本の各電池メーカーが基礎研究部分をカットしてしまった結果,残念ながら日本はLiイオン電池劣化メカニズムの解明に関しては非常に出遅れてしまっている.
当時,「面倒なメカニズムの解明なんてやるより,理由がわからなくても容量が増える手法を開発できればそれで良いんだよ」と材料開発に集中した結果である.当時はそれがうまいこと選択と集中となり容量増で力押しできたのだが,今になって基礎部分の足腰の弱さが露呈し始めており,今後の日本の電池メーカーの先行きはなかなか厳しいものがある.
(2年ほど前に某Liイオン電池大手メーカーの偉い人が「これからは産学連携も含め,基礎を固めるのが大事なんです」とか力説していた.手遅れで無ければ良いのだが,手遅れっぽい雰囲気も……)
まあかといって,当時から基礎につぎ込んでいたらそもそも今まで生き残っていなかった可能性もあるので,なかなか難しいところもあるのだが.

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  • by Anonymous Coward on 2013年01月22日 23時40分 (#2310927)

    >手遅れで無ければ良いのだが,手遅れっぽい雰囲気も……

    ええ、手遅れですとも。
    材料分野でも、化学は日本の最後の砦、とか言われてましたが、アジア圏の猛追くらってます。
    基礎をないがしろにしてしまった報いです。

    >当時から基礎につぎ込んでいたらそもそも今まで生き残っていなかった可能性もあるので,なかなか難しいところもあるのだが.

    そんなことはありません。
    今みたいにバッサリ無くさずに、シュリンクしても残しておけば良かっただけの話。
    少数の基礎研究人員も養えない会社は、そもそも立ちゆきません。
    それに、次のネタを探すのも研究の役目です。
    それをやめてしまった時点で、お先真っ暗なのは見えているのです。

  • by Anonymous Coward on 2013年01月23日 0時33分 (#2310949)

    原著には当たっていないのですが、一回充電すると、放電後もLi原子の入る隙間が維持されたまま、単に潰れた状態になる、ということは無いのでしょうか。「構造」といっても、準結晶みたいなものというよりはタンパク質の高次構造みたいなものでしょうか。たとえて言えば、潰したスポンジの中にビー玉をいくつも押し込もうとすると、1回目はスポンジの繊維を切らないと押し込めないけれど、ビー玉を抜いて最初と同じようにスポンジをぺちゃんこに潰した後で、1回目と同じ箇所にビー玉をはめこむのは簡単、のような。

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日々是ハック也 -- あるハードコアバイナリアン

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