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日記

phasonの日記: 正負逆の質量を持つペアによる自発的な加速 9

日記 by phason

"Optical diametric drive acceleration through action-reaction symmetrey breaking"
M. Wimmer et al., Nature Phys., in press (2013).

二つの物体間に力が働くと,作用とそれに正反対の向きを持った反作用が同時に生じる.例えば二物体間に引力が働けば,両者は逆向きの方向に加速され,重心位置を変えないまま相対速度が変化する.これはニュートンによる運動の第三法則であり,非常に重要な項目だ.
さてここで,正の慣性質量を持つ通常の物体Pと,負の慣性質量を持つ物体Nとのペアを考えてみよう.もちろん通常は負の質量などというものは存在しないので,これは仮想的なものである.PとNとの間に引力が働く時,PはNの方へと引きつけられる.その一方で,Nにはそれと逆向きの力……つまりPの方へと向いた力が働く.さて,Nが負の慣性質量を持つことを思いだそう.という事は,F = maの関係式でmが負の場合の結果に従えば,Pの方向に向いた力がかかると,負の慣性質量を持つ物体NはPから遠ざかる方向,つまり通常の物質とは逆へと加速される.すると何が起こるか?PとNとが近くに置かれると,両者は勝手に同じ方向へと加速を続けながらすっ飛んでいくのだ.

力の向き
P→  ←N
加速される向き
P→   N→

この奇妙な運動はR.L. フォワード(「竜の卵」のあの人である)によっていろいろ検討され,diametric driveという宇宙船の推進方式として提案されている.要するに,棒の片側に正の質量物質,反対側に負の質量物質をくくりつけておくと,両者の間の引力(斥力でも良いが)により棒(とそれにくっついた二物体)は燃料も推進剤も無しで勝手に加速していく,というものだ.こんな奇妙な運動にもかかわらず,運動量とエネルギーは保存している(正の質量の運動量やエネルギーが増えた分,負の質量の運動量やエネルギーがマイナスにるため).もっとも,負の慣性質量を持つ物質などというものはもちろん見つかっておらず(ただし,存在するかも?という仮説はある),こんな推進手段は現実のものとはなっていない.

ではここで目を違う分野へと広げてみよう.結晶中の電子など,周期的ポテンシャルの中を運動する波においては,その(準粒子としての)質量はバンドの曲がり方に依存する.その準粒子の有効質量は,「エネルギーを波数で2回微分したものの逆数」に比例するのだ.このため,バンドのどの位置を占める電子なのかによって,有効質量は正であったり負であったり,ゼロであったり無限大であったりする.
固体物性論に慣れていない人にはわかりにくいかも知れないが,これはどういうことかというと格子による反射のようなものが混ざるからだ,と思えば良い.
例えば有効質量が負の電子であれば,電子を加速する方向に電場なり何なりで力を加えると,格子により反射されて逆方向に向かう波束が増えてしまうという位置にいる.結果として,加えた力と逆方向に粒子が加速される=負の有効質量と見なせる,というわけだ.格子による反射などを,全部粒子そのものの性質に押し込んだために生まれる見かけの質量である.
つまりこういった系では,ある意味負の質量が実現できているわけだ.ならば前述の,「正と負の質量のものを組み合わせると,勝手に加速してすっ飛んでいく」というような事が,固体中の電子のようなものなら実現できるのでは無いだろうか?

そういう発想で行われた実験が,今回の論文である.ただし今回用いられたのは電子では無く光となる.しかし,光に対し周期的なポテンシャルを作るのは面倒くさい.正確に言えば短い距離の構造なら出来なくは無いのだが(フォトニック結晶など),それだと一瞬で光が通り抜けてしまうので,「正の質量を持った光と,負の質量を持った光が互いに引力を及ぼし合い,同じ方向にすっ飛んでいく」というのを確認するのは困難だ.そこで今回は,ちょっとトリッキーな方法で周期的なポテンシャルを用意した.
まず,光ファイバーをループ状にしたものを二つ用意し(この二つのループは微妙に長さが違う),それらを1箇所で接触させる.この接触点では,光は1/2の確率で二つのループの間を移動できる.つまり一周するごとに,光の集団の半数が反対側のループへと流れていき,反対のループを一周した光の半分がこちらのループに戻ってくる.ただしループの長さが微妙に異なるので,戻ってきた光は元の光子群と少し位相がずれて重なってくる.入射した光がループをぐるぐると何周も回る間に,位相のずれた光が(時間的な意味で)周期的に注入される.これが一種の「時間軸方向の周期的ポテンシャル」として働き,光は構造をとるようになるのだ.
「何周も同じ所をぐるぐる回っている」という経路を仮想的に直線上に展開し,「超長い直線をずっと進んでいる」というふうに解釈し直せば,この時間的なポテンシャルは空間的な周期ポテンシャルと一致する.例えばスタート位置に1箇所だけハードルが置かれた陸上の一周200mのトラックをぐるぐる回っているというのは,「同じポテンシャルが,一周する時間ごとに繰り返される」(時間的に周期的なポテンシャル)であるが,走っている人からしたら「凄く長いコースに,200mおきにハードルが置いてある」(空間的に周期的なポテンシャル)と等価であると言うことだ.

ここに生じる光の波束の運動は,バンド構造を作る.そして「正の有効質量を持った光の波束」というものと「負の質量を持った光の波束」というものを作る事が可能になる.次は両者の間に相互作用を持たせないといけないが,それは光ファイバーそのものの非線形性を利用した.光の強さが強いほど位相のズレが大きくなる,というものによって,「一方の波束しか居ない」場合と「波束が重なっている場合」とで違いが生じるわけだ.つまり,波束がバラバラでいる時と,近くに居る時とで応答が変わる.これは二つの波束間の相互作用に他ならない(言い方を変えると,「相互作用と見なせる」となる).
実験をまとめると,
・光にとって周期的なポテンシャル(と呼べるもの)を作る
・その結果「正の有効質量」の波束と「負の有効質量」の波束を作る事が可能になる.
・媒体の非線形効果により,複数の波束間には相互作用が働く
というわけだ.

結果は,要点だけ抜き出せば非常に単純なものだ.理論からの予測通り,二つの波束は同じ方向に加速されたのだ.つまり,「正の質量の物体と負の質量の物体が相互作用すると,同じ方向に加速してすっ飛んでいく」というのが実際に観測されたと言えよう.
ただし,今回用いているのが波である,と言う点の影響も現れている.正の質量を持つ波束が自己束縛的なソリトンであるのに対し,負の質量の波束が不安定な塊であるため,両者の相互作用の結果負の有効質量を持つ波束がどんどんばらけて崩れていってしまっているのだ.その結果,二つの波束の相互作用による加速はどんどん効果を減じ,あまり加速が効かなくなっていっている.

まあ,負の質量の物体が見つかる見込みは(少なくとも当分は)無いので,これが発展してdiametric driveが実現する,なんてことは無いのだが,著者らは「波束の新たなコントロールの手段として考慮してみては」と提案している.よく知られたように,光は現代の量子効果の検証・利用だの,様々な計測や通信などに使われている.今回見られたような効果を使って,波束を相互作用させてその周波数をずらすことが可能になるので,そういった波長コントロールとしてどうよ?というわけだ.
まあそういった方向に使えるかどうかはともかく,あのdiametric driveが(非常に限定的とは言え)実際に動いたというのは感慨深い.

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  • うなり、によるみせかけの波というか、カメラの撮影でのホイールの逆転運動(っぽいもの)の逆というか...

    みたいなのを想像したけど、ちょっと違うな(たぶん)

    --
    M-FalconSky (暑いか寒い)
    • 単純化すると,

      1. 引っ張る力が発生
      A→      ←B

      2. 結晶格子(周期的ポテンシャル)との相互作用により,左に引っ張られたBが反射され右に
      A→       B→

      3. 結果,A,Bの間の引力だけで,AとBが両方右向きに加速される

      という感じですかね.凄く単純化しちゃってますけど(反射,の一言で言ってしまったあたりとか).

      周期ポテンシャルとの相互作用の結果もまとめて取り込んで粒子と見なすと,独立した正負の質量を持った2粒子の間に引力が働くだけで右向きに加速していっているとして扱える,という.

      親コメント
  • by yonghwi (38590) on 2013年10月16日 11時35分 (#2477644) 日記

    P→   N→
    Nが逃げてPが追いかけるように書かれていますが、
    引力の式からPに働く引力が負(斥力)になってNから逃げ、
    Nに働く引力Fも負になるものの重量mも負のため加速度が正になり結果としてPを追いかける構図
    ←P    ←N
    になると思います。

    ところでこれと関係ないのですが、
    宇宙には物質ばかりがあって反物質がほとんど見つからない理由としてCP対象性の破れということになっていますが、
    私は昔、ぼくのかんがえたうちゅうろんとして、
    荷電粒子は+とーが引き合うように+と+、-とーが引き合う別のパラメータがあって、
    ーはー同士どこかにすっ飛んでいって宇宙を形成し、
    こちらの世界には+物質しか残っていないからだと思っていました。
    益川さんに直接聞いてしまう前に、「そんなアホなことはない」といってください。

    • >引力の式からPに働く引力が負(斥力)になってNから逃げ

      「働く力が引力の場合」を扱っているので斥力にはなりません.一般的な相互作用としての「引力」(起源は問わない)です.
      また,慣性質量は負にしていますが,重力質量(万有引力に関わる質量)に関しては特に負にしていませんので,万有引力だとしても斥力になる理由は無いと思います.

      >こちらの世界には+物質しか残っていないからだと思っていました。

      かつてはそのような理論もありました.
      宇宙には物質と反物質がそれぞれ濃い領域があって,たまたま我々の周りだけ通常物質が多いのでは無いか?という話ですね.
      ただ,現在までの所,物質(反物質)だけを寄せ集める力というものが確認されていないので,ほとんどの人はそういったプロセスは考慮していません.将来的に,物質と反物質間で斥力となるような何かが見つかればまた話は変わってきますが.

      またそういった斥力が働くにしても,銀河系レベルの巨大な領域できれいに分かれる,というのも考えにくいため,そういったモデルを考えている人は非常に少数派です.
      (全く居ないわけでは無い)

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  • 質量が負でも発生する重力場は普通の重力場なのね?
    今回のはそういうのを作ったんだろうけど。
    # ヒッグス粒子的にはどうなんだろ。負の質量って。

    • >質量が負でも発生する重力場は普通の重力場なのね?

      どういう質量を考えるか,なのですが(何せほとんど全てが仮定の上の理論なので),「慣性質量は負,重力質量は正」という感じで置くとそうなりますね.今回のはどうなんだ……
      重力とかほぼ無視できる系なんで考えてませんでしたが.

      >今回のはそういうのを作ったんだろうけど。

      まあ,「見た目の慣性質量」(周囲との相互作用の結果も,「本人の質量のせいだ」とひとくくりにして扱う記法)が負になってるだけですんで,重力質量とかは多分正のままですね.多分ですけど.

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  • by Anonymous Coward on 2013年10月15日 23時52分 (#2477428)

    そこら辺の金属や半導体調べてみたらその効果が表れてる物質が見つかりそうだなと思う。
    固体中電子の速度はバンドの傾きだから,バンド観測が間接的な証拠になるのだろうか?

    • ログインを忘れていたよ…
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    • 原理的にはバンド内のキャリアでも似た効果は出るはずだとは思うんですが,観測は難しいんじゃ無いかと.
      #まあ実際,簡単に観測できるなら既にやられているはずなわけで.

      いくつかすぐに考えつく問題点としては,

      ・通常の導体中ではキャリアが多すぎて,運動量の再分配が起きてしまいパケットの運動としては消える(見えない).
      ・バンドの底(こっちはまあ安定)と頂点(ここに少数キャリアはとてつもなく不安定)に少数ずつのキャリアを発生できたとしても,電子の場合は媒体(結晶格子)などとの相互作用が強すぎるためにすぐに緩和して落ちる.

      あたりでしょうか.
      #真面目に検討したわけではありませんが.

      親コメント
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長期的な見通しやビジョンはあえて持たないようにしてる -- Linus Torvalds

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