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言語は音楽を決定するのか? 121

ストーリー by Oliver
体に刻み込まれたもの 部門より

MIYU曰く、"カリフォル州・La Jollaにある神経科学研究所のAniruddh・Patel博士達が、クラシック音楽の作曲家達が創り出した旋律が、その生まれ育った国の話し言葉が持つ音程を反映していた、という研究結果を発表するそうです。(Nature Web News訳文
この研究では、フランスとイギリスの作曲家達によって創作されたクラシック音楽の旋律について、「音程の間隔」の幅が測定され、それが作曲家達の母語(話し言葉)が持つ「音程の間隔」を反映した物だと報告されています。この研究グループは2年前に、音楽の持つリズムには作曲家達の母語が持つリズムとの相関性が有ると発表していましたが、今回の旋律の分も合わせて、母語は作曲家達に大きな影響を与えているかもしれない、と語っています。(参照図
2001年に、東京芸大と国立精神・神経センターの共同研究で、 作曲家達が音楽を聞いた場合には側頭平面の左側が活発に活動する (一般人の場合は右側が活発に活動する)という事が報告されていましたが、 この領域は言語の処理を行っていると考えられているそうです。
音楽は作曲家の内面を伝える「言葉」だ、と表現される事が有りますが、それが実際にその人の母語に源を持つかもしれないという今回の報告は、言語は思考を決定するのか?という話と同様に、非常に興味深いものに思えます。これは、音楽を聞く側にも何らかの形で影響する物なのでしょうか?"

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • by magicME (10732) on 2004年11月12日 10時42分 (#651379)
    この論文では単に言語が音楽に及ぼす影響の有無みたいなのを
    述べてるだけのようですが、それが決定とか規定とかの見出しで
    語られるのはちょっとまずいんじゃないかなぁと思います。

    今回のような割と生得的性質に近いものが
    その後の行為に及ぼす影響を規定する、みたいな話が出ると、
    影響はあるだろうが誤差の範囲とか、実は数%にも満たないとか
    そういう議論を経ずにいきなり断定的な話に飛んじゃいそうで・・・。

    愚かな杞憂にすぎない気もするんですが、
    こと音楽では科学的な考察抜きで「才能」がよく議論されますし
    「だから○○人は音感がないんだね」みたいな話とか
    上に出ている「だから日本人はラップが合わない?」みたいな
    話はその最たる例なような気もします。
    (ラップ云々はもっと人間と音楽の本質に関わる問題っぽいのでここでは置いとくとして)

    揚げ足取りとか重箱の隅をつつくような話な気もしますが
    ちょっと引っかかりを感じる人もいるということで。

    以下オフトピなんですが
    愚かな杞憂ってもしかして腹痛が痛いみたいな表現なんですかねぇ?>教えて偉い人
    • by MIYU (17727) on 2004年11月12日 22時28分 (#651609)
      この研究は、言語を含む文化の交流が少なかった時代には、 母語が音楽に強い影響力を持っていたのではないかという部分について、研究者達が上手く関連づける解析手法を見つけた、と主張しているというものです。
      タレコミの原題は、「クラシック音楽には国籍が有った?」で、 論文の内容から見て無難なものを付けたつもりですが … 無難でない方が選ばれちゃったのよねw

      > 今回のような割と生得的性質に近いものが
      > その後の行為に及ぼす影響を規定する
      言語は生得的というよりは学習される物で、同様に音楽的な技能も 学習されるものだと思います。で、音楽は人から人へと伝わるものなので、普通は共通に理解できる物(rhythm、melody、harmony)で創られているわけですが、母語の持つリズムや音程の間隔という、「明示的に音楽的な技能としては学習されていない物」(Oliver編集長が「体に刻み込まれたもの」としている部分です)が、楽曲に反映されているというのは面白い気がしました。PCで自動生成させた旋律が必ずしも心地よくないというのは、そういう部分が情報として抜けているからなのでしょうか?

      つい最近まで「音は消えて残らない物」だったことも影響するのでしょうが、多分心地よくない音は伝えられずに消えてしまったのですよね。それならば、現代のような様々な言語・音楽・文化が周りに有る状況で、でも多分一番多く耳にするのは母語だという場合、「聴く側」が心地よく感じる部分は何にどの程度影響されるものなのだろうか? というのがタレコミの後半部分、2001年云々から後なのですが、話の持っていき方が良くなかったな、と思っております。(自分の中に有る物を形にして外側の誰かに伝えるのは、言葉にしても、音楽にしても、多分他の何であっても難しい事で … まぁそれが才能なのでしょうね)

         # その時の「気分に合った曲」が有るのがまた不思議ですよね
      親コメント
  • 「サルでも描けるまんが教室」1巻のLesson23「ウケるロックまんがの可能性」で書き言葉のリズムに関して
    ちょっとばかし記述があるので、言語と音楽との関係は日本語にもあるかと思った。
    --

    /* Kachou Utumi
    I'm Not Rich... */
  • 声楽の伝統を考えれば (スコア:2, すばらしい洞察)

    by moreau (10365) on 2004年11月12日 8時34分 (#651336) ホームページ 日記
    当たり前の気もしますね。
    紹介して下さった記事ではエルガーとドビュッシーの名前が出てますけど、所謂クラシックの世界はオーケストラとかピアノだけではなく、教会の合唱曲やらオペラ、その他声楽の伝統もあって、メロディをある程度言葉(アクセントとか)にあわせて作ってたわけですから、器楽の方にも少なからず影響を与えているんじゃないかと。

    # Early Music系の合唱をずっとやってたのでID。
    • by Anonymous Coward on 2004年11月12日 8時54分 (#651338)
      イタリア/ドイツ/フランスオペラを比べると、まさにそういう気がしますね。

      うろおぼえなんですが、グレゴリオ聖歌などの中世以前の教会音楽は旋律の跳躍が少なく音価も余り変化しないものが多いようです。これらも中東(パレスチナのほうがいいか)やローマ時代のあちこちの言語の反映なんでしょうか。
      そういえば古代ギリシアの音楽はまともに音になっていないとその昔習いましたが(パニアグワの録音とかは別にして)、最近の研究だと何か進展あるのでしょうか。
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    • by watayan (143) on 2004年11月12日 8時56分 (#651340) ホームページ 日記
      生まれてしばらくの間に一番たくさん耳にする意味のある音が親たちの話す言葉である以上,自分の中にある「意味のある音」がそれに影響されるのは自然なことだろうと思います。
      親コメント
    • ましてや日本語の様に音程型のアクセントであればなおさらでしょうね.

      そう言えばアメリカだかイギリスだかのミュージシャンが, 同国人が日本語のアクセントが聞き取れないと言っていたのが感覚的に理解できない. あきらかに音程が変わっていると何かに書いていたのが印象的でした.

      # 「日本狂詩曲」は国辱音楽だったらしいのでID

      親コメント
    • ぼくもうろ覚えですけど,昔のオペラは,イタリア語でないとノリが悪いとかで,
      ドイツでもイタリア語で歌ってたんだけど,モーツァルトぐらいから
      ドイツ語で歌えるオペラってのが出来て来たんだとか何とか.
      その頃は,歌った人も聞いた人も,初めはすごく違和感あったんだろうなぁ.
      東北弁のロックンロールと同じくらいの違和感なんでしょうかねW

      今だと,「ドイツ語はオペラに向かない」なんて,とても想像できませんけどねー.
      親コメント
  • by voices (16831) on 2004年11月12日 9時16分 (#651345) 日記
    新しい音楽の種は、希少言語の部族が担っている。

    先見の明のある音楽プロデューサーが、探検隊を
    雇って、未開の地へスカウトへ出かける日も近い?

  • by gendohki (16311) on 2004年11月12日 9時50分 (#651357)
    古賀政男 [fukuoka.jp]のいわゆる古賀メロディーは、日本語を洋楽に乗せるというのにこだわった結果らしい。
    という話を聞いたような記憶があったのだけど、ソースを見つけだせず。
    「演歌」のススメ [dti.ne.jp]という本があるけど、読んでないもので。
    読んだ人のレビュー [ok-corp.co.jp]はこんなカンジらしい。

    歌だけで言えば、意味が伝わらなければ無意味なんだろうから、
    必然的に言葉を乗せやすいメロディーにならないとおかしいのだけどね。
    ここ数年の日本の歌は曲から先に作って詞を乗せてることが多いからなぁ……。
    --
    --
    「なんとかインチキできんのか?」
  • by TxG (7966) on 2004年11月12日 13時18分 (#651452)
    言語二つでそう結論付けるのはどうなんだろう。
  • by Anonymous Coward on 2004年11月12日 8時55分 (#651339)
    日本語って英語などとちがって脚韻を踏みにくいとよく言います。
    (頭韻は楽に使えるが)
    西洋のようにロックだのラップだのリズム重視の歌モノが発生する
    土壌ではないのかもしれませんね。

    流行の日本語ラップでも韻を踏むためにかなり歌詞が
    強引なことになっている気がします。
    (体言止めの乱発、倒置法の多用とか)
    英語がわかる人が英語のラップを聞いても
    そういう違和感は感じるものなんでしょうか?
    • by Ryo.F (3896) on 2004年11月12日 9時36分 (#651352) 日記
      > 日本語って英語などとちがって脚韻を踏みにくいとよく言います。

      日本語は脚韻を踏みやすいと思います。
      例を示します。
      この段落は、脚韻を踏んでいます。
      「ですます調」の文章は、ほぼ必ず脚韻です。
      あと、文節ごとに「ね」を挟むような文でつなげば簡単に脚韻を実現できます。
      でもそれは全然面白くないので、体言止なんかと併用した脚韻を使うわけです。

      > 西洋のようにロックだのラップだのリズム重視の歌モノが発生する
      > 土壌ではないのかもしれませんね。

      それはむしろ、脚韻が踏みにくいことよりも、音節が単純であることに原因があるような気がします。日本語の音節は、(1)子音+母音か(2)母音のみの何れかです。英語なんかの音節構造に比べると単純さが際立ちますね。普通、歌は一つの音符に一つの音節を乗せていきます。そうすると、リズムの単純さがさらに際立ってしまいます。サザンオールスターズなんかの曲を聴くと、工夫してるなぁ、と思ったもんですが。
      後、音の強弱でなく高低でアクセントを表現するのもリズムを単純にしている原因だと思います。
      そういえば、一番・二番と続く歌で、歌詞によって一部旋律を変えたりする場合もありますね。

      > 英語がわかる人が英語のラップを聞いても
      > そういう違和感は感じるものなんでしょうか?

      私は英語に強くないんですが、脚韻って技法は、違和感を感じさせることに意味があるものなんじゃないでしょうか。普通に文章を作ってても脚韻にならないから、脚韻の文章は耳を惹くわけです。
      最初のことと関係しますけど、日本語の場合は普通に文章を作っていても脚韻になりますから、別の技法と組み合わせないと耳を惹かず、意味がないわけです。
      親コメント
      • えぇっと、同じ単語(この場合助動詞)を
        使った場合は「韻を踏んだ」とは言わないのでは?
        --
        Kiyotan
        親コメント
    • by heavensgate (21016) on 2004年11月12日 11時30分 (#651408)
      そういえば昔某コンピュータRPGで出てきた詩で、首を捻った記憶が……

      あとあと調べてみたら、その詩、チャールズ・ドジソンという数学の先生が、たしか教え子に出したラブレターで……詩の各行の先頭を繋げると、その教え子の名前になる、というシロモノでした。

      今だと縦読みの一言で済まされるのだな(笑)

      ※さてこの某RPGが分かる人はどれだけいるだろうか?
      --
      -- To be sincere...
      親コメント
    • > 日本語って英語などとちがって脚韻を踏みにくいとよく言います。

      日本語での脚韻と聞いて、鬼才・佐伯健三作詞の「昆虫軍」(歌は戸川純or少年ホームランズ) を反射的に思い出しました。
      「まなこ複眼脳がなっ・いーー!」「超音波でおはなーしっ・いーー!」
      ・・・このくらいの引用なら某Jも見逃してくれるじゃろう。

      #少年ホームランズといえば「電車でGO!」を思い出しますな。
      #同名のゲームを初めて見たとき、「なんちゅうマニアックなタイトルや!」
      #と思ったっす。
      親コメント
  • by NOBAX (21937) on 2004年11月12日 9時49分 (#651355)
    日本語が生まれ,育つにあたって、既存の音楽の影響を受けなかったのかと言えばそうとも言えないでしょう。
    相互に影響しあうというのが正しいでしょう。
    日本人の呼吸器の構造とか顔面の骨格や筋肉の付きかたのような身体的特徴や、コミュニケーションを取るのに関係する地形、風土だって、言語や音楽に大いに影響を及ぼしています。
  • by Ryo.F (3896) on 2004年11月12日 9時52分 (#651359) 日記
    > 作曲家達が音楽を聞いた場合には側頭平面の左側が活発に活動する

    まぁ、当たり前のような気がしますね。例えば五線譜は言語そのものです。事実、五線譜に書かれたものの大半は、MML(Music Macro Language/音楽マクロ言語?)で表現できますよね。まぁ、普通の言語が伝えるような明確な意味というものはないわけですが。
    クラシックの作曲家クラスになると、音楽を聴くと五線譜が頭の中に浮かぶでしょうから、まさに言語処理をやっているわけです。
    • 面白いのよね、これが。なんてったって、言葉が聞き手によって解釈が違っちゃうのと同じように、楽譜も演奏家によって解釈が違っちゃうんだもの(w。そいで更にややこしいことに、同じ記号や指示命令を書き込むにしても、地域や時代によっては扱い方・捉え方が違ったり (装飾符を拍の頭に置くのか前におくのか、とか)。ジャズなんて、楽譜が在って無いようなものだしね (コードしか書いてなかったり、繰り返し記号の連続で「これを○小節繰り返す」みたいな書き殴りだったり、「この辺でフィルイン」みたいに書いてあったり ^_^;)。

      --
      むらちより/あい/をこめて。
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      • by SteppingWind (2654) on 2004年11月12日 12時11分 (#651425)

        クラシックでもプッチーニの「蝶々夫人」で, 本来なら日本のお寺の鐘が「ご~ん」と鳴るべきところ(楽譜でちゃんと指定してある)が, 初演されたイタリアのスカラ座には銅鑼しか無くて「どわ~ん」と鳴ったのが今日まで続いちゃっているなんてのもありますね.

        ベートーヴェンのメトロノームによる速度指定についてもなんだかんだと論争が続いているみたいですし.

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    • by TxG (7966) on 2004年11月12日 13時13分 (#651450)
      日本語の達人たる我々が日本語を聞いても文字列が頭に浮かばないのと同様に、
      音楽を聴くと五線譜が頭の中に浮かぶ
      てことはないんじゃないかと。

      # 思い浮かべる事はできるのかもしれませんが、リアルタイムで描く事はできませんよね。

      音楽を聞くということが記号処理としてとらえられているであろうということに異論はないです。
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      • by ticky (17030) on 2004年11月12日 14時22分 (#651467) 日記
        えぇと、音の認識にはいくつかパターンがあるようで、
        1.音楽を聴くと、ドレミで聞こえる
        2.音楽を聴くと、五線譜上の音の位置が浮かぶ
        ようです。後者は私にはよく分かりませんけど。
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  • by TxG (7966) on 2004年11月12日 9時58分 (#651361)
    作曲家達が音楽を聞いた場合には側頭平面の左側が活発に活動する(一般人の場合は右側が活発に活動する)という事が報告されて…
    こっちのほうはなんか理論とかの処理のせいじゃないのかなぁ
  • 意義あり (スコア:1, 興味深い)

    by Technical Type (3408) on 2004年11月12日 10時11分 (#651364)
    日本で育っても、ロックが好きだ、いやあんな騒々しいのは音楽じゃない、ヒップホップが好き、いやあんなのは無理やりビートに歌詞を載せただけで音楽とは認めがたい、演歌が好き、いやあんなの百年一日のごときワンパターンで聞いていられない、などという大幅な個人差があるというだけで、この説は否定されるのでは。

    生まれ育った環境において聞いた音楽と言語の切り分けができていないというのが、この説の根拠製に疑問を感じる所。イギリスやドイツで育てば、その国のクラッシック音楽を聴く機会が多いだろうけど、その影響は言語の影響によるものだという結論は、正しい比較がなされた上での結論ではない。脳がどうのこうの、という主張は、まやかしの議論でよく使われるし。 「イギリスやドイツで、もっぱら雅楽ばかり聞いて育てたグループと比較」とかすればきちんとした議論ができるだろうけど。

    実際は、もっと単純な事なんじゃないか。人間は、聞き慣れていない種類の音楽は、快く思わない。アラブの音楽は日本人には奇妙に聞こえる。これは、半音階を使っているので、根本的に旋律が異なる。しかし、子供の頃から半音階の音楽を聴きなれていれば、それを心地よく感じるだろう。声調言語でないアラビア語圏において、半音階という複雑な旋律が使われている事でも、この説は否定されそうに思いますが。

    もちろん、歌詞のある音楽の場合は、言語の影響を受けるのは当然です。開音節言語と閉音節言語では、音符の割り振りが全然違いますから。でも、この説では「音楽は」と一般化しているので、それは当てはまらない。

    • Re:意義あり (スコア:3, すばらしい洞察)

      ある特定のジャンルの音楽を聴いて好きになることと、そのジャンルで音楽を作ることとは、違うと思います。聴いてていいなぁ、と思う音楽でも、同じような音楽が作れるかというと、それはまた別のお話です。

      逆に、同じジャンルを受け継いだ音楽が、育てられる国によって味わいが変化することと、今回のお話とで、相関性があるように思います。もっとも、歴史的に考えて、音楽が先か、言葉が先か、といわれちゃうと、それはなんとも言えないですけどね。形式的な音楽学は言語より後かもしれないけど、音を楽しむ慣わし自体は、言葉を得るより先だったのかもしれないし。

      # 同人系ネタモノ系ロッテルダムテクノは大好きだけど、おいらにそれを作れる自信はまったく無いので ID (;_;)/

      --
      むらちより/あい/をこめて。
      親コメント
  • >これは、音楽を聞く側にも何らかの形で影響する物なのでしょうか?

    もし音楽を聴くとき、その構造を意識して聴いているなら、影響されるかもしれませんが、そうでなければあまり関係かも。

    音楽が言語に近いと感じるのは、ロジックと音(音声)が結びついているからです。だから、作曲は作文やプログラミングに近い感覚がありますね。論理構築ですから。
    • >あまり関係かも。

      「あまり関係ないかも」の間違い。スマソ

      ついでに書くと、サウンドが与える情緒面の影響だけを意識するのであれば、今回ような話は関係ないと思います。

      情緒への影響はもっと多様な要素に左右されるので、単純には論じられません。
      親コメント
  • by kydxnq (24897) on 2004年11月12日 12時30分 (#651433)
    中学生ぐらいの時に授業で習ったこと覚えていますか?
    答えを見ずに3つとも思い出せたら偉い!!

    答えは、リズム、メロディ、そしてもう一つがハーモニー。

    この研究はリズムについてのみの結論なので、メロディやハーモニーを含めた「音楽とは」という話に発展させるのは無理があると思います。

    音楽の原理は意外に単純なモノが多く、例えば旋律はその最もたるもので音が上がれば人間は興奮する下がれば消沈するなどなど。これは言語以前の感覚であって、普段使っている言語が多少個人個人の感覚に多少の影響は合ったとしても、強い影響があるとは思えないですね。
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長期的な見通しやビジョンはあえて持たないようにしてる -- Linus Torvalds

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