パスワードを忘れた? アカウント作成
10664 story

60年ぶりに理研のサイクロトロン図面が見つかる 52

ストーリー by yosuke
科学者の楽園にて 部門より

teltel曰く、"読売新聞の記事によると、1944年に理研で作られた第2号サイクロトロンの図面が、仁科記念財団の一室で60年ぶりに発見された。このサイクロトロンは直径150cmの磁極を持った当時最先端の装置であった。しかし、太平洋戦争末期の厳しい状況下であまり活躍することができずに敗戦を迎え、その後GHQ占領下で核開発の装置と誤解され、解体、破棄された。
見付かった図面は縮尺1/2の全体図など、約10枚。11~12月に国立科学博物館の特別展で展示される。
サイクロトロン(Cyclotron)は加速器の一種。電荷を持った粒子が磁場の中でローレンツ力を受けて曲がるのを利用し、円運動させながら電場をかけて加速する装置。加速した粒子を他の粒子や原子に衝突させて反応を見ることで粒子の性質、原子核の構造を調べた。ちなみに理研の第1号サイクロトロンは世界で2番目に作られたものである。"

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • by Anonymous Coward on 2005年08月16日 0時41分 (#782140)
     八木・宇田アンテナの発明のように、戦前の日本の科学レベルが決して低くないって 自分では分かりきってると思ってたんだけど、気付かないうちに刷り込まれた「戦後の輝かしい発展と進歩、戦前/中の停滞(ちょっと言葉悪いです)」 から目覚めさせてくれたのが、最近電子情報通信学会から出た 「○×年のあゆみ」っていう2枚組のDVD。
     戦前の信学会ができる前の論文から収録されてるんだけど、自分ではそういうつもりなかったんだけど、心のどこかで、正直大した論文無いだろうな、、と眺めてみたら。。。
    正直衝撃を受けました。正直「これは軍関係の人だから論文になってるな」っていう雑談を延々と語るようなクズ論文もあるのは事実ですが、多くは本当にレベル高い! いや現代と遜色ないです。今の(基礎研究系)論文の多くが焼き直しに見えてしまうというのは言い過ぎかもしれませんが、素晴らしい論文が数多くありました。
     自省するとIREなら後のIEEEと連続的に見てるのに、日本の学会の論文は戦前と戦後で勝手に線引きしていることに気付きました。
    (ベル研技報/Physical Reviewを神のお言葉と仰ぎ、戦前の積み重ねを黙殺した風潮もあったのは事実じゃないでしょうか?): だからこその戦後の日本の発展と言うのも解釈の一つですが
     IEEE Exploreのように自分のコンピュータで自由に眺める機会もなかった戦前の日本の論文ですが、海外の研究と同様に、日本の研究も戦前/戦後を通して連続的にレベルが高いと身にしみて痛感致しました。
     私は理学系でない、工学系の人間ですが、理学系もきっと戦前のレベルも実際に図面や論文に触れてみれば驚くほど高いと実感できると思います。
    戦後アメリカに破壊され、未だに芽吹かない工学系分野もありますが、、、
    • by tsurukame (19590) on 2005年08月16日 3時15分 (#782172)
      上の#782167の続きになりますが、そして私は戦前の技術水準が
      単に「高いか低いか」を議論しても意味がなく、そこからどのような教訓を得るかが大切だと思っているのですが、

      仁科研究室の評価として田島先生の本を引用を続けます。

      「仁科先生の学会に対する貢献を一口で述べるのは困難だが、あえて言うならば、当時まったく後進国であった日本に近代物理学を導入し」「それまでは実験物理学といえばせいぜい狭い実験室規模のものであったが、先生によってサイクロトロンという巨大な原子核破壊装置を用いた原子核研究が日本に根を下ろした。」
      (田島先生は仁科先生の弟子なので過大評価しているかもしれませんが、当時の研究者の意識としては、こんなものでしょうか)

      また大サイクロトロン(二号機)建設のいきさつについて、
      「その頃、留学中の嵯峨根さんによって、(サイクロトロンの開発者の)アメリカのローレンス教授も同じようなことを考えていたがわかった。そこでこの両者は、建設は協力」「アメリカで二機を一緒に製作し、そのうちの一機を日本に送る方が」「安いことがわかった。当然、日本はアメリカに注文した。」とあります。

      当時の物理学は、日本が必死に世界を追っていた時代ではないでしょうか?
      親コメント
      • by tsurukame (19590) on 2005年08月16日 4時12分 (#782178)
        上でアメリカに注文したのは電磁石です。

        理研では、「加速箱」(荷電粒子が走るチューブ)の真空度を上げるのに非常に苦労したようです。ついにはあきらめて、1940年9月頃にローレンス教授の所に教わりに行くことにした。しかし、日米は臨戦態勢になり、ローレンス教授には会えなかったが、教授は助手を通じて、論文を託した(教授のぎりぎりの友情)。

        この論文が非常に参考になり、「私達はこれを見た時,「なるほどナー」と深く感嘆した。そして電磁石以外の主要部分を、すべて突貫工事で改造することにした。」

        「ある物理学者の生涯」(p55)より。
        親コメント
    • 理工系の学生は徴兵猶予もありましたし、人材豊富だったのでしょうね。
      それに兵器開発ということで予算も豊富だったのでしょう。一説によると、仁科氏は原爆の理論を確立したとしても、日本の工業力では製造は不可能であると知りながら(それどころか米英でも製造できないと予測していた)、予算獲得のために研究を進め、その一部を基礎研究に割り当てていたとも言いますし。
      親コメント
    • そういえば (スコア:0, すばらしい洞察)

      by Anonymous Coward
      医学の分野でも、日本が進んでいたけど、米国が持って行っちゃったのがありましたね。731部隊の人体実験の研究なんかね。あのときは研究者を免責して、研究者ごとかっさらっていきましたよね。
      • by Anonymous Coward
        地下鉄サリンのデータ。
        地震じゃ出張らない米軍が素早くウワナニヲスル
      • by Anonymous Coward
        まあ非人道的な実験をたくさんやっていたので‥‥
        証拠隠滅のため捕虜も殺しちゃいましたし。
        • by Anonymous Coward
          証拠は?。物証があることを聞いた事が無いのですがね。

          そういえば、先日の朝生で731部隊の所属だったという元少年兵の方が出て、731部隊の「悪行」を「証言」していましたけど、彼は「マルタ」と称される人達には会ったことが無いそうで。

          はて、何が真実なんでしょうねぇ?。
          • by Anonymous Coward
            「七三一部隊作成資料」とかいうのが既に出回ってるんで、図書館などで探してみよう。

            # 何か、つい先日もアメリカの公文書館で
            # 何か見つかったとかなんとか。

            > 物証があることを聞いた事が無いのですがね。

            そんな時代遅れのブラフをかましてないで、
            もし自分がそう思うなら、積極的にそれを支持する証拠を見つけ、
            更にそれを人々に納得させなければいけないよ、ボウヤ。
            それが世間一般の認識と異なるならなおさらだ。

            > そういえば
            • by Anonymous Coward
              さて、と、面白いね。実に。

              >「七三一部隊作成資料」とかいうのが既に出回ってるんで、図書館などで探してみよう。

              君はその本の情報の出所をきちんと把握してるのかい?。まさか、本の内容を鵜呑みにしただけで、人をボウヤ扱いした訳ではないよねぇ?(w。

              > 仮にその人の証言が嘘だとしても、それ
  • Cyclotron だと思います。
    # 手元のペーパーバッグの Webster と Dashbord 上の Oxford ではそうでした。
    --
    mobile ID portable_NoGood [slashdot.jp] 併用中
  • ちょっと見 (スコア:2, おもしろおかしい)

    by susineko_kan_chan (22745) on 2005年08月16日 0時25分 (#782134) ホームページ
    「第1号サイクロトロン」の写真がニコニコ顔の金属製ロボットに見えてしまった人、この指とまれ。
    #前に出されたお皿を「いっただきま~す」
    --
    ハイバネーション(=冬眠)中。 押井徳馬(・(T)・)
  • 増えるワカメちゃん (スコア:1, おもしろおかしい)

    by Anonymous Coward on 2005年08月16日 0時51分 (#782145)
    ここで海に捨てられたサイクロトロンを理研職員がこっそり回収。
    試運転を行うと何故か電子線が出てこないため調べると、内部に入り込んだ海藻が電子線を受け止めていたためだと判明。
    電子線を浴びたこの海藻は一見干からびた状態に見えたが、お湯を注ぐと...

    というような噂を効いた覚えがあるのですが。どなたか詳細を知りませんか?
  • 先生! (スコア:1, おもしろおかしい)

    by Anonymous Coward on 2005年08月16日 5時01分 (#782181)
  • なんだよ (スコア:1, おもしろおかしい)

    by Anonymous Coward on 2005年08月16日 12時31分 (#782317)
    仮面ライダーのアレかと思った
    • Re:なんだよ (スコア:2, おもしろおかしい)

      by akiraani (24305) on 2005年08月16日 14時20分 (#782371) 日記
       いやいや、宇宙生命体というのも。デスクロトロンと戦っているのですよ。最近ではユニクロトロンなんてもあるようです。
      --
      しもべは投稿を求める →スッポン放送局がくいつく →バンブラの新作が発売される
      親コメント
    • by Anonymous Coward
      (´・ω・)人(・ω・`)ナカーマ
  • by Anonymous Coward on 2005年08月15日 23時35分 (#782093)
    GHQはその価値を知っていたからあえて破壊したんでしょ。
    • この辺のことは、当時(サイクロトロンを所有していた)仁科研究室に所属していた田島英三先生(昔々、講義を受けたことがあるので、あえて「先生」とします)の「ある原子物理学者の生涯」(新人物往来社 1995年)が詳しいです。

      ただし、田島先生は「中性子散乱」という原爆に関係する研究をしていたにもかかわらず、「核エネルギー開発研究は軍の最高機密事項で、仁科先生もこのことに関しては必要な人にだけ必要な事項を述べるだけで」「私たちも気を廻して」(必要なこと以外は)「触れないようにしていた」とのことで、「日本の核エネルギー開発研究の全容を的確に知ることは今では困難である。」と記しています。

      田島先生は、資料と経験から、原爆開発の三本の柱のうちの一つとして、

      「第三の柱はウランの同位体ウラン・238とウラン・235を分離することと、ウランに関する基礎データをすることである」ので「仁科研で原子核を研究していたグループはサイクロトロンを用いて基礎データを測定することを担当した」(田島先生は遅中性子捕獲の研究を担当)と述べています。

      このように、サイクロトロンと原爆は全くの無関係ではなく、かなり微妙です。

      ただし、サイクロトロン廃棄のいきさつとして、「ついに十月、サイクロトロンを用いて医学・生物学の研究をしてもよいという許可を得ていた」のに「十一月の二十五日の早朝、大小サイクロトロンおよび...主用機器を撤去するという通達を受けた」とのことで、田島先生自身が直接切断の指示をして、非常な屈辱を覚えたと述べています。
      親コメント
      • 補足のような蛇足のようなコメントで恐縮ですが ^^、原爆開発の歴史のおさらいです。

        当時ウラン濃縮の方法として、サイクロトロンを使った電磁分離法の他に6弗化ウランを使う、気体拡散法、超遠心分離、熱拡散法が検討されていましたが、それぞれの方法は一長一短でした。
        結局アメリカが成功した方法は、まず気体拡散法で低濃縮ウランをつくり、これをさらに電磁分離法にかけて高濃縮ウランを得る、という方法でした。
        サイクロトロン(実際には濃縮専用機ですが)だけでは原爆の材料をつくるには収量が悪過ぎ、気体拡散法と組み合わせる必要があったのですが、そもそもサイクロトロンがないことにはそれに気付くこともできません。

        もう一つ、戦争突入直前に原爆の燃料としてウランの他にプルトニウムも使えそうだという予測がイギリスでされましたが、当時イギリスにはこれを実証できる設備がなく、実験で確かめられたのはアメリカで、サイクロトロンで重水素を加速して得られる中性子線をウランに当て、効率的にプルトニウムの試料をつくることに成功できたからです。
        ちなみに実際の長崎型原爆の燃料のプルトニウムの製造は、黒鉛炉を使って行われました。

        まとめると、サイクロトロンだけでは原爆はつくれないことは確かです。 しかしサイクロトロン無しでは、原爆の製造方法を確立することはできなかったでしょう。

        親コメント
      • by Anonymous Coward on 2005年08月16日 15時35分 (#782399)
        > 田島先生は「中性子散乱」という

        ええと、「中性子散乱」を使った研究をしている者ですが

        > 原爆に関係する研究をしていたにもかかわらず

        中性子散乱=原爆と言われますと、ちとアレです
        うちの方では中性子散乱と言えば物質の構造の研究に使っています

        > 仁科研で原子核を研究していたグループはサイクロトロンを用いて基礎データを測定することを担当した

        原爆を作りたくてサイクロトロンを作ったんでしょうかね。サイクロトロンで研究をやりたくて、その為には軍を喜ばせてやることが必要な時代だったんじゃないですかね。

        とは言え中性子科学が原爆と無関係ではないとはおっしゃる通りでしょう。ついでに言えばここ数日、中性子の古い論文を遡っていたら、1940年代のエンリコ・フェルミやエドワード・テラーの論文に到達しましたが、それらはきっと原爆の為の基礎データを取った残りの成果だったんでしょうな……。
        親コメント
        • >ええと、「中性子散乱」を使った研究をしている者ですが

          >> 原爆に関係する研究をしていたにもかかわらず

          >中性子散乱=原爆と言われますと、ちとアレです
          >うちの方では中性子散乱と言えば物質の構造の研究に使っています

          すみません。原爆のことを話題にしていたので
           中性子散乱=原爆
          と受け取れる表現をしてしまいました。

          私が学部の頃に、田島先生の弟子にあたる人たちが、コックロフト(もう知る人はいないでしょうね)使って発生した中性子を他の物質に当てて、中性子断面積を測る実験をしていたこともあり、そのへんは(専門は違いますが)よく聞いていたのですが。

          >原爆を作りたくてサイクロトロンを作ったんでしょうかね。サイクロトロンで研究をやりたくて、その為には軍を喜ばせてやることが必要な時代だったんじゃないですかね。

          理研のサイクロトロンは一号機(小サイクロトロン)と二号機(大サイクロトロン)がありますが、小サイクロトロンの建設の頃は核分裂は発見されていなかったので、当然、小サイクロトロンと原爆は関係ないでしょう。
           彼らのモチベーションは、現在の研究者と変わらないと思います。
          ==========
          以下蛇足ですが、
          主に田島の本から(田島先生の業績を、特に戦後のそれを、もっと知って欲しいとの思いもあり)まとめると

          (1) 1934年 フェルミにより、「種々の元素に中性子を照射することにより新しい新しい放射性元素が造られることを発見」
           さらに「ウランに中性子を照射すると」「原子番号93の新元素がつくられることを予測したが」「確認できなかった」
          (2) 1936年理研(小)サイクロトロン建設(湯浅光朝「科学文化史年表」による。田島先生はまだ学生で本に記述無し)
          (3) 仁科・木村のグループはサイクロトロンを使ってフェルミの予測の確認する実験をおこなうが、非常に多くのβ崩壊が観測され、どんどん原子番号の大きな元素が生まれるという矛盾に悩む。
          (4) 1938年の暮 ドイツのO.ハーンとF.ストラスマンが核分裂を発見、翌年学会誌で発表(これにより、(3)の矛盾は解決、実は彼らは核分裂を観測していた)
          (5) 田島によれば、仁科は小サイクロトロンの完成の近づく頃から
          、より大きなサイクロトロンの建設構想を抱いていた。

          ですから、彼らが原爆の生産を目指していたわけではないのは明らか(核分裂の存在を知らずに、建設計画を推進していた)ですが、また当時の研究の興味の中心が(原爆とは直接結びつかないにせよ)核分裂に向いて行くのも、当然の流れでしょう。

          また大サイクロトロンの建設の予算要求では当然原爆(というか核開発)の可能性にふれていると思います(政府・軍部との折衝は仁科が一人で行ったようで、ごく一部のものしか知らない)

          田島は、1940年頃は「陸軍でも海軍でも核エネルギーに注目し、それぞれ別々に小グループをつくって秘かに検討していたが、ようやく指導的立場にある科学者に接触し始めた頃である。」としている。
          また、1944年の戦時研究動員会議に提出された書類で、「(1)重量210トンの電磁石を有するサイクロトロンを用いて、強力な放射性元素を生産すること」と(2)その応用研究をすること、と書かれているのを1982年になって初めて見たと書いている。
          親コメント
    • by Anonymous Coward
      無知故の破壊なので基本的に焚書と同じ。
    • by Anonymous Coward
      ならば破壊ではなく没収してアメリカで使えばいい。

      アメリカの科学者からも非難の声があったそうだが?
  • by Anonymous Coward on 2005年08月16日 0時40分 (#782139)
    はじめから地図に描かなきゃならんような大きさのものだったわけでは
    ないんですね。
    • Re:なんだ (スコア:2, 参考になる)

      by Anonymous Coward on 2005年08月16日 9時04分 (#782216)
      荷電粒子は、その運動方向に垂直な磁場がかかると円運動を行います。
      その円運動の周期は、磁場が一定なら、その直径にかかわらず一定です(ただし相対論の効果があるときはその限りではない)。
      従って、円運動の直径が大きいと、粒子の速度は速くなります。
      サイクロトロンはこの原理を利用してます。
      つまり、サイクロトロンの中心から出発した荷電粒子は、D電極と呼ばれる電極により少しずつ円軌道を広げながら円運動を行います。
      つまりは、螺旋軌道になるわけです。
      そして、この螺旋軌道全体に一定の磁場をかけるのですから、サイクロトロンの直径と同じだけの大きさの磁石が必要になってくるのです。
      逆に言えば、製造可能な磁石の大きさが、サイクロトロンの大きさを決定してしまうのです。
      親コメント
      • Re:なんだ (スコア:3, 参考になる)

        by tuneo (2938) on 2005年08月16日 12時33分 (#782319) ホームページ 日記
        サイクロトロンなんて大学受験以来ご無沙汰なのですが、アレな記述があまりに多いのでツッコミを少々。
        # 親コメントを「参考に」すると赤っ恥をかきます。

        > 荷電粒子は、その運動方向に垂直な磁場がかかると円運動を行います。
        荷電粒子の運動方向と磁界の向きの両方に垂直な方向に力(ローレンツ力)が加わり、均一な磁界でかつ粒子の「速さ」が一定であればローレンツ力の大きさは一定になるので、結果として粒子が等速円運動するのです。

        > 従って、円運動の直径が大きいと、粒子の速度は速くなります。
        因果関係が逆。加速されて粒子の速さが大きくなると、円運動の半径が大きくなるんですよ。後述の仕組みで荷電粒子が加速されていくと徐々に円運動の半径も大きくなり、その結果として荷電粒子の軌跡が螺旋になるのです。

        > サイクロトロンはこの原理を利用してます。
        そんな原理はありません。D電極の対にかけている電圧を周期的に変化させ(つまり交流電圧を印加している)、D電極とD電極の隙間に発生する電界で荷電粒子を加速しているのです。

        ……と一通りツッコミを入れてみました。

        厳密なアレはともかく、元理系学生の一般ピープルの感覚的な理解はこんな感じでよろしいですよね?>電磁気学専門の方。

        昼飯時に物理なんてやるもんじゃないと思うのでID。
        親コメント
      • by Anonymous Coward

        > 製造可能な磁石の大きさが、サイクロトロンの大きさを決定

        最近はセクター型サイクロトロンの開発により、さらに大型化が進んでいます。(五号サイクロトロンなど)

    • by Anonymous Coward
      そういうのはサイクロトロンとは呼びませんよ
    • by Anonymous Coward
      ふむふむ。これならコメットに10基積めるな
typodupeerror

私はプログラマです。1040 formに私の職業としてそう書いています -- Ken Thompson

読み込み中...