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進化生物学者E. Mayr死去 享年100歳 7

ストーリー by Acanthopanax
the-Darwin-of-the-20th-century 部門より

Anonymous Coward曰く、"Harvard大学公報およびThe Scientistの記事によると、著名な進化生物学者にしてHarvard大学名誉教授Ernst Mayr氏が現地時間2月3日朝に死去したとのこと。享年100歳。
氏は80年近くにわたる研究生活の中で「生物学的種概念の確立」「異所的種分化理論の発展」などの功績を挙げ、鳥類学、分類学、体系学、進化生物学そして生物学哲学と生物学史において多大な貢献をなされた。平成6年度には日本学術振興会国際生物学賞を受賞している。まさに20世紀の進化生物学の体現者であった。3年前のGould昨年のMaynard Smithに続きまた一人、この分野の巨人が世を去ったことになる。"

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  • 用語解説 (スコア:4, 参考になる)

    専門外の人には分かりにくいかもしれないので、解説など。

    マイアの生物学的種概念というのは、ある生物集団と別の生物集団とが同種かどうかを判断するのに、互いに交配可能で、かつ他とは生殖隔離されているかどうかを基準とするものです。

    異所的種分化とは、それまで地続きだった場所が、地殻変動で分離されるなどして、地理的に隔離されると、もともとは同じ種だった生物が、それぞれ別々の環境に適応することにより、別種へと進化していく過程をいいます。

    詳しい解説は、河田雅圭の「はじめての進化論」 [tohoku.ac.jp]の「種とは何か」 [tohoku.ac.jp]や、「生殖隔離と種分化」 [tohoku.ac.jp]などを参照ください。

    • 書き直しているうちに、必要条件と十分条件で混乱してしまったので、自己フォロー。

      生物学的種概念: 種=互いに交配可能で、かつ他とは生殖隔離されている生物集団の集まり、です。

      親コメント
      • さらに混乱 (スコア:2, 興味深い)

        by shiraga (14233) on 2005年02月06日 2時15分 (#689530)
        ここらへんの事を考えていると、私はいつも混乱します。

        交配可能/不可能とうい問題にはサイズの問題が含まれます。
        例えば昆虫(クワガタとか)はオスとメスの生殖器(交尾器)のサイズ(形もだけど)が同じでないと交尾(=生殖)出来ない。
        実際、交尾器のサイズが亜種判定などの1つの要素として使われます。

        それを踏まえて。

        「では犬はどうなんだ?」と。
        チワワからセントバーナードまで同一種(Canis familiaris)ということになってますよね。
        では、セントバーナードとチワワは交配可能か否か?
        通常の方法では物理的に困難だが、人工授精なら可能だろうな、と。
        クワガタ的判定では「異種」ってことになってしまいます。

        「通常の方法では受精不可能だが、人工授精してやれば、ちゃんと生殖能力を持つF1が生まれるもの?」は同種か異種か?

        犬の場合は、人間が手を加えて来た過程を知っているから、元は同一種だと「知っている」わけですが、それを知らない者(例えば異星の人)が犬を見たら、まず1つの種とは考えないだろうな、と。
        では、私たちが種を分類する時に、同じ錯誤をおかしていないと考えるのは、あまりに楽天的に過ぎるだろうと。

        結局「種=互いに交配可能で、かつ他とは生殖隔離されている生物集団の集まり」という指標はたいていの場合うまく機能するが、完璧ではないんだろうなぁと思います。
        DNA調べりゃ系統の近遠は分かっても、種を分ける閾値はわからないしねぇ。
        親コメント
        • タレコミ人です(ログインしてなかったんでACになってますが)。おはようございます。

          現在「記載」されている「種」は「生物学的種概念」に基づいて認定されたものではありません。ますそこが分かっていないと混乱するのも当然でしょう。

          分類学者によって「種」を認定する基準はまちまちですし、分類群によってもまちまちです。
          つまり「記載種」は何らかの統一的基準に基づいたものではありません。
          あるとしても「形態的に区別できる」くらいです(細菌類を除く)。
          分子生物学的手法によって初めて区別できるような種がありますが、そのような生物集団を種と認定するか、それは分類群によります。
          特に化石、細菌類とそれ以外の分類群での違いは大きいと思います。

          ということで私は「記載種」はただの「共通語」「名前」であって、無いと不便だから付けているに過ぎないもの、と割り切っています。
          そこには系統学的正当性も何らかの種概念的正当性も全く必要無いと思いますし、現実に必要とされてないと考えています(特定の分類群に限定した場合は必ずしもこの限りではない)。
          なので個人的には重複記載の整理はともかくとして(それもどこまで正当なのか疑問がありますが)やたらと高次分類(界門網目科属)を変更しまくったりするのは名前の利便性を下げてその存在意義を低下させるので勘弁して欲しいと思っていたりします。
          種名の変更される前の昔の論文を読んで苦労されたことのある方ならおわかりいただけるのではないでしょうか。
          系統学的正当性が著しく低いことが明らかになった場合に整理したくなるのも理解はできるんですが。

          まぁそういうことも一つの理由となってPhyloCode(系統学に基づいた新たな生物命名規約)は登場したのではないでしょうか。
          どうせ焼け石に水だしコンセンサスが得られていない新たな規約なんて何の意味があるのかと私は思ってますが。

          なんかオフトピ気味ですが勘弁。
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          • by shiraga (14233) on 2005年02月07日 3時32分 (#690051)
            オフトピなので、遠慮しつつ…。
            現在「記載」されている「種」は「生物学的種概念」に基づいて認定されたものではありません。ますそこが分かっていないと混乱するのも当然でしょう。
            う~む、以下のような理解で良いでしょうか?
            ====ここから====
            そもそも「種」とは何か?
            DNA上の変異の蓄積より生物が変化し、それが進化/種分化の原因とするなら、ある個体Aと別の個体Bを同種あるいは別種と規定する明確な境界は必ずしも存在しない。
            ある個体Aと別の個体Bの表現型が十分大きく隔たった時(たとえば交配不可能とか、交配可能であっても生殖可能なF1を生じないとか)「別種」だと人間が信じているだけである。
            しかし、この考え方では、種の違いは必ずしも遺伝的な差異の大小と関連しない。
            結局、現在の種分類は「人間は自身が理解出来る尺度でしかものを測ることが出来ない」という限界の範囲内で分類を試みてきた結果である。
            ====ここまで====
            やたらと高次分類(界門網目科属)を変更しまくったりするのは名前の利便性を下げてその存在意義を低下させるので勘弁して欲しいと思っていたりします。
            学名をあくまでインデックス(単なる名前)と考えれば、その通りだと思います。
            その一方「全ての生物を進化学的系統に従って分類し、それに基づいた名前をつける(名前を追って行けば系統が明らかになる)」という理想もあるわけで。
            大変な作業だし、過渡期での混乱は不可避ですが、長期的に見れば(何世代が後のことかも知れません)生物学的に意味のある分類法に移行するメリットはあるんじゃないかと思います。
            PhyloCodeもそういう哲学に基づいているのでしょうか?

            ただ、例えばゲノムの差異だけをもとに系統に従って機械的に分類しようとすると「外見は似た者が系統的には離れている」「系統は離れているのに外見には似ている」なんてことも生じかねないわけで、感覚的に納得しづらい事態も起こりえますね。
            親コメント
  • by Anonymous Coward on 2005年02月05日 16時48分 (#689387)
    享年には「歳」はつけないのでは?
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