よくできた科学は信仰と区別ができない 124
ストーリー by hylom
次はぜひ2次元の女性を見たときの反応と3次元の女性を見たときの反応をお願いします 部門より
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よく出来てない科学も by ふぉるしぃ 曰く、
NewsWeekの記事より。科学的事実を受け入れるときと宗教的信条を認めるときとで、脳内にて同じプロセスが行われていることがfMRI画像による脳内診断によって明らかになった。この研究を行ったのはUCLAのSam Harris氏らで、PLoS Oneに論文が発表されている。
研究では、「イエスは天に昇り、御父の右の座に戻っている」という信条に即座に同意するような敬虔なキリスト教徒15人と、「イエスが昇天したなんて信仰は事実ではない」というような無神論者15人を対象に調査を行った。被験者に対し、それぞれfMRIの上で信仰、信仰の否定、そして経験的に立証可能な簡単な事実についての記述をスクリーンに投影した文章を読ませることで、脳の活動を測定したという。
その結果、どの場合も前部前頭葉皮質の自己意識を支配する領域が活動していることが明らかになったとのこと。NewsWeekの記事いわく、「脳という観点からすると、宗教的信条と経験的なデータは同じもの」だそうだ。
科学にせよ信仰にせよ (スコア:2, 興味深い)
対象が何であれ自分が信じていることを述べているだけなんだから、そのときの脳の状態に変わりがないというのは当たり前な気がするけど。
当たり前のことを検証するのも科学でしょうか。
この実験結果から導きたいことはなんでしょね。
Re:科学にせよ信仰にせよ (スコア:4, 参考になる)
この実験結果から導きたいことはなんでしょね。
筆頭著者のHarrisってひとが無神論者で2005年に「PEN/Martha Albrand賞」をとった“The End of Faith” [amazon.co.jp]の著者ってのも踏まえてみると分かる。
wikipediaだけど [wikipedia.org]
「「神による禁忌」って思ってるものって、単に経験的事実なんだよ。」(豚は不浄←寄生虫に注意、みたいな)ってのがこの人のもともとの主張で、脳内情報処理もそうなってましたね、ってこと。
Re:科学にせよ信仰にせよ (スコア:1, 参考になる)
非常に参考になるのですが,一点.
> 「「神による禁忌」って思ってるものって、単に経験的事実なんだよ。」
をHarrisが主張していることについて,
>> His main argument is that all our beliefs, except those relating to religious dogma, are based on evidence and experience.
を引用するのはイマイチではないでしょうか?
後者は(意訳すると)
人間が信じる行為は,宗教的なドグマに関係するもの以外は事実や経験に基づくものだ
なので,逆ですよね?
Re:科学にせよ信仰にせよ (スコア:2, 興味深い)
科学者からすると、信仰ってのは論理的思考に基づくものではない。
したがって、科学的思考をするときと、脳の活性部位が違ってるかもしれない。
じゃぁ見てみよう…
うーん、変わらんな…
まぁそれはそれで興味深いから、論文書いて投稿しよう。-> NewsWeek の目に留まる
てなとこじゃないすかね。それにしても「脳というの観点からすると」ってどういう観点だ。
Re:科学にせよ信仰にせよ (スコア:1)
結論、
化学者は論理という神を信じているんですよ。
Re:科学にせよ信仰にせよ (スコア:3, すばらしい洞察)
キリスト教徒の方は、神によって世界が創られたことを信じて疑わないかもしれませんが、科学者の立場であれば、いろいろ仮説や理論を立ててうまく説明を試みようとして、でも批判や反証を受けてよりよく修正したりして、もっともらしい説明を求めようとするんだと思います。
科学も宗教も信じているものが物理法則か神かでまるで一緒だよ、という人がいますが、上のように反証可能性を認めるかどうかに違いがあるんだと思います。
Re:科学にせよ信仰にせよ (スコア:3, 参考になる)
> キリスト教徒の方は、神によって世界が創られたことを信じて疑わないかもしれませんが、
> 科学者の立場であれば、いろいろ仮説や理論を立ててうまく説明を試みようとして、
> でも批判や反証を受けてよりよく修正したりして、もっともらしい説明を求めようとするんだと思います。
聖書の何処だかに
「神は人が自らの知恵によっては神を知ることができないように神自身を隠している」
ということが書いてあります。
ですので例え科学者が実験や理論によって神の存在を明らかにしても
キリスト教徒は「それは神ではない」というでしょう。
Re:科学にせよ信仰にせよ (スコア:1)
「そんなのはテレポーテーションじゃない!」と言っても無視されてるんだから、「それは神ではない」と言っても無視されるだろうなー。
the.ACount
「反証可能性」と「遡及可能性」 (スコア:1)
信仰には、「反証可能性」に相当するものがないのかといえば、
そうは言えないと思います。ある命題が「反証可能」であれば、
採用する、不可能であれば採用しないというのが、「反証可能性」
が実際に意味するものです。
信仰においては、伝統的な教義(過去に遡及できる命題)なのか、
新興の教義(過去に遡及できない命題)なのか、というものさし
があって、伝統的な教義なら正しい、新興の教義なら正しくない
と判断する訳です。その意味で、「遡及可能性」とでもいうべき
判断の基準があるといえます。
こうなると、信じている体系と基準が違うだけですから、宗教も
科学も脳みその反応レベルでは同じなのは当然だと思われます。
------ nori2
Re:科学にせよ信仰にせよ (スコア:2, 興味深い)
科学者が信仰しているのは科学思想、経験則、「物理法則の存在」の仮定だよ。論理ではない。
論理的な宗教者もたくさんいる。論理を用いて自らを擁護している。
ただし、論理を用いている対象が検証できない未知のものだから、記号を変えるだけで
すぐに空飛ぶスパゲッティになってしまうわけだ。
#もう!栗栖ちゃんはお茶目なんだから!
新人。プログラマレベルをポケモンで言うと、コラッタぐらい
Re:科学にせよ信仰にせよ (スコア:1)
化学者・・・科学者(T_T
#アビゲイルだったかなあ、そんな台詞
Re:科学にせよ信仰にせよ (スコア:2)
なにせ宗教国アメリカの大学ですもの。
# 進化論よりも優れた理論が出てきて進化論が否定される、というのならわかるが、「それは聖書の記述に反するから否定」されちゃう国ですから。日本の感覚ではよくわからない事情があるんじゃないかなぁ。
Re:科学にせよ信仰にせよ (スコア:1, すばらしい洞察)
一回真偽を認識すると、二回目以降の判定は記憶に基づいてショートカットする、ということじゃない?
そうなれば、科学と宗教を分けるのは、一回目の真偽を認識するプロセスと、自分の信念に論理的で正当な反論をぶつけられたときの応答(つまり新たな矛盾する命題に対する一回目の真偽判定)、と言える。
Re:科学にせよ信仰にせよ (スコア:1, すばらしい洞察)
信仰心の有無に関わらず、考え方は同じだから、その人の既成概念に反しない形で論理を組み立てれば、非科学的なことでも信じさせられるということでしょう。
当たり前のことを検証するのが科学です。検証しないうちは宗教と同じ。
自分は科学的に思考をしていると信じている人を打ちのめすための研究なんでしょう。
Re:科学にせよ信仰にせよ (スコア:1)
>当たり前のことを検証するのも科学でしょうか。
ニュートリノの存在を実験で確認することは、科学じゃないですか?
何がどこまで当たり前か? 本当にそれを当たり前としていいのか?
それは、決して簡単な問題ではありません。
---
科学は決して、絶対的に正しい理論ではありません。
今までに私たちが体験したことを説明するために、今までに考え出されたものの中で、最もそれらしいものを科学と呼んでいるにすぎません。
今日では、科学は相当に発展し、かなり多くの事象を矛盾なく説明できるようになっていますが、まだ科学で説明できないこともありますし、理論も完全に完成されているわけではないし、「最もそれらしい」の基準は非常に曖昧です。
そんな科学が、宗教をバカに出来ますかい?
# 科学で解明できていない部分になら、神様がいてもいいじゃないですか。
# そう思いつつ、科学を信仰しています。
1を聞いて0を知れ!
Re:科学にせよ信仰にせよ (スコア:1)
変革を続けてる科学が、現状に合わせた修正もできない宗教をバカに出来るのは当然だろ。
the.ACount
Re:科学にせよ信仰にせよ (スコア:1)
自分で確認したことだろうと、人から聞いただけのことだろうと、信じれば同じこと。
科学者だって科学的事実全部を自分で確認してるはずがないから、違いがあるはずもない。
といった当然のことでも、確認しないと科学的事実にはならないってことさ。
the.ACount
同じクラスで処理を行なってるってことですね。 (スコア:1, おもしろおかしい)
オブジェクトクラス「認める」: 引数として与えられるのが”科学的事実”か”宗教的信条”かの違い。戻り値として信じる度合いによって”お布施(long)”を戻します。
無神論者?(スコア:-8, 重箱の隅) (スコア:1, 参考になる)
nonreligiousを無神論者と訳すのには違和感ありまくり
せめて無宗教者、
なるべく正確に言うと、信仰生活をしていない人、非宗教帰依者、宗教から解放されている人
そんな感じじゃない?
議論が少しおかしい。 (スコア:1, 興味深い)
ツボを買わなかったから不幸になったという観測を
そのまま信じ込んでいるわけ。
で、科学者は水素と酸素を混ぜて燃やせば酸水素爆鳴音が鳴る
という経験的事実を積み重ねて体験から信じていくわけですよ
この信じるとういうプロセスの間に理論や論理が必要とするのが
科学の徒であり、信仰を必要とするのがキチガイ達で、信じた後の
脳内プロセスには差異は無いというのが研究結果。
馬鹿は馬鹿なことを信じてしまえる人って事かな?
Re:議論が少しおかしい。 (スコア:1)
というか、そもそも仏教は宗教なのでしょうか?
まあ、仏教諸派は概ね宗教なのでしょうね。
では、(本来の仏教の教義に存在しない)先祖信仰は?
そして神道や儒教は?スパモン教は?
アブラハムの宗教はともかく、宗教を一絡げに扱うのは相当難しそうです。
「○○を信じる」という脳内プロセスは同じかもしんないが…… (スコア:1, すばらしい洞察)
そもそも科学技術は信じることを要求しない。
その仕組みに対して理解を放棄しようとも波動関数は役に立つし、
「こんな鉄の塊が飛ぶわけない」と考えていても飛行機は飛ぶ。
一方、全ての宗教は信じることを要求する。
「信じなければ救われないぞ」と脅しをかける。
私は科学のほうでいいや。
Re:「○○を信じる」という脳内プロセスは同じかもしんないが…… (スコア:1)
>一方、全ての宗教は信じることを要求する。
真宗はちょっとそんな感じかも。
でも禅宗はそうとう違いますね。
Re:ん? (スコア:3, おもしろおかしい)
Re:ん? (スコア:2, 興味深い)
科学って成り立たないと思うのですよ。
それは宗教に対する盲信と、ほとんど同じようにも思えます。
実際、科学に反する物の不在を証明することはできないですよね。
悪魔の証明になっちゃうから。
# 今まで生きてきて、科学で証明できない事象には出会ったことないですけどね。
万物を説明しようとする人の営為こそが科学 (スコア:4, すばらしい洞察)
>「この世に科学で説明できない事象は存在しない」と信じなければ、
>科学って成り立たないと思うのですよ。
>それは宗教に対する盲信と、ほとんど同じようにも思えます。
>実際、科学に反する物の不在を証明することはできないですよね。
>悪魔の証明になっちゃうから。
ある事象からその背後に存在する普遍的な法則を発見しようというのが科学です。
だから「科学に反する物」というものは存在しません。
それは
「既知の科学に反しているように見えるもの」
です。
なぜ既知の科学では説明できないのだろうか、と考えるのが科学です。
その存在を躍起になって否定するのは科学的態度ではありません。
たとえば、強い重力下での物体の振る舞いについて。
円の一周が360度以下になるとか、時間の進み方がおかしくなるとか、そういった事象はそれまでのニュートン力学では説明できません。
いわば「科学に反した」存在だったわけです。
それにたいして「ニュートン力学は特定の条件下では成立しないのではないか」というようなことを思いついたアインシュタインさんがそれを「一般相対性理論」という理論にまとめて、その現象を科学で説明できるようにしました。
このように、「科学に反した」ように見えるものも、時間をかければ必ず説明できるというのが科学の考え方で、「今の科学では説明できないけど、そのうちたぶん説明できる」という確信は、それこそ全人類が共有してもいいと思われ。
Re:ん? (スコア:2, おもしろおかしい)
科学ってのは「御利益」が目に見えて現れるひとつの宗教体系だって習いました。
科学と宗教を対置したり一方が一方を敵視することの無意味さを強調するためでしょう。
Re:ん? (スコア:3, すばらしい洞察)
目に見える御利益(それが本当は災厄であっても)を求めるのは「技術(technology)」。
「科学(science)」は利害などに関係なく、普遍的な真理を求めるのみです。←まさに宗教そのもの
Re:ん? (スコア:1)
純粋数学の為にそれが永遠に誰の為にも何の役にも立たないことを祈って…乾杯!
# 数学は科学の女王にして奴隷
Re:ん? (スコア:1)
科学が数学的表現形と等価であるならば、科学は不完全であるか矛盾している。
1を聞いて0を知れ!
Re:ん? (スコア:1)
> 科学なんて、観測された事象に対する後付けの説明でしかない。
科学は、観測された事象に対して反証可能な説明をあとづけるための手法。
宗教は、観測されてないものに対して反証不可能な説明をあとづけたドグマ
Re:ん? (スコア:1)
そういう意味では、宗教はむしろ数学に近いかもしれません。
1を聞いて0を知れ!
相対化は誤魔化してるだけ (スコア:1, すばらしい洞察)
>科学なんて、観測された事象に対する後付けの説明でしかない。
>説明されている内容が観測結果に一致するとしても、それは直ちに説明が正しいことを証明するものではない。
>そうしてみると、正しいと証明されている説明はとても少ない。単に、もっとも説得力のある説明に過ぎない。
そうですよ。ただ、その説明は「何千年もの積み重ね」られてきたもので、相互に「事実と事実の結びつき」を確認されてきたものです。
「多くの人間が考え抜いた結果、今のところは一番正しい事実に近いであろう」説明です。
そして、人類はまだ「科学」以上に使い勝手の良い道具を手に入れてはいません。
>ホント、こんな記事を読むと科学と宗教の間に壁なんてあるのかと思ってしまう。
沢山の壁がありますよ。
そのなかでももっとも厚い壁は「科学はつねに検証を受け続けている」というところでしょう。
釈迦やキリストやムハンマド(敬称略・誕生年順)は確かに英知あふれる哲学者だったのでしょう。
しかし、我々が彼らの知見を知るには彼らの弟子と、その後の解説者・解釈者といった数名から数十名の人々だけの力しか借りる事が出来ません。
写本の途中で書き写し間違いがあったかもしれませんし、後の社会環境の変化により間違って認識された事もあるでしょう。
でも、宗教を「信じる」人はそれを鵜呑みにするしかありません。
数人の肩車、それもあまり信用できない人の肩車の上から世界を眺めるようなものです。
かたや科学は有史以来、数万数十万数百万の研究者たちが互いに発見し理論を作り批判し訂正し修正して知を集積しそれらを統合して巨大な山脈となっているのです。
先人の知恵や思考は捨てられることなくその一部になり、仮に誤っていてもそれはいずれは発見され反証され修正されるのです。
これによって、我々は知の巨人の肩の上に立ってはるか彼方まで見渡す事が出来るのです。
どっちを選びますか?
精神的平安を得よう、というのなら別にどちらでも構わないでしょう。
しかし、世界を理解しよく知ろうとするのならば、僕は科学を選びます。それも大急ぎで。
Re:相対化は誤魔化してるだけ (スコア:1)
宗教的価値観による愚行を肯定するわけではないですが、若干宗教を軽んじすぎているように思えます。
仏教やキリスト教、イスラム教も長年の間無数の神学者や僧たちが解釈を巡って激しい論争を繰り広げてきています。(ヒンドゥー教は宗教者の知り合いが居ないので解りませんが、おそらく同様なのではないかと)
しばしばかつての宗教的価値観による誤りを認める事もあります。
他方、「宗教による権威主義」による害悪は、「科学による権威主義」と同等に害悪をもたらします。
かつての理解・解釈に固執するあまり、現実問題に対して適切な対応が出来ないことがあるのは科学も宗教も同様です。
また、事実解明を行うための批判的態度が科学的態度であるように、神の教えや教義にいかに忠実であり得るかに対する批判的態度も宗教的態度であり得るでしょう。
宗教家による心のあり方へのメッセージは価値中立的な科学には付与することが不可能な安寧をもたらす事もあります。
世界のあり方を理解するために宗教を利用する事は適切なアプローチではないと思いますが、それ以外の問題に対する有益な面を培ってきた事は肯定すべきでしょう。
Re:相対化は誤魔化してるだけ (スコア:1)
「科学も宗教である」が検証されたのでしょうか?
検証されたのは、「科学知識も宗教知識も同じ仕組み (脳構造) で処理される」と言うことだと思います。
科学的プログラムと宗教的プログラム、どちらも同じモデルのハードウェアで実行している、みたいな話でないかな。
の
Re:相対化は誤魔化してるだけ (スコア:1)
「誤っている知識に基づいて答えを出した」時と、「正しい知識に基づいて答えを出した」時に脳の働きは違わない、事を明らかにした、と解釈する方が適切かもしれませんね。
例えば、アメリカの首都を選べという選択問題に対し、正しくワシントンと記憶している人と、誤ってニューヨークだと記憶している人に選択を行わせれば、脳は同じような働きをするでしょう。
他方、記憶に依存して答えを導出するときに、脳の働きが記憶の真偽に依存して異なっているのであれば、答えを導出する人間の脳の動きを観測することで、この世の全ての真偽を判定することが出来てしまいます。
私は人間の脳がそのような万能機構あるはずが無いと考えており、この研究はその考えを支持するものと理解しました。
そして、この研究はあくまでの脳の働きについての研究であり、科学と宗教そのものの差異については何も語っていないと思います。
著者の意図はわかりませんが、私はこの研究が宗教と科学の関係に何らかの意味を持つとは思えませんし、あえてそのような誤解を招きやすい例を持ってきた著者のセンスにいささか疑問を感じます。
Re:ん? (スコア:1)
後付けの説明だけじゃ科学として評価されない。予言できなきゃダメさ。
the.ACount
Re:ん? (スコア:1)
教義はこんな感じでしょうか。
誰か加筆よろしく。
言ってないことに反論するなよ
Re:ん? (スコア:1)
ちょっと違うんじゃない?
初めに虚無あり。
虚無の揺らぎが力となり、大きな火の力と共に世界は生まれたもうた。
やがて始まりの火は収まり、そこから四つの力が生まれた。
弱い力、強い力、引力、電磁力・・・すなわちフォトン、ウィークボソン、グラビトン、グルーオンである。
その後、さらに様々な波動がうまれた。
すなわち電子、ミュー粒子、タウ粒子、それらを総じてレプトンという。
彼らと鏡移しのように対となる者たちも生まれた。
すなわち陽電子、反ミュー粒子、反タウ粒子である。
彼らはこの宇宙から姿を消した。何処に消えたのか知られていない。
#なんか科学教も色々な宗派があるような気がしてきた。
Re:ん? (スコア:1)
「虚無あり」←こっからもうわたしゃ理解不能ざんす。
「無いものが有る」って、平たく教えてください>エロイ人。
子供の頃は虚数もなかなか受け入れられなかったっけ。
#想像力や妄想力が足りないのは重々承知。
Re:ん? (スコア:1)
スピノザは?
#ちがうか@ものいい
Re:ん? (スコア:1, すばらしい洞察)
人は信じたいと思うものを受け入れる
というのは科学哲学の言葉だっけか
そういう視点でのコメントがネット界隈ではあまり見られないのが残念だ
Re:進んだ技術は魔術と変わらない (スコア:3, 興味深い)
>充分に発達した科学技術は魔法と見分けが付かない。
Re:進んだ技術は魔術と変わらない (スコア:1)
む、これは。対偶論法で魔法の実在を証明…
>魔法と見分けが付くものは、充分に発達した科学技術ではない。
できないか、やっぱりorz
#そもそも第三法則自体経験則に過ぎないのではなかろうか
RYZEN始めました
Re:進んだ技術は魔術と変わらない (スコア:1)
「充分に」の意味が問題だね。
なんだか「魔法と見分けが付かない」の意味にしか取れないんだけど。
そうすると「魔法と見分けが付かないように発達した科学技術は魔法と見分けが付かない」となって、無意味なんだけど。
(問題:上の論法の穴を見つけよ)
the.ACount
Re:進んだ技術は魔術と変わらない (スコア:1, 参考になる)
そしてそれをぱろった「ギリギリ科学少女ふぉるしぃ」(タレコミ人欄に注目)も国内SFでは知名度があるので覚えておいたほうがよろしい…か?
http://sasakitakanori.com/archives/955 [sasakitakanori.com]
Re:進んだ技術は魔術と変わらない (スコア:1)
あ、オレと同じ!
(昔SFばかり読んでて、今はラノベ中心)
the.ACount
Re:脳内研究 (スコア:1)
けぶんりっじ めっそど [uncyclomedia.org]を表意文字に拡張しようというのは無謀なのでは・・・
Re:脳内診断 (スコア:1)
確かに、今回の結果は、宗教的信条による思考と科学的な思考の際に使われる脳の部位に、少なくとも共通部分があるように見える(本当に共通かどうかまでの精度があるかは微妙)、というだけのような気がする。
それよりも、数学的真理に触れた時に感じる快感と、信仰により神の啓示を受けたときに感じる恍惚(そういうのがあるのだとしたら)が同じかどうかとか、その辺りが興味あるなぁ。
ついでに、キリスト教だけでなく、他の宗教でも同じなのか辺りも。
(一神教vs多神教とか)
科学の成立は19世紀前半 (スコア:2, 参考になる)
「哲学者」です。
彼らはキリスト教の正しさを確かめるために自然の原理を追求した人たちです。
現代の我々が想定するような「科学」の萌芽がみられ始めるのは、フランス革命
の前後に影響力をもった啓蒙主義の影響を受けて1820年代あたりから。
特にフランス革命で人材を失ったフランスで、人材を速やかに育成するために
エコール・ポリテクニークのような教育制度を整え、その実績が周辺国に理解
されはじめてから、現代の「科学」のように知識それ自体を目的にした知的活動
と専門家が、社会的に認知され始めてます。