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4013 story

枯山水の認知科学的解釈 31

ストーリー by wakatono
匠の業を科学する 部門より

skimsr 曰く、 "京都新聞の記事より。京大人間・環境学研究科のゲルト・ヴァン・トンダー氏らが,竜安寺の石庭(枯山水)のデザインが観る人に快さを感じさせる理由について,認知科学の視点から考察し,その結果を論文"Perception psychology: Visual structure of a Japanese Zen garden"としてNature誌に発表しました(閲覧には登録が必要)。こちらのNatureの記事でも取り上げられています。
トンダー氏によれば,竜安寺の石庭では,何も配置されていない空間を含めて,方丈を起点に石庭の中へ木の枝状に広がる対称構造が形成されているとのこと。認知科学の分野では,人間の脳が物体形状を認知するために物体の対称線をとらえる事が知られており,このことから石庭の対称構造が観る者に視覚的な開放感を与えているのではないかと推測しています。
禅の精神を表現したと言われる石庭が,数学的に綺麗な構造をもつ,という事実は非常におもしろいですね。美術における黄金比なんかもそうですが,人の成す"ワザ"の凄さを思い知らされた気がします。"

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • 興味のある方は (スコア:2, 参考になる)

    by gram (10641) on 2002年10月01日 11時42分 (#175211)
    「龍安寺石庭を推理する」宮本健次 著 :集英社新書
    を読むと面白いかもしれません。

    周囲の壁の高さにパースがついているとか、遠景の山並みも一部になっているとか、
    素人にとっては意外な点もあって、龍安寺石庭入門には良い本だと思います。
    もちろん黄金分割の話も載ってます。

    石庭自体は、誰が作ったのか諸説あるらしいですね。
    • by uguisu (9285) on 2002年10月01日 11時57分 (#175218) ホームページ 日記
      > 遠景の山並みも一部になっているとか、
      「借景」ですね。借景では無鄰菴も素晴らしいです。

      借景自体はどこでもみられるものですが、意図的に造園に取り込まれているのは日本が特徴的です。
      http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061491784/qid%3D1033440816/249-6963018-7661122
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  • by kamogawa (9923) on 2002年10月01日 2時44分 (#175086) ホームページ 日記
    レムリアの地図じゃ無かったか…

    #俺、京都に住んでるのに行ったことなかったよ。
    #今度行ってみよ。
  • 朝日新聞の記事 [asahi.com]。
    悪い配置の見本 [impress.co.jp]。

    しかし,これでは写真に撮りようが無い。ホックニーも苦労したことだろうよ(反語)。
    --
    斜点是不是先進的先端的鉄道部長的…有信心
    • 写真撮影で「この風景,是非撮らねば!」とファインダー覗くと
      視覚では捉えていた「周囲の空間」などが切り取られてしまい
      思った様に撮れなかった事は数知れず(泣)

      そんな時,人間の眼ってのは最高のカメラなのだと実感出来ます・・・


      #幸い「無い筈のものが写ってた」事はありません(笑)
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      • 一般に写真撮影ではいかに主題を際立たせるかが腕の見せ所になります。簡単な方法としては長焦点レンズを用いて主題以外の前後のモノをぼかしてしまう手がありますが、そうではなくて周囲の情報を残しつつというのはとても難しい技なのです。単に広い空間が鮮明に写っているというのでは、見てつまらないものになりがちです。
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      • カメラ眼 (スコア:1, 興味深い)

        by Anonymous Coward on 2002年10月01日 7時46分 (#175136)
        写真に慣れてくると、視覚認知がその反対の方向に発達しまして、通常目で見ている状態でも、カメラで撮るとこんなふうになる、ということが想像できちゃうようになってきます。これではずしたことがなければ、「カメラ眼」ができたことになりますね。

        ということは今回のような「石庭」の例があてはまらなくなる人間も、訓練によってできてしまう、ということでもあります。認知科学、といっても、社会的、文化的、社会の時系列的な変化などがかなり効いてくるところと、そうでないところがある。でも、最近は経済のグローバル化などで、特に先進国都市部の生活者のメンタリティはけっこう似てきているところが多いので、こういうところに限れば、けっこう「あたり」はあるのかも知れません。

        かつては貴族のぜいたくだった石庭などというものが多くの一般庶民が知るはずもなく、その当時の「美」の観念、そしてその美による「癒し」の効果そのものが今とおなじであったか、違っていたか、という考察も、きっと論文では仔細に検討されているのでしょうね。「科学」ですから。
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      • >視覚では捉えていた「周囲の空間」などが切り取られてしまい

        カメラって、もっと広角(っていうの?用語を知らないんだけど)にしてしまえば
        そういうロスは無くなるわけ、ですよね?
        広く取って、後で印画紙に焼くときに必要な部分だけ焼けばいい、と思っちゃうんだけど。

        今のふつーのカメラ(語弊が有るかどうかは知らない)がそうなっていないのは、
        もしかしてフイルム(の面積あたりの解像度とか)が勿体無いからでしょうか?

        もしかして将来(かな)、有り余るほどの解像度が安価に手に入るようになったら、
        望遠レンズは不要になる、のかな?とか。
        #被写体を追う人間の目のため「だけ」の望遠鏡(?)は必要だろうけど。
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        • by (((((lambda))))) (3568) on 2002年10月01日 14時04分 (#175273) ホームページ

          今のカメラがそうなっていないのは、広角にすればするほど 周辺が歪むから、なんじゃないでしょうか。それの一番極端 なのが魚眼レンズですよね。

          むろん平面に焼き付けてるから歪むので、必要な部分を取り出す 時に補正をかけてやれば良いんですが、解像度は周辺にゆく程 落ちて行きますよね。

          あるいは、焼き付ける対象を球面にするとか。そっちの方が 人間の認知に近いような気もします (球面スクリーンの 没入感はすごい)。そんなことができるレンズがあるかどうかは わかりません。

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          • Re:広角 (スコア:2, 参考になる)

            by changren (4006) on 2002年10月01日 15時34分 (#175339)
            魚眼レンズは180°の画角を写し込むためにわざとあのような形に像を結ばせているので、「歪んでいる」のとは違います。

            広角レンズで撮った写真が「歪んでいる」ように見えるのは、パースペクティブが普段肉眼で見ている状態よりも大きく強調されるのと、レンズ自体の歪曲収差によるものです。
            特にズームレンズの場合、サービス判位でもはっきりと歪曲収差が分かるものもあります。

            また、一般的な対角線魚眼レンズよりも焦点距離の短い広角レンズもありますが、画角は180°には達しません。
            --
            -------------- chang ren:)
            親コメント
            • 参考になりました。

              > 広角レンズで撮った写真が「歪んでいる」ように見えるのは、
              > パースペクティブが普段肉眼で見ている状態よりも大きく強調
              > されるのと、レンズ自体の歪曲収差によるものです。

              確かに。良く考えたら「歪んでいる」というのは変でした。
              レンズの収差は考えないとして、fovを大きくして撮った画像は
              観る時にそれと同じfovが得られる場所に置けば、目で観るのと
              同じになるはずですね。ただ、普通に(写真を)手に取って見ると
              本来置くべき距離よりも離れて見ることが多いので、
              歪んでいるように感じられるのでした。

              というわけで私の前のコメントは勘違いです。
              親コメント
        • かなり出遅れた感じがないでもない。

          > 今のふつーのカメラ(語弊が有るかどうかは知らない)が
          > そうなっていないのは、

          なってます。APSなんかはそうですね。パノラマ撮影なんかもそうですね。

          > もしかして将来(かな)、有り余るほどの解像度が安価に
          > 手に入るようになったら、 望遠レンズは不要になる、
          > のかな?とか。

          不要にはならないでしょう。例えば、画角(焦点距離)が変化すると、パースペクティブも変化します。
              - 望遠レンズ(正確には長焦点レンズ)を使うと、距離感が実際より圧縮されて写り(遠いものが近くに写る/奥行き方向に離れているものが近づいて見える)、
              - 広角レンズを使うと遠近感が強調されて写る(近くのものが遠くに見える/奥行き方向に近くにあるものが、離れて見える)
          わけです。これを作品作りに積極的に取り入れたい場合は、広角で撮って一部を切り出すということでは対応できません。撮った後でデジタル処理で似たような効果を得るのも難しいでしょう。

          また、明るい長焦点レンズを使うと、メインの被写体以外のものをぼかしてメインの被写体を強調する、という効果がありますが、これは、撮影後のデジタル処理で似たような効果を得ることは可能でしょう。
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    • > 悪い配置の見本 [impress.co.jp]。

      「禅」というより、ネコ用ってかんじですね。:-)
      --
      -------- tear straight across --------
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    • > 朝日新聞の記事 [asahi.com]。

      これって、ボロノイ図?

  • ただのオリエンタル好きな外人博士が「エキゾチック・ジャパーン」な魂を爆発させただけとしか思えないんですが・・・。

    落ち着くってよりも、修学旅行生が行ったり来たりでイライラするのも事実(笑)。

    個人的には、京都で大学生をしたものですから竜安寺には何度も通いました。好きですヨ~!

    • これも「学問」 (スコア:1, すばらしい洞察)

      by Anonymous Coward on 2002年10月01日 9時02分 (#175151)
      だれもが感覚的に理解できていることを、
      論理的に「言葉」で説明することも「学問」の分野の一つだから。
      親コメント
    • >ただのオリエンタル好きな外人博士が「エキゾチック・ジャパーン」な魂を爆発させただけとしか思えないんですが・・・。

      うむ、そういう捉え方もあるかもしれないですね。

      それはさておき、目の前の事柄(なんでもよい)を、「なぜこうなっているのだろう」と素朴に疑問に思って、思うだけじゃなくで色々と理屈をこね回すのは学問の原型だと思うのですよ。

      欧米での哲学の語源は「知を愛する」ですが、とにかく何でもかんでも知ろうとせずにはおられない、そういう周りから見たらちょっと変わり者の営みが積み重ねられたのが今日の学問の原型。

      数学も物理学も医学、生物学、なんでもそう。

      これだってもしかすると将来大化けするかもしれないと思ったら、ちょっとワクワクしません?
      --
      Eureka !
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  • ってのもあります。認知科学とは全く関係ないうえに、もうダウンしてだいぶ経ってますが。
    http://www.geog.ucl.ac.uk/~nshiode/ryoanji/draft.html
  • >禅の精神を表現したと言われる石庭が,数学的に綺麗な構造をもつ,という事実は非常におもしろいですね。美術における黄金比なんかもそうですが,人の成す"ワザ"の凄さを思い知らされた気がします。

    この事実は非常に面白いと思うが、これだけでその技に感動するのはいかがなものか。

    どこぞの庭師がふふふ~んと鼻歌交じりに作ったのがたまたま良い出来で、人々に受け入れられ、保全されて今に至る。 同じ庭師が精魂込めて作ったその他多数の庭はとうに取り壊されて今は存在しない。これが真相。(かもしれん)

    偶然生まれたものが淘汰されて生き残った結果なのかもしれぬ。
    • >偶然生まれたものが淘汰されて生き残った結果なのかもしれぬ。

      確かに,偶然生み出されたものがたまたま生き残ったのかもしれません。
      # その偶然が生き残った事は必然だった,とも言えますね。

      ただ,人間が積み上げた(たかだか)数千年の文化の中で,その偶然が生み出され生き残る確率はどれくらいだろうか,とも思います。多くの人に受け入れられるよう,作り手が恣意的な選択をしたからこそ,現在まで生き残る多様な"ワザ"とその成果が生まれたのではないかと。この「恣意的な選択」ができる事が,人間のもつ優れた能力のひとつなんじゃないでしょうか(多分に感傷的な見方ではありますが…)。
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      • >確かに,偶然生み出されたものがたまたま生き残ったのかもしれません。

        それは喩えというか、例として出したまでだ。
        言いたかったのは「石庭が数学的に綺麗な構造をもつ」という事実で「昔の人の技はすごいなぁ」というのは単純すぎやしませんか、ということ。
        俺だってあの庭が鼻歌まじりで作られたとは思えぬし、思いたくはない。

        >作り手が恣意的な選択をしたからこそ,現在まで生き残る多様な"ワザ"とその成果が生まれたのではないかと。

        その庭師が「庭とはこのように作るべし」と語った文献とかがあれば、そう思わんでもない。
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        • >「石庭が数学的に綺麗な構造をもつ」という事実で「昔の人の技はすごいなぁ」というのは単純すぎやしませんか、ということ。

          数学的な構造をもつからすごい、というのは違うのではないでしょうか?
          石庭の設計者の目的はあくまで美しい庭を作ることであり、構造はその結果に過ぎませんよね。
          人間が美しいと感じたものが持つ数学的な構造を見つけたという話でしょう。黄金比などがそれに近いものだと思います。

          まあ、他の「美しい」とされる石庭についても同様に調べて裏付けを取る必要はありそうですね。

          > その庭師が「庭とはこのように作るべし」と語った文献とかがあれば、そう思わんでもない。

          とはいっても、職人文化というものの多くが明文化されない知識の蓄積と継承で成り立ってますからねえ。
          理由や理屈のはっきりしないまま継承されたものが現代になって科学的に見ても合理性を持っていたことが確認された例は他にもありますし。
          --
          うじゃうじゃ
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  • by Anonymous Coward on 2002年10月01日 10時52分 (#175197)
    欧米人などは対称形を好み、日本人は非対称を好むというのを
    過去に読んだ気がするのだが・・・
    床の間の配置など色々あるよねぇ。
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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ研究家

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