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医療

双子や三つ子を妊娠した際に胎児数を減らす「減胎手術」の是非 114

ストーリー by hylom
外野があれこれいいにくい問題ではあるが 部門より
あるAnonymous Coward 曰く、

近年では出産前に双子や三つ子の妊娠が分かるようになっているが、それが判明した際に妊娠した胎児数を減らす「減胎手術」が36件行われていたことが分かったという(MSN産経ニュース毎日新聞)。

長野県下諏訪町の産科医院で行われていたとのことで、染色体などに異常があったり、病気が見つかった胎児を選んで処置していたとのこと。いずれも夫婦が「減胎できなければ、すべての胎児を中絶する」との意向を示していたそうだ。母体保護法では減胎手術に関する規定はなく、厚労省の審議会は母子の健康に危険がある場合に限って認めるという報告書を出している。

手術を行った産科医は、今月8日より開催される日本受精着床学会でこの件についての発表を行うという。

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • 人間はどの段階から「人」になるのか?と言う問題が絡むと
    正直、一律にガイドラインだの法律だので、何かを決めてしまうことは無理があると思っています。

    「減胎」処置にせよ「中絶」処置にせよ、最後まで責任を負う人が判断するしか無いでしょう。
    出産したら最後、例外はあるもののほぼ全て妊婦とその夫が全責任を負担しなければならない現状では、
    「減胎」や「中絶」は最後の判断地点だと思います。

    そこを通り過ぎ出産したら、親は人生を大きく左右されるほど大きな責任が生じるのですから。

    現状、直接の関係者以外の議論を見ていると、「かわいそう」などの感情論や、宗教論的な意味で、
    妊娠したら最後、全責任を親になすりつけて、後は知らない。という実際の責任を負う人たちの負担が
    無視されている様に思います。

    「障害が有る人の負担は社会が負うべき」と言う意見も聞きますが、結局のところ責任の所在が不明瞭で
    とても、本気で社会が負担をすると言う状況には無いと思います。

    #一人の子どもの親として、人間の子どもをペットと同列に語る気は有りません。ただ、親の責任は時として
    #一人の子どもを犠牲にして、より多くの自分の子供を生かす判断をしなければならないほど重いものだと
    #思っています。
    • by Anonymous Coward on 2013年08月06日 18時53分 (#2435925)

      無理があっても線は引かなきゃならない。
      それとも38週だろうとへその緒を切るまでは中絶を認めるべきというのか。
      それであってもへその緒が切れたかどうかで線が引かれている。
      何処まで親が生存権も含めた全権を握っていていいのか。
      妊娠1週も二十歳も等しく線を引かないという訳にはいかない。

      というか、選択肢が増えることがすなわち幸せなのか。
      まあ、パターナリズムと言う人もいるだろうが、どこかで権利と責任を与えない部分があることも大事だと思う。

      そもそも

      ほぼ全て妊婦とその夫が全責任を負担しなければならない

      これが本当なのか?育児に関わる各種制度に国や自治体はなんら責任を持たないのか?
      実際はいくらか責任(と権限)を持つはず。
      ただ、バランスがとれていないところがあると思うので、「全責任」「全権限」と考えずバランスでみれば、と思います。

      #医者とか政治家もまた一人を犠牲にして、より多くを生かす判断をしなければならないほど重いものだと思います。

      親コメント
  • by ymasa (31598) on 2013年08月06日 13時50分 (#2435672) 日記
    > 近年では出産前に双子や三つ子の妊娠が分かるようになっているが、
    > それが判明した際に妊娠した胎児数を減らす「減退手術」が36件行われていたことが分かったという(MSN産経ニュース、毎日新聞)。

    でなくて、「異常胎児減胎手術」36件ですね。
  • by Anonymous Coward on 2013年08月06日 15時22分 (#2435759)
    このクリニックはいろいろ有名なとこだから過去の実績とか調べてみるといい。
    多胎や遺伝子疾患のリスクも踏まえて行われた不妊治療の結果としての多胎です。
    ここでの堕胎の是非を言うなら、それ以前に行われている不妊治療での各種施術にも言及すべきでないのかな?

    人工的に妊娠するのはOKだけど、人工的に堕胎するのはNGとか言うんじゃ矛盾だよ。
    着床前診断はOKだけど堕胎はNGとか言うなら、もはや笑止のレベル。

    そんな感情論で云々言うような医療水準じゃない。
    もっと現実を見て考えたほうがいい。
  • 具体的な統計値が見つからないので、憶測にすぎないが、
    自然妊娠でも多胎児は結構多く、妊娠が分かるか分からないかの時期に自然に流産することがあるらしい(産婦人科医の話)。勿論排卵誘発させると可成りの隔離で多胎児となるが、この場合も自然に流れて一人になる場合が多い(産婦人科医の話)。
    流れる原因は定かでないが、一説によると異常胎児が流れやすいとか(憶測)。。。だからどうしたと言われそうだが、異常胎児減胎手術とは、異常が分かっているのに流れないぞって場合に正常な胎児を守りつつ行っている訳だろうから、親の立場からすると肯定するなぁ。
  • by Ryo.F (3896) on 2013年08月06日 13時09分 (#2435617) 日記

    胎児を減らすのだから、「減退」より「減胎」。
    コピペしただろうところは合ってるのにねえ。

  • by sumomomomomomo (27820) on 2013年08月06日 13時20分 (#2435630)
    タイトルと文中の誤字の訂正をお願いします。

    ×減退→○減胎

    毎日新聞のリンク先のように減数手術、という呼び方をする場合もあります。

    多胎妊娠などで「胎」児の「数」を減らすので減胎/減数手術なのですが、胎児を直接想起させるからか、減胎よりも減数と表現しているメディアが多いようです。
    術語としてはどちらも用いられています。
  • by ta-321 (42590) on 2013年08月06日 17時32分 (#2435865)
    理想は障害を理由にした減胎手術をしないことだと思う。しかし現実は厳しいとも思う。

    例えばダウン症の人も私の周りには過去も今も結構いて,もちろん親御さんは苦労していらっしゃるのかもしれないけど,そんなことをおくびにも出さない。

    外野があれこれ言いにくいことではあるけれど,親御さんの苦労は苦労で話しやすい社会,でも外野はなんでもかんでも苦労だと決めつけない社会が必要だと思う。

    減胎手術の自由,となると,自由イコール責任が問われてしまう。その責任に苦悩したり,なぜしたの,なぜしなかったのと,かえって外野が喧しくならないだろうか。

    母子に危険があるときは減胎手術ができるようにすべきだろうけど,それと障がいとは別問題である,という社会になってほしい。

    # これは(多胎でない)中絶と同じ話だと思うんだが,なぜ減胎ということだけが問題になっているのだろうか。
    • Re:理想と現実と (スコア:3, 参考になる)

      by sumomomomomomo (27820) on 2013年08月07日 9時54分 (#2436230)
      #以下のコメントに返信ですが、多胎でない場合の障害を理由にした人工妊娠中絶に比べると、多胎ではこの中絶が「選択の問題」であることがより鮮明になるからではないでしょうか。

      今回話題となっている中絶を行った根津八紘医師は、日本の不妊治療などの生殖補助医療領域で、とにかく技術的にできることはなんでもやる急先鋒みたいな人で、当時の産婦人科学会のガイドラインを大幅に踏み越えて非配偶者間人工授精を行ったり [47news.jp]、無子宮の女性の卵子を用い、その母(つまり生まれてくる子の生物学的祖母)を代理母とした出産 [47news.jp]などを手掛け、またそれを公にすることで議論を提起し続けてきた方です。
      (前者については後日学会側が容認し、現在あらたなガイドラインが設けられています。)

      根津医師が手がける不妊治療の一つである体外受精後の胚移植では、しばしば多胎妊娠が起こることから、多胎妊娠における減数手術の実際や刑事法との関係などについても以前から積極的に情報を発信しています。
      基本的には「安全に出産するために減数手術なども積極的に行う」というのが彼の立場です。

      お話の前提として、日本では、法的には障害そのものを理由とした人工妊娠中絶は認められていません。
      かつて優生保護法 [hounavi.jp]の下で、本人や配偶者や近親者が障害者や精神病である場合に妊娠中絶をすることが認められ、実質的には推奨されていたことへの反省から、 優生保護法は母体保護法 [e-gov.go.jp]へと置き換わり、現在人工妊娠中絶が認められるのは「強姦などによる望まない妊娠」か、「妊娠継続が身体的経済的に母体の健康を著しく害するおそれがある、とされた場合」に限られています。

      とはいえ、障害を理由とした中絶が存在しないわけではありません。
      後者の「経済的に~」を果てしなく拡大解釈することで、経済力のない10代の子の本当に厳しい妊娠の中絶も、高齢夫婦の不注意な妊娠の中絶も、出生前に発覚した障害を理由とした妊娠中絶もいっしょくたに、倫理的な議論を回避したままで実施されています。
      本当のところは障害が発覚しての中絶であったとしても、法的には、あるいは世間に対しては「経済的に」「身体的に」妊娠継続が厳しかった、という建前の下で、児の選択は水面下で行われているのが現状です。
      また多胎における減数手術も人工妊娠中絶の一種ですが、多くの場合「安全に一児を得るために、リスクの高い双胎・多胎を避け、母体の健康を守る」という理屈のもとで行われています。(双胎・多胎分娩がハイリスクであるのは事実です)

      さて、双胎児の一児を中絶するとなったとき、多胎の出産リスクだけが問題なのであれば、どちらの胚をTerminationしてもかまわないわけですが、片方の児が障害を持っていることがわかっていたら、どうなるでしょうか。
      妊娠を継続し、出産する経済力も体力もある、単に出産の安全性を言うならどちらの児を残しても変わりはない。様々な建前がはぎとられて、まさに「障害があるから中絶した」「障害があるから選ばなかった」という現実が前面に出てきます。

      私個人は、こうした問題を生みがちな行き過ぎた不妊治療そのものには反対の立場ですが、一方で、選択の問題としてつきつけられた際には、障害を理由に中絶せず、ありのままを受け入れられるかと言われると難しいだろう、と考えています。

      #長々と紹介した割に自分自身の考えはへぼいのですがID
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アレゲはアレゲを呼ぶ -- ある傍観者

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