アカウント名:
パスワード:
色々と手を廻して現物見たのですが、これは酷過ぎる。と言う、勧善懲悪の「物語」でしたよ。ドキュメンタリーとしてはお粗末すぎる。「鯨やイルカを捕る『ヤクザ』の実態を暴く正義の自然保護集団」と言う図式で進行していくので見てるのが苦痛でした。
元々捕鯨賛成だから。というよりも、太地の人の民族性とかそう言うものを踏みにじって悪魔として描くことで、見てる人の溜飲を下げようという悪意のようなものを感じた。「悪魔」「ヤクザ」が不穏当なら、アフリカやニューギニアの人々を劣等民族として見世物にしたヤコベッティの冒険映画に見られるような民族的な傲慢と言い換えますが。
この映画の上映を妨害してるのは在特会らしいという話を耳にしましたが、この件に限っては彼らに間違いを指摘できない。本来なら彼らのようなごんたくれではなくマトモな右翼が抗議活動するべきだ(出来れば監督の家の近くまで行って)。そういう類の悪意の塊だ。
「創」誌がこの問題を取り上げて座談会をやっておりまして抜粋しますが、アメリカでの興収がそんなに大きくなかったとはいえシー・シェパードのパトロンであるアニマル・プラネットがこのコンテンツの「続編」をテレビシリーズで放送することを決めるなど、エコ問題に敏感な類の白人には評判がよかった感じがします。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100602-00000303-tsukuru-soci [yahoo.co.jp]【想田】すごく平均的ですよ。だからこれは、アメリカでは非常に安全なトピックです。僕はそこが、あの監督の姑息なところだと思うんです。おそらく彼はベジタリアンで、本当に標的にしたいのは、動物全般を食べることなのだと思います。でもそれでは広範な支持を得られない。それこそ、今の日本人から上がっているのと同じような反発が、アメリカやヨーロッパから来るでしょう。けれどイルカなら、欧米では誰も食べません。だから観客はみんな簡単に正義の側に立てるんです。線を引いて、自分たちはみんなこちらの正義の側、イルカ漁をこらしめようという側に立てる。 テレビシリーズが決まったというところからピンときたのですが、エンタテインメントとしてバッシングする、つまり、やっつければやっつけるほど視聴率が上がるという構図を、そこに見てしまった気がします。オウム報道と同じですよ。もちろん、日本から反発があることもわかっているのですが、それは彼らにとって、非常に限定された、遠い国の話です。それこそ、イラクにミサイルを撃ち込むのと同じなんです。自分たちは安全なところにいて、遠くのよくわからない国にミサイルを撃つ。そういう発想を僕は感じました。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100602-00000303-tsukuru-soci [yahoo.co.jp]
【想田】すごく平均的ですよ。だからこれは、アメリカでは非常に安全なトピックです。僕はそこが、あの監督の姑息なところだと思うんです。おそらく彼はベジタリアンで、本当に標的にしたいのは、動物全般を食べることなのだと思います。でもそれでは広範な支持を得られない。それこそ、今の日本人から上がっているのと同じような反発が、アメリカやヨーロッパから来るでしょう。けれどイルカなら、欧米では誰も食べません。だから観客はみんな簡単に正義の側に立てるんです。線を引いて、自分たちはみんなこちらの正義の側、イルカ漁をこらしめようという側に立てる。
テレビシリーズが決まったというところからピンときたのですが、エンタテインメントとしてバッシングする、つまり、やっつければやっつけるほど視聴率が上がるという構図を、そこに見てしまった気がします。オウム報道と同じですよ。もちろん、日本から反発があることもわかっているのですが、それは彼らにとって、非常に限定された、遠い国の話です。それこそ、イラクにミサイルを撃ち込むのと同じなんです。自分たちは安全なところにいて、遠くのよくわからない国にミサイルを撃つ。そういう発想を僕は感じました。
ある意味、この捕鯨問題というのは水産庁のプロパガンダ云々という部分とは別の軸として、有色人種との融和が進んでおおっぴらにやりにくくなった白人(と言うかアングロサクソン)至上主義・ユニラテラリズムの世界全体への押し付けとそれによって自民族の独自性が押しつぶされてしまう・地元文化の独自性を保ちたい人々の対立軸=民族主義同士の衝突というのがシー・シェパードの跋扈以降、明確に出てしまってると思います。
80〜90年代は水産庁の御用言論人がこの手の話を唱えてはいたものの現実問題としてはこの軸はリアリティがなかったのですが、アングロサクソン単独の優位性が消し飛んでしまった今になってリアルになったのは皮肉なことだと思います。
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
普通のやつらの下を行け -- バッドノウハウ専門家
結果としてプロモーションになる (スコア:4, 参考になる)
結果としてこの報道を通じて「へえ、日本で上映されるんだ」という認知度は格段に高まった。
見るなと言われるとついつい見たくなるのが人間心理であって、とくに好奇心の強いインテリ
階級にはその傾向が強い。その結果として、とくにDVDで発売された場合の販売枚数の期待値は
ほとんどヒトケタ上がったと思う。
# ついでに、乗せられて見てしまった後「あまり面白くなかった」と思う人が多いだろうとも予想する。
アニマルプラネットで続編の模様(Re:結果としてプロモーションになる (スコア:5, 参考になる)
色々と手を廻して現物見たのですが、これは酷過ぎる。と言う、勧善懲悪の「物語」でしたよ。ドキュメンタリーとしてはお粗末すぎる。
「鯨やイルカを捕る『ヤクザ』の実態を暴く正義の自然保護集団」と言う図式で進行していくので見てるのが苦痛でした。
元々捕鯨賛成だから。というよりも、太地の人の民族性とかそう言うものを踏みにじって悪魔として描くことで、見てる人の溜飲を下げようという悪意のようなものを感じた。「悪魔」「ヤクザ」が不穏当なら、アフリカやニューギニアの人々を劣等民族として見世物にしたヤコベッティの冒険映画に見られるような民族的な傲慢と言い換えますが。
この映画の上映を妨害してるのは在特会らしいという話を耳にしましたが、この件に限っては彼らに間違いを指摘できない。本来なら彼らのようなごんたくれではなくマトモな右翼が抗議活動するべきだ(出来れば監督の家の近くまで行って)。そういう類の悪意の塊だ。
「創」誌がこの問題を取り上げて座談会をやっておりまして抜粋しますが、アメリカでの興収がそんなに大きくなかったとはいえシー・シェパードのパトロンであるアニマル・プラネットがこのコンテンツの「続編」をテレビシリーズで放送することを決めるなど、エコ問題に敏感な類の白人には評判がよかった感じがします。
ある意味、この捕鯨問題というのは水産庁のプロパガンダ云々という部分とは別の軸として、有色人種との融和が進んでおおっぴらにやりにくくなった白人(と言うかアングロサクソン)至上主義・ユニラテラリズムの世界全体への押し付けとそれによって自民族の独自性が押しつぶされてしまう・地元文化の独自性を保ちたい人々の対立軸=民族主義同士の衝突というのがシー・シェパードの跋扈以降、明確に出てしまってると思います。
80〜90年代は水産庁の御用言論人がこの手の話を唱えてはいたものの現実問題としてはこの軸はリアリティがなかったのですが、アングロサクソン単独の優位性が消し飛んでしまった今になってリアルになったのは皮肉なことだと思います。
Re: (スコア:0)
このテの情報戦争って昔から日本は弱いですよね。
第二次大戦のころから、歴史問題まで。
どうしたらよいのでしょーか?
また、水産庁あたりが誤解されるような言い方をして
海外から叩かれそうで心配です。
※イルカはまずいから~とか鯨はうまいから~とか言ってる人がいますけど、
そういう問題で話すと、毛唐は怒ると思います。
エコとか環境保護の意識ですから。(マイノリティとしてスピリチュアル意識の方もいますが)
漁をするのがエコであると説明すりゃいいのかなー。
PRって難しい。