Kandoの日記: 「企業がサラリーマンを守ってくれる」に関する思い出 5
「Re:メタボと言い換えたところでデブはデブ」
http://slashdot.jp/comments.pl?sid=484769&cid=1716925
# 企業がサラリーマンを守ってくれるんなんて夢のような話だなぁ...と思う団塊Jr.世代なのでAC
↑を見てちょっと思い出したことを書こうと思う。さすがに元コメのストーリーではオフトピなので日記で書く。
1993年か1994年頃、当時入社1-2年目の私が会社のスキル調査(趣味的なことを尋ねる内容もあった)で多少は絵が描けることを回答に入れないでおいて(隠すつもりはなく言うほどの腕前でないと思ったので書かなかっただけだが)、後日部署で開発してたソフトのアイコンをちょいちょいと描いていた。
すると当時の上司がそれを見つけて
「会社は君の生活を守ってくれるんだから、君も全てのスキルを隠さず会社にささげたまえ。」
などと笑顔で訓示を垂れた。
「さて、どうだかね?」
と当時の私も思いはしたが、強く否定できる根拠も当時の私にはなかったので愛想笑いをして流しておいた。
が、このエピソードには激しいオチがつく。
そのホンの数年後の1998年、社外から届いた匿名で会社をする脅迫メールにおいて私が名指しで解雇を要求される事態になり、私が会社を追われることになったとき、その上司は処分を話し合う会議で弁護どころか「彼は日ごろから常識がなく…。」と背中から弾を撃ち込んでくれたという。
ちなみにその会議では私が3期続けて成果を挙げていないことが問題視されていたそうだ。しかしその上司は、期の途中で2度も研究テーマ変更を伴う部署内の配置転換があった上に、そのことをまったく配慮しないで「成果なし」という査定(目標評価制度だったので期の頭に宣言したことを達成できたかどうかで評価することになっていた。期の途中で異動すると仕事の内容が変わるため達成できるはずがない。)を行ったためだという重要なことをその場では一言も説明はしてくれなかったそうだ。
まぁその配置転換自身が彼の勘違い(重役の裁決まで経て事業部に移管済みとして終わったはずのプロジェクトに、誰か人員を配置しなければと勝手に思い込み、半年後にそれがバレそうになって「なかった」ことにして元の部署に私を戻した)に基づくものだったから保身のためには決して言えなかったのだろうけどね。
「企業がサラリーマンを守ってくれる」的な文言を目にすると私はあの上司のことを思い出すのであった。彼はそのムードがあった頃にサラリーマンになったから漠然とそう思っていたのだろうが、彼がそれを自身の行動として表すことはなかったわけだ。
そもそも「企業がサラリーマンを守ってくれる」なんて最初から最後まで幻想だったのだろうと私は思う。忠誠心確保のためその幻想がムード的に利用されただけ。終身雇用は高度成長期の人手不足環境下での人材確保策でしかなく、徹頭徹尾営利的な行為、決してそれを超えて「守って」なんかくれることはなかった。そしてそんな時代や社会が実在したことは未だかつてなかったに違いない。
サンプル1で (スコア:0, フレームのもと)
「日本」を説明しようとは素晴らしい想像力ですね。
Re:サンプル1で (スコア:1)
私の経験は印象的だったのでそれを書いたが、学校出てから20年近くも立つと直接的な経験以外にも色々聞いてるんでね。
それに私に起こったことは単にその上司との1対1の経験というだけではない。
その上司をそういう行動に導いた背景というものがある。
例えば、彼の最初の訓示は当時「時代遅れ」とは思われていても、まだ多少は信じられていたし、その後の行動も賞賛は出来ないが、保身という目的に関して言えば「ケチのついた部下を弁護などせずとっとと切り離す。」という行動はかなり合理的だった。まして下手に弁護すれば自分のミスが露になるという状況ではね。つまり彼は若干古臭いが当時決して珍しくはない信条を唱える一方で、判断ミスを糊塗して保身のために合理的に行動しただけだ。彼が何か特異な人だったわけではない。そんな人なら日本中どこにでもいただろうと思われる。たまたま事件が起こらなければここまで鮮やかに表面化することはないとしてもね。
その後の経験でも彼のような、時代遅れの信条、判断ミス、その隠蔽、保身、それらのコンビネーションは程度の差こそあれ決して珍しいものではない。そこまでくれば「部下を守るために目先の利害を度外視して行動する上司」は存在しないとまでは言えないが、多数派とは到底思えない。(そして多数派でないからこそ物語でそういう行動がしばしば英雄的に描かれるのだろう。)
そして会社というのは単独で人格を持つわけではなく、そういう人々の集まりであり、多数派の影響が強く現れる。となれば総体として「企業がサラリーマンを守ってくれる」とは(現在はもちろん過去においても)あまり思えないのは当然ではなかろうか?
ちなみに終身雇用&年功序列を背景に家族主義的な幻想が維持されてきたってことや、終身雇用や年功序列が別に道徳的な動機でなく純粋に利害得失を考慮して選ばれ得るという考えそのものは決して珍しい考え方ではないよ。
Re: (スコア:0)
反例は1つあれば十分というだけのことでは。
Re: (スコア:0)
サンプル1だと思ってるのは、あなたが勉強不足だからでは?
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4334933394/ [amazon.co.jp]
元コメのACです (スコア:0)
元コメ(#1716925)のACです。
どうもちょっと違うニュアンスで捉えられてしまったようで。
言葉が足りなかったようです。
本当に申し訳ない。
私の言う「企業がサラリーマンを守ってくれる」的なイメージというのは、親の世代、要は団塊の世代あたりの人間を相手にしていると思うことなんですよ。
自分は団塊Jr世代の一番下くらい(Kandoさんよりちょっと下くらいかな?)なんですが、自分が社会人になったとき、或いはそれから十数年経った今、Kandoさんと同じような(それほど強烈ではないにしても)経験をしつつ「あれっ?」と思うことが多数あるわけですよ。
子供の頃、TVで見たり、親や学校のセンセに聞かされてきた社会とは何かが違うな、って。
一番顕著な例で言えば、いい大学を出ていい企業に入って、結婚して、歳を取ったら課長になって、うまくすればその上に行って、定年を迎えて退職金を...そんな社会システムを前提に人生設計をしろと教えられてきた世代なのに、いざ、社会人になろうかというあたりで「年功序列/終身雇用なんてありません!」っていきなりハシゴを外されたみたいな。
結局、企業と社員は対等なんだ、企業というシステムの中に所属しても守ってはくれないんだ、社員は自分の時間と能力を会社に切り売りして生きていくしかないんだ、買い叩かれていると感じたら売り物を引っ込めるか売るのを止めるかしかないんだ、と痛感したわけです。
そして今、地域の自治会の会合とかで団塊の世代やその近辺の世代の人間と話をしていると、こんなやつらが社会を、会社を運営してきたのかとため息をつきたくなるような無責任でエゴむき出しな輩がいっぱい居たりするわけです。
調整能力も低いし協調性もゼロに等しいし、議論というかコミュニケーションすら不自由。
今の社会に出たら、それこそこいつら全員、能力不足か人格不適格で「リストラ」だよなぁ...なんて思ったりして。
こいつらのお守りをしてきたんだから、その頃の企業ってのは寛大だったのか、或いはこんなダメダメな人間でも使わざる/引き上げざるを得ないほど忙しかったのか、おそらく後者だろう、なんてね。
まぁ、今でも企業の内実は大して変わらないのかもしれませんけど、でも、そういう奴らに「高度経済成長は俺たちの手柄だ。それに引き替え今の現役世代は...」的な威張りかたをされるのは納得が行かないわけで。
そんなこんなを考えると、あぁ昔は良かったんだねぇ、団塊の世代(のうちの一部、又は好景気にぶら下がってきた大多数?)は楽をしてきたんだねぇ、寛容な時代、寛容な企業や社会システムに守られてきたんだねぇ、なんて皮肉を言いたくなってしまった、そんな一言だったわけです。
そんな奴らに「今時の若いヤツは」(いや、まぁ、私もそう若くはないですけど)とか「結婚も出来ないのか」云々とか言われたくはないなぁ、でも奴ら数だけは多いからなぁ(笑)、というような日頃の鬱憤やらなんやら、そういうものがつい発露してしまったわけです。面目ない。
自分としては「団塊Jr世代」という言葉に「団塊の世代が現役の頃は良かったんだろうね」的な意味を込めたつもりだったのですが、それが読む人全てに伝わるわけもなく、説明不足を痛感しております(これじゃコミュニケーション能力不足の自治会のアホを笑えませんね...反省)。
# 言い訳にしかなりませんね。ぐだぐだとごめんなさい。