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Pravdaの日記: 言語帝国主義と近代国家 2

日記 by Pravda

hituziのブログ、言語帝国主義とは なにか。たなか『ことばと国家』を批判する。 [goo.ne.jp] より。

日本の社会言語学で古典的名作とされる本は、田中克彦(たなか・かつひこ)の『ことばと国家』岩波新書、1981年だ。この本を最初から よみなおしてみなさい。
「人間はふつう、だれでもことばを話している。それは、人間と他の動物とを分ける基本的なめじるしの一つと考えられている」(2ページ)。
田中克彦は、いまになっても手話をとりあげない(『ことばとは何か』ちくま新書、2004年をみよ)。おそらく手話を言語として あつかってはいないからだ。
〔中略〕
国語学と田中の言語学と、なにが ちがうのか。国語学と社会言語学と、なにが ちがうのか。
言語帝国主義を批判するものたちが、「言語」帝国主義に どっぷり つかっているという皮肉…。ことばをうしなう。

個人的な考えによれば(だから間違ってるかも)、日本に限らず「国語」というものは近代国家の産物であり、ある意味「暴力装置」と言っていいと思います。どこの国でも義務教育(これも近代国家の産物)で「国語」を教え、また程度の差こそあれ、国家が「国語」を統制しています。我が国では国語審議会というものがあったし、現在も名前を変えて存続しているのは知られているところ。

そういう「言語帝国主義」への批判は、さまざまなレベルや切り口から可能なワケですが、このブログ主(「ましこ・ひでのり」という人らしいご本人からコメントを頂戴しました。あべ・やすしさんでした。大変失礼しました)の書く、

ここで、かしこい ひとは気づくであろう。
言語が知的障害をつくるのである。

という意味が、いまひとつピンときません。まあ、自然科学と違って社会科学は「言語帝国主義」という用語一つをとっても定義がアイマイで、オレオレ定義をすれば何だって言えるのですけどね。

最近、エコノミストの池田信夫氏が、ネグリを歓待しなかった日本政府 [goo.ne.jp] という記事の中で、たいへん示唆に満ちた意見を書かれています。

もちろん、現実にはそんなことは不可能だろう。しかし少なくとも近代の人権なる概念が、そういうダブル・スタンダードをはらんでいることは知っておいたほうがいい。Krasnerもいうように、主権国家とは組織的な偽善なのである。
〔中略〕
このように人権とか平等とかいう概念は、近代国家の作り出した幻想にすぎない。今回の事件は、日本政府の偽善性を白日のもとにさらしたという意味では、ネグリの来日よりも大きなインパクトがあったかもしれない。

アントニオ・ネグリ氏が日本への入国を拒否された理由はよく判りませんが、主権国家はその国民にとって「健全なるエゴ」な存在で、それは言い換えれば「組織的な偽善」とも言い得るでしょう。

では、それを超克するものがあるか?、と問われたら、今の私には分かりません。

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • by Anonymous Coward on 2008年03月28日 0時24分 (#1320737)

    こんにちわ。とりあげてくださって、ありがとうございます。もうひとつの言語帝国主義、ということで、よろしく おねがいします。

    わたしは、あべ・やすしというものでして、ましこさんとは別人物です。言語が知的障害をつくるというのは、ぱっと わかる表現ではありませんでしたね。すみません。

    二重の意味で、言語なんてなければ「知的障害者」なんていないということです。だから言語をなくせという議論では ありませんけども。

    ともかく、ねむたい状態で かいた文章なので、むちゃくちゃでした。補足をかきたいと おもいます。

    あべ・やすし
    http://www.geocities.jp/hituzinosanpo/ [geocities.jp]

    • 拙文へのコメント、ありがとうございます。
      私のようなシロウトの妄言に文をお寄せくださり、たいへん恐縮です。^^;

      ただまあ、色々な本からのウケウリですが、近代国家における「言語という装置」は本質的に差別の構造を内包しているのだろう、と考えています。

      IT関連という仕事柄、英語の技術論文などを読むことがありますけど、わざわざ難解な単語が用いられたり、あるいはラテン語やフランス語の単語を使われると、「格好つけずに分かりやすく書けよ」と思うことしばしばです。また、英語ネイティブな人の修辞レベルからすると、私の書く英文は中学生以下のレベルでしょう。

      ITに限らず、テクノロジーは「人のためになり、社会を豊かにする」という本来の目的を忘れてはならないのですが、往々にして新たな差別や格差を生む「装置」として使われており、そういう業界に身を置く立場としては、「技術帝国主義」に批判の声をあげるべきです。その反面、「技術帝国主義」は儲かりますし、また我々のステータスの向上につながるので、インサイダーとしてラディカルな批判をするのは難しいところがあります。

      あべ・やすし様のブログをブックマークさせていただきました。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

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